学位論文要旨



No 216048
著者(漢字) 豊田,正範
著者(英字)
著者(カナ) トヨタ,マサノリ
標題(和) コムギの一穂粒数の決定に関する発育形態学的研究
標題(洋)
報告番号 216048
報告番号 乙16048
学位授与日 2004.07.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16048号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森田,茂紀
 東京大学 教授 大杉,立
 東京大学 教授 小林,和彦
 東京大学 助教授 山岸,徹
 東京大学 助教授 山岸,順子
内容要旨 要旨を表示する

 コムギ(Triticum aestivun L.)は三大作物のひとつであり、現在、世界で年間約6億トンが生産されている。コムギの生産量はこの100年の間に約6.6倍に増加したが、前半は栽培面積の拡大、後半は収量(単位面積当たりの生産量)の増加に基づくものであった。ところで、日本で消費されるコムギの大部分は輸入に依存しており、自給率の向上が求められている。その場合、栽培面積の拡大とともに、ヨーロッパの先進地域と比べると約半分のレベルまでしか達していない収量を増加させる必要がある。そのためには、収量の制限要因を明らかにしたうえで、その育種的・栽培的改善に努めなければならない。しかし、日本ではコムギの収量性はこれまで主に物質生産とその分配の側面に着目して研究されており、収量構成要素に関する発育形態学的な検討はあまり行われていない。そこで、本研究では、日本におけるコムギの収量構成要素について解析した結果に基づいて、特に一穂粒数に着目し、その決定機構を解明するために発育形態学的な視点から検討を行った。

1.収量構成要素としての一穂粒数の重要性

 まず、既往の知見をもとにして、世界におけるコムギの収量向上を収量構成要素に着目して検討した。収量は単位面積当たりの粒数(面積粒数)と粒重の積と考えられるが、この間、粒重はほとんど変化しておらず、収量の向上は面積粒数の増加によることが明らかである。面積粒数は、単位面積当たりの穂数(面積穂数)と一穂粒数の積として捉えることができるが、収量の向上には両者が貢献していると考えられる。日本におけるコムギ栽培でも同じことがいえるかどうかを検討するために、国内外の117品種・系統の栽培試験を行った。その結果、収量と面積粒数との間には有意な正の相関関係が認められたが、収量と粒重との間には明瞭な関係は認められなかった。また、面積粒数と穂数、面積粒数と一穂粒数との間には、いずれも有意な正の相関関係が認められたことから、収量の品種・系統間差は面積粒数の変異に基づいており、面積粒数の品種・系統間差には穂数と一穂粒数の両者がほぼ同程度関与していることが明らかとなった。このほか、西日本において重要な品種であり、本研究において詳細な検討を行うダイチノミノリ、イワイノダイチ、さぬきの夢2000およびチクゴイズミを対象とした多くの栽培試験からも、ほぼ同じ結果が得られた。以上のように、既往の知見の整理および本研究における栽培試験の結果から、収量の差は面積粒数に基づいていること、面積粒数には面積穂数と一穂粒数の両者がほぼ同程度関与していることが確認できた。ただし、穂数に比較すると一穂粒数の決定に関する研究が立ち遅れているので、その機構解明が収量の安定的な向上にとって重要であると考えられた。

2.走査型電子顕微鏡による幼穂形成過程の観察

 一穂粒数の決定過程を発育形態学的に解析するためには、一穂全体におけるすべての小穂の形成、およびすべての小花の分化と退化過程に関する詳細な観察が前提となる。従来からコムギの幼穂形成に関しては肉眼および実体顕微鏡による観察が行われてきたが、必ずしも解像度が高くなく、また、小穂数および小花数の決定時期に関する知見が十分ではなかった。そこで、走査型電子顕微鏡を用いて幼穂の形成過程を詳細に観察した結果、栄養相から生殖相への転換点を判断するための器官分化や、小穂数の決定時期を確定するための頂端小穂の分化に関する基準を明確にすることができた。また、小花の分化過程の詳細を明らかにすることで、小花数の推移を正確に把握することが可能となった。

3.小穂数および小花数の決定過程のモデリング

 コムギの幼穂においては、穂軸に沿って向頂的に小穂が分化する過程と、それぞれの小穂においてやはり向頂的に小花が分化する過程とが、部分的に重なりながら進行する。その場合、小穂の分化は頂端のものが分化した時点で数が決まる有限型であるが、小花の場合は無限型の分化であるとともに、分化した小花の一部が退化する点で小穂の形成と異なっている。そこで、両者を分けて捉えるために、主茎を対象に小穂数および小花数の決定過程のモデリングを試みた。まず、小穂については、栄養相における葉の分化の延長として小穂の形成に先立つ苞の分化があるが、外部形態の観察だけで葉と苞のいずれが分化したかを判別することは困難である。そこで、有効積算温度に対する葉、苞および小穂の累積数の推移を検討したところ、葉の分化期間、小穂の分化期間、および小穂の分化が終了して以降の3つの期間に、それぞれ勾配の異なる連続した3本の直線をあてはめる線形スプラインモデルを適用することが有効であった。このことは、葉数および小穂数の増加過程をそれぞれの分化期間と分化速度という2つの要因に還元して捉えることができることを意味している。幼穂の形成過程における小花数の推移についてはこれまでほとんど報告がなく、不明な点が多かった。本研究において、走査型電子顕微鏡観察に基づく定量化を試みたところ、左右非対称のロジスティック曲線状の推移を示した。解析の結果、この関係にGompertzの生長モデルを適用するのが有効であり、小花数の決定過程も分化期間と分化速度に還元して検討できることが明らかとなった。ただし、粒数の決定過程における小花の退化については、さらに客観的に判断するための基準の確立が必要である。

4.一穂粒数の変異を規定する要因の解析

 一穂当たりの小穂および小花の分化数の変異について発育形態学的に解析するために、西日本の暖地・温暖地で栽培されているコムギ品種イワイノダイチ、さぬきの夢2000、チクゴイズミを、播種期を変えて (早播き、標準播き、遅播き) 栽培した。その結果、播種時期に関わらず分化小花数の最大値はさぬきの夢2000が多く、チクゴイズミが少なかった。この分化小花数の品種間差を小穂数と小穂当たりの小花数に分割して解析した結果、さぬきの夢2000は小穂数が多いこと、チクゴイズミは小穂数が少ないことが分化小花数を規定していることが分かった。また、いずれの品種においても、播種期が早いほど分化小花数の最大値が多い傾向がみられたが、これは早播きほど小花が分化する期間が長くなった結果、小穂当たりの小花数が多くなったためと考えられる。また、「一穂粒数=分化小花数-退化小花数」と考えて検討を進めた結果、遅播きしたものほど分化小花数の最大値は少ないが小花の生存率が高まる傾向が認められ、その結果として一穂粒数は播種期による変化が少なかった。乾物重の推移の解析から、遅播きは早播き、標準播きに比べて穂への同化産物の分配割合が多く、そのため小花生存率が高まった可能性が考えられる。

5.小穂の位置別着粒数の変異と小花生存率

 以上の解析においては、主茎の一穂粒数を全体として取り扱うか、または一穂で平均した小穂当たりの解析を行った。さらに実態に即して詳細に検討するために、穂軸に沿った小穂の位置に着目して、それぞれの小穂における粒数の分布について、西日本で栽培されるダイチノミノリ、イワイノダイチ、さぬきの夢2000およびチクゴイズミの4品種を比較した。小穂当たり粒数はいずれの品種も第7小穂付近が最も多く、その位置から頂端小穂および穂の最基部小穂に向けて次第に減少していた。その分布の様相はいずれの品種もほぼ同じであることが明らかとなった。そこで、小穂当たり粒数の分布を小花の分化と退化の面から明らかにするため、チクゴイズミにおいて小花分化数の推移を小穂位置別に調査した。その場合、小穂当たり粒数を規定する形質として、小花の分化開始時期と分化速度の2つの要因に着目した。一穂当たりの小花数が直線的に増加する期間中、ほぼ全ての小穂において、有効積算温度と分化小花数との間には有意な正の相関関係が認められた。両者の間に得られた回帰式を利用することによって、小穂位置別の小花分化開始期、小花分化速度、および生存する最上位の小花が分化する時期(最終生存小花分化期)を推定することが可能となった。小穂別の小花分化開始期は、幼穂中央付近の小穂で最も早く、そこから穂の先端側および基部側に向かって次第に遅くなった。このような小花分化開始期の分布は、それぞれの小穂原基の分化順序を反映した結果と考えられる。小穂別の小花分化速度は穂の基部から先端側に向かって次第に遅くなる傾向に、また、最終生存小花分化期は穂の先端側に向かうほど遅れる傾向にあったが、小穂位置による差は小花の分化開始期ほど大きくなかった。したがって、分化した小花が生存するか退化するかは、比較的短い期間内に全ての小穂位置でほぼ一斉に決定すると考えられ、このため小穂分化開始期が早い小穂ほど小穂当たり粒数が多くなることが明らかとなった。

 以上、従来の研究成果の解析および本研究における栽培試験の結果を踏まえて、コムギの収量向上を収量構成要素の一つである一穂粒数に着目して解析を行った。走査型電子顕微鏡を用いた詳細な観察を踏まえて、一穂当たりの小穂数および小花数の推移についてモデリングを行った。また、品種や播種時期の違いによる一穂粒数の変異を、一穂当たりの小穂数と小穂当たりの粒数とに分けて解析するとともに、分化小花数と退化小花数の差し引きで一穂粒数が決まるという考え方から、小花の生存率についても検討した。さらに、小穂別の小花数を分化開始期と分化速度の2つの要因に着目して検討した。これらの解析の結果、一穂粒数を規定する小穂あたり粒数が主に分化開始期によって決定される様相を解明することができた。

審査要旨 要旨を表示する

 日本におけるコムギの自給率向上のため、栽培面積の拡大とともに収量の増加が大きな課題であるが、西日本の産地では11月の降雨によって播種が遅れて収量が変動することが多い。また、稲作との労力の競合を回避するための早生化に伴う生育期間の短縮によって収量低下も懸念されている。これらの課題を解決するためには収量形成を収量構成要素に着目して理解する必要があり、とくに国産コムギで研究が立ち後れている一穂粒数の決定過程を検討する必要がある。そこで、発育形態学的な視点から一穂粒数の決定過程をより深く理解するとともに、これを栽培的育種的に改善していくための基礎的知見を得るために、一穂小花数の決定過程を定量的に検討した。

1.走査型電子顕微鏡による幼穂形成過程の観察

 一穂粒数の決定過程を発育形態学的に解析するために、本研究で取り扱う西日本の主要コムギ品種の幼穂形成過程を、すべての小穂の形成過程およびすべての小花の分化・退化に着目して、走査型電子顕微鏡と実体顕微鏡を組合せて詳細に観察した。その観察結果をもとに、これまで曖昧であった葉と小穂の分化期間の境界について、穂の最基部の小穂と対をなす苞原基が分化した時点を小穂分化開始期と定義した。また、すべての小花の分化を追跡し、一穂小花数の検討を可能にした。ただし、形態観察のみから小穂の分化開始期や小花の分化終了期を厳密に特定することが困難であることも明らかとなった。

2.小穂数および小花数の決定過程のモデリング

 コムギの幼穂形成における小穂と小花の分化過程を定量的に捉えるために、詳細な形態観察をもとにモデリングを試みた。有効積算温度に対する葉、苞、小穂の累積数の推移を検討したところ、葉の分化期間、小穂の分化期間、それ以降のそれぞれに、異なる直線をあてはめる線形スプラインモデルが有効であり、この結果を利用して、葉数および小穂数の増加過程をそれぞれの分化期間と分化速度に還元して考察できるようになった。一方、有効積算温度に対する一穂小花数の推移は、左右非対称のロジスティック曲線状であった。両者の関係にはGompertzの生長モデルがあてはまり、小花数の決定過程も分化期間と分化速度に還元して検討できるようになった。ただし、小花の退化については、さらに詳細な検討が必要である。

3.一穂粒数の変異に関わる要因の解析

 西日本で栽培されているコムギ3品種を播種期を変えて栽培したところ、小穂数および一穂粒数に変異が認められた。その変異には、分化速度と分化期間の両者が深く関係しているが、とくに分化期間が大きく影響していること、分化速度と分化期間との間に補償的な関係が認められることが明らかとなった。分化速度は主に温度、分化期間は主に日長にそれぞれ強く影響されることが推察されたが、両者が相互に関係するため、各環境要因の影響には単純な一定の傾向は認められなかった。また、最終的に稔実する粒数が分化小花の最大値の半分以下である場合が多く、分化小花数を増やすと同時に退化小花数を減らすことも重要と考えられた。

4.小穂の位置別着粒数の変異に関わる要因の解析

 西日本で栽培されているコムギ4品種の小穂当たり粒数はいずれも穂軸中央の小穂付近で最も多く、頂端側および基部側で少なかった。ただし、一穂粒数が多い品種ほど、まず基部側、続いて頂端側の小穂当たり粒数が多かった。この小花数の変異には、分化開始期だけでなく、分化後の発育速度も密接に関係していた。有効積算温度と小穂別の小花数との間には有意な正の相関関係が認められ、直線回帰式を利用すれば小穂位置別の小花分化開始期、小花分化速度、最終生存小花分化期を推定することが可能となった。小穂位置別の小花分化開始期は幼穂中央付近で最も早く、先端側や基部側で遅かった。小穂位置別の小花分化速度と最終生存小花分化期は穂の先端側ほど遅かったが、小花分化開始期ほどは変異が大きくなかった。また、分化した小花が生存できるか退化するかは比較的短期間にすべての小穂においてほぼ一斉に決まるため、小穂分化開始期が早い小穂ほど小穂当たり粒数が多くなる傾向が明らかとなった。

 以上、本研究においては、コムギの幼穂形成に関する詳細な形態観察と、それに基づくモデリングとによって、収量構成要素の一つである一穂粒数を定量的に検討できるようになった。その結果、一穂粒数が小穂および小花の分化速度と分化期間の相互関係を含んだ大小によって規定されることが明らかとなった。最終的に稔実した粒数を問題とするには小花の退化過程についてさらに検討する必要があるが、本研究の結果、一穂粒数を栽培的・育種的に増加させるために役立つ基礎的な知見が得られた。これらの知見は、学術上また応用上、きわめて価値が高い。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51220