学位論文要旨



No 216065
著者(漢字) 小川,貴志子
著者(英字)
著者(カナ) オガワ,キシコ
標題(和) 運動習慣を持つ高齢女性の一過性運動前後の免疫反応
標題(洋)
報告番号 216065
報告番号 乙16065
学位授与日 2004.09.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第16065号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大塚,柳太郎
 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 甲斐,一郎
 東京大学 助教授 土屋,尚之
 東京大学 講師 李,延秀
内容要旨 要旨を表示する

 高齢者の免疫機能の低下を防ぐことは、高齢者における健康維持及び増進の重要な課題である。適度な運動は健康増進に不可欠であり、中等度の運動は、免疫機能を高め、感染症の感染リスクを低下させるのに有効であるとされる一方、高強度運動や長時間激運動は感染リスクを高め、炎症やアレルギーを助長することが報告されている。免疫学的視点からは、運動時に免疫抑制が生じないことが望ましい。しかし、一過性運動後の免疫機能は、運動強度の増加に伴い一過性の低下を示す。すでに免疫機能の低下している高齢者の運動は、その種類と強度によっては免疫機能がさらに低下する可能性がある。加齢や高齢者の身体トレーニングが、一過性運動前後の免疫反応の変動と回復に及ぼす影響を解明することは、高齢者の運動処方への情報として有益であるばかりでなく、免疫系の老化、高齢者の身体トレーニングの意義を究明することに繋がる。しかし、高齢者を対象とし、一過性運動前後の免疫反応を検討した研究は内外でも少ない。また、高齢者の運動習慣の影響を一過性運動前後の変動から検討したものはほとんど見られない。そこで、本研究は、日常的な身体トレーニングの有無で分けた高齢者2群及び身体トレーニングを行っていない若年群の一過性運動前後のNK細胞とT細胞の変動を比較することで、高齢者の身体トレーニングが、一過性運動前後の免疫反応に及ぼす影響を明らかにすることを目的とした。

 一過性運動前後の免疫反応の解析に先立ち、その安静時における運動習慣の影響が未だ解明されていないことから、運動習慣の異なる高齢者2群と非鍛練若年者の安静時NK細胞の比較を行い、加齢及び運動習慣が安静時NK細胞活性に及ぼす影響を解析した。被検者は、水泳トレーニングを1年間以上続けている平均62±1歳(平均±標準誤差)の女性10名(高齢者運動群)と、運動習慣のない中高齢女性平均65±1歳10名(高齢者非運動群)、運動習慣のない若齢女性平均27±1歳9名(若年非運動群)であった。NK細胞活性は、K562(慢性骨髄性白血病患者の胸水中芽球の細胞株)を標的細胞として、その傷害率を算定するクロミウム51Cr放出試験を用いた。その結果、持久性運動能力の指標である最大酸素摂取量と安静時NK細胞活性が有意な正の相関を示した。従って、高齢者において、持久性能力を高めるような身体トレーニングは、安静時のNK細胞活性レベルを維持するために有効であることが示唆された。

 加齢や運動習慣が安静時における末梢血T細胞増殖能に及ぼす影響は、すでに多くの報告を得ており、増殖能は加齢に伴って低下するが、高齢者であっても身体トレーニングによって増殖能が高い状態を維持することが明らかにされている。しかし、T細胞のうちTh1細胞及びTh2細胞が産生する1型と2型サイトカインの均衡は、感染症防御の観点から重要であるにもかかわらず身体トレーニングが及ぼす影響は明らかではない。そこで、運動習慣の異なる高齢者2群と非鍛練若年者の安静時1型/2型サイトカイン比を比較し、加齢及び運動習慣が1型/2型サイトカインの均衡に及ぼす影響を解析した。被検者は、4年間毎日57%VO2maxの運動を30分間行う運動強度に相当するウォーキングトレーニングを行っている中高齢女性9名(平均±標準誤差63±1歳)(高齢運動群)、日常的に運動を行っていない中高齢女性12名(63±1歳)(高齢非運動群)、日常的に運動を行っていない若齢女性10名(26±1歳)(若年非運動群)である。細胞内サイトカインの測定は、フローサイトメトリーを用いた。その結果、高齢運動群のIFN-γを発現しているCD4+T細胞数とIL-2を発現するCD8+T細胞数は、高齢非運動群よりも多く、運動習慣のある高齢者は1型細胞内サイトカイン産生能が高い可能性が示唆された。しかし、高齢運動群、高齢非運動群、若年非運動群の3群でT細胞中のIFN-γ/IL-4比に有意差は認められなかった。高齢運動群と高齢非運動群を合計して高齢群とした場合、高齢者のCD8+T細胞中のIFN-γ/IL-4比は、若年非運動群より高値であった(P<0.01)。従って、高齢者のサイトカインバランスは若年者より1型優位である可能性が示唆された。

 さらに、高齢者の運動習慣と加齢が一過性運動前後のNK細胞とT細胞に及ぼす影響を解析した。被検者は、4年間毎日57%VO2maxの運動を30分間行う運動強度に相当するウォーキングトレーニングを行っている中高齢女性8名(平均±標準誤差;年齢64±1歳)(高齢運動群)、日常的に運動を行っていない中高齢女性8名(年齢63±1歳)(高齢非運動群)、日常的に運動を行っていない若齢女性8名(年齢25±1歳)(若齢非運動群)の3群である。高齢女性及び日常的に運動最大酸素摂取量70-75%に相当する運動強度で、30分間の歩行を行った。30分の歩行運動前及び直後に採血を行い、その後2時間座位安静を保ち、採血を行った。その結果、高齢非運動群は他2群に比べ、一過性運動直後のNK細胞数及びT細胞数が顕著に増加した。しかし、細胞数の増加に随伴するNK細胞活性及び幼若化反応の増加は認められなかった。また、高齢運動群と高齢非運動群を合計して高齢群とした場合、一過性運動直後のNK細胞数は最大酸素摂取量と有意な負の相関を示し(P<0.05, r=-0.54)、持久性能力が高いほど一過性運動後のNK細胞の動員が抑制することが示唆された。これは、身体トレーニングが、無酸素性作業閾値を増加させ、カテコールアミン動員の遅延を生じさせ、一過性運動後のNK細胞及びT細胞の顕著な動員を遅延させたためと考えられた。運動中の反応が大きいほど運動後の免疫抑制は大きい。よって、身体トレーニングが、運動直後の免疫反応を低く抑えたということは、病原体など何らかの外因性のストレッサーが加わった場合の免疫抑制も軽減する可能性がある。従って、高齢者の身体トレーニングは、身体ストレス時の免疫抑制を軽減させる可能性が示唆された。

 本研究は、加齢と高齢者の身体トレーニングが、一過性運動前後の免疫反応に及ぼす影響を明らかにすることを目的に、日常的な身体トレーニングの有無で分けた高齢者2群及び身体トレーニングを行っていない若年群の一過性運動前後のNK細胞とT細胞の数、NK細胞活性、T細胞増殖能を比較した。その結果、高齢者の身体トレーニングは、最大酸素摂取量や無酸素性作業閾値を増加させ、加齢に伴う一過性運動後のNK細胞及びT細胞の顕著な動員を遅延させることが明らかになった。また、高齢者においても、持久性能力を高めるような身体トレーニングは、安静時の細胞内1型サイトカイン産生能を高める可能性が示唆された。従って、高齢者の運動習慣は、高齢者の免疫機能の低下を防ぐ可能性が示唆された。

 本研究の高齢者運動群の対象者は、全員高齢になってから運動を開始していた。高齢になってからでも運動を開始し継続して行うことは、高齢者の免疫機能を維持、増進させる可能性があると考えられる。高齢者が運動を行う場合は、若年者より運動によって引き起こされる免疫反応が大きいため、その回復が遅延することを考慮し、運動強度への配慮や運動後の休息を運動処方に取り入れる必要がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、高齢者の身体トレーニングが、一過性運動前後の免疫反応に及ぼす影響を明らかにするため、日常的な身体トレーニングの有無で分けた高齢者2群及び身体トレーニングを行っていない若年群の一過性運動前後のNK細胞とT細胞の数、NK細胞活性、T細胞増殖能の比較解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 高齢者の身体トレーニングは、最大酸素摂取量や無酸素性作業閾値を増加させ、加齢に伴う一過性運動後のNK細胞及びT細胞の顕著な動員を遅延させることが明らかになった。

2. 高齢者においても、持久性能力を高めるような身体トレーニングは、安静時の細胞内1型サイトカイン産生能を高める可能性が示唆された。

 以上、本論文は、高齢者の運動習慣は、高齢者の免疫機能の低下を防ぐ可能性を示唆し、高齢になってからでも運動を開始し継続して行うことは、高齢者の免疫機能を維持、増進させる可能性があることを明らかにした。また、本研究は、高齢者が運動を行う場合は、若年者より運動によって引き起こされる免疫反応が大きいため、その回復が遅延することを考慮し、運動強度への配慮や運動後の休息を運動処方に取り入れる必要があることを明らかにしており、高齢者の運動トレーニングが免疫機能に及ぼす影響の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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