学位論文要旨



No 216032
著者(漢字) 篠上,雅信
著者(英字)
著者(カナ) シノガミ,マサノブ
標題(和) 小児急性中耳炎における中耳貯留液中の病原微生物と予後
標題(洋)
報告番号 216032
報告番号 乙16032
学位授与日 2004.06.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16032号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 中原,一彦
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 講師 竹内,直信
内容要旨 要旨を表示する

[研究目的]

 急性中耳炎(AOM)は小児に好発し、外来で抗生剤投与されることの多い疾患のひとつである。しかし、抗生剤投与にもかかわらず、再燃や反復、数週間から数カ月間中耳滲出液が持続することもよく経験される。この中耳炎難治化の原因として、耐性菌についてよく問題にされているが、一方でウイルスがAOMの原因となり、AOMの予後になんらかの影響をおよぼしていることを示唆する報告も多くされてきている。

 本来中耳は無菌状態であるが、上気道のウイルス感染、アレルギーなどに伴う線毛機能の低下や宿主の免疫能の低下により、ウイルスや鼻咽腔の細菌叢が増殖し、これらが経耳管的に中耳に侵入すると、中耳に感染が起こる。中耳においては、これらの微生物の侵入に対して特異的、非特異的免疫防御により抵抗し、病原微生物の増殖能が防御能を上回ればAOMが発症する。本研究ではAOMの中耳貯留液に存在する病原微生物に注目した。

 AOM患者から検出される病原微生物は、肺炎球菌、インフルエンザ菌などの細菌のほか、インフルエンザウイルス、respiratory syncytial virus(RSV)、アデノウイルスなどの呼吸器ウイルスが知られている。さらに、最近の報告によると、herpes simplex virus(HSV),cytomegalovirus(CMV)などのヘルペスウイルスも検出されている。しかし、これらのヘルペスウイルスがAOMの中耳貯留液にどのくらいの頻度で検出されるのかは明らかでなく、また、どのような役割を果たしているのかも明らかではない。

 よって、本研究では、4種類のヘルペスウイルス科ウイルスゲノム、10種類の呼吸器ウイルスゲノム、3大AOM起炎菌(肺炎球菌、インフルエンザ菌、モラキセラカタラーリス)のゲノムを検索し、中耳貯留液中のこれらの病原微生物の有無とAOMの予後との関係を明らかにした。

[研究方法]

 I患者と検体の採取方法

 1999年10,月から2000年3月に日本赤十字社医療センター耳鼻科を受診した5ヶ月から6才までのAOM患者において、初診時鼓膜切開により中耳液を採取できた73人73耳を対象とした。中耳検体の採取にあたっては、文書及び口頭による説明のあと、患者の両親からインフォームドコンセントを得た。

 II-1 ヘルペスウイルス科ウイルスDNA同定のためのMultiplex Nested PCR法

 中耳貯留液よりDNAを抽出しMultiplex Nested PCR法によりHSV、CMV、EBV、varicella-zoster virus(VZV)の4種類のヘルペスウイルスを検索した。

 II-2 呼吸器ウイルスRNA同定のためのMultiplex Nested RT-PCR法

 中耳貯留液よりtotal RNAを抽出し,呼吸器ウイルスをA群(パラインフルエンザウイルス1型、2型、3型、ライノウイルス、アデノウイルス)、B群(インフルエンザウイルスA型(H1N1),A型(H3N2),B型、RSウイルスA型、B型)にわけ、Multiplex Nested PCR法により検索した。

II-3 細菌DNA同定のためのMultiplex PCR法

 インフルエンザ菌、肺炎球菌、モラキセラカタラーリスについて、Hendolinらの方法にしたがいMultiplex PCR法によるゲノムの検索を行った。

II-4 臨床経過の評価について

 (1)治癒:治療開始後2週間の時点で貯留液が消失し、鼓膜所見が完全に正常化した症例、(2)遷延する中耳貯留液:治療開始後1ヶ月時点で中耳貯留液が認められた症例、(3)反復性中耳炎:6ヶ月以内にAOMの再発を3回以上繰り返した症例、(4)滲出性中耳炎:急性症状や急性の所見がなく3ヶ月以上中耳貯留液をみとめられた症例、以上の4項目を予後の評価の指標とした。

II-5 統計学的方法

 統計学的方法として、Fisherの直接確率計算法とχ2testを用いた。ρ-valueが0.05未満を有意とした。

[結果]

 1、ヘルペスウイルス科ウイルスDNAは16検体(22%)に、呼吸器ウイルスRNAは35検体(48%)に、細菌DNAは51検体(70%)に検出された。呼吸器ウイルスRNAか細菌DNAが検出された例は64例(88%)であった。呼吸器ウイルスRNAも細菌DNAも検出されなかった症例は9例あり、このうちヘルペスウイルス科ウイルスDNAが検出された症例は2例のみであった。

 2、治癒、滲出性中耳炎への移行率、反復性中耳炎の発症率、治療後1ヶ月時点の中耳貯留留液の残存率を、ヘルペスウイルス科ウイルスゲノム、呼吸器ウイルスゲノム、細菌ゲノムの有無によって、差があるかどうか検索した。それぞれ全ての群で治癒、反復性中耳炎の発症、治療後1ヶ月時点での中耳貯留液の残存の3群については、有意差はなかったが、ヘルペスウイルス科ウイルスDNAが認められた群においてのみ、滲出性中耳炎への移行率が有意に高かった。

[考察とまとめ]

 AOMの原因として、貯留液中に呼吸器ウイルスゲノムか細菌ゲノムが検出された例は64例(88%)であり、これらが大部分のAOMの病原微生物となっていることがわかる。ヘルペスウイルス科ウイルスのみ検出された症例は2例(2.7%)と低く、ヘルペスウイルス科ウイルスがAOMの起炎微生物となっている可能性は低いものと考えられた。

 AOMの予後において、治癒、反復化、貯留液の遷延化については、ヘルペスウイルス群、呼吸器ウイルス群,細菌群において有意差は認められなかったが、滲出性中耳炎への移行のみ、ヘルペスウイルス群において有意に高かつた。このことは、ヘルペスウイルスが耳管や中耳の上皮細胞に直接ダメージを与え耳管機能不全をひきおこしていること、もしくは、滲出性中耳炎を引き起こしやすい状態においてヘルペスウイルスが再活性化しやすいことなどが可能性として考えられる。

 また、従来滲出性中耳炎の中耳貯留液は無菌性のものが多いとされてきたが、近年のPCR法による解析の結果、肺炎球菌、インフルエンザ菌、モラキセラカタラーリスのAOM3大起炎菌のDNAが60-80%に検出されることが報告され、滲出性中耳炎の病態には中耳炎の起炎菌が深くかかわっていることが注目されている。もし、中耳貯留液におけるヘルペスウイルス科ウイルスDNA陽性が、中耳における免疫防御反応の低下を反映しているとすると、こうした症例においては、急性感染の状態を過ぎたあとに、細菌が宿主の免疫力で排除されずに静菌的に中耳に存在し、滲出性中耳炎を引き起こす原因になっている可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、小児の急性中耳炎の予後に重要な役割を演じていると考えられている病原微生物の影響を明らかにするために、急性中耳炎の中耳貯留液より4種類のヘルペスウイルス科ウイルスゲノム、10種類の呼吸器ウイルスゲノム、3大急性中耳炎起炎菌(肺炎球菌、インフルエンザ菌、モラキセラカタラーリス)のゲノムを検索し、病原微生物の有無と急性中耳炎の予後との関係を明らかにしたものであり、下記の結果を得ている。

1.小児の急性中耳炎貯留液をmultiplex PCR法により解析をしたところ、ヘルペスウイルス科ウイルスDNAは16検体(22%)、呼吸器ウイルスRNAは35検体(48%)、細菌DNAは51検体(70%)を検出した。呼吸器ウイルスRNAか細菌DNAが検出された症例は64例(88%)であった。呼吸器ウイルスRNAも細菌DNAも検出されなかった症例は9例あり、このうちヘルペスウイルス科ウイルスDNAが検出された症例は2例のみであり、ヘルペスウイルス科ウイルスが急性中耳炎の起炎微生物となっている可能性は低いことが示された.

2.細菌感染とウイルス感染の相互関係を調べたところ、細菌DNAの検出陽性群、陰性群において、呼吸器ウイルスRNA、ヘルペスウイルス科ウイルスDNAの陽性率は有意差がない事が示された.

3.4つの臨床指標((1)治癒:治療開始後2週間の時点で、中耳内の貯留液が消失し、かつ鼓膜所見が完全に正常化した症例、(2)遷延する中耳貯留液:治療開始後1ヶ月時点において中耳貯留液が認められた症例、(3)反復性中耳炎:6ヶ月以内に急性中耳炎の再発を3回以上繰り返した症例、(4)滲出性中耳炎:急性症状や急性の所見がなく3ヶ月以上中耳貯留液を認めた症例)を急性中耳炎の予後における評価項目とし、ヘルペスウイルス科ウイルスDNA、呼吸器ウイルスRNA、細菌DNAの検出の有無によって差があるかどうかを検索したところ、治癒、反復性中耳炎の発症率、治療開始後1ヶ月時点での中耳貯留液の残存率の3群については、有意差はなかったが、ヘルペスウイルス科ウイルスDNAが検出された群においてのみ、滲出性中耳炎への移行率が有意に高かった。

 以上、本論文は小児の急性中耳炎において、中耳貯留液のPCR法による細菌、呼吸器ウイルス、ヘルペスウイルス科ウイルスのゲノム解析から、中耳貯留液におけるヘルペスウイルス科ウイルスの存在が、滲出性中耳炎への移行を有意に増加させる原因になっている可能性を明らかにした。本研究はこれまで明らかにされていなかった、急性中耳炎貯留液中に存在するヘルペスウイルス科ウイルスの役割の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク