学位論文要旨



No 216070
著者(漢字) 瀬畑,信哉
著者(英字)
著者(カナ) セハタ,シンヤ
標題(和) 妊娠ラットにおけるT-2トキシンの毒性に関する研究
標題(洋) Studies on T-2 Toxin-Induced Toxicity in Pregnant Rats
報告番号 216070
報告番号 乙16070
学位授与日 2004.09.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第16070号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 熊谷,進
 東京大学 教授 小野寺,節
 東京大学 助教授 中山,裕之
 国立医薬品食品衛生研究所 室長 小西,良子
内容要旨 要旨を表示する

 T-2 toxinはFusarium属の真菌により産生されるマイコトキシンである.T-2toxinによる汚染は食物,飼料,農産物に認められ,その発生は世界中で報告されている.T-2 toxinによる疾病としては,ヒトの白血球減少症および赤かび中毒,ウシ出血症候群,ウマ豆穀中毒症等が知られており,今日でも依然として重要な問題となっている.実験的には,T-2 toxinを種々の動物に投与すると,胸腺をはじめとするリンパ系臓器,造血器,消化管,肝臓等にアポトーシスが生じることが知られている.また,T-2 toxinは遺伝毒性に加え胎児毒性も有し,胎児死亡および奇形が認められることが報告されている.しかし,妊娠動物における毒性については報告が少なく,毒性発現のメカニズムについては未だ不明である.そこで,本研究では,T-2 toxinを妊娠ラットに投与して,肝臓,胎盤,胎児肝臓および胎児脳を対象に,病理組織学的変化と遺伝子発現の変化を検索し,妊娠ラットにおけるT-2 toxinの毒性発現のメカニズムの解明を試みた.

 まず初めに,器官形成期にあたる妊娠13日齢のWistarラットにT-2 toxin (2mg/kg)を単回経口投与し,投与24および48時間後に解剖し,病理学的検査を実施した.その結果,胸腺,脾臓,肝臓,胃,小腸陰窩上皮,唾液腺および膵臓外分泌腺等に単細胞壊死の増数が認められた.肝臓では肝細胞の脂肪化も認められた.また,消化管粘膜では出血も認められた.胎盤では栄養膜細胞に単細胞壊死の増数が認められた.胎児では,肝臓の肝細胞および造血細胞,神経上皮細胞,軟骨細胞,消化管上皮細胞等に単細胞壊死の増数が認められた.また,投与48時間後の前胃では,扁平上皮細胞の過形成が認められ,修復反応が生じていると考えられた.これらの結果から,T-2 toxinを妊娠ラットに投与すると,親組織,胎盤および胎児組織で同様な性状の変化,すなわち単細胞壊死が誘導されることが明らかになった.これら親組織,胎盤および胎児組織に認められた単細胞壊死は,TUNEL染色結果から,アポトーシスであると考えられた.なお,T-2 toxinは胎盤を容易に通過して胎児組織に分布することが報告されていることから,胎児の変化は母体の変化の二次的作用というより,直接作用による可能性が示唆された.

 次に,T-2 toxinのより詳細な毒性発現メカニズムを検索するため,経時的な形態学的変化とその際の遺伝子発現プロファイルの解析を実施した.すなわち,妊娠ラットにT-2 toxin (2mg/kg)を単回経口投与し,投与1,3,6,9,12および24時間後に解剖し,肝臓,胎盤および胎児肝臓を採材した.病理組織学的検査では,TUNEL陽性アポトーシス細胞数が投与後から増加し,肝臓では投与6時間後および胎盤では投与12時間後にそれぞれピークに達し,胎児肝臓では投与9時間後にプラトーに達した.この結果を基に,各組織でアポトーシス細胞数のピーク時(6あるいは12時間後),その前(3時間後)および投与24時間後の3ポイントを選択して,マイクロアレイ解析を実施した.チップはAffymetrix Rat Genome U34Aチップを用いた.データは標準化後,±1.5倍の発現量を示し,かつ,統計検定で有意差を示した遺伝子プローブを選択した.その結果,酸化ストレス関連遺伝子(heat shock protein 70, heme oxygenase, metallotionein-1 and 2等),アポトーシス関連遺伝子,脂質代謝および薬物代謝関連遺伝子(P450, GST等)の発現の変化が,これら3つの組織に共通して認められた.また,アポトーシス関連遺伝子としては,p53, GADD45, p21, cyclin D1, cyclin G, NF-kappa B, Bax-alpha, BOD-L, mdm2, c-jun, MEKK1, p38 MAPKおよびERK3の発現の増加が認められた.これら遺伝子のなかには,細胞周期を抑制し,growth arrestに関わる遺伝子や,細胞の生存に関わる遺伝子も多く,T-2 toxinの投与により,アポトーシスのみならず,細胞の修復・生存反応も同時に生じていることを示唆している.さらに,上記アポトーシス関連遺伝子のなかでは,特にc-junの発現の増加が,肝臓,胎盤および胎児肝臓に共通して検出された.このため,MAPK経路の活性化を経て,c-jun遺伝子の発現増加によりアポトーシスが生じることが推察された.マイクロアレイで認められた変化を確認するため,酸化ストレス関連遺伝子,アポトーシス関連遺伝子および薬物代謝酵素遺伝子を選択して半定量的RT-PCRあるいはreal-time RT-PCRを実施したところ,マイクロアレイの結果をとほぼ一致していることが確認された.以上の病理組織学的検査結果とマイクロアレイ解析結果から,T-2 toxinは酸化ストレスを誘導し,脂質代謝をはじめとする代謝の変化等により細胞内環境が変化し,MAPK,c-jun経路が活性化してアポトーシスが誘導されたものと推察された.

 T-2 toxinは神経系にも作用することが知られている.成熟動物では,T-2 toxin投与により活動性の低下やmonoamine oxidase活性の変化を引き起こすことが示されているが,病理学的な変化は報告されていない.一方,前述したように,ラット胎児では,T-2 toxin投与により終脳の神経上皮細胞を中心にアポトーシスが誘導された.しかし,その発現メカニズムについては解明されていない.著者は,ラット胎児脳における毒性発現のメカニズムを解明する目的で,以下の実験を行った.上記試験と同様に,妊娠13日齢のWistarラットに,T-2 toxin (2mg/kg)を単回経口投与し,投与1,3,6,9,12および24時間後に解剖した.病理組織学的検査およびTUNEL染色の結果,終脳の神経上皮細胞のアポトーシスが,投与直後から増加し,投与12時間後にピークに達した.そこで,遺伝子発現プロファイルを検索するため,投与6,12および24時間後の3ポイントを選択し,マイクロアレイ解析を実施した.その結果,アポトーシス細胞数がピークを示した投与12時間後では,酸化ストレス関連遺伝子(HSP70, heme oxygenase等)の強い発現が認められた.アポトーシス関連遺伝子については,MAPK経路のひとつであるMEKK1およびc-junの発現の増加が認められた.また,その他のアポトーシス関連遺伝子であるcaspase-2, tissue inhibitor of metalloproteinase 3とinsulin-like growth factor-binding protein-3の発現の増加もみとめられた.マイクロアレイ解析の結果を確認するため,酸化ストレス関連遺伝子およびアポトーシス関連遺伝子について,real-time RT-PCRで検証したところ,おおむねマイクロアレイ解析の結果と一致していた.以上の結果から,ラット胎児脳においては,T-2 toxin投与により,酸化ストレスが誘導され,その結果,MAPK経路の活性化が生じて,アポトーシスが誘導されるものと推察された.

 以上の研究結果をまとめると,妊娠ラットにT-2 toxinを投与すると,肝臓,胎盤および胎児組織にアポトーシスが生じることが明らかとなった.マイクロアレイ解析では,肝臓,胎盤および胎児肝臓において共通して,酸化ストレス関連遺伝子,アポトーシス関連遺伝子,脂質代謝および薬物代謝関連遺伝子の発現の変化が認められた.なかでも,MAPK経路の活性化が特徴として挙げられ,MEKK1およびc-junの発現の増加の結果,アポトーシスが生じるものと推察された.これらの結果と,T-2 toxinが胎盤を容易に通過するという報告から,胎児組織に観察される変化はT-2 toxinの直接作用によるものであると推察される.一方,胎児脳においても,神経上皮細胞にアポトーシスが誘導された.胎児脳のマイクロアレイ解析の結果から,肝臓等と同様に酸化ストレス関連遺伝子の発現増加が認められ,MEKK1およびc-junのMAPK経路の活性化からアポトーシスが生じているものと推察された.

 以上の結果,T-2 toxin投与により,親肝臓,胎盤,胎児肝臓および胎児脳に共通した変化として,酸化ストレスおよびアポトーシスの誘導が認められ,妊娠ラットにおけるT-2 toxinの毒性発現のメカニズムとして,T-2 toxin投与により酸化ストレスの発生と,その結果生じるMAPK, c-jun経路の活性化によるアポトーシスの誘導が重要であることが示唆された(図1).

図1. 妊娠ラットにおけるT-2 toxin毒性発現メカニズム(仮説).

審査要旨 要旨を表示する

 T-2 toxinはFusarium属の真菌により産生されるマイコトキシンである.T-2 toxinによる汚染は食物,飼料,農産物に認められ,その発生は世界中で報告されており,今日でも依然として重要な問題となっている.T-2 toxinは,リンパ系臓器をはじめ種々の組織にアポトーシスが生じることが知られている.また,T-2 toxinは遺伝毒性に加え胎児毒性も有していることが報告されている.しかし,妊娠動物における毒性については報告が少なく,毒性発現のメカニズムについては未だ不明である.そこで,本研究では,T-2 toxinを妊娠ラットに投与して,肝臓,胎盤,胎児肝臓および胎児脳を対象に,病理組織学的変化と遺伝子発現の変化を検索し,妊娠ラットにおけるT-2 toxinの毒性発現のメカニズムの解明を試みた.

 まず初めに,器官形成期にあたる妊娠13日齢のWistarラットにT-2 toxin (2mg/kg)を単回経口投与し,投与24および48時間後に解剖し,病理学的検査を実施した.その結果,胸腺,肝臓,小腸陰窩上皮等に単細胞壊死の増数が認められた.胎盤では栄養膜細胞に単細胞壊死の増数が認められた.胎児では,肝臓の肝細胞および造血細胞,神経上皮細胞等に単細胞壊死の増数が認められた.これらの結果から,T-2 toxinを妊娠ラットに投与すると,親組織,胎盤および胎児組織で同様な性状の変化,すなわち単細胞壊死が誘導されることが明らかになった.これら認められた単細胞壊死は,TUNEL染色結果から,アポトーシスであると考えられた.

 次に,T-2 toxinのより詳細な毒性発現メカニズムを検索するため,経時的な形態学的変化とその際の遺伝子発現プロファイルの解析を実施した.すなわち,妊娠ラットにT-2 toxin (2mg/kg)を単回経口投与し,投与24時間まで経時的に解剖し,肝臓,胎盤および胎児肝臓を採材した.病理組織学的検査では,肝臓,胎盤および胎児肝臓で投与によりTUNEL陽性アポトーシス細胞数が増加した.この結果を基に,3ポイントを選択してマイクロアレイ解析を実施した.チップはAffymetrix Rat Genome U34Aチップを用いた.その結果,酸化ストレス関連遺伝子,アポトーシス関連遺伝子,脂質代謝および薬物代謝関連遺伝子の発現の変化が,これら3つの組織に共通して認められた.また,アポトーシス関連遺伝子としては,p53, p21, Bax-alpha, c-jun, MEKK1等の発現の増加が認められた.これらのなかでは,特にc-junの発現の増加が,肝臓,胎盤および胎児肝臓に共通して検出された.このため,MAPK経路の活性化を経て,c-jun遺伝子の発現増加によりアポトーシスが生じることが推察された.以上の結果から,T-2 toxinは酸化ストレスを誘導し,脂質代謝をはじめとする代謝の変化等により細胞内環境が変化し,MAPK,c-jun経路が活性化してこれらの組織にアポトーシスが誘導されたものと推察された.

 T-2 toxinは神経系にも作用することが知られている.前述したように,ラット胎児では,T-2 toxin投与により終脳の神経上皮細胞を中心にアポトーシスが誘導された.しかし,その発現メカニズムについては解明されていない.そこで,ラット胎児脳における毒性発現のメカニズムを解明する目的で実験を行った.上記実験と同様に,妊娠ラットに,T-2 toxin (2mg/kg)を単回経口投与し,投与24時間後まで経時的に解剖した.TUNEL染色の結果,終脳の神経上皮細胞のアポトーシスが,投与直後から増加した.そこで,遺伝子発現プロファイルを検索するため,3ポイントを選択し,マイクロアレイ解析を実施した.その結果,アポトーシス細胞数がピークを示した投与12時間後では,酸化ストレス関連遺伝子の強い発現が認められた.アポトーシス関連遺伝子については,MAPK経路のひとつであるMEKK1およびc-junの発現の増加が認められた.以上の結果から,ラット胎児脳においては,T-2 toxin投与により,酸化ストレスが誘導され,その結果,MAPK経路の活性化が生じて,アポトーシスが誘導されるものと推察された.

 本研究の結果,T-2 toxin投与により,親肝臓,胎盤,胎児肝臓および胎児脳に共通した変化として,酸化ストレスおよびアポトーシスの誘導が認められ,妊娠ラットにおけるT-2 toxinの毒性発現のメカニズムとして,T-2 toxin投与による酸化ストレスの発生と,その結果生じるMAPK, c-jun経路の活性化によるアポトーシスの誘導が重要であることが示唆された.これらはマイコトキシンの毒性発現機構の解析に極めて重要な知見をもたらすものである。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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