学位論文要旨



No 216042
著者(漢字) 王,建新
著者(英字)
著者(カナ) オウ,ケンシン
標題(和) ウィグルにおける教育と社会秩序 : イスラム指導階層の役割の研究
標題(洋) Uyghur Education and Social Order : The Role of Islamic Leadership in the Turpan Basin
報告番号 216042
報告番号 乙16042
学位授与日 2004.06.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16042号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関本,照夫
 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 並木,頼寿
 東京大学 教授 山内,昌之
 東京大学 教授 伊藤,亜人
内容要旨 要旨を表示する

 中国には、回、ウイグル、カザフ、キルギス、ウズベク、タタール、サラール、ドンシャン、ボアンとタジクの10のムスリム少数民族があり、約2000万の総人口を持っている。そのなかで、新疆ウイグル自治区に居住し約800万を占めるウイグル族の人口は、回族と並び最大のムスリム集団である。ウイグルの人々にとって、イスラムは、信仰と儀礼活動を支える宗教的原理の体系であると同時に、民族の伝統と集団的アイデンティティを構築する文化体系であり、民俗知識を伝達する教育体系でもある。

 南新疆におけるウイグル族の伝統的居住地域の一つ、トルファン盆地においては、15世紀にイスラムへの改宗が行われた。当初、神秘主義イスラムが宗教生活をリードしていたが、20世紀に入ってから、イスラムが持つ文化体系としての役割は、政治と社会環境の変動に応じてさまざまな形ではげしく変貌した。1950年以前のトルファン盆地では、イスラムの宗教知識は、宗教生活の中軸であっただけではなく、識字能力を身につけるための基本教育の媒体でもあり、社会的権威をもった宗教知識人たちは、ウイグル人の社会生活の全般において重要な役割を果たしていた。50年代に入ると、社会主義革命と一般教育の普及の影響でイスラムが持つ教育の機能が低下し、宗教知識階層は古い封建体制の代弁者として批判され社会的権威を失った。1980年以降、イスラム文化の復興が図られるようになり、トルファン盆地のウイグル族の人々は、伝統文化の再建に取りくんでいる。

 現在のトルファン盆地のウイグル社会において、イスラムは再び伝統文化の中軸として機能するようになり、イスラムの宗教教育も地方の伝統教育の体系としてその合法的な地位が認められている。宗教指導者たちは、宗教学校での専門教育、村落モスクでの初級教育、宗教知識人の家庭での個人教育、儀礼活動の宗教祭司などのさまざまなレベルでイスラム教育を展開している。彼らは、イスラム的な伝統教育に参与するものと社会的に位置付けられ、宗教知識を伝達することを通じて、ウイグル族の民衆に対して多大な影響を持ち、地域社会の組織者として、確実に社会的文化的ないし政治的に大きな役割を果たすようになっている。彼らの仕事の本質は、社会主義の社会環境のなかで、イスラム文化のウイグル化またはウイグル文化のイスラム化を図ることにある。

 本論では、筆者は、新疆ウイグル自治区のトルファン盆地で行った合計20ヶ月間の現地調査で得られたデータ・資料に基づいて、ウイグルのイスラム宗教知識人が果たす役割及びその変化を分析することを通じて、20世紀後半のウイグル社会における宗教文化の変容、文化・教育体系としてのイスラムのあり方、そして地域的な慣習との関わり方を明らかにすることを試みた。

 この論文は、序論と結論を除き10章から構成されているが、各章はそれぞれトルファン盆地における民間のイスラム教育の一側面を取り扱っている。第2章と第3章は、1950年以前の民国期とその後の社会主義革命におけるイスラム教育及び宗教知識人の役割を問題にし、それらの変化の実態を明らかにした。第4章は、現在のウイグル族の村落社会における社会権威の基本構造、そしてそのなかにおけるイスラム宗教知識階層の位置づけと機能のあり方について分析を行った。第5章では、ウイグルの宗教知識階層によるイスラム教育の構築、政府の政策と行政管理の仕組みなどについて述べながら、それらの相互関係に関する分析を行った。第6章は、トルファン盆地におけるイスラム信仰の基本形態について、一般庶民の宗教認識におけるコーラン、モスク及び宗教指導者などの意義を中心的に取り上げ、それらとウイグルの人々が持つムスリム・アイデンディティとの関わりを考察した。第7章では、コーランの朗誦に象徴される宗教的神秘力と宗教知識人の社会的影響力との関わりを中心に、儀礼活動の実態と宗教知識人の教育的役割を論じた。第8章では、宗教知識人の行う病気治療の儀礼について取り上げ、彼らの治療儀礼についての語りが、ウイグル族の土着的病気観と治療方法にイスラム的正当性を付与していることを報告している。第9章では、トルファンのウイグル宗教知識人が編集した、モスクでの説教に用いられるテキストの分析を行っている。その結果、イスラム指導者は、モスクの説教においてイスラムの原理原則に照らしてさまざまな社会問題を扱っていることが明らかになった。第10章と第11章では、ムスリムの聖なる旅を議論の対象にしている。トルファン盆地のウイグル族の人々は、メッカ巡礼やムスリム聖者廟への旅をさまざまな意味で宗教的救済の象徴としてとらえているが、宗教知識人たちの教説を見るかぎり、聖地への旅は、やはり地方的宗教慣習のイスラム化及びイスラムの土着化の過程であると結論づけることができる。

審査要旨 要旨を表示する

 王建新氏の論文は、中国新疆ウイグル自治区トゥルファン地域で、1991年より1998年の間、通算6回、20ヶ月にわたって行われたフィールドワークにもとづき、ウイグル族ムスリムの信仰と実践、またとりわけイスラームの学識をもつ指導者層、すなわちイスラームの師が果たしている役割を描く詳細で情報量の高い民族誌である。論文は、トゥルファン地域の町と村における人々の日常生活の観察と会話、個々のイスラームの師からのライフ・ヒストリーをふくむ詳細な聞き取りを主要な方法としているが、さらにモスクにおける訓話の記録、イスラームの生活倫理を説いた手作りの詩文テキスト本、イスラームの師たちが所持し使用する儀礼上のマニュアル、中華民国時代のイスラーム寄宿学校の史料などを豊富に利用することによって、記述と議論に深みと説得性を与えている。

 ウイグル族のイスラームのあり方をめぐっては、過去の時代について豊富な歴史研究が存在する。だが今日のその姿をあつかった文化人類学やフォークロア分野の先行研究は、現地で刊行されたウイグル語によるもの2点、アメリカで刊行された英語のもの1点を数えるのみで、まだほとんど未開拓な研究領域である。したがって本論文は、中国におけるイスラーム、あるいは中央アジア地域のイスラームをめぐる研究上の欠を埋める重要な貢献となるものである。民族誌的データの量と質について言うなら、本論文は博士論文として要求されるべき水準を十二分に満たしている。王君本人は漢族であるが、自分の母語ではないウイグル語を駆使して長期のフィールドワークを行い、ウイグル語文書資料も収集・利用し、現場での観察聞き取りと文書による研究を巧みに総合している点は、とくに称賛に値するもので、文化人類学、中央アジアないし中国の地域研究、イスラーム諸社会の比較研究などの各専門分野への学術上の貢献を十分に果たしている。さらに文化人類学上のイスラーム研究、あるいはムスリム社会研究という面では、次の二点の貢献を果たすものである。第一は、イスラームは地域的にきわめて多様であり単一のイスラームの存在を前提にした研究は成り立ちがたいという、しばしば主張される見解に反対し、イスラームの宗教としての単一性と各地のムスリム社会の歴史的・文化的多様性とのあいだの流動的でダイナミックな関係を問題にすべきであると、明確な提起を行い、トゥルファン地域の事例によってその主張を十分に裏付けていることである、第二は、トルファン地域において、イスラームの師は単にイスラームについての知識を民衆に伝えるのではなく、さまざまな地方的・民衆的慣行に対してイスラーム的な解釈と形を与え、そのことによって民衆の生活実践の中へのイスラームの浸透を可能にしているのだという筆者の主張である。

 論文は単に現在のウイグルにおけるイスラームの姿を論ずるだけではなく、オーラル・ヒストリーの方法をもちいて、中華民国時代、共産党の人民民主主義革命から文化大革命に至る時期、開放・改革の時代である現在にわたる、イスラームの知的リーダーシップの持続性と変容を明らかにしている。第2章においては、中華民国時代における富農家族の一人の少年の生い立ち、村における最初のイスラーム学習、イスラーム寄宿学校への入学と勉学の経緯が生き生きと描かれ、貴重な記録を提供している。第3章では、人民民主主義革命から文化大革命に至る時期の民衆の生活と、共産党政府によってしだいに押さえつけられていくイスラームの苦境が、克明に記されている。第4章は、文革期に破壊され地下に潜るように生き続けていたイスラームが、中華民国期に教育を受けた高齢のイスラーム知識層の努力によって再興していく状況を示している。第5章は、現在のトルファン地域で、地方の共産党下級幹部とイスラーム指導層とが、現実の社会秩序を支える上でどのような分業関係にあり、またどのような矛盾があるのかが、明らかにされる。またこの章は、今日の共産党政府のイスラーム政策がどのようなものであり、地方においてそれがどのように実現されているかを明らかにする。以上が地域のイスラームの現代史であるとするなら、つづく6つの章は現在のムスリムたちのイスラーム信仰と実践の諸相を描くものである。第6章では民衆レベルでのイスラームの知識の基本的あり方が語られている。第7章は、イスラームの師たちの通過儀礼への関わりを描き、それによってイスラームの知識と倫理がいかに民衆の暮らしの中に浸透していくのかを示している。第8章は治病儀礼へのイスラームの師の関わりを、第9章はモスクにおける訓話の具体的内容とそれが果たす効果を論じている。第10章では聖者廟のさまざまな事例が詳述され、聖者信仰のウイグルのムスリムにとっての意味が明らかにされる。第11章はメッカへの巡礼、外部のムスリム諸社会とのつながりを論じている。以上に、先行研究との関わりにおける本論文の目標と視角を示した序章、最後の結論を提示する終章を加えた12の章は、たくみで一貫した構成をなしており、対象の記述、議論の展開は平明で明快である。また補遺には、民衆のためにイスラーム倫理を説く49頁、99節より成る詩文テキストの全文が、ウイグル語原文と筆者による英訳を合わせ掲載されている。これは、今後さまざまな専門分野において重要なテキストとなりうるものである。本論文は文化人類学、イスラーム学、中国研究、中央アジア研究の諸分野において、無視することのできない文献となるであろう。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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