学位論文要旨



No 216029
著者(漢字) 関谷,雄一
著者(英字)
著者(カナ) セキヤ,ユウイチ
標題(和) 村落開発における組織学習 : 日本ODAによるカレゴロ緑の推進協力プロジェクト
標題(洋)
報告番号 216029
報告番号 乙16029
学位授与日 2004.05.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16029号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 伊藤,亜人
 東京大学 教授 木村,秀雄
 東京大学 助教授 中村,雄祐
 東京大学 助教授 森山,工
内容要旨 要旨を表示する

 発展途上国における村落開発は、多文化的状況におかれた様々な組織や人々によって営まれている。日本の政府開発援助(Official Development Assistance: ODA)も、国際協力の場ではなくてはならない存在となってきている。そうした日本ODAの一環として、最近ニジェール共和国においてカレゴロ緑の推進協力プロジェクト(以下「カレゴロプロジェクト」と記す)が実施された。本論はこのカレゴロプロジェクトに青年海外協力隊員として、2年1ヶ月間参加した筆者による参与観察と事後調査分析の結果に係る文化人類学的考察である。

 昨今の開発援助事業において、開発援助フレーミングの固定性、非民主主義的な在り方からくる弊害を少しでも緩和するために、参加型アプローチが取られている。参加型アプローチは開発援助の評価やモニタリングの段階で積極的に取り入れられ、住民のニーズを次の活動の企画に反映させる手法として定着し始めたが、企画の段階から住民を巻き込む手法については住民自身のキャパシティー・ビルディングが課題として残されている。さらに、参加型アプローチが定着し始めたものの参加概念に関する関係者の理解が一致していないことも問題として指摘されるようになってきた。開発援助のどの部分に誰が参画するべきか、誰もが納得する参加型開発とはどんなものか、という問いかけに対する明確な答えは未だ見出されていない。

 カレゴロプロジェクトは、そのような参加型アプローチを当初から意識したものであった。それはプロジェクトのスタッフがあらかじめ決めた筋書きに、住民の意見を後から組み込んでいったというよりは、少々極端な言い方をすれば白紙の前にそれぞれが鉛筆を持って、一緒に考えながら大きな絵を仕上げていく作業に似ていた。スタッフと村人が一つの場所に集まり、お互いに頭を寄せ合って知識や技術を出し合いながら、全く新しいアイディアを創り出してゆく過程を経て、プロジェクト全体が絶えず学習を続けていた。このようにこのプロジェクトが知的創造組織として成長していった様子は、経営組織論で議論されている学習する組織(Learning Organization)に限りなく近い。ただ、これまで経営組織論で議論されてきた学習する組織はあくまで既存の企業、組織あるいは共同体など、ある程度共有された目的意識やビジョンが既に備わっている人々が、さらに特化された目的に向かってグループで仕事をするといった設定であることが多かった。一方、途上国の農村開発プロジェクトの場合は、上記のような状況とは正反対に集団内の異質性のほうが同質性よりも大きく、まずはお互いの文化、考え方や価値観の相違を理解しながら、共有されたビジョンを構築していくことから始められる。それゆえその作業には様々な困難がともなう。しかし、こうした人々の知的葛藤によって、プロジェクトは持続的に発展しながら成長し、多くの人々に対し伝統的価値観を見直すことを促す。本論はそのような組織学習の実例を一つ紹介し、それが体現した開発援助活動の到達点を示す。

 カレゴロプロジェクトは、1993年1月から2001年7月末まで約8年6ヶ月の間、ニジェール共和国の南西部に位置するカレゴロと呼ばれる地域において行われた。カレゴロ地域は首都ニアメから北西に約20キロにあるティラベリ県コロ郡ラモルデ区カレゴロ村からはじまり、さらに約40キロ北西にある同郡ナマロ区ナマロ村におわるニジェール川右岸沿いの地域である。この地域に位置するソンガイ・ザルマとフラニ社会が混在する22ヶ村、推計人口2万5千人の村人たちと、植林活動、果樹栽培、野菜栽培、改良かまどの普及活動などを実施した。日本の国際協力事業団(Japan International Cooperation Agency: JICA)からは、延べ3名の専門家と、30余名の青年海外協力隊員が派遣され、ニジェール共和国水利環境省環境局の管轄下で出向した森林顧問Kの主導でプロジェクトチームを編成し、年間上限2,240万円の活動支援費予算を受けながら、随時10数名のスタッフが村人と共に業務を遂行した。

 カレゴロプロジェクトの活動をめぐり、アクターたちはお互いの考え方にある問題意識のズレを認識し、そのズレを克服して共通の目的意識を構築する知的葛藤と向き合っていた。本論の第1章「共通の目的意識を求めて」では、プロジェクトの概要とその背景を整理しながら、プロジェクトに関わったアクターたちの認識の奥底に横たわっている問題意識のズレが、アクターたち自身が気付いていないほど社会的・歴史的背景に裏付けられた膨大な隔たりであったことを論じた(図1参照)。

プロジェクトが活動を展開するにつれ、アクターたち自身がこの問題意識のズレを克服し、持続的かつ効果的な開発援助活動に取り組む一連の組織学習が営まれる。この組織学習の過程を学術的視点から分析し、そのような多文化的状況における組織学習が持つ意義については本論全体を通して考察してゆくことになるが、そのために用いるアクション・リサーチと呼ばれる分析視点を紹介し本論が拠って立つ論理的スタンスを説明した。

 本論第2章「ボランティア組織の学習過程」ではプロジェクトチームと村人が実施していた組織学習を、学習する組織のモデルを使いながら説明した。学習する組織論の学説的背景をたどりながら、プロジェクト全体が組織学習をしていた過程をさらに論理的かつ具体的に分析してゆくために、学習を社会的活動としてとらえる最近の認知科学の成果を引き合いに出す。かつてヴィゴツキー(L. S. Vigotsky )をはじめとするロシアの発達心理学者たちが、学習過程への文化歴史的アプローチを構築し、人間の学習活動について、媒介物を利用する分析方法を提唱した。社会的学習論はそこから派生した比較的新しい考え方であり、カレゴロプロジェクトで行われたグループ活動の論理的説明づけに役立つ。

 本論第3章「主役と脇役」では、プロジェクトに関わった諸アクターについて、主役であった村人とプロジェクトチームとそれを取り巻く村役人、環境局、JOCV Niger、JICA/JOCV 東京本部といった脇役たちについて、そして主役と脇役の相互関係について分析した。プロジェクトの組織学習においては、あらゆるアクターが確実に巻き込まれていた。そしてこのように見ていくことでその概要が明らかになるようなプロジェクトを実施していたチームは、従来の組織論で議論されるフォーマルな組織とも、解釈論的視点から議論される組織とも異なり、組織を構成する個々のアクターが展開する組織学習によって機能していたと考えられる。

 本論第4章「カレゴロプロジェクトの過程と障壁」では、主役の村人とプロジェクトチームがさまざまなグループ活動を通して組織的学習をしてゆくプロセスを、プロジェクトの過程と帰結に沿って詳述した。本論第5章「カレゴロプロジェクトにおける組織学習のプロセス」では、第4章で詳述した個々の活動が、一連の組織学習を構成する上で果たした機能と達成した成果の意義を論じている(表1参照)。表で示されているような、複数のグループ学習を通して、アクターたちはメンタルモデルを調整しながらビジョンの共有を図り、全体的な活動目的を、砂漠化対策のための植林活動を中心とするものから、生活改善を考慮に入れたアグロフォレストリーを展開させるようになった。関係者の意識改革と持続的な活動展開こそ、この組織学習がもたらした総合的な効果であり、関係者が従来の社会開発を見直すべきであると考え始めるところがカレゴロプロジェクトによる組織学習の到達点であった。

 本論第6章「結論」では、上記の分析を考慮しつつ、カレゴロプロジェクトが達成した組織学習型アクション・リサーチの意義とそれが示唆している開発援助における構造的問題とその解決に向けた希望について述べた。先にふれたように、ヴィゴツキー流の三角形モデルの延長である社会的学習理論そして道具体(artifacts)環境に注目すると、曖昧であったカレゴロプロジェクトの成果が明らかになる。

 つまり、社会的学習論を援用するとき、少しずつゆっくりと村人とともに歩もうとしたカレゴロプロジェクトの組織学習は効果的であったことが具体的に説明できる。カレゴロプロジェクトの組織学習の過程は、非文書の道具体を中心としたコミュニケーションや学習により、文書や物よりも生き生きとした形でプロジェクトに関わったアクターたちのビジョンの変化に影響し、村人の記憶の中にも残されることになった(図2参照)。多文化的状況の中で、現場にいたアクターたちがどれほどビジョンを共有していたか正確なところは分からない。ただ、村人とプロジェクトチームが生活改善を図りつつ緑化を進めるアグロフォレストリー的活動を一緒に取り組むことができていたのは確かな事実である。その事実が社会的・文化的意味づけを異にする諸アクターたちが立ち向かう問題に関して、ある程度の共有意識を持っていたことを示している。カレゴロプロジェクトの成果は、生け垣を残したことや、4人の苗木生産者を育てたこと、優良品種のタマネギ栽培活動や改良かまどを普及させたことよりも、村人とともに過ごしながら共通の思い出を作り、その中に環境保護のための組織学習のプロセスをしっかり埋め込むことができたことに見出されるべきである。そのように考えることで、多文化的状況下の村落開発おける組織学習の積極的な意義が見出される。

図1 共通の問題意識

表 1 カレゴロプロジェクトの主要グループ学習の効果と到達点

図 2 組織学習のエコロジー(社会的学習論の応用)

審査要旨 要旨を表示する

 関谷雄一氏の論文「村落開発組織学習:日本ODAによるカレゴロ緑の推進協力プロジェクト」は、西アフリカのニジェール共和国の南西部に位置するカレゴロ地域において実施されていた、日本の政府開発援助による砂漠化対策を目指した農村開発プロジェクトに対する、文化人類学的考察である。カレゴロプロジェクトと呼ばれるこの活動は1992年末から2001年7月までの8年半の間、青年海外協力隊員をはじめとする日本人スタッフと、ニジェール政府関係者、カレゴロ地域の22カ村、延べ2万5千人のソンガイ・ザルマ及びフラニ社会の人々との組織的取り組みにより行われていた。論者は協力隊員として1996年9月より98年10月末までこの援助活動に参加した。

 近年、開発という活動において、開発援助フレーミングの固定性と援助の一方向的な在り方からくる弊害を少しでも緩和するために、参加型アプローチが取られて来ていることは知られている。参加型アプローチは開発援助の評価やモニタリングの段階で積極的に取り入れられ、住民のニーズを次の活動の企画に反映させる手法として定着し始めた。

 しかし、論者によれば、開発援助のどの部分に誰が参画するべきか、誰もが納得する参加型開発とはどんなものか、という問いかけに対する明確な答えは未だ見出されていない。そうした中で、カレゴロプロジェクトは、そうした参加型アプローチを当初から意識したものであった。参加者たちは、互いに異なる立場から知識と技術を出し合い、その相違を超えて、新しいアイディアを創り出し、プロジェクト全体は絶えず学習を続けていた。論者はこのありようが、経営組織論で議論されている学習する組織(Learning Organization)に近いことに気付いた。ただ、これまで議論されてきた「学習する組織」は、すでに共有された目的意識やビジョンを備えた人々が、さらに特化された目的に向かって活動をする、というものであった。しかし、通常の開発の状況下ではプロジェクト内部の異質性が大きく、まずは互いの共有されたビジョンを構築していくことから始めなければならないのである。

 論者のこうした現状認識には妥当性があると考えられる。本論文はそのような認識に基づき、カレゴロプロジェクトを組織学習の実例として記述し、その活動を通して実現された異種混在的状況下の人々による、自然環境保護と生活改善をめぐる組織学習の過程を、文化人類学および関連諸学の知見によりその内容を解明し、もたらす意味を考察し、開発に関する提言を含意として行っている。

 本論の第1章「共通の目的意識を求めて」では、プロジェクトの概要とその背景を整理しながら、プロジェクトに関わったアクターたちの認識の奥底に横たわっている問題意識のズレが、アクターたち自身が気付いていないほど文化的、社会的、歴史的背景に裏付けられた膨大な隔たりであったことが論じられる。第2章「ボランティア組織の学習過程」では、プロジェクトチームと村人が実施していた組織学習を、ヴィゴツキー(L. S. Vigotsky )をはじめとするロシアの発達心理学者たちから、現在の認知科学に至るまでの、学習する組織の理論とモデルを援用し説明している。第3章「主役と脇役」では、プロジェクトに関わった諸アクター、主役と脇役たちの相互関係について分析している。この分析によって、プロジェクトを実施していたチームが、従来の組織論で議論されるフォーマルな組織とも、解釈論的視点から議論される組織とも異なり、組織を構成する個々のアクターが展開する組織学習によって機能していたことが明らかにされている。第4章「カレゴロプロジェクトの過程と障壁」では、村人とプロジェクトチームがさまざまなグループ活動を通して組織的学習をしてゆくプロセスを、プロジェクトの過程と帰結に沿って詳しく記述している。第5章「カレゴロプロジェクトにおける組織学習のプロセス」では、第4章で記述された個々の活動が、一連の組織学習を構成する上で果たした機能と達成した成果の意義を論じている。論者はプロジェクトのアクターたちは自分たちが抱いているモデルを調整しながらビジョンの共有を図り、全体的な活動目的を、砂漠化対策のための植林活動を中心とするものから、生活改善を考慮に入れたアグロフォレストリーに展開させるようになったことを説明する。第6章「結論」では、上記の分析を考慮しつつ、カレゴロプロジェクトが達成した組織学習型アクション・リサーチの意義とそれが示唆している開発援助における構造的問題とその解決に向けた希望についてが述べられている。

 このように書かれた本論文における論者の立場は以下のように主張されている。これまでの文化人類学的な開発研究は、伝統文化を改変する社会開発に対する容赦なき批判 、土着の知識や経験の相対的妥当性を強調する研究 、開発言説の西洋中心主義的偏向性に対する開発援助を享受する側からのアンチテーゼ 、そして社会開発から距離を置き、観察者に徹した視点から問題点を分析する試み等が主要な研究の類型として挙げられる。しかし、本論はそれら類型範疇のいずれにも属してない。論者は観察者の立場を超え社会開発に参画しこの地域のより良い自然環境と農村生活を望むには何をなすべきかを村人とともに考え、そこで生じたアイディアを実行に移す努力をした。そして同時に文化人類学者として観察者の立場を保持しつつ、これまで伝統文化や対象社会の自律性をそのままに前提としてきた文化人類学の立場を乗り越えようとするものであった。

 この論者の主張と、その根拠となっている学習する組織モデルによるカレゴロプロジェクトの分析は、これまでの、研究者による対象と距離を取ったところからの観察と分析、また実務担当者よりの現場からの報告、の双方に対して一線を画すものと認められる。論者はカレゴロプロジェクトで人々がいかなる知的葛藤を通して、プロジェクトを持続的に発展させ、伝統的価値観を見直すことに至ったかを解析する。本論文は開発自体を反省的にとらえながらも、そこから出てきた成果と提言を現場へフィードバックすることの出来る、希有な例であると評価された。

 一方、本論文は、プロジェクト参加者相互の隔たりを「文化的」とくり返し概括することでその内容を吟味することにややもするとおろそかであり、またプロジェクト全体を描きながらも、国際機関、行政のレベルが最終的には次第に遠景に追いやられ、最終章に近づくにつれ「村人」たちの世界が複相性を失ってくることが指摘された。しかし、本論文における、論者の態度は、開発の実践と研究に引き裂かれる困難さの中に踏みとどまろうとする点において常に真摯であり、そのような誠実さは、上記の諸点をして欠点ではなく、今後さらに追求すべき残された可能性となさしめている。本論文は、アクションリサーチ 、組織学習論 といった実践理論を用いながら一つの開発プロジェクトを記述し、そのプロジェクトが実現した開発援助の現在の到達点を示したと共に、文化人類学が開発に関わる研究において、将来到達することのできる地点の方向を指し示すものとなっている。

 以上により、本論文提出者は文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしたと評価される。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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