学位論文要旨



No 216036
著者(漢字) 鈴木,勝男
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,カツオ
標題(和) 最適H∞反応度推定器の開発とその異常反応度検知への応用
標題(洋)
報告番号 216036
報告番号 乙16036
学位授与日 2004.06.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16036号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡,芳明
 東京大学 教授 古田,一雄
 東京大学 教授 越塚,誠一
 東京大学 助教授 渡辺,正峰
 東京大学 助教授 長崎,晋也
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 原子炉プラントをより安全に運転するために、運転安全性の基本量である正味反応度をオンライン・リアルタイムで監視すること、また、なんらかの反応度異常が生じた場合には、それを早期に検知するシステムの開発が望まれる。最新の原子炉プラントには計算機技術やデジタル信号処理技術等を応用したデジタル計装制御システムが装備されており、多くのプラント計測信号がデジタル信号の形式で得られる状況になっている。

 既存の反応度推定法の代表的なものは逆動特性方程式法である。この方法による推定反応度には中性子測定信号雑音の高周波雑音成分が増幅され大きな揺らぎを伴うという欠点がある。この欠点を補うためカルマン反応度推定法が開発されたが、この方法による推定器では雑音除去性能を強めると推定即応性が極端に低下し、これら両者のトレードオフの最適化を図るには、極めて煩雑で見通しの悪い試行錯誤的な設計計算が必要である。

 本論文における第1の研究目的は簡潔で見通しのよい反応度推定器の設計法を開発することである。このため最適H∞。推定理論を応用する。第2の研究目的は、開発した設計法による最適H∞。反応度推定器を応用して、燃料温度や減速材温度などの温度フィードバック反応度と正味反応度の動的推定を行い、それらの反応度バランスに基づき、周期的あるいは持続的に変化する原子炉における反応度異常を早期検知するシステムを開発することである。

2.最適H∞推定器の設計法の導出

 Nagpalらが与えた最適H∞推定問題の基本解法におけるひとつの仮定を外して、より一般の実システムに直接適用できる解法を整備する。

 次に、この解法を応用した最適H∞推定器の設計法を導出する。まず、エネルギー有界の雑音や外乱を仮定する最適H∞推定理論がパワー有界である実際の外乱や雑音に対しても適用できることを確認する。次に、推定器の性能仕様を反映するふたつの周波数重みHw(s)とHv(s)を導入し、システム雑音(W)と計測雑音(V)から推定誤差(e)への伝達関数をそれぞれTeW(s)とTeV(s)として、これらを用いて入力から推定誤差までの伝達関数[TeW(s)Hw(s) TeV(s)HV(s)]を構成し、そのH∞ノルムを最小化する推定器を求める最適設計法を導出する。

 この設計法の特徴は、3つのパラメータ(Fb,WR,WN)を調整して推定器性能仕様を反映する周波数重みHW(s)とHV(s)を設定すれば、最適H∞推定器の探索が実数(γ)を順次に小さくするだけの単純な過程となる点である。外乱や雑音の統計的情報を必要とするカルマン推定器の設計における煩雑な繰り返し計算を考慮すると、この特徴は大きな利点である。

3.最適H∞反応度推定器の設計と反応度推定実験

 高速実験炉「常陽」炉心に対して最適H∞反応度推定器を設計すると共に、数値実験によりその推定特性を評価した。まず、通常の遅発中性子6群・一点炉近似原子炉動特性モデルに有限パワー雑音で駆動される反応度状態方程式を追加した設計モデルに基づいて、最適H∞反応度推定器を設計した。数値実験の結果、(1)最適推定器の基本特性は全周波数通過特性であること、(2)最適H∞推定器の設計法は、与えられた性能仕様を満たす反応度推定器を簡潔で実用的なものであること、(3)最適H∞推定器は小さい反応度外乱に対して良好な推定特性を示すが、大きな外乱に対する推定反応度には定常オフセットが生じることなどが明らかとなった。

4.非線形H∞反応度推定器の開発

 この推定反応度のオフセットは原子炉核動特性の非線形効果によると考えられる。3章の最適H∞反応度推定器を非線形推定器に拡張するため、本章では、拡張カルマン推定器が線形カルマン推定器と剰余非線形項に分解できる点に着目して、最適H∞反応度推定器に原子炉動特性の非線形項を付加する非線形H∞推定器の構成法を考案した。この方法により非線形H∞反応度推定器を構成してその推定数値実験を行い、(1)通常運転における反応度変化の範囲(1$以下)で非線形H∞反応度推定器は十分に安定であること、(2)最適H∞反応度推定器の推定値オフセットを解消する良好な結果を示しており、非線形H∞推定器の有効性を確認した。

5.VHTRCにおける反応度推定実験

 4章までに開発したH∞反応度推定器の実機適用性を検討するため、原研の高温ガス炉臨界実験装置(VHTRC)における出力応答試験時の原子炉核計装信号のサンプリングデータを用いて、H∞反応度推定器によるオンライン・リアルタイム推定の実現性、推定即応性や雑音除去特性および推定精度などの特性を評価する実験を行う。

 まず、オフラインの予備実験を行い、(1)制御棒の手動操作により投入反応度は最大±6¢の範囲で行うこと、(2)核計装CH-1は検出感度と信号変化幅がともにも最大であること、(3)アンチ・エリアシング仕様をカットオフ周波数fc=30Hz、減衰特性-48db/Octaveとすること、(4)VHTRC核動特性は強い非線形を示すことなどの知見を得た。これらの知見を考慮して、オンライン・リアルタイムの非線形H∞反応度推定の実験回路を構成し、出力応答試験の核計装測定信号を入力データとする反応度推定実験を行い、(1)PC上で実現した周期Ts=10msのサンプリングデータによるオンライン・リアルタイム推定は即応性および推定精度とも良好であること、(2)既存の反応度推定法に比較してH∞推定法は良好な推定特性を示すことを確認した。

 以上の結果から、本論文で開発した非線形H∞反応度推定器がオンライン・リアルタイム反応度計として実機に適用可能である見通しを得た。

6.H∞推定器を応用した異常反応度検知システムの開発

 異常反応度検知システムは、HFIR炉(High Flux Isotbpe Reactor)とTTR-1炉(Toshiba Training Reactor I)において、これまでに開発されたものがある。これらのシステムでは、動的に推定された正味反応度と静的に推定されたフィードバック反応度の両者の反応度バランスから、異常反応度の検出が行われた。しかし、このように静的推定されるフィードバック反応度に基づく検知法は、原子炉状態がひとつの定常状態からもうひとつの別な定常状態に移り落ち着く場合には適するが、原子炉出力や原子炉冷却材温度が周期的あるいは持続的に変化する原子炉状態に対してはその検知性能に限界がある。また、通常、フィードバック反応度の静的推定には校正曲線が用いられるが、それを作成するには膨大な解析計算や詳細に吟味された実機試験による各種の原子炉データが必要である。

 そこで本章では、最適H∞推定器を用いて動的に推定した温度フィードバック反応度を採用する異常反応度の早期検知するシステムを提案する。高速実験炉「常陽」を対象として、提案システムを構築し、異常反応度検知システムの数値シミュレーション実験を行い、次の結果を得た。(1)ステップ状の反応度外乱や温度外乱に対して、定常偏差ゼロ、揺らぎ標準偏差0.1¢の精度で数秒以内に異常反応度を検知した。(2)持続的に変動する異常反応度外乱や冷却材温度外乱およびこれらの複合外乱の発生時にも異常反応度を良好な精度で迅速に検知した。(3)サンプリング周期10msのリアルタイムで異常反応度検知を実現するためには、非線形H∞正味反応度推定器(10次元)を離散時間化することが必須であった。この離散化に当たっては、推定器の2個の大きな固有値に対応する状態方程式の即発跳躍近似が有効であった。(4)最適H∞温度フィードバック推定器は簡略な熱動特性モデルに基づいて設計したが、その反応度推定の即応性および精度とも極めて良好であった。

7.結論

 原子炉力プラントをより安全に運転するために、原子炉運転の安全性の基本量である原子炉反応度に対する新しい推定器を開発すると共に、オンラインリアルタイムで作動する反応度異常の早期検知システムを開発した。

 まず、正味反応度の既存技法である逆動特性方程式法とカルマン推定法を概観し、その実用上の課題を明らかにした。この課題を解決するため、正味反応度の最適H∞推定器を提案した。この推定器は原子炉核動特性が線形である場合には良好な推定特性を示したが、原子炉動特性が非線形になると推定反応度は真値から定常オフセットを示した。そこで、最適H∞反応度推定器を非線形推定器に拡張してこの定常オフセットを解消した。さらに原研VHTRC実験装置における反応度推定実験を行い、この非線形H∞推定器のオンライン・リアルタイム推定の実現性、推定即応性と雑音除去特性、推定精度などの特性を評価し、その実機適用性を確認した。また、正味反応度と温度フィードバック反応度の2つのH∞推定器を応用した異常反応度検知システムを提案し、数値実験によりその有効性を確認し、その実用化の見通しを得た。

 日本では既にBWR29基、PWR23基、合計52基の軽水炉が稼動している現状を考慮すると、原子力発電は基幹電源であり続けるあろうし、負荷追従や出力調整などの多様な運転モード対応の要求が今後強まることが予想される。このような状況下では、運転中の反応度監視や異常反応度検知の重要性は一段と増すことになり、本論文のH∞反応度推定器や異常反応度検知システムが活用されることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は原子炉の反応度推定器と異常反応度検知システムの開発についてまとめたものであり、7章より構成されている。

 序論では原子炉プラントをより安全に運転するために、運転の基本量である正味反応度をオンライン・リアルタイムで監視することがのぞましく、なんらかの反応度異常が生じた場合には、それを早期に検知するシステムの開発が望まれるとしている。既存の逆動特性方程式法による推定反応度には大きな揺らぎを伴うという欠点があり、この欠点を補うため開発されたカルマン反応度推定器設計には、極めて煩雑で見通しの悪い試行錯誤的な繰返し計算が伴うとしている。そこで本論文の第1の研究目的は、反応度推定器の簡潔で見通しよい設計法を開発することであり、第2の研究目的は、周期的あるいは持続的に変化する原子炉の異常反応度を早期検知するシステムを開発することであるとしている。

 第2章は最適H∞推定器の設計法の導出について述べている。

 Nagpalらは3つの仮定の下で最適H∞推定問題の基本的解法を与えたが、実用上の困難がある。本章では、著者が考案したその拡張解法を用いて、システム雑音から推定誤差への伝達関数と計測雑音からの伝達関数に対し適当な周波数重みを与え構成したシステムの最適H∞推定器の設計法を導出している。この設計法では、ひとつの実数パラメータに対する単純な繰返しにより、最適H∞推定器が設計される。この簡潔さは、カルマン推定器設計法における雑音共分散行列をパラメータとする煩雑な繰返し設計に比べると、設計の実際上、大きな利点であるとしている。

 第3章は最適H∞反応度推定器の設計と反応度推定実験について述べている。

 高速実験炉「常陽」炉心の最適H∞反応度推定器を、通常の遅発中性子6群・一点炉近似原子炉動特性モデルに反応度状態方程式を追加した設計モデルに基づき、設計している。次に、数値実験を行い、2章で述べた設計法が簡潔で実用的であること、最適H∞推定器は全周波数通過特性をもつこと、小さい反応度外乱に対して良好な推定特性を示すが、大きな外乱に対しては定常オフセットが生じることなどを明らかにしていた。

 第4章は非線形H∞反応度推定器の開発について述べている。

定常オフセットを解消するため、拡張カルマン推定器の構成法を参考とし、最適H∞反応度推定器から非線形推定器を構成する方法を考案している。数値実験により、通常運転における反応度変化の範囲では、非線形H∞反応度推定器は安定であり、非線形H∞反応度推定器により定常オフセットが解消されることを確認している。

 第5章はVHTRCにおける反応度推定実験について述べている。

開発したH∞反応度推定器の実機適用性を検討するため、原研の臨界実験装置VHTRCを用い、制御棒手動操作法、アンチ・エリアシング・フィルタ仕様、VHTRC核動特性の非線形性などをオフライン予備実験で検討した後、オンライン・リアルタイム反応度推定実験を行っている。その結果、逆動特性方程式法やカルマン反応度推定器と比較して、H∞反応度推定法が即応性、推定精度とも良好であることを確認し実機適用の見通しを得たとしている。

 第6章はH∞推定器を応用した異常反応度検知システムの開発について述べている。

これまでに開発された異常反応度検知システムでは、動的に推定された正味反応度と静的に推定された温度フィードバック反応度に基づき、異常反応度検知が行われた。しかし、このような静的推定法を用いた検知法では、原子炉出力や原子炉冷却材温度が周期的あるいは持続的に変動する原子炉の異常反応度の検知性能には限界がある。そこで、正味反応度と温度フィードバック反応度を最適H∞推定器を用いて動的推定する異常反応度検知システムを提案している。このシステムを高速実験炉「常陽」を対象として構築し、その数値実験を行っている。その結果、ステップ状の反応度外乱や温度外乱に対して、定常偏差ゼロ、揺らぎ標準偏差0.1¢の精度で数秒以内に異常反応度を検知するとして持続的に変動する異常反応度外乱や冷却材温度外乱およびこれらの複合外乱の発生時にも異常反応度を良好な精度で早期に検知できることを示せたとしている。

 第7章は結論を述べている。原子炉運転の基本量である正味反応度に対する新しいH∞推定器の設計法を開発すると共に、それを応用した反応度異常検知システムを開発し、数値実験および実機試験に基づく特性評価により、それらの実機適用の見通しを得たとしている。

 本論文は原子炉の反応度推定と異常検知について新たな方法を開発しておりシステム量子工学の進展に寄与するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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