学位論文要旨



No 216049
著者(漢字) 安居,拓恵
著者(英字)
著者(カナ) ヤスイ,ヒロエ
標題(和) 植物の二次代謝成分をめぐる植物・植食性昆虫・捕食性昆虫の相互作用に関する化学生態学的研究
標題(洋)
報告番号 216049
報告番号 乙16049
学位授与日 2004.07.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16049号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田付,貞洋
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 嶋田,透
 東京大学 助教授 久保田,耕平
 東京大学 助教授 石川,幸男
内容要旨 要旨を表示する

 生物における「食う食われる」は生命維持に本質的に関わる非常に重要な問題である。それゆえ生物は、自らは食われないように様々な手段で自己防衛をしなければならない上に、動物の場合、自己防衛している他生物を食わなければ生き延びていけないという状況におかれている。自己防衛の手段としては化学的なバリアーが重要な役割を果たしている例が多く知られている。本論文では、化学物質を介する植物‐植食性昆虫‐捕食性昆虫間の相互作用について、特に摂食に関与する化学物質が果たす機能をあきらかにするために研究を行なった。

1.昆虫の摂食を受けにくい植物の化学的防御

 まず初めに、化学的バリアーがよく機能しているために昆虫による食害が少ないと思われる植物をめぐって、一連の研究を行った。まず植物側の昆虫に対するバリアーとして機能している摂食阻害物質を中心に研究を進め、寄主範囲が異なる数種の植食性昆虫の摂食応答を比較検討することによって、植物のバリアーとそれに対する昆虫の感受性との関係について考察した。

 ニガウリMomordica charantia L. (ウリ科Cucurbitaceae)の葉は、他のウリ科植物のものと比較して昆虫による食害が顕著に少ないことを観察した。このことは、ニガウリの葉が植食性昆虫に対して何らかの抵抗性を持つことを示唆する。そこで、化学的バリアーとして機能していると考えられたニガウリの葉に含まれる摂食阻害物質を、アワヨトウPsudaletia separata (Walker) (鱗翅目ヤガ科Lepidoptera:Noctuidae) 幼虫に対する摂食阻害活性を指標に単離したところ、これらがトリテルペングリコシドのモモルディシンIIとその類縁体である新規物質のモモルディシンIIのグルコシド体であることを明らかにした。これらはウリ科植物に存在するククルビタシン類の一種であるが、ニガウリの葉特異的に含まれる物質である。寄主範囲の異なる3種の鱗翅目昆虫{ハスモンヨトウSpodoptera litura (Fabricius)(ヤガ科):広食性、アワヨトウ:狭食性、イネ科植物を主に摂食、およびウリノメイガDiaphania indica Saunders (ツトガ科Crambidae):狭食性、ウリ科植物を選択的に摂食}の幼虫を用いて、モモルディシンIIに対する摂食阻害度を比較検討したところ、食性の狭いアワヨトウに対しては強く、広食性のハスモンヨトウに対しては弱いといった、食性の違いによって異なるものであった。

2.紫外線照射による植物中の成分変動が昆虫の摂食行動に及ぼす影響

 昆虫と植物との相互作用は、それらを取り巻く様々な環境の変化にも影響を受けてきたと考えられる。とりわけ環境変化に対する植物の生理的応答が植食性昆虫の摂食行動に与える影響が考えられるが、味覚を介して化学物質を受容している植食性昆虫においては、寄主の代謝物質の変動が摂食反応に変化を及ぼす可能性が考えられる。そこで、近年問題になっているオゾン層破壊による紫外線量増加を環境要因として取り上げ、紫外線照射によって植物中の代謝物質がどのように変動し、それが寄主の異なる複数の植食性昆虫における摂食行動にどのような影響を与えるかを調べた。

 モデルケースとして、波長254nmの紫外線照射を受けた植物に対する昆虫の摂食応答の変化と植物中の昆虫の摂食に関与する物質の変化を調べた。まず、ニガウリの葉において、ウリ科植物を寄主とするウリノメイガ幼虫と寄主としないアワヨトウ幼虫を用い、紫外線照射を受けたニガウリの葉と無照射の葉とを選択摂食させたところ、紫外線照射葉は無照射葉と比較してウリノメイガ幼虫には好まれず、アワヨトウ幼虫には逆に好まれることを観察した。このことは、環境要因が植物成分の変化を引き起こすことによって植食者の食性が変化する可能性を示すものである。そこで、この食性変化をひきおこす要因として植物成分の変動を調べたところ、先にアワヨトウ幼虫に対する摂食阻害物質として同定したモモルディシンIIの葉中含有量は紫外線照射により減少しており、摂食阻害効果を持たないそのアグリコンへ分解していた。さらに、摂食促進物質である糖類の葉中含有量が紫外線照射により減少していることが明らかになった。以上のことから、アワヨトウ幼虫は摂食阻害物質であるモモルディシンIIの量が減少したことが主な原因で、より紫外線照射葉を摂食するようになり、ウリノメイガ幼虫にとってはもともと摂食阻害活性のないモモルディシンIIの増減は関係なく、摂食促進物質の糖類が減少していたことが摂食量の減少をもたらしたと考えられた。また同様に、紫外線照射を受けたクワMoras albaの葉が無照射葉と比較して、カイコBombyx moriに摂食されにくいことを観察した。このことから、クワの紫外線照射葉にも新たに摂食阻害物質が生成した、あるいは摂食促進物質が減少した可能性が示唆された。紫外線照射によって摂食促進物質である糖類が減少していることは明らかになっていたため、葉に新たに生成した物質を調べたところ、クワのファイトアレキシンとして同定されているモラシンC、モラシンN、およびモラシンMと4'-プレニルオキシレスベラトロールであることが判明した。そしてこれらが、カイコに対し摂食阻害物質として機能することが明らかになった。紫外線照射を受けたクワの葉では摂食阻害物質の生成と摂食促進物質の糖類の減少の両方がカイコの摂食応答にマイナスに影響したと考えられた。

3.植食性昆虫の化学防御−昆虫による植物防御成分の利用

 植物の化学的バリアーを植食性昆虫がいかに克服し、そして寄主にしたことで生存していく上でなんらかの有利なものを得るのかという問題は、適応を考察する上で興味深い。ここでは化学的バリアーの高い植物を食草とする昆虫について、特異的にそれを摂食する植食性昆虫と、かなり食性の広い植食性昆虫がそれぞれどのようにその植物に適応しているかについて、植物の化学物質の利用という観点を含めて比較考察した。

 イヌマキPodocarpus macrophyllus Lamb (マキ科Podocarpaceae)は昆虫による食害が少ないことから建築材や街路樹として珍重されている植物であるが、これを特異的に食害する昆虫としてキオビエダシャクMilionia basalis pryeri Druce (鱗翅目シャクガ科 Lepidoptera:Geometridae) 幼虫がいて問題となっている。この昆虫は天敵がほとんど知られておらず、また、警戒色を持つことから体内に毒性成分を持っていることが示唆された。一方、捕食性のハリクチブトカメムシEocanthecona furcellata Wolff (異翅目カメムシ科Heteroptera:Pentatomidae)の卵塊がイヌマキ上で観察されたことから、ハリクチブトカメムシはキオビエダシャク幼虫を捕食する機会があると考えられた。ところが、ハリクチブトカメムシはキオビエダシャク幼虫を与えると捕食するが、やがて死亡することが観察された。これらの観察から、キオビエダシャク幼虫の体液中にはこのカメムシに対する殺虫活性物質が存在することが示唆された。そこで、殺虫活性物質の解明を行ったところ、それらがイヌマキ由来物質であり、植物側にとっても防御成分と報告されているイヌマキラクトンA、ナギラクトンC、および新規物質のナギラクトンCグルコシドであった。このことは、キオビエダシャクが自らの防御に植物側の防御成分を積極的に利用していることを示すものである。また、イヌマキを摂食する広食性のチャハマキHomona magnanima Diakonoff (ハマキガ科Tortricidae) 幼虫についても同様にカメムシに対する殺虫活性と防御成分の蓄積を調べたところ、殺虫活性も成分の体内への蓄積も認められなかった。

4.応用的考察

 最近では害虫の防除手法として天敵農薬やフェロモン剤の使用などを化学農薬と併用する方法がとられはじめている。本論文でとりあげた捕食性昆虫のハリクチブトカメムシはイヌマキの大害虫キオビエダシャク幼虫を捕食し、さらには野菜作物の大害虫であるハスモンヨトウ幼虫などを好んで捕食することからも、天敵農薬となりうる可能性が考えられる。また、紫外線量増加のような環境の変化により植物の二次代謝物質生合成系に変化が生じることが要因となって、それまで寄主としていた植物が食べられなくなって食害が減るという可能性と、逆にそれまで寄主としていなかった昆虫が「害虫化」する可能性の両方が示された。本研究の事実は植物に対して、発生する害虫の種類に応じて適切な環境制御を行うことによって植物の食害を少なくできる可能性を示しており、将来の害虫管理に新たな方法を示唆するものである。また、今回用いたモデル実験系から得られた結果は、今後の環境変化で生態系がどのように変動するかを詳細に分析する際の指針の一つとしても役立つと思われる。

モラシンC

モラシンN

モラシンM

4'-プレニルオキシレスベラトール

R1=H.R2=glc:モモルディシンII

R1,R2=glc:新規物質

Ra,R2=H:アグリコン(モモルディシンI)

イヌマキラクトンA

R=H:ナギラクトンC

R=glc:新規物質

ナギラクトンCグルコシド(glc:グルコース)

審査要旨 要旨を表示する

 生物における「食う,食われる」の関係は生命維持に関わる本質的な問題である。自らは食われないように自己防御の手だてが必要であり,一方,動物は他生物を食わなければ生き延びていけない。生物の自己防御手段として化学的なバリアーが重要な役割を果たす例が多い。本論文は,化学物質を介した植物‐植食性昆虫‐捕食性昆虫という三者間の相互作用において,とくに摂食と防御に関与する化学物質の果たす機能を明らかにしようとするものである。

1.昆虫の摂食を受けにくい植物の化学的防御

 ニガウリは昆虫による食害が顕著に少ない。葉に含まれる化学的バリアー物質をトリテルペングリコシドのモモルディシンIIとその類縁体である新規物質のモモルディシンIIグルコシドと同定した。寄主範囲の異なる3種,ハスモンヨトウ(広食性),アワヨトウ(狭食性;イネ科植物を摂食),およびウリノメイガ(狭食性;ウリ科植物を摂食)の幼虫を用いて,モモルディシンIIの摂食阻害活性を比較したところ,狭食性のアワヨトウに対しては強いが,広食性のハスモンヨトウに対しては弱く,食性範囲の違いによって異なる活性が示された。

2.紫外線照射による植物中の成分変動が昆虫の摂食行動に及ぼす影響

 植食性昆虫では,環境変動による寄主の物質的変化が摂食反応に影響を及ぼす可能性が考えられる。ここでは波長254 nmの紫外線照射による植物中の物質の変化と,それに伴う昆虫における摂食行動の変化との関連を調査した。

 まず,照射と無照射のニガウリの葉を,ニガウリを寄主とするウリノメイガ幼虫と寄主としないアワヨトウ幼虫に選択摂食させたところ,照射葉はウリノメイガ幼虫には好まれなかったが,逆にアワヨトウ幼虫には好まれた。植物成分の変化を調べたところ,摂食阻害物質モモルディシンIIが照射により阻害効果を持たないアグリコンに分解しており,さらに,摂食促進物質である糖類も減少していた。以上から,アワヨトウ幼虫は摂食阻害物質の量が減少したために紫外線照射葉を摂食するようになったが,ウリノメイガ幼虫にはモモルディシンIIの増減は影響せず,摂食を促進する糖類が減少したために摂食量が減少したと考えられた。

 つぎに,照射を受けたクワの葉は無照射葉よりカイコに摂食されにくいことを観察し,クワの照射葉に新たに生成した物質を調べたところ,クワのファイトアレキシンとして既知の,モラシンC,モラシンN,およびモラシンMと4'-プレニルオキシレスベラトロールが同定され,これらがカイコに摂食阻害物質として機能することが明らかになった。

3.植食性昆虫の化学防御−昆虫による植物防御物質の利用

 化学的バリアーの高いイヌマキをめぐり,これだけを摂食するキオビエダシャクと,食性の広いチャハマキがそれぞれどのようにこの植物に適応しているかを比較した。

キオビエダシャクには天敵がほとんどおらず,また,警戒色を持つため,毒性を持つことが示唆された。実際,イヌマキ上で観察された捕食性のハリクチブトカメムシはキオビエダシャク幼虫を捕食すると死亡した。幼虫体液中の殺虫活性物質を探索したところ,イヌマキラクトンA,ナギラクトンC,および新規物質のナギラクトンCグルコシドが同定された。これらはイヌマキ由来物質で,植物にとっても防御成分である。キオビエダシャクは自らの防御に植物側の防御成分を積極的に利用していることが示された。一方,チャハマキ幼虫でも同様に殺虫活性と防御成分の蓄積を調べたが,殺虫活性も成分の体内への蓄積も認められなかった。

 以上,本論文では,植物の二次代謝成分と植食性昆虫の相互作用のあり方が昆虫の食性範囲の相違によって大きく異なることを明らかにし,さらに,環境変動が植物の二次代謝物質合成に変化をもたらすことで,寄生昆虫の摂食性が変化したり,新たな寄主昆虫を生じる可能性を示した。これらの成果は化学生態学に新知見を提供するだけでなく,将来の害虫管理における新たな方法をも示唆しており,学問的にも応用的にも貢献するところが大きい。よって審査委員会委員一同は本論文が博士(農学)の学位を受けるに十分な価値があると認めた。

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