学位論文要旨



No 216023
著者(漢字) 重山,陽一郎
著者(英字)
著者(カナ) シゲヤマ,ヨウイチロウ
標題(和) 建築デザイン教育に学ぶ景観デザイン教育のありかた
標題(洋)
報告番号 216023
報告番号 乙16023
学位授与日 2004.05.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16023号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠原,修
 東京大学 教授 内藤,廣
 東京大学 教授 前川,宏一
 東京大学 講師 中井,祐
 高知工科大学 教授 岡村,甫
内容要旨 要旨を表示する

■研究の背景と意義

 「景観デザイン(土木分野で主に「美」を対象としたデザイン)」は、まだまだ若い分野であり、景観デザインを担う人材は全く不足している。

 また、大学の土木関連学科では設計に関する職能教育をほとんど行っていないため、卒業してもプランニングもデザインもできない。このような訓練は就職後の実務教育に任されてきたが、社会情勢が変化し、企業は新人を一から教育する余裕をなくしつつある。これからの大学の土木関連学科では、計画や設計の能力を育成し、就職直後からある程度の戦力となるようにしなければならない。

 しかし、優れた景観デザインの専門家を育成する方法は未だ確立されておらず、そのレベルは他の領域よりも明らかに低い。本研究は、景観デザイン教育のありかたを明らかにすることによって、短期的には優れた景観デザインの担い手の育成を、長期的には優れた景観の創出を志すものである。

■研究の目的と方法

 景観デザイン教育は、既に少数の大学において実行されている。これらの教育は、建築デザイン教育などを手本とし、大学教員や実務設計者との議論をふまえて構築されている。その過程で、景観デザイン教育のありかたについては、経験的にだいたい分かっていることが既にいくつかある。本研究の目的は、この「だいたい分かっていること(初期案)」を検証し、改良を加えて新たな景観デザイン教育のあり方を提案することである。

 検証の第1の方法は、建築デザイン教育に関する調査である。デザイン教育の点では、建築学は、土木工学よりもはるかに先輩であり、景観デザイン教育について考えるには、まず、建築デザイン教育について学ぶ必要がある。建築デザイン教育と、そこから育った人材、成果としての建築物などを調査・分析することにより、建築デザイン教育の特徴や課題を浮き彫りにし、翻って、従来の土木デザイン教育との比較を行うことにより、景観デザイン教育のあり方を検証する。第2の検証方法は、筆者が現在携わっている景観デザイン教育の経験に基づくものであり、初期案の改良を提案する。

■研究の枠組み

 本研究の枠組みを、図1に示す。

 本研究では、まず第1章「序章」で研究全体の背景や目的、研究の枠組みについて整理した。また、既往研究を概観し、景観デザイン教育について、既にだいたい分かっていることを整理し「景観デザイン教育のありかた:初期案」としてまとめた。

 第2章「優れた建築家の学歴・職歴」、第3章「インタビューによる建築デザイン教育の調査」、第4章「教員とカリキュラムの大学間比較」、第5章「建築デザインの評価基準の特徴と課題」では、上記の「初期案」を検証するために、建築デザインと建築デザイン教育について調査を行い、それを参考にして、景観デザイン教育のいくつかの項目について検証や、改良への示唆を得た。また、第6章では、それまでの研究内容を「結論1:建築デザイン教育の特徴と課題」としてまとめた。

 第7章「建築デザインと従来の土木デザイン、および景観デザインの評価基準の相違」では、建築デザイン教育から何を学び、何を改良すべきか明らかにするために、建築デザインと従来の土木デザイン、および景観デザインの評価基準の相違を把握した。これらに基づいて景観デザイン教育のいくつかの項目について検証や、改良への示唆を得た。

 第8章では、これまでの検証や改良への示唆を受けて、「結論2:景観デザイン教育のあり方」を提案した。また、この提案は筆者によって既に実践されており、その内容は第9章「景観デザイン教育の実践」で報告した。教育実践に基づいた評価と改良への示唆はフィードバックされ、第8章では、筆者の教育実践に基づいた提案も行った。

■結論:景観デザイン教育のあり方

□前提条件

 優れた建築家の出身大学は、極めて少数の大学に偏在しており(図2)、職歴についても偏りがある。ある学歴・職歴のパターンに沿って修行することは、優れた建築家になるための必要条件に近く、これ以外の学歴・職歴では可能性がかなり低い。したがって、優れた建築家は建築家自身の努力や偶然だけで育成されるのではなく、優れた建築家を育てる建築デザイン教育が確かに存在する。したがって、優れた景観デザインの専門家を育成する教育も存在し得ると考えられる。

□教育目標:どのような人材が必要なのか

 建築デザイン教育の調査結果に基づき、景観デザイン教育が育成する人材が身につけるべき能力を提案した。また、筆者の教育実践の経験に基づき、それらの教育を行うべき時期や手段によって分類した(図3)。

□教育内容

 建築デザイン教育の内容について、従来の土木デザイン教育との比較を行い、両者に共通の項目と建築デザイン教育独自の項目に分類したものが表1である。表の左側(建築独自の項目)は、インタビューにおいて建築家が師匠から学んだこととして力説する項目でありながら従来の土木デザイン教育では抜け落ちているため、景観デザイン教育ではこれらの項目も重視すべきであろう。また、筆者の教育実践の経験に基づき、教育目標として提案した能力毎に、具体的な教育内容を提案した。

□教育方法

 建築デザイン教育の調査では、優れた建築家を多数輩出する大学では、設計演習に非常に長い時間を割いていることが明らかとなった(図4)。したがって、景観デザイン教育においても設計演習の充実が必要だと考えられる。しかし、その時間数の目安は判断が困難な問題である。というのは、建築の設計演習の時間数が、土木に比べてはるかに多く、容易にその差を詰めることができるとは考えられないからである。これは、土木工学の扱う施設の範囲が非常に広いため、やむを得ない面がある。優れた景観デザイン教育を行うためには、設計演習の時間数を増やすことが望ましいが、その時間数は建築との比較で判断できるものではなく、土木関連学科の教育内容や教育方法を全体的に見直し、そこでの議論に基づいて判断するものであろう。

 筆者の教育実践に基けば、設計演習は学部で135時間、大学院で56時間程度が望ましいと提案した。

□教員

 建築デザイン教育においては、プロフェッサーアーキテクトが決定的に重要性であることが明らかとなった。優れた建築家を多数輩出する大学では、数多くの優れた建築家が大学教育者を兼務している(図5)。したがって、景観デザイン教育においてもプロフェッサーアーキテクト(実務経験者)の存在が重要であることは明らかである。土木分野では設計の実務者が大学教員を兼ねる例は極めて少ないが、今後はそれを増やすことが必要である。

 筆者の教育実践に基づく提案としては、大学の土木関連学科では、最低4人の実務経験者が必要だと提案した。4人とは、プランニング、意匠設計、構造設計、施工の実務経験者である。

□学生

 既往研究によれば、優れた建築家となる可能性の高い学生は、絵画、彫刻などの芸術的センスと、理数系の興味と力量を併せ持っている学生である。また、本研究では、優れた建築家の多くが高校の成績も優秀であることが明らかとなった。景観デザイン教育に求められる学生像も同様だと考えられ、このような学生を招くためには、入学試験にデッサンなどの実技を取り入れることも考えられる。しかし、残念ながらほとんどの土木関連学科は、現状では志願者が少ないため学生を選り好みできる状態ではない。今後はまず、若者に土木工学の魅力を伝えるところからスタートしなければならない。

□教育環境・設備、ほか

 前述のように、建築デザイン教育にとって設計演習は非常に重要である。本研究では、教育設備に関する調査は行っていないが、どこの大学でも建築学科には設計演習室があり、学生の創作活動の拠点となっている。一方、土木関連学科では設計演習室が充分に備えられていることは少ない。

 景観デザインでは、建築デザインよりも広いスケールをデザインの対象とする場合が多いため、巨大な模型を作成する必要が出てくる。このようなスペースの確保は難しい問題ではあるが、それなしでは景観デザイン教育が非常に困難となることも確かである。

 筆者の教育実践に基づけば、低学年では設計演習の敷地を小規模に押さえることにより、学生は自宅での図面や模型の製作が可能であり、高学年で履修者が絞られた後に、1人1台のテーブルを用意した設計演習室を用意することが望ましいと提案した。また、ワークステーション室や、優れた事例のデータベースの重要性なども指摘した。

図1 研究の枠組み

図2 優れた建築家の出身大学(単位:人)

調査対象は、建築賞受賞経歴を持つ建築家346人

図3 景観デザイン教育が育成する人材が身につけるべき能力と、その教育時期や手段による分類

言うまでもないが、教育実践の場面では、図のように明確に分けることは出来ず、境界が曖昧となる。

表1建築デザイン教育と従来の土木デザイン教育の、教育内容の比較

図4 建築計画・意匠関連の設計演習の時間数の比較

*学部4年間の合計*卒業設計は含まない

図5 1950〜1980年代の大学別プロフェッサーアーキテクトの量と、同時期に学んだ受賞建築家の人数の相関

審査要旨 要旨を表示する

 「景観デザイン(土木分野で主に「美」を対象としたデザイン)」は、まだ若い分野であり景観デザインを担う人材は全く不足している。しかし、そのような人材を育成する方法は未だ確立されておらず、そのレベルは他の領域よりも明らかに低い。本論文は現状の景観デザイン教育を検証し、改良を加えて、あらたな景観デザイン教育のあり方を提案したものである。検証方法は建築デザイン教育に関する調査と土木との比較、および筆者による教育実践と評価である。教育に関する既往研究が極めて乏しいなかで、経験のみならず詳細な調査と論理に基づいて景観デザイン教育のあり方を具体的に提案している点は、本研究の優れた特徴である。第1章では、上記の内容を論文の背景と目的、研究の枠組みとして述べている。

 第2章では、優れた建築家(様々な建築賞の受賞歴を持つ建築家)346人の学歴・職歴を調査している。その結果、優秀な建築家は、その学歴・職歴に大きな共通点や特徴、偏りがあることが明らかとなっている。ある学歴・職歴のパターンに沿って修行することは、優れた建築家になるための必要条件であり、建築家の独学や偶然だけで優れた建築家が生まれるのではない。このような結論が数量的な調査に基づいて検証されたのは初めてであり、教育研究のための基礎的事実として価値の高い成果である。

 第3章では、優れた建築家へのインタビューにより、大学以前、大学、職場での教育の内容や重要性について調査している。その結果、職場での実務教育が極めて重要であり職場が建築スクールとなっていること、大学は建築の基礎や雰囲気を学ぶとともに人脈を築く場となっていること、大学以前の教育は建築家を志すきっかけを与え才能を芽生えさせていることなどが明らかとなっている。建築家に対するインタビューは文献にも見られるが、デザイン教育という観点で整理・考察したものは本論文が初めてであり、その成果は高く評価できる。また、大学や職場での教育内容についても多くの知見を得ており、これらは景観デザイン教育のありかたを検証する上で価値の高い成果となっている。

 第4章では、優れた建築家を多数輩出する大学とそうでない大学を、教員とカリキュラムについて調査・比較している。その結果、優れた建築家を多数輩出する大学では設計演習に非常に多くの時間を割いていること、また、多くの才能豊かなプロフェッサーアーキテクトが教育に関わっており、その存在が極めて重要であることが明らかとなっている。このような比較調査は既往研究には全く見ることができず、また、景観デザイン教育のありかたを検討する上でも注目すべき成果である。

 第5章では、建築デザインの評価基準の特徴と課題について論じている。本論文は建築デザイン教育から多くのことを学ぼうとしているが、建築デザイン教育と、その成果としての現実の建築物やまちなみを無批判に肯定しているわけではなく、そこから何を学び、何を改良するべきかを調査している。調査内容は、日本建築学会賞(作品)の受賞理由であり、そこから建築デザインの評価基準を論じている。調査の結果、建築デザインの評価基準は新規性やオリジナリティーを極めて重視しており、耐久性や使いやすさなどが軽視される場合があることや、評価が建築関係者のみで行われており第三者的な視点がなく閉鎖的であることなどが明らかとなっている。このような調査はこれまでに例のないものであり、景観デザイン教育のありかたを考察する上でも有用性が高く、重要な成果と認められる。

 第6章では、「結論1:建築デザイン教育の特徴と課題」として、第2章から第5章までに得られた知見をまとめている。

 第7章では、建築デザインの評価基準と、従来の土木デザインや景観デザインの評価基準の相違について論じている。まず第5章と同様に、土木学会田中賞と土木学会景観デザイン賞の受賞理由を調査している。次に、日本建築学会賞(作品)や土木学会田中賞の受賞作品を現地調査し、それらのデザインの特徴を調査した上で、それぞれの評価基準について論じている。その結果、建築デザインや従来の土木デザインでは部分的に優れた点があれば難点を見逃す傾向にあるが、景観デザインではトータリティーを重視していることが明らかにされている。このような評価基準の相違はそれぞれの教育に強く関連していると考えられ、今後の景観デザイン教育のありかたを考える上で重要な知見であると評価できる。

 第8章では、「結論2:景観デザイン教育のありかた」として、これまでの研究成果をまとめ、あらたな景観デザイン教育のありかたを、教育目標や内容、教育方法、教員、学生、環境と設備などについて具体的に提言している。

 第9章は、著者による教育実践の報告である。第8章の提言の多くは、既に著者によって大学教育の中で実践されており、また、実践を通して教育を評価しフィードバックするという繰り返しが第8章の成果となっている。このように教育実践に基づいた提言は、本論文の成果をより実用的なものとしており、高く評価することができる。

 以上概観したように、本研究の最も評価すべき点は、これまでほとんど研究されてこなかった景観デザイン教育という分野において、経験のみならず詳細な調査に基づいて論理的に考察し、あらたな教育のありかたを提案している点にある。また、従来の教育を他分野の教育の参照によって検証・改良するというアプローチは、これまでの研究には見られない独自性の高いものである。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51208