学位論文要旨



No 216086
著者(漢字) 北川,英男
著者(英字)
著者(カナ) キタガワ,ヒデオ
標題(和) ヘテロ環構築を指向する有機合成反応の開発
標題(洋) Development of New Synthetic Reactions for the Construction of New Heterocyclic Compounds
報告番号 216086
報告番号 乙16086
学位授与日 2004.09.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16086号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,和彦
 東京大学 教授 溝部,裕司
 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 野崎,京子
 東京大学 助教授 橋本,幸彦
内容要旨 要旨を表示する

 天然には植物、微生物などにより作り出される多種、多様な構造を有する化合物が存在し、古くから様々な目的で利用されてきている。それらは分子内にヘテロ環を含む物が多く、新規なメカニズム、疾患をターゲットとした医薬品開発においては極めて重要である。しかし、医薬品に求められる標的化合物が複雑な構造を持つようになり、これの合成戦略に含まれる各種の反応に関してより効率的な手法が求められ、穏和な条件下で進行する反応、さらに化学収率、選択性、および操作性の三つの要因についても従来法と比べ優れた、新しい反応試薬の開発が必須な課題になっている。以上の背景を踏まえ、本論文ではヘテロ環を構築する上で基本的、且つ重要な反応の一つである「官能基変換反応(酸化、ハロゲン化反応)」と「炭素-炭素結合反応(アルドール反応)」を研究課題として取り上げ、新しく、効率良い合成手法の開発を目的として行なった研究について述べたものである。

 第一章ではヘテロ環の重要性、特に医薬品開発における役割とその合成の問題点について述べた。

 第二章では、N-tert-butylbenzenesulfinimidoyl chloride(1)を用いるアルコール類の酸化反応の研究について述べ、第一節では、酸化剤1と酸化亜鉛を用いるアルコール類の酸化反応について述べた。

アルコールの酸化反応は、有機合成化学において最も基本的かつ有効な官能基変換反応の一つであり現在までに数多くの反応が開発されている。これらのうち塩化オギザリルにより活性化されたジメチルスルホキシドを用いるSwern酸化が実用性の高い反応とされている。しかし、この手法で生じる反応活性種は極めて不安定であり、反応系を厳密に低温に制御する必要がある上、極めて悪臭なジメチルジスルフィドが同時に生成するなどの改良すべき点が残されていた。ごく最近、向山研究室において新規な酸化剤1を用いる酸化反応を報告し、高収率、且つ広い基質一般性を持って各種アルコール類を対応するカルボニル化合物に変換出来ることを明らかにしている。この反応はSwern酸化で問題とされている厳密な反応温度の制御を特に必要としないこと、などの特徴を有している。しかし、この反応では塩基としてDBUを1当量以上用いているので塩基性条件下で不安定なアルデヒドやケトンへの酸化反応は収率が低いことが問題であった。そこで塩化水素を捕捉する試剤として酸化亜鉛を用いることを検討したところ、これまでの酸化法では収率良く得ることが困難とされていたアルデヒドやケトンを高収率で得ることが出来た。酸化亜鉛はDBUに比べ安価であり、反応終了後、容易に濾過により除去が可能であること、ほぼ中性な条件下で反応が進行するなどの特徴を有している。

 第二節では先に開発した酸化反応の推定反応機構の解明を目指して検討し、その過程で見出された知見を活用し、sulfinamideを用いる各種アルキルトリフラートからアルデヒドを得る酸化反応に関する研究を行なった。

当初、先に述べた酸化反応の推定反応機構は酸化剤1をDBUまたは酸化亜鉛存在下、アルコール類に作用させると、まずalkoxy-N-tert-butylbenzenesulfilimineが反応系内に生成し、続いて分子内五員環遷移状態を経るプロトン移動を伴って対応するカルボニル化合物が生成するものと考えていた。この反応機構の解明を目的に中間体と考えられるsulfilimineを別途合成し、アルデヒドへの誘導を検討してこの反応機構を明らかにし、その知見から、sulfinamideと第一級アルキルトリフラートから目的の酸化生成物を効率良く得ることが出来た。

 第三節では触媒量の酸化剤N-tert-butylbenzenesulfenamide(2)を用いるアルコール類のカルボニル化合物への効率的な酸化反応の開発を行なった。

前節までに述べた酸化反応では、酸化終了後カルボニル化合物を単離精製する際に酸化剤1が還元されて生じる2をカラムクロマトグラフィーなどによって分離することが必要であった。そこで、この反応の有用性を増大するために酸化の進行に伴って生じる2を反応系内でN-クロロこはく酸イミド(NCS)により再酸化し、塩基として炭酸カルシウム、脱水剤としてモレキュラーシーブスを用いることでアルコール類の触媒的酸化反応が高収率で進行することを明らかにした。

 第四節では触媒量の酸化剤2を用いる触媒的酸化反応についての有用性の向上を目指して開発を行った。

前節で述べた酸化反応では触媒量の2と化学量論量のNCS、炭酸カルシウムとモレキュラーシーブス4Aが必要であった。この鍵反応としてはNCSによる2の塩素化による1の再形成が挙げられる。そこでNCSに代わる2の塩素化剤として市販品として安価に入手可能なchloramine-T(3)を用いたところ反応が円滑に進行することが明らかになった。この反応では2を塩素化した後生成するN-sodio-4-methylbenzenesulfonamideが塩基として作用するため、特に塩基、脱水剤を用いる必要がなく、生成するp-toluenesulfonamideは容易にカルボニル化合物と分離可能な上、次亜塩素酸によって元の3に変換可能である利点を有している。

 第三章では酸化剤1を飽和ケトンの脱水素化剤として用い、α,β-不飽和ケトンを一段階で合成する手法の開発を行なった。

α,β-不飽和ケトンは、飽和ケトンには見られない特徴的な反応性を示し、有機合成化学において頻繁に用いられる有用な化合物である。その合成法は数多く開発されているが飽和ケトンから二段階の反応工程が必要なこと、及び反応条件が過酷であり適用できる基質が限られているなどの改良すべき点が残されていた。そこで、第一章の酸化反応で有効であった酸化剤1を飽和ケトンの脱水素化剤として用いることを検討した。その結果、LDAにより発生したリチウムエノラートに対して酸化剤を低温下作用させることにより目的とするα,β-不飽和ケトンが高収率で得られることが明らかになり、種々の飽和ケトンからone-potの反応でα,β-不飽和ケトンを直接合成する新しい手法を見出した。

 第四章では酸化剤1による第二級ヒドロキシルアミンの酸化によるニトロン類の合成について検討した。

ニトロンは有機合成に於いて頻繁に用いられる有用な合成中間体であり、特にアルケンとの1,3-双極子環化付加反応は一段階で複数の置換基、もしくはヘテロ原子を有する5員環を構築する手法として有機合成化学において重要な位置を占める反応である。その合成法はアルデヒド又はケトンとN-モノ置換ヒドロキシルアミンとの縮合反応が最も一般的であり、さらに酸化水銀によるN,N-ジ置換ヒドロキシルアミンの酸化反応も知られている。しかし、これらの反応は生成するニトロンが不安定な場合には適用することが出来ないこと、また有毒な水銀化合物を用いているなどの改良すべき点が残されていた。そこで前節までに述べた酸化剤1を用いN,N-ジ置換ヒドロキシルアミンのニトロンへの酸化を検討した。その結果、穏和な条件下、効率良く対応するニトロンが得られることが見い出され、さらにγ-アミノアルコールへ容易に誘導可能なイソオキサゾリジン誘導体がこのニトロンとオレフィンとのone-pot 1,3-双極子環化付加反応で得られることも明らかにした。

 第五章ではヨウ化モノクロリド又は臭素を用いる芳香族化合物類のヨウ素化、又は臭素化反応の研究について述べた。

芳香族化合物類の直接的ヨウ素化反応は基質となる芳香族化合物類を溶媒量用いるのが一般的反応条件であり、また強酸の存在、或いは加熱条件などの過酷な反応条件も必要とされている。これらの反応において触媒量の活性化剤を用いる直接的ヨウ素化はほとんど知られていないので、触媒としてFerrocenium Tetrakis[3,5-bis(trifluoromethyl)phenyl]borate(4)を用いて種々検討し穏和な条件下、触媒量の活性化剤により効率良く対応する芳香族ヨウ化物を与える新しい手法を見出した。また同様に臭素を用いると対応する芳香族臭素化物が効率良く得られることも明らかにした。

 第六章では触媒量のジフェニルスズスルフィド又はLawesson's試薬と過塩素酸銀とから調製される複合触媒を用いて、穏和な条件下で進行するアルドール反応の開発について述べた。

アルドール反応は炭素-炭素結合生成反応の一つとして、また、天然物に多く存在する1,3-ジオキシ骨格を構築する最も効率的な反応として極めて重要な手法である。現在までに四塩化チタンなどのルイス酸を活性化剤として用い、単離可能なシリルエノールエーテルとカルボニル化合物とのアルドール反応が、高い位置選択性をもって高収率で対応する交差アルドール体を与えることが見出されている。近年、向山研究室でリボフラノースのグリコシル化反応の触媒として比較的弱いルイス酸である過塩素酸銀と中性分子である硫化ジフェニルスズ又はLawesson's試薬から調製される触媒が有効であることを見出している。そこでこの新しい活性種がアルドール反応に適用出来るものと考え、種々検討した結果、触媒量の活性化剤により高収率かつ広い基質一般性を持って対応するアルドール体が得られることが明らかになった。

 第七章では総括と以上で開発された手法を実際の医薬品開発に有用な合成中間体の官能基変換に適応したことを述べた。

第二章第三節で開発した触媒量の酸化剤2を用いる触媒的酸化反応をカルバペネム抗生物質中間体合成に用いたところ目的のカルボニル化合物が得られることが明らかになった。一般にβ-ラクタム環は非常に不安定で、反応は穏和な条件が求められる。しかし、今回開発した酸化反応はβ-ラクタム環の分解が生じることなく目的物を得ることが出来、種々の不安定な化合物にも応用が可能であると考えられる。さらに第六章で開発した触媒量の4を用いるハロゲン化反応を医薬品構築に有用なヘテロ環、イミダゾ[5,1-b]チアゾールのヨウ素化に適応したところ高収率、高選択的に目的物が得られることが明らかになった。

以上のことからも今回開発した手法は医薬品開発におけるヘテロ環導入の際、効率よく有用な合成中間体を提供出来る手法であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,従来知られている反応では合成できない,あるいは合成困難なヘテロ環化合物の効率的合成反応の開拓に関する研究の成果について述べたものであり,7章より構成されている。

 第1章は序論であり,ヘテロ環化合物合成の重要性,特に医薬品開発における役割とその合成上の問題点について論じ,本研究の目的と意義を述べている。

 第2章・第1節では,酸化剤N-tert-butylbenzenesulfinimidoyl chlorideと酸化亜鉛を用いるアルコール類の酸化反応について述べている。従来,この酸化剤を用いる酸化反応では,1当量以上のDBUを用いなければならず,塩基性条件下で不安定なアルデヒドやケトンが生成する場合には収率が低いなどの改良すべき点を有していた。この欠点を克服するため,DBUに比べ安価で反応終了後に容易に濾過により除去が可能である個体塩基に着目し,種々検討した結果について述べている。最終的に酸化亜鉛が最も良好な塩基であり,これまで収率良く得ることが困難とされていたアルデヒドやケトンをほぼ中性条件下,高収率で得られることを明らかにしている。

 第2節では,本酸化反応の中間体と考えられるsulfilimineを別途合成し,アルデヒドへの誘導を検討している。その結果,この酸化反応が分子内五員環遷移状態を経るプロトン移動により進行するとする反応機構を提唱すると共に,sulfinamide,第一級アルキルトリフラートから目的の酸化生成物が効率良く得られることを見出している。

 第3節では,反応機構の考察に基づき,酸化の進行に伴って生じる酸化剤の還元体N-tert-butylbenzenesulfenamideを反応系内でNCSにより再酸化することを考え,塩基として炭酸カルシウム,脱水剤としてモレキュラーシーブスを用いることで,アルコール類の触媒的酸化反応が高収率で進行することを明らかにしている。

 第4節では,触媒的酸化反応の更なる有用性向上を目指し,安価で入手容易なchloramine-TをNCSに代わる再酸化剤として用いる試みについて述べている。chloramine-Tを用いることにより,特に塩基,脱水剤を用いなくても反応が円滑に進行することが明らかにしている。生成するp-toluenesulfonamideは容易にカルボニル化合物と分離可能な上,次亜塩素酸によって元のchloramine-Tに変換可能であることから,本反応は実用的酸化反応である。

 第3章では,第2章で述べた酸化反応に有効であった酸化剤N-tert-butylbenzenesulfinimidoyl chlorideを飽和ケトンの脱水素化剤として用いることにより,種々の飽和ケトンからone-potで収率良くα,β-不飽和ケトンが得られることを明らかにしている。この反応は,適応範囲が広いだけでなく,用いる反応剤が安価で入手容易なことから,実用的反応でる。

 第4章では,酸化剤N-tert-butylbenzenesulfinimidoyl chlorideをN,N-ジ置換ヒドロキシルアミンのニトロンへの酸化に適用し,穏和な条件下,効率良く対応するニトロンが得られることを明らかにしている。第3章,第4章の結果は,本反応系が,広範な酸化反応に適用可能な有用性を有していることを示している。

 第5章では,ヨウ化クロリド又は臭素を用いる芳香族化合物類のヨウ素化,臭素化反応について述べている。触媒としてFerrocenium Tetrakis[3,5-bis(trifluoromethyl)phenyl]borateを用いて種々検討し,穏和な条件下,触媒量の活性化剤により効率良く対応する芳香族ヨウ化物を与える新しい手法を見出している。また同様に臭素を用いると対応する芳香族臭素化物が効率良く得られることも明らかにしている。触媒量の活性化剤を用いる芳香族化合物類の直接的ヨウ素化はほとんど知られていないことから,本反応は有機合成上有用な反応である。

 第6章では,穏和な条件下で進行する触媒的アルドール反応の開発について述べている。比較的弱いルイス酸である過塩素酸銀と中性分子である硫化ジフェニルスズあるいはLawesson試薬から調製した新しい活性種を触媒としてアルドール反応に適用すると,高収率かつ広い基質一般性を持って対応するアルドール体が得られることを明らかにしている。

 第7章では,本研究を総括すると共に,開発した手法を用い,カルバペネム抗生物質中間体,ヨウ素化イミダゾ[5,1-b]チアゾールなど実際の医薬品開発に重要なヘテロ環化合物の合成に適用した結果を述べ,開発した反応群が有用であることを示している。

 以上のように,本論文は,ヘテロ環構築に有用な新規有機合成反応の開拓に関する研究の結果を述べている。その成果は,有機合成化学,有機工業化学,医薬合成化学の進展に寄与するところ大である。

 よって本論文は,博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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