学位論文要旨



No 216031
著者(漢字) 湯本,真人
著者(英字)
著者(カナ) ユモト,マサト
標題(和) 点字セルによる触覚刺激に対する体性感覚誘発脳磁場
標題(洋) Neuromagnetic somatosensory responses to tactile stimulation delivered by a Braille cell
報告番号 216031
報告番号 乙16031
学位授与日 2004.06.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16031号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 久保木,富房
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 助教授 青木,茂樹
 東京大学 講師 宇川,義一
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

 機械受容器は我々の身体の最も一般的な受容器であるが,その感覚様式に特異的な大脳誘発反応検査法は確立されていない。最近,脳内電流源の局在推定精度の向上が見込める脳磁場計測が普及してきているが,機械刺激による第一皮質成分の記録例の報告はない。一方,視覚または聴覚刺激のオフセット時にはオフ反応が誘発されることが知られているが,体性感覚におけるオフ反応の報告は極めて少なく,体性感覚オフ反応の脳磁場記録例の報告はない。順応速度の異なる機械受容系の寄与率が異なるオン反応とオフ反応を分離して記録できれば,これら求心系の皮質表現を探求することが可能となる。本研究の目的は,オン反応のみならずオフ反応の第一皮質磁場成分を記録できる機械刺激装置を考案し,ヒトの機械受容系の一次体性感覚野における皮質表現を脳磁場記録により探求することとした。

2.方法

 バイモルフ型ピエゾ素子を用いた8点型点字セル(KGS株式会社)を駆動部として用いた。ピエゾ素子の変位は駆動電圧にほぼ比例するため,刺激のオンセット,オフセットを急峻にできるばかりでなく,互いに対称形の時間変位波形を得ることができる。本研究では8本の全触知ピンを同時に同方向に駆動させて用いた。触知ピンの間隔は2.4mm,1ピン当たり10g重の力で0.7mmの陥凹を皮膚に加えることができる。触知ピンの突出,復帰(以降,それぞれオン,オフと呼ぶ)は両方向とも400μm/msecの速度で行われるように,駆動部の回路定数を変更した。この触知ピンによる機械刺激を被験者の右示指末節に加えたときの体性感覚誘発脳磁場を記録した(図1)。駆動部は磁気シールドを施した上で被験者の計測用ベッドの脇に設置し,磁気シールドルームの外に設置した制御部とケーブルで接続した。脳磁場記録には204チャネル全頭型脳磁計(Neuromag,Finland)を用い,0.03-330Hzのバンドパスフィルタの後に1000Hzでサンプリングした。脳磁場データ収集トリガは,駆動部への触知ピン駆動トリガと同期させて,制御部内のマイクロコントローラの刺激提示プログラムにより出力した。3000fT/cm(fT:femto-Tesla,femto:10-15)を超える記録は外来ノイズの混入として加算から除外した。刺激提示タイミングの異なる,以下の2つの実験を行った。各実験とも,被験者から事前に文書による同意を得た。

【実験1】

右利き被験者6名(内2名女性)を対象とした。右示指に周期500msecでオン(持続250msec),オフ(持続250msec)を交互に繰り返す刺激を提示し,オン反応,オフ反応をそれぞれ3000回以上加算するまで記録を行った。オン反応の第一皮質成分を最も高振幅に記録したチャネルを選び,誘発磁場の各成分の基線からの振幅と潜時を比較した。オン,オフ反応の対応する成分同士のこれらの比較には,対応のあるt検定を用いた。各成分の脳内局在は,導体球内単一電流双極子モデルの適用下で左頭頂部の36チャネルのデータを用いて推定した。Goodness of fit値(G値)が70%を超える推定結果のみ採用し,各被験者の頭部MRIに投影することにより解剖学的な位置を確認した。オン,オフ反応の対応する成分の局在推定結果の比較は,x,y,z座標毎に対応のあるt検定で行った。被験者6名の内1名については,同一の記録を異なる日に6回施行し,オン,オフ反応の第一皮質成分の推定電流双極子の局在および配向の比較を,対応のあるt検定で行った。

【実験2】

右利き被験者5名(内1名女性)を対象とした。右示指に周期500msecでオン,オフをそれぞれ以下の持続時間の組み合わせで繰り返す刺激を提示し,オン反応,オフ反応をそれぞれ200回以上加算するまで記録を行った。(オン,オフ持続時間)=(10,490),(20,480),(40,460),(60,440),(80,420),(100,400),(150,350),(200,300),(300,200),(350,150),(400,100),(420,80),(440,60),(460,40),(480,20),(490,10)(msec)の計16セッション(内前半の組み合わせはオンセットトリガ,後半はオフセットトリガで同期加算)。前半の(150,350)までの加算波形から(200,300)の加算波形を引き算し,それらの結果と(200,300)の加算波形からオフ反応のN1-Pl振幅回復曲線を求めた。同様に,後半の(350,150)以降の加算波形から(300,200)の加算波形を引き算し,それらの結果と(300,200)の加算波形からオン反応のNl-Pl振幅回復曲線を求めた。先行オフ,オン持続時間にそれぞれ対応するオン,オフ反応回復Nl-Pl振幅値同士の比較を,対応のあるt検定で行った。

3.結果

【実験1】

刺激のオンセットに対応して,一連の体性感覚誘発磁場成分(N1on,P1on,N2on,P2on)が明瞭に記録され,刺激のオフセットに対応して,形態的に近似した成分(N1off,P1off,N2off,P2off)が被験者全員から記録された(図2A)。オン,オフ反応の等磁場図も,近似した単一電流双極子パターンとして認められた(図2B)。各成分の振幅の平均値と標準誤差を図3Aに,各成分の潜時の平均値と標準誤差を図3Bに示す。

オン,オフ反応間の振幅の比較では,N1(P<0.008),P1(P<0.05),N2(P<0.005),P2(P<0.0008)と有意差が認められ,各成分ともオフ反応の方がオン反応より低振幅であった。潜時は,オフ反応の方がオン反応よりも分散する傾向が認められたが,有意差には至らなかった(P2のみ片側検定でP<0.05)。また,N1,P1,N2の各オン,オフ成分とも,局在推定の結果.中心溝に一致して局在推定されたが,P2に関しては十分なG値が得られなかった(図4)。局在椎定位置に関してはオン,オフ反応間に有意差を認めなかったが,同一記録を繰り返し6回施行した1例で,N1の推定電流双極子の配向に,オフ反応の方がオン反応より有意に内側に向く傾向が認められた(表1)。

【実験2】

先行するオフ持続時間に対するオン反応のN1-P1振幅回復曲線,先行するオン持続時間に対するオフ反応のN1-P1振幅回復曲線を図5に示す。オン,オフ反応間の,先行する各持続時間に対する振幅回復値の差に,持続時間60,80msecにおいて有意差が認められた。

4.考察

本研究で考案した刺激装置により,第一皮質成分の記録が可能であった。N1の潜時が約25msecと,電気刺激の場合より数msec遅くなったのは,皮膚の陥凹がこの刺激装置のrising time(約1.8msec)分だけ遅れることが原因と考えられる。

 オン反応に加えてオフ反応も記録することができた。本稿は,機械刺激によって得られた第一皮質磁場成分の初の報告であり,かつヒトの体性感覚オフ磁場反応の初の報告である。ヒトの機械受容系の求心繊維は,順応速度によりFA(fast adapting)系とSA(slowly adapting)系に大別される。オフ反応の生成にはFAの寄与が大きいと考えられ,オン反応の生成には両者の系が寄与していると考えられる。

 サルなどの動物により,これらに対応するRA(rapidly adapting)系とSA系の皮質神経細胞の存在が確認されている。その分布様式は不規則に編み込まれた波状の帯が,異なる指の受容野を跨ぐように分布しており(図6),この帯の分布は同種の動物内でも固体差が大きく,感覚体験に基づく機能的再構成の結果と考えられている*。

 ヒトにおける分布様式は動物における程までには解明されていないが,本研究でオフ反応の方がオン反応より潜時が分散する傾向が認められた点,および回復曲線に見られたオン,オフ反応間の非線形性は,FA,SAの皮質以降の処理系が異なっていることを示唆している。また,オン,オフ反応の第一皮質成分の推定電流双極子モーメントの配向の違いは,右示指末節の投射領野におけるFA,SA系の投射部位の僅かな差を反映したものと考えられる。

 体性感覚オフ反応の回復曲線は,これまで殆ど報告されていない。本研究で得られたオンーオフ交互回復曲線は,FA,SA系をパラメータとして皮質神経ネットワークを2次元的に探求し得る新たな手法を提案している。持続時間60-80msecで認められた非線形性は,FA,SA系における皮質抑制の相違を示唆しているものと考えられる。

5.結語

 新たな機械刺激装置を考案し,体性感覚オン,オフ反応の第一皮質磁場成分の記録を達成した。これらの記録からヒトの機械受容FA,SA系の皮質表現がサルと同様である可能性が示唆された。

* Sur et al. Modular distribution of neurons with slowly adapting and rapidly adapting responses in area 3b of somatosensory cortex in monkeys. JNeurophysiol 51: 724-744, 1984.

図1。刺激装置の駆動部に用いた点字セルの構造

図2.記録波形(A)とN1成分の等磁場図(B)の典型例

図3.オン、オフ反応成分の振幅(A)と潜時(B)の平均値と標準誤差

図4.局在推定結果の典型例

表1.電流双極子の配向(*p<0.05)

図5.N1-P1振幅のオン-オフ交互回復曲線(*P<0.05)

図6.マカクザルのRA,SA系の皮質表現*

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、ヒト皮膚の機械受容器に特異的な誘発脳磁場反応を記録するための有効な手段が見付かっていない点に着目し、バイモルフ型ピエゾ素子を用いた点字セルをアクチュエータとした刺激装置を考案・作成し、ヒトの手指に同刺激を加えたときの体性感覚誘発脳磁場の記録の試みと、その結果の妥当性および有用性を検討したものであり、以下の結果を得ている。

1. ヒト示指末節へ持続250msecの圧刺激をSOA500msecで提示し、刺激対側の中心頭頂部において、刺激のオンセットに対応して体性感覚誘発磁場成分(N1,P1,N2,P2)が明瞭に記録され、刺激のオフセットに対応して形態的に類似した同様の誘発成分が記録された。

2. オフ反応の各成分のピーク振幅は、オン反応の対応する成分のピーク振幅に比べ有意に低かつた。対応する各成分のうち、P1、N2、P2のピーク潜時はオン反応に比べオフ反応の方が延長する傾向が認められた。

3. オン、オフ反応の各成分の脳内局在はいずれも刺激対側中心頭頂部の一次体性感覚野近傍に推定され、その位置には有意な差は認められなかったが、推定電流ダイポールの配向に差を認める例が存在することから、ヒトの一次体性感覚野における速順応(FA)、遅順応(SA)系の分布に、サルで確認されているのと同様な偏りが存在する可能性が考えられた。

4. SOAを500msecに保ちつつ、持続時間を10〜490msecの範囲で変化させて記録した体性感覚誘発磁場成分N1-P1のオン−オフ交互回復曲線はS字状を呈し、オン、オフ反応の回復曲線の乖離から、速順応、遅順応系の皮質における抑制様式に差が存在するものと考えられ、2つの系の機能的分離が皮質においても保たれていることが示唆された。

 以上、本研究はこれまで成し得なかった、ヒト皮膚への機械刺激により誘発される第一皮質成分(N1)の磁場記録を達成し、かつ体性感覚誘発磁場オフ反応の皮質再現を明らかにした。本論文は、聴覚、視覚では確認されていたオフ反応が体性感覚誘発脳磁場でも分離記録可能なことを示しており、ここで新たに提案された刺激手法は、ヒトの末梢から中枢に至る機械受容系の神経生理学的解明に重要な貢献を成すと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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