学位論文要旨



No 216024
著者(漢字) 余,亮
著者(英字)
著者(カナ) ヨ,リョウ
標題(和) 黄河中流域における農地転換の可能性とそのインパクトの総合評価に関する研究
標題(洋) Feasibility Study and the Synthetic Evaluation of the Agricultural Land Conversion in the Yellow River Basin of China
報告番号 216024
報告番号 乙16024
学位授与日 2004.05.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16024号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴崎,亮介
 東京大学 教授 安岡,善文
 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 助教授 川島,博之
 東京大学 助教授 沖,大幹
内容要旨 要旨を表示する

 近年世界的に、地球温暖化や土地砂漠化、環境汚染のような環境問題が頻繁に起こっている。中国も例外ではなく戦後50年以上を経て驚異的な速度で成長しはじめているが、環境悪化・生態系の破壊、地域間格差の拡大などさまざまな問題を抱えている。特に中国の西部地区ならびに黄河流域は脆弱な生態系を抱え、水資源がきわめて乏しいことにもかかわらず、人口増加により生産性の低い斜面農地を拡大せざるを得ず、環境の一層の悪化や東部地区との所得格差の増大という深刻な問題を抱えている。

 黄河流域環境問題は、けっして短時間で引き起こされた問題ではなく、長い間に人類と自然界の共生・共存の中で、主に食糧を目的とする人間活動の増加と、長い間に形成された人間の土地に一極依存する体質にあると考えられる。徹底的に環境問題解決の一環として、農地転換の方法が有効とされている。中国の農地転換とは、生産力の低い斜面農地を森林などへ転換することで環境の保全・再生を図ると同時に、好調なマクロ経済を背景に西部地区の経済構造改編の一助ともしようというものである。これは90年代末、中国政府は西部大開発戦略を提唱すると同時に「退耕還林」という農地転換政策を本格的に導入した背景である。本研究では統計や実観測データ、具体的な事例の整理を通じて農地転換対策を実現するための条件、課題を抽出・評価する。より一層の評価効果アップするために、GISや穀物生産力モデルなどのシステムを適用することにより検証を進める。最後に、地域の状況を全般に考慮したうえで農地転換の可能地域を示す。研究内容は主に4部分からなる。

1) 黄河流域の現状と農地転換への期待

 黄河流域の自然、社会体系構成背景から黄河流域の歴史や文化、地理地形特徴を分析・整理する。特に中国全土、あるいは世界の状況に比べると、黄河流域自然資源の日照量と気温や土地、水資源の保有量(一部地域を除く)、社会経済資源の農業や都市、交通インフラ指標は、全国水準より下回る。1990年の人口統計データを用いた人口密度と総人口に対する農村人口の割合は、黄河流域の状況(121.72人/km2と82.73%)、特に中(147.95人/km2と82.05%)・下流域(602.22人/km2と87.00%)は、全国の平均値(118.83人/km2と78.18%)より遥かに多いことで、黄河流域がより厳しい状況にさらされていることがわかる(括弧中の数字は人口密度と農村人口の割合である)。

 また、黄河流域自然社会体系においての維持と課題を言及すると、もっとも注目すべきのは水や土壌の流亡、土地砂漠化による環境問題である。原因を分析すれば、自然的・地理空間的な要因が排除できない一方、市場経済へ移行期に起因する要素、特に長い間に形成された土地依存の本質が改善されていないことが考えられる。深刻な農地問題と環境問題に対し、根本的な解決・再生策として農地転換方法が有効とされるが、条件の整えが必要である。ここでは近年の生活・生産の実データに基づき、内的(人々の主観的な思想や意識、行為の規範)と外的(人間行動を誘導、あるいは制約する客観的な外部環境)な条件にわけ検証を行った。結果的には、黄河流域近年の経済改革や人々の市場意識の増長、連年の豊作により、難しい課題(例えば地方保護主義や生活慣習、伝統文化など)が多く存在しているものの、論理的に農地転換の必要な条件が整いつつあることがわかる。

2) 自然条件からみた農地転換必要性の評価

 黄河中流域環境問題の核心は土地資源利用である。農地・牧地の拡大、特に斜面農地開墾のような土地利用改変が直接に環境破壊をもたらしたのである。現状の中国土地利用図の分類に基づき、量的に人間活動が斜面農地を拡大させ、黄河中流域の土地特性に決定的な役割を果したことが実証できる。これは統計や地形データを用いた計算では、黄河中流域の農地と総人口数の分布が十分に関係にしていることも示された。さらに斜面農地率を農地現状と質の特徴を現す指標として各地域の人口指数と比較する場合、総人口密度と反比例の関係にしているが、総人口当たりの農地保有数、または農業労働人口当たりの農地保有数と正比例の関係にあることがわかる。

 また、黄河中流域自然環境を再生するために、自然条件からみた植生分布や役割、変化への考察が必要である。できるだけ原生に近い植生区分を目標とし、気候-植生の考慮方法のもとにLife Zone方法の適用により黄河中流域潜在植生の抽出を試みた。その後にケッペン(koppen)方法や吉良(Kira)方法の幾つかの植生評価方法と比較してその信頼性と効果を確かめた。特に植生分類の中では、栽培植生は黄河中流域農地および斜面農地にとって存在意義は大きい。自然条件の実データを利用して栽培植生区分を行ったうえで、評価内容をわかりやすく標識するために、順位の1等地から5等地までの5つのランクによって黄河中流域の栽培植生特徴を区別した。結果的に農地転換必要性として、理論的に栽培植生区分の低いランク(例えば5等地)の地域は、農地転換の可能な地域となるが、斜面農地発生に深刻な背景があることで、両方が直接に結び付きにくいことが分析によりわかる。

3) 農地転換の農業生産・農家行動視点からの評価

 本部分は2つからなり、まず、農業生産は人間活動のもっとも基礎的なものであり、いかに正確に評価するのが目的である。農業生産力を代表する穀物収量は気候や土壌など地理・空間的な条件に左右されるだけでなく、栽培暦や施肥条件などによっても大きく影響される。これらの条件の分布を示した空間データがあれば、EPICとGISを組み合わせることで、穀物収量分布の推定が可能になる。しかしながら、特に作付け体系や栽培暦の分布に関するデータが入手できることは多くなく、そこで、作付け情報マップや各地域における穀物の組み合わせ、栽培暦想定のような土地利用情報を利用することで推定精度が改善されるのを実証的に明らかにした。実験は実穀物収量と比較して推定誤差率によって推定の効果を確かめる。実データの入手や穀物種類などの理由により推定実験は陝西省の小麦とトウモロコシに限定して行った。結果的に空間データを利用することで、平均推定誤差が小麦では、21.7%から16.3%へ、トウモロコシでは、47.2%から22.3%へと改善できることがわかった。

 また、黄河中流域の乾燥気候特徴により水資源が非常に乏しく、少し農業用水を下がれば流域水供給バランスの改善に期待できる。年間穀物作付けの状況を再現した上で、必要な水量を推計した。結果として、年間穀物総収量が実生産総量に比べ、平均推定誤差が18.02%から12.20%へと改善できた。異なる農地形態の年間1mm水を消耗した場合、灌漑農地は平均で0.617Kgの穀物収量があると違い、非灌漑農地の場合は0.397Kgにとどまり、灌漑による改善率は全地域に平均して1.556倍の結果になることがわかる。そのほかに穀物収量増減に対し、年間降水量の増減や気温変化、肥料投入量と農地斜面の変化からのインパクトも検証した。

 次は、社会的視点からの評価である。農地転換は直接農家の生産・生活と絡んで非常に複雑になり、単に自然的な評価方法により特定するのが容易ではない。現実的に農村経済の変革と市場化の促進により、一般世帯において農業頼りの単一収入の状態は少なくなり、逆に農地一極依存から脱出し経営観念、意識も変化しているはずである。黄河中流域一部の地域を対象に農家への実質調査により実際状況との確認を行った。調査はスポット的で、3県12村の330軒農家に及んだ。調査は調査員の直接質問と記録により行われ、農地変化の期間を10年間とした。

 調査評価は農家単位と村単位の両方を交差して行った。10年間において経済発展、市場経済の進むにつれ、農家の生産・生活に大きな影響をもたらしたことが回答から抽出された。変化の大きな特徴として、農家の生活方法は、昔はほぼ「農地依存」の一本道であったが、いまは選択肢が多くなり収入の得る手段も多様化している。象徴的なのは伝統農業衰退の変わりに、現代農業と多様化産業構造の樹立である。

 農家の年間収入を農業収入と農業外収入にわけた場合、地理的な要素は両方の収入に大きな影響を与えるが、対応されている都市距離や都市規模に応じ、各地域の収入額と構成比率が違う。こうした収入変化の影響が、直接斜面農地を主にする農地の変化に導いたことが分析によりわかる。結果的に、都市要素と世帯収入分布の特徴を考慮した農地変化を、3つのパターンにわければ適当だと考えられる。すなわち、都市に近い距離のパターンA地域、中間のパターンB地域と遠い距離のパターンC地域である。10年間農地変化率をみれば、平均でパターンA地域の8.64%(平地)と4.46(斜面農地)の減少率があり、パターンB地域は9.74% (平地)と36.11%(斜面農地)の減少率である。パターンC地域が一番少なく、4.06%(斜面農地)の減少率であることがわかる。

4) 空間的な農地転換可能性の評価

 最後に地域を拡大して空間的な農地転換可能性の評価である。主に農業生産と社会経済の評価結果に対する総合的な評価により推められる。転換主体が斜面農地のため、対象地域は陝西北部の黄土高原地区の斜面農地となる。統計データによる計算では、10年間当該地区は農家世帯の収入事情が変化しており、人口当たりの農業・農業外収入ともに成長しているが、比率からみれば農業収入が下がり、農業外収入のほうが上がっていることがわかる。

 また、総合評価につき、まず農業生産から空間的に(メッシュサイズは約1km)異なる斜面角度による年間穀物推定収量を県ごとに集計して、その結果から穀物収量に影響の大きい斜面角度を抽出する。斜面農地角度の間隔は1kmのDEMデータから1°ずつ、角度が大きくなったら2°か3°となる。結局6°以上の斜面農地を選出した。次は、社会経済評価による農家の土地利用・収入獲得活動の分析から、主に地理的な農業外収入増加の可能性と、政策補助による転換可能性の2つの視点からの考察である。パターンごとの特徴の整理によれば、パターンAは、斜面農地がほとんどなく、農業は安定し今後も転換は少ないことで、農地転換必要性の低いケースとする。パターンBの場合、斜面農地が多く、農業外収入も増加し、今後、農業外収入がこのまま増加し続ければ、自然に農地転換が進められると考えられ、自然に転換できるケースとする。パターンCは農業収入が低く、農業外収入を得る機会がまだ少なく、今後の見通しとして、農業外収入の機会を増やし、転換補助金や食糧を提供することで、転換の進む可能性があると考えられる。これにより、パターンAを変化のないケースとし、パターンBを同ペースで進むケースとパターンCを援助ケースとしそれぞれ転換可能性の試算を行う。実際のパターンCではパターンBの提示した政策補償ラインを仮定に参照した。それぞれ異なるケースの試算結果として、対象の黄土高原地区全斜面農地の面積に対し、パターンB の21.06%の減少、パターンCの3.04%の面積減少が予測でき、また、農業生産量への影響について、パターンB の8.85%の減少、パターンC の15.00%の増加が判明した。生産量の増加につき、やはり天候の影響と10年間単産の増加があることが考えられる。結果として、黄河中流域一部地域では互いに農地転換条件違うものの、農地転換の可能性はあることがわかった。

 以上の評価を通じ、環境再生を目的とする斜面農地転換でも農家の生活・生産と絡んで如何に自然・社会経済の法則と農家の要望に応じた評価のシステムを構築することが大切である。

■ 農地転換可能性の総合評価のプロセス

審査要旨 要旨を表示する

 大きな人口を抱え、急速に成長しつつある中国は、環境問題でも世界の注目を集めている。特に黄河は政治・経済の中心地である北京や天津を下流部に持ちながら、中流部から上流部にかけては半乾燥・乾燥地域を貫流しており、土壌流亡や土地荒廃、貧困な農村など大きな課題を抱えている。こうした課題に対して中国政府は「西部大開発」構想を発表し、発展の相対的に遅れた西部地区の開発を促進させるとともに、環境保全も達成しようとしている。その中で「退耕還林」、すなわち、斜面などの限界的な地域にある農地の耕作を放棄させ自然植生(森林や草地)に戻すという政策が特に注目されている。これは斜面農地など生産力が低い割に環境負荷の大きな農地を放棄することと同時に、農民を郷鎮企業などに吸収することなどによって産業構造の転換も加速しようとする政策である。これまでの退耕還林政策の影響や効果に関する調査・論説はいくつか発表されてきているが、どのような場所を退耕還林すべきか、またそれは可能なのか、影響の大きさはどうなのかといった空間的・定量的な評価は全く示されていない。

 本研究は、GISや穀物生産力モデルなどを利用することで、退耕還林の空間的・定量的な評価を可能にしたのと当時に、農家に対して家計単位の土地の利用形態調査や収入支出調査などを行うことにより退耕還林への参加可能性などを調査・分析し、退耕還林政策の実現可能性に関しても実際の参加主体である農家の収入獲得行動の観点から分析している。論文は、全部で7章からなっている。

 第1章は序言であり、研究の背景や目的、研究の特徴を整理している。

 第2章は「黄河中流域の自然社会体系と農地転換の現実・インパクト」であり、研究対象地域である黄河中流域の自然や社会の歴史的展開の中で退耕還林に代表される農地転換が、環境保全ばかりでなく産業構造の変革や地域間格差の是正という期待も担っていることが整理されている。

 第3章は「黄河中流域の土地資源ならびに農地転換に対する自然的なインパクトの評価」であり、気候や土壌、地形条件などの自然条件から見て穀物生産上不利であり退耕することが相対的に望ましいと思われる地域を分析・抽出している。また気候条件などから潜在自然植生の再現を試みており、退耕後の回復植生の判定にも役立つ情報を整理している。

 第4章は、「黄河中流域の自然的な農業生産力の推定とそのインパクトの評価」であり、米国農商務省が開発した穀物生産力モデルであるEPIC(Erosion Productivity Impact Calculator)をGIS(地理情報システム)と統合し、詳細な作付条件・灌漑条件などを与えることで、穀物生産力をグリッドベースで空間的に細かく推定できることを示した。また同時に灌漑投入水量の推定にも利用できる可能性を示した。このモデルにより、退耕還林すべき農地を穀物生産力の観点から評価でき、また退耕還林を進めた際の地域全体の穀物生産量の減少などを推定することが可能になった。

 第5章は「社会経済のインパクトからみた黄河中流域の農地転換評価」であり、農地転換を実際に行う農家の視点から退耕が実際に選択可能な選択肢であるか否かを評価している。具体的には黄河中流域の中心省である陝西省の12村約330世帯を対象に土地の利用形態、放棄の状況、収入構造(農業収入、農業外収入)を調査し、過去の耕地放棄がどのような条件の下で実際に生じたかを明らかにして、退耕による収入減少がどのような条件下であれば補填されうるかを評価した。その結果、都市の近傍では都市向けの換金作物を耕作することで現金収入が得られるため、農地減少はそもそも少ないこと、都市から非常に離れた地域(約30km以遠)では、出稼ぎなどの農業外収入を得る機会も少なく、また換金作物の耕作も競争的ではなく、貧困・停滞状況が続いていること、都市から中距離帯(約10kmから30km程度)では、出稼ぎなどの農業外収入が非常に増加し、同時に斜面農地を中心に農地の放棄が進んでいることなどが明らかとなった。その結果、そもそも斜面農地の少ない都市近郊地域については、積極的な退耕還林政策は必要ないこと、中距離帯にあっては出稼ぎなどの農業外収入を得る機会の伸びをこのまま維持してやれれば、農地の放棄は自然に進行すること、都市遠距離部には補助金、食糧支援などの転換促進策が必要なことなどが示された。

 第6章は「黄河中流域(一部)農地転換可能性の総合評価ならびに持続的な発展」であり、これまでの成果を総合化し、退耕還林が都市との立地距離に応じて進む際に、都市遠距離部に対して現行の補助金額を提示するとどの程度の退耕が進行する可能性があるか、また穀物生産量の総量に対するインパクトはどの程度かなどを推定した。その結果、対象の黄土高原地区全斜面農地の面積に対し、中距離帯では21.06%の減少、遠距離帯では3.04%の面積減少が試算でき、また、農業生産量への影響について、中距離帯では8.85%の減少、遠距離帯では15.00%の増加が試算された。

 第7章は結論と今後の課題をまとめている。

 以上まとめると、本論文は中国における農地転換政策を対象に自然条件や穀物生産力条件から転換すべき農地の分布や面積を明らかにしただけでなく、農家家計の行動に着目し、都市との位置関係に着目して農家の自発的な農地転換の可能性を明らかにし、退耕還林政策に立地論的な視点を持ちこみ、より効果的な政策のあり方を示した点で非常に大きな意義がある。また今後経済開発の急激に進む開発途上国などにおける土地利用転換政策の効果やその実現可能性の評価などにも適用できる汎用的な方法を提案している。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格であると判断する。

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