学位論文要旨



No 216038
著者(漢字) 重光,保博
著者(英字)
著者(カナ) シゲミツ,ヤスヒロ
標題(和) 新規機能性色素の合成およびその光物性に関する計算化学的研究
標題(洋)
報告番号 216038
報告番号 乙16038
学位授与日 2004.06.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16038号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 荒木,孝二
 東京大学 教授 平尾,公彦
 東京大学 教授 溝部,裕司
 東京大学 助教授 工藤,一秋
 東京大学 助教授 和田,猛
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】近年の電子計算機の高速化とダウンサイジングにより、従来では手の届かなかった大規模かつ複雑な計算化学手法が着実に浸透しつつある。色素の分子設計と光物性予測においても、合成化学的知見に基づく帰納的アプローチと量子化学に基づく演繹的アプローチを有効に組み合わせる試みは、今後ますます重要になると考えられる。本研究では、新規に合成した一連の機能性色素を対象として、電子相関効果のために定量的予測が困難とされている可視部π-π*吸収波長および発光波長について、種々の計算手法の精度比較を試みた。計算コストと予測精度のバランスを意識した計算化学の実用性という視点から、最近著しく発展を遂げているTD-DFT法をはじめとした各種量子化学的手法の有効性を検討した。

【4-メチルチオマレイミドと各種求核試薬から誘導される新規色素(1):合成および色彩予測に向けた計算化学的解析】系統的な報告が未だなされていない親電子試薬4-メチルチオマレイミドと各種求核試薬((A)N,N-ジアルキルアニリン類、(B)[2.2.3]シクラジン誘導体、(C)各種メチレン系四級塩複素環化合物)との反応により、対応するメロシアニン型新規色素の合成を行った(図2)。さらに、これら新規色素の電子スペクトル測定を行い、可視部π-π*吸収位置の制御について、有機光デバイスとしての応用の観点から、その長波長化を企図した分子設計を試みた。計算化学的アプローチとして、一連の新規色素に対してTD-DFTを適用して、色彩を決定しているπ-π*可視部吸収極大を予測した。さらに、環状10π電子系として興味深い[2.2.3]シクラジン母核について、CASSCF/CASPT2による高精度計算を行い、可視部吸収帯の定量的理論解釈をおこなった。

【4-メチルチオマレイミドと各種求核試薬から誘導される新規色素(2):合成および発光スペクトル予測に向けた計算化学的解析】3位にアリール基を有するマレイミド類の新規合成を行い、これらが溶液状態のみならず固体状態でも強い発光を有することを見出した。計算化学的アプローチとして、発光極大波長をTD-DFT法を用いて予測し、実験値との相関を調べた(図3)。半経験的分子軌道法(AM1-SDCI)および非経験的分子軌道法(CIS/4-31G*)を用いて励起状態のポテンシャルエネルギー曲線を算出することにより、その発光機構について定性的解釈を行った。

【開環型スピロオキサジンのS1<-So励起エネルギー予測】着色型がメロシアニン発色系を有するフォトクロミック色素であるスピロオキサジンに関して、半経験的分子軌道法(CS-INDO-CIPSI)および非経験的分子軌道法(TD-DFT,RPA,SOPPA,CCLR)計算を行い、S1<-S0励起エネルギーの定量的予測を試みた。計算コストと予測信頼性の観点から、TD-DFTおよびCS-INDO-CIPSI法が有力であることを明らかにした(図4)。

【結論】色素合成の中間体という視点からの系統的報告がなされていなかった4-メチルチオマレイミドを用いて、各種求核試薬との反応により、一連の新規機能性色素の合成に成功した。反応条件は酢酸中で加熱攪拌するというシンプルなものであり、脱気、無水条件、加圧、温度制御等の特殊な条件を必要とせず、化学的にも安定で低毒性である点などは、合成化学的にみた親電子試薬として優れた性質である。今後、このような特色を生かして、広範な機能性色素合成への展開が期待される。計算化学的側面からは、色素の色彩を決定する可視部π-π*吸収波長の予測に関して、従来の主手法である半経験的分子軌道法ZINDOと比較しつつ、予測信頼性と計算コストのバランスの観点から、諸手法(TD-DFT法、分極伝播演算子法、CI-INDO-CIPSI法、TD-DFT法)の有用性を明らかにした。電子相関の影響が大きいために信頼性の高い予測が困難な励起エネルギー予測において、コストバランスに優れた諸手法の特性を明らかにしたことは、機能性色素の理論的分子設計の観点から工学的にも有意義であると期待される。

図1.本研究の目的

図2.本研究で合成および光吸収特性の解析を行った新規色素

図3.アリールマレイミド(5a-5j)の蛍光極大波長の実測値と計算値の相関

図4.スピロオキサジン(1,2,3)のS1<-S0垂直遷移エネルギー(計算値と実測値)

審査要旨 要旨を表示する

 有機機能色素は,光電子材料や医療分野を含めた広範な分野で、新しい用途が拡大しつつある。しかし、新規な用途で要求される光物性や耐久性をはじめとする機能は、従来の色素の性能・機能を越えることが多いため、それを満たす新しい有機色素の開発が活発に進められている。本論文は、合成化学という帰納的手法と量子化学という演繹的手法を有効に組み合わせて、目的とする性能・機能を持つ新規な有機機能色素を効率良く開発するための手法確立を目指した研究を述べたもので、全6章で構成されている。

 第1章は序論で,合成化学的手法と量子化学的手法を有効に組み合わせた効率の良い機能性色素の開発手法の重要性を述べた上で、機能性色素に関する合成とその応用研究、および電子計算機の高速化とダウンサイジングが急速に進展している計算化学手法などを概観し、現状でのそれぞれの課題や問題点、研究の方向性などを整理している。 これに基づき、合成化学的視点から新規性が高く優れた合成試薬となることが期待される4-メチルチオマレイミドを用いて、新規アゾメチン系機能色素の合成・開発を進めるとともに、発展著しい密度汎関数法(DFT)法をはじめとする各種量子化学的手法の光物性予測精度を実際の開発過程で検証し、計算コストと予測精度のバランスを意識した実用性の高い計算化学手法の併用が色素開発において有効であることを実証する、という本研究の目的を述べている。

 第2章は,メチルチオ基という効率の良い離脱基を持つ求電子試薬4-メチルチオマレイミド誘導体と各種求核試薬とを反応させ、耐久性などに優れた新規なメロシアニン系色素の合成を行うとともに、計算コストと予測精度という観点から各種計算化学的手法による光物性予測を行い、計算化学の実用性を検証したもので、本論文の中核部分である。

 求核試薬としては、芳香族アミンであるN,N-ジアルキルアニリン誘導体, 周辺10π電子系芳香族である[2.2.3]シクラジン誘導体、およびジヒドロピリジン誘導体を用いた系で検討をおこなっている。いずれも4-メチルチオマレイミド誘導体との簡便な反応で新規色素群を高収率で合成することに成功しており、4-メチルチオマレイミドが優れた反応試薬であることを実証している。また新規に合成した一連の色素は500nm以上の長波長側に吸収を示し、マレイミド骨格の導入による耐久性向上なども指摘している。次に、このような新規色素について、半経験的分子軌道法、精密な非経験的分子軌道法、密度汎関数法などの各種量子化学的手法を用いて、電子相関効果のために困難とされている可視部π-π*吸収波長の定量的予測を、様々な側面から検証している。その結果を総合し、時間依存密度汎関数(TD-DTF)法が計算化学の実用性という観点から現状では最も優れた方法であると結論づけている。さらに計算化学的検討からイオウ置換による吸収位置の長波長化などを予測・説明し、実用上重要な近赤外領域に吸収を持つ色素開発への途を開いて折り、計算化学的手法の併用の有効性を実証している。

 第3章では,4-メチルチオマレイミドの5位にアリール基を導入した新規なアリールマレイミド類を合成し、そのうちのいくつかが溶液および固相で強い蛍光を示すことを見いだしている。さらに励起状態の構造最適化をおこなった半経験的分子軌道法や密度汎関数法を用いて、励起状態の解析および発光波長予測を試みており、それぞれの手法の問題点を述べるとともに、発光波長予測においてはより精度の高い量子化学計算の必要性を指摘している。

 第4章では,光による構造異性化を示し、光機能性分子として注目されているフォトクロミック化合物を対象として取り上げ,スピロオキサジン類の準安定状態として現れるメロシアニン発色系を量子化学的に解析している。各種の計算化学的手法による検討を行い、それぞれの特徴や問題点を指摘しており、精度の高い光物性予測には現状では精密量子化学計算が必要ではあるが、TD-DFT法の今後の進展が期待されることから将来的に有効な手法となるであろうとの展望を述べている。

 第5章では以上の結果を総括し、現状におけるTD-DFT法を併用した色素開発の有効性を示すとともに,今後の展望を述べている。

 第6章は各種の計算化学的手法について、その原理や特徴などを述べた補足である。

 以上のように本研究は,新規な有機機能色素の効率良い合成法を開発するとともに、実用性という観点から計算化学的手法の有効性を検証したもので、得られた知見は合成化学的および計算化学的に重要な意義を持つだけでなく、合成化学、光化学、理論化学分野の発展に寄与すること大と考えられる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50251