学位論文要旨



No 216050
著者(漢字)
著者(英字) Parikesit
著者(カナ) パリケシット
標題(和) インドネシア・チタルム川上流域の農業ランドスケープにおける地域生物資源評価
標題(洋) Local Bioresources Assessment in the Agricultural Landscape of the Upper Citarum Watershed, Indonesia
報告番号 216050
報告番号 乙16050
学位授与日 2004.07.05
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16050号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武内,和彦
 東京大学 教授 杉山,信男
 東京大学 教授 岩本,純明
 東京大学 客員教授 Oekan S. Abdoellah
 東京大学 助教授 恒川,篤史
内容要旨 要旨を表示する

 インドネシアの農村地域では,農耕および畜産を中心とした農業システムが農業ランドスケープにおいて重要な位置を占めている。このような農業システムに従事する農民の大部分は,営農や生業のための生物資源に慢性的に不足しており,地域内の生物資源利用は不可欠なものになっている。そのため,こうした地域生物資源の入手可能性が,この地域における農業生産システムの脆弱性を軽減するために非常に重要である。一方,こうした地域生物資源は,これまで長い間,地域住民にとって重要な現金収入源として認識されてきた。このような地域生物資源の採集活動は,通常貧困世帯によって小規模に行われてきたが,地域生物資源の状況とその持続性に少なからぬ影響を与えてきており,現金収入のために強く地域生物資源に依存しすぎることは,近年の著しい人口増加による資源利用圧の高まりに加えて,持続可能な資源利用のレベルを超える原因ともなっている。

 そこで本研究では,現在インドネシアの中でも最も環境劣化が著しい流域のひとつと考えられる,インドネシア西ジャワのチタルム川上流域を対象地域とし,地域生物資源の利用状況を包括的に明らかにした。とくに,残存する森林から得られる地域生物資源の重要性の評価と,チタルム川上流域でみられる2つの主要な生物生産システム,すなわち酪農生産システムと,伝統的なアグロフォレストリーの一形態であるトゥンパンサリ(tumpang sari)における資源利用の評価に焦点をあて,チタルム川流域の農業ランドスケープの持続可能性を保障する生物資源管理システムにつながる統合的な生物資源利用方策を構築することを最終目的とした。

 具体的な個別目的としては,以下の6項目があげられる。すなわち,(1)残存する森林を含めた対象地域の農業ランドスケープが,地域の生物生産システムや家庭内エネルギー消費における資源量をどれほど充足しているかを明らかにすること,(2)小規模酪農システムで利用されている資源の種類や供給源を明らかにし,典型的な乳牛飼育場における年間のエネルギーフローモデルを構築すること,(3)アグロフォレストリーの一形態として知られるトゥンパンサリシステムにおいて用いられている地域生物資源の種類や供給源を明らかにし,典型的な耕作形態における年間のエネルギーフローモデルを構築すること,(4)変容する農業ランドスケープの中で,地域住民がどのように燃料木を獲得しているのかを明らかにし,燃料木供給源としてどれほど農業生態系の各構成要素が重要なのかを明らかにし,燃料木利用を通じたそれらの補填度を評価すること,(5)対象地における森林以外の最も重要な燃料木供給源としてのクブン・タタンカラン(kebon tatangkalan)の生物生態学的・社会経済学的側面を明らかにすること,(6)対象地の変容しつつある農業ランドスケープの中で,生物生産システムと家庭内エネルギー消費における資源量を充足するのに重要な役割を果たす地域生物資源量を維持するためのコンセプトプランを確立すること,である。

 本研究では,農業生態学的条件の異なる3つの集落において,質問票を用いた聞き取り調査および直接計測によるデータ収集を行った。ここでは,作物および酪農生産システムや家庭内エネルギー消費の補填を支える生物資源の採集に関連した活動を,チタルム川上流域の農業ランドスケープにおける生物資源利用を代表するものとして考えた。また,地域社会における住民生活を支える地域生物資源の多面的機能を明らかにするために,生物生態学的・社会経済学的側面からもデータ収集を行った。さらに,小規模酪農とトゥンパンサリシステムに関しては,生物生産システムにおける地域生物資源利用とエネルギーフローの評価を行うために,より詳細なデータ収集を行った。ここでは,燃料木や飼料の消費量,収穫物や作物残渣など,様々なランドスケープの各構成要素から採集される主要な地域生物資源量を推定するために,直接測定を行った。

 本研究の結果,面積は限られているものの,残存する森林は,森林周辺に生活する住民にとって様々な地域生物資源を供給していることが分かった。燃料木,家畜飼料,建材が主要な資源利用であり,全体で9つの種類の資源利用が確認された。この森林から得られる燃料木の一世帯あたりの日平均消費量は,約7kgから12kgと幅があった。灯油と組み合わせて利用する世帯の場合,燃料木の使用によって一世帯あたり一日約0.5米ドル換算の節約ができることになり,燃料木のみを調理火力として利用する世帯では,この額はもっと大きくなることが示唆された。

 また,多くの酪農農家では,個人所有の資源供給源が不足しているために,地域外の資源に強く依存していることが分かった。一方,森林やプランテーションは,飼料の必要量をまかなうことができる様々な栄養価をもつ多様な植物種の主要な供給源であることが示された。最上流部のタルマジャヤ(Tarumajaya)集落で飼育されている乳牛全頭の必要飼料量を満たすのに,現存する上記の供給源から獲得される一日あたりの飼料量は,この集落において58.1トンになることが試算された。しかし,乳牛飼料を補填するために,この集落において一日あたり約17.3トンの濃厚飼料が外部から持ち込まれていると試算された。すなわち,この地域生物資源は重要であるにもかかわらず,地域外の資源利用に依存せざるを得ないことが分かった。

 典型的な乳牛飼育場では,年間で合計96.4×106Kcalのエネルギーが流入し,このうち25%が地域資源由来のものであると試算された。一方,この集落の乳牛全頭から,生重で一日あたり約49.4トン,エネルギー換算で約21.5×109Kcalの牛糞尿が生産されることがわかった。実際これらの糞尿は,作物生産及び畜産システムの統合という点からも,持続可能な農業活動の推進に資するべき重要な地域生物資源であるが,それらの堆肥利用はきわめて限られていた。

 過去30年間で伝統的燃料から市販燃料へエネルギー利用が変化したにも関わらず,インドネシア農村地域では,森林以外から採集される燃料木が,家庭内エネルギー消費の補填に果たす役割はいまだに重要である。本研究の結果からも,対象地域において利用されるエネルギーの種類に変化があるものの,燃料木は依然として重要な役割を果たしていることが示された。5人家族の世帯では,一週間当たり平均で0.25から0.30m3の森林以外からの燃料木を消費しており,灯油とあわせて森林以外からの燃料木を利用した場合,一日あたり平均で0.51リットルの灯油消費を減少させることができる。5人家族の世帯にとって,一日あたり約0.04米ドル換算の金額が,森林以外から供給される燃料木によって補填されると試算された。

 チタルム川上流域における最も主要な森林以外のバイオマスエネルギー供給源であるクブン・タタンカランにおける生物生態学的研究の結果,このタイプのアグロフォレストは,対象地域の農業ランドスケープに不均一性をもたらしていることが示され,燃料供給源だけではなく,地域における植物多様性を維持する立地としても重要であることがわかった。

 以上の結果,多様な地域生物資源は,それぞれ有用性や価値は異なるものの,地域住民の日常の需要を充足するのに重要な役目を果たしていることが結論づけられた。このため,資源獲得の持続可能性は,ランドスケープ構造や経済状況の変化に対して影響を受けやすくなっていることが示唆された。森林と同様に,森林以外から供給される生物資源は,依然として各世帯や農業生産システムに必要な資源供給の充足に大きく貢献をしており,特定の地域生物資源は,無料で入手可能なバイオマスエネルギーの形で,資源に乏しい農家に対してある程度の補填を提供していることがわかった。しかし,森林以外で最も重要な無料のエネルギー供給源は,集約的な農業システムの拡大によって減少していることも明らかになった。

 また,研究対象地域において,農耕と酪農といった異なる生産システムは,それぞれ資源を独立して利用および管理していることがわかった。この傾向は,地域外からの購入資材の過剰投入によって環境へ負のインパクトをもたらすだけでなく,生産システムの中で高いエネルギー効率を維持するのに大変重要な地域生物資源の利用を減少させている。このことは,とくにインドネシアの経済危機の間,生産コストの増加や外部からの資源投入へ強く依存することに伴い,既存の生産システムをより脆弱なものにしたといえる。

 こうした結果に基づいて,商品投入資材への依存を削減させ,農業生産にとって重要な地域生物資源の入手可能性を保障することを目的に,作物及び家畜の統合的な生産システムを提案した。この統合的な生産システムでは,全ての商品投入資源を地域生物資源で代替するのではないが,商品投入資材への依存度を減らすことによって生産コストを削減することができるため,個別の生産システムが持つ脆弱性を軽減することができると考えられる。さらにインドネシアの小規模農家では,伝統的にこのような複合農業システムが長期にわたり営まれているため,こうした生産システムを開発・導入することは極めて高い現実性をもつ。

 地域生物資源の利用を最適化することによる作物生産と畜産システムの統合化には,それぞれのサブシステムが有する潜在的な資源量を明らかにすることが不可欠であり,生物資源の投入先となる農地と家畜の対応量を決定することも重要である。本研究では小規模な農業経営単位で行ったものであり,本研究で得られた結果は,信頼性の高い正確な情報を包含した基礎単位として活用できる。とくに窒素のような多量栄養素は,2つのサブシステム間での資源フローを比較可能とする基盤となりうる。

 最後に,この統合化の中で地域生物資源を最大限利用するために,森林から生物資源を採集した農家に対して,作物残渣といった特定のバイオマスで対価を支払う資源税のような考え方,家畜の所有者が,畜産廃棄物からつくった堆肥と経営林地の林床にある牧草を交換するといったバイオマス取引の考え方,資源税の支払い量や取引量の算定基準としてバイオマスの窒素含有量をバイオマス取引の際の通貨として用いる考え方など,政策・意志決定の側面について考察した。

審査要旨 要旨を表示する

 インドネシアの農村地域では,農耕および畜産を中心とした生物生産システムが農業ランドスケープにおいて重要な位置を占めている。この生産システムに従事する農民の大部分は,営農や生業のための資源に乏しく,地域内の生物資源利用に大きく依存している。しかし,地域外から持ち込まれる化学肥料等の資源に強く依存した生産システムと比較した場合,こうした地域生物資源の利用こそが,生産性および生産効率を維持するのに大きな柔軟性を与えているといえる。そこで本研究では,現在インドネシアの中でも,近年の著しい経済発展に伴う環境劣化が著しい流域のひとつで,インドネシア西ジャワ州で最も面積の大きい,チタルム川上流域(約6000km2)を事例地域とし,地域生物資源の利用状況を包括的に明らかにした。本研究の主目的は,小規模農業システムにおける地域生物資源の獲得状況を把握し,エネルギー利用の観点から分析・評価を行うこと,家庭内エネルギー消費に対する充足度,および現存する地域資源の農村住民に対するバイオマスエネルギーの形での貢献度,という観点から地域生物資源の特性を明らかにすることである。

 本研究では,とくに,残存する森林から得られる地域生物資源の重要性の評価と,チタルム川上流域でみられる2つの主要な生物生産システム,すなわち酪農生産システムと,一年生作物と樹木栽培を組み合わせたアグロフォレストリーの一形態であるトゥンパンサリ(tumpangsari)システムにおける資源利用の評価に焦点をあてた。さらに,家庭内エネルギーを満たすための地域生物資源の役割に関して,森林以外の地域生物資源の供給源である,多層的に土地を利用するアグロフォレストリーシステムの一形態であるクブン・タタンカラン(kebon tatangkalan)がどの程度貢献するのかについて重点を置いた。農業生態学的条件の異なる3つの集落において,質問票を用いた聞き取り調査と,燃料木や飼料の消費量,収穫物や作物残渣の量と質などの直接計測によるデータ収集を行った。

 本研究の結果,面積は限られているものの,残存する森林は森林周辺に生活する住民にとって様々な地域生物資源を供給しており,燃料木,家畜飼料,建材が主要な資源利用であった。一日あたり約25.7トンの燃料木が,チタルム川上流域に残存する森林から獲得されており,一世帯あたりの日平均消費量は,7.2〜12.0kgと幅があった。灯油と組み合わせて利用する場合,一世帯あたり約47〜56%,一日平均約0.8リットルの灯油消費量を削減できることがわかった。森林以外から獲得される燃料木の利用も多く,森林以外からの燃料木消費量は,一世帯あたり一日平均6.0〜7.1kgであった。灯油とあわせて利用する場合,約45%,一日平均約0.5リットルの灯油消費量を削減できると試算された。

 また,多くの酪農家では,個人所有の資源供給源が不足しているために,地域外の資源に強く依存していることが分かった。一方,森林や茶畑は,飼料の必要量をまかなうことができる様々な栄養価をもつ多様な植物種の主要な供給源であることが示された。対象集落で飼育されている乳牛全頭の必要飼料量を満たすのに,現存する上記の供給源から獲得される一日あたりの飼料量は,この集落において約58.1トンになることが試算された。

 このように,酪農生産において地域生物資源は重要であるにもかかわらず,エネルギー利用に関する解析の結果,典型的な乳牛飼育場では,年間約96.4×106Kcalのエネルギー流入のうち,約25%が地域資源由来のものであり,地域内の供給量よりも,地域外のものが多いことがわかった。対象集落全体では,エネルギー消費は年間約39.2×109Kcalに対し,生産された生乳を熱量換算すると約2.24×109Kcalで,エネルギー効率は約0.05であった。

 対象地域のトゥンパンサリシステムにおいて,作物生産過程で様々な生物資源を依然として利用しているにもかかわらず,地域外からの商品資源利用がより優勢であった。このシステムにおける作物生産に関わるエネルギー効率も低く,3つの主な作物であるジャガイモ,キャベツ,ニンジンのそれは,それぞれ0.16,0.09,0.15であった。

 以上のことから,森林と同様に森林以外から供給される多様な地域生物資源は,各世帯や農業生産システムに必要な資源供給の充足に大きく貢献していると結論づけられた。特定の地域生物資源は,無料で入手可能なバイオマスエネルギーの形で,資源に乏しい農家に対してある程度の補填を提供していることがわかった。また,生物資源利用の関連において,農耕と酪農といった異なる生産システムは,それぞれ資源を独立して利用および管理しており,生産システムの中で高いエネルギー効率を維持するのに大変重要な地域生物資源の潜在能力を減少させているといえる。

 こうした結果に基づいて,作物残渣と畜産廃棄物の利用を最適化することを目的に,作物及び家畜の統合的な生産システムを提案した。とくに畜産廃棄物の利用は,化学肥料への依存を低減する代替となるものである。一日あたり発生する畜産廃棄物をすべて堆肥化した場合,窒素分で約120kg(尿素肥料換算で267kg),リン酸で約83kg(リン酸肥料TSP換算で137kg),カリで約190kg(カリ肥料KCl換算で328kg)を生産すると試算できた。この利用を通じて,作物生産システムでの化学肥料の使用量を減少させ,現在河川に投棄されている畜産廃棄物による水質汚染を軽減することができることになる。

 このように,これまで個別であった生物生産システムを統合化することにより,地域生物資源の有効活用と環境負荷を低減できると示唆された。こうした提案を実現するために,農民や酪農協同組合,林業セクター,自治体などとの相互協力に基づく生物資源管理に関する政策調整の必要性について考察を加えた。

 以上要するに,本研究は,湿潤熱帯の一つの上流を対象に,農業ランドスケープにおける地域生物資源利用状況を精査したとともに,現況の利用状況の問題点や伝統的な土地利用が果たす役割を的確に評価し,個々の生態系を結合することによる生物資源利用の最適化を試みた論文である。学術的な価値のみならず応用的側面でも有用な知見を得ており,審査委員一同,博士(農学)の学位を与えるに十分値する論文であると判断した。

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