学位論文要旨



No 216087
著者(漢字) 鈴木,基寛
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,モトヒロ
標題(和) X線変調分光法の開発
標題(洋)
報告番号 216087
報告番号 乙16087
学位授与日 2004.09.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 第16087号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 教授 石本,英彦
 東京大学 教授 木村,薫
 東京大学 助教授 三尾,典克
 東京大学 助教授 百生,敦
内容要旨 要旨を表示する

 X線領域の分光研究は最近20年間で急速な発展を遂げている。シンクロトロン放射光施設の稼働により、波長可変な高輝度X線が利用可能となったことがその主な理由である。X線分光の代表的な手法であるX線吸収微細構造(X-ray absorption finestructure: XAFS)やX線磁気円二色性(X-ray magnetic circular dichroism: XMCD)分光法は、物質中の特定の元素の周りの局所構造や電子状態、および磁気状態を研究する手段として広く用いられている。近年のナノスケール人工機能材料や希薄系試料では測定対象とする試料の量自体が少ないため、そのXAFS信号は微弱である。また、硬X線領域で観測されるXMCDの信号強度はXAFS信号の0.1%程度と非常に小さいため、測定系には極めて高い精度と安定性が要求される。このように、より高精度で高感度なX線分光測定の手法が望まれている。シンクロトロン放射光をはじめとするX線光源の高輝度化によって、年を追うごとに微弱な信号の検出が可能となっているが、測定法自体は依然として単に時間積算によって統計精度を高める静的な方法のままである。そのため、本質的には測定環境や光源の安定性に起因する雑音によって測定精度が制限されている。

 本研究では、可視光領域での高精度測定の強力な手法である変調分光法をX線領域において実現し、X線分光測定の精度を大きく向上させることを目的とした。変調分光法は、測定条件に周期的な変調を与え、試料の光学応答のうち変調に同期した信号成分をロックイン検出する測定法である。非常に高いS/N比と狭い帯域幅が得られるため、高感度かつ低バックグラウンドでの測定が可能となる。変調分光法は赤外や可視光の領域では広く用いられているが、XAFSやXMCDといったX線分光測定にはこれまで全く使われていなかった。本研究では、結晶光学素子を用いて光子エネルギーあるいは円偏光の向き(ヘリシティ)といったX線のパラメーターに周期的変調を加え、試料のX線吸収あるいは蛍光X線強度のうち変調に同期した信号成分をロックイン検出する手法-X線変調分光法を開発した。

 本研究では第一に、ダイヤモンドX線移相子による偏光状態の高速切り替えとロックインアンプによる位相敏感検出法を組み合わせることにより、硬X線領域での円偏光変調分光法を開発した。この手法により、XMCD測定のS/N比および検出感度を従来の静的な方法よりも一桁以上向上させ、10-5(0.001%)台のXMCD信号の検出を可能とした。さらに、同時に利点として得られる磁場の自由度を活用し、超伝導磁石による強磁場下でのXMCD測定や、元素選択的磁化測定という特色ある実験手法を実現した。

 つづいて、円偏光変調分光法を放射光ビームラインで用いるための装置技術の開発を行った。高速かつ精密な移相子角度制御の方法を開発し、6から16keVという広いエネルギー範囲にわたって偏光状態がよく定義されたX線を利用可能にした。この方法により、円偏光変調分光法を用いた磁気EXAFS測定が実用可能となった。同時に、XMCD測定の信頼性の向上と測定の自動化にも役立っている。

 さらに、ダイヤモンド結晶移相子の振動素子としてガルバノスキャナーを用いることにより、kHz領域での高速円偏光スイッチングを実現した。ピエゾ素子による従来の方法と比べて、偏光スイッチング周波数を10倍以上高めた。円偏光度測定の結果から、X線のエネルギー8.388keVにおいてDCから2kHzで円偏光度97%以上の左右円偏光が得られることを示した。ダイヤモンド結晶の振動の安定度や角度再現性をin situで評価し、ガルバノスキャナーによって十分な振動精度と安定度が得られていることを示した。この手法を用いることにより、2kHzでの円偏光変調XMCD測定を行った。入射X線の強度変動や環境ノイズの少ない高い周波数で変調を行うことにより、数10Hzでの変調と比べて測定精度をさらに数倍向上させた。

 もうひとつの変調分光の手法として、硬X線領域でのエネルギー(波長)変調分光法を開発した。円偏光変調分光法で光学素子として用いたダイヤモンド移相子を、Siのチャンネルカットモノクロメーターで置き換えることにより実現した。この手法により高分解能なエネルギー微分XAFSスペクトルを直接かつ高精度で得ることができた。微分スペクトルのエネルギー分解能は270meVであり、10秒間の積算時間で検出可能な微係数は1×10-3eV-1であった。濃度0.015wt%のKMnO4試料に対してエネルギー変調法が十分適用可能であることを示し、同じエネルギー分解能で比較した場合、通常のXAFS測定よりも高いS/N比が得られることを実証した。

 最後に、X線変調分光測定に用いる蛍光X線検出器として、従来よりも格段に高速な電離箱の開発を行い、変調法による蛍光XAFS/XMCD測定への発展を目指した。17枚の電極(グリッド)を用い、電極間隔を狭めた構造を採用することにより、高速応答性と検出効率をともに満足させた。応答時間は、広く用いられている3グリッド型の蛍光X線電離箱と比べて一桁以上短縮された。印加電圧500Vにおける応答速度は0.13msであり、従来型より高い印加電圧でも内部放電を起こすことなく安定に動作する。実用可能な周波数帯域はおよそ1kHzであり、X線変調分光の変調周波数に十分追随できる応答速度をもつことを示した。

 以上のように、本研究により硬X線領域での変調分光法がはじめて開発され、XMCDや微分XAFS実験の測定精度が従来よりも格段に高められた。本研究のX線円偏光変調分光法はすでに多くのXMCD実験に応用されている。本論文中では、Auナノ粒子の強磁性の検証、およびGd/Fe多層膜の元素別磁化曲線という研究例を紹介した。さらに、この手法によって、これまでS/N比の制約のために実施が困難であった希薄磁性材料、磁性薄膜、多層膜のX線磁気分光測定、あるいは非磁性材料中に誘起された磁気モーメントの観測などへの応用が期待できる。また、X線集光光学系と円偏光変調分光法を組み合わせた走査型XMCD顕微鏡の開発や、動画XMCD磁気イメージングへの可能性を示した。エネルギー変調分光法により、微量試料や希薄試料に対する高エネルギー分解能XAFS測定や、相転移に伴うXAFSスペクトルの変化を詳細に追跡する研究への応用が考えられる。さらには、高速X線電離箱検出器の開発により、蛍光モードでの変調分光法への道筋をつけた。この蛍光法によるX線変調分光法を今後実用化していくことにより、本手法がこれまでにない超高感度なX線分光の手段として、ナノメートルサイズの人工機能材料や人工磁性材料の物性研究、特性評価のために活用されることが期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

X線分光の代表的な手法であるX線吸収微細構造(X-ray absorption fine structure: XAFS)やX線磁気円二色性(X-ray magnetic circular dichroism: XMCD)分光法は、物質中の特定の元素の周りの局所構造や電子状態、および磁気状態を研究する手段として広く用いられている。近年のナノスケール人工機能材料や希薄系試料では測定対象とする試料の量自体が少ないため、そのXAFS信号は微弱である。また、硬X線領域で観測されるXMCDの信号強度はXAFS信号の0.1%程度と非常に小さいため、測定系には極めて高い精度と安定性が要求される。このように、より高精度で高感度なX線分光測定の手法が望まれている。シンクロトロン放射光をはじめとするX線光源の高輝度化によって、年を追うごとに微弱な信号の検出が可能となっているが、測定法自体は静的な時間積算によって統計精度を高める従来の方法を踏襲しており、本質的には測定環境や光源の安定性に起因する雑音によって測定精度が制限されているという問題がある。

 本論文は、「X線変調分光法の開発」と題して、可視光領域での強力な手法である変調分光法をX線領域において開発し、X線分光測定の精度を飛躍的に向上させたものである。結晶光学素子を用いて、光子エネルギーあるいは円偏光の向き(ヘリシティ)といったX線のパラメーターに周期的変調を加え、試料のX線吸収、あるいは蛍光X線強度のうち変調に同期した成分をロックイン検出する手法が用いられている。

 第1章「序論」では、X線分光法、とりわけX線磁気円二色性の特徴と信号強度、それに対する従来の静的な測定方法を用いた場合の測定精度の限界について述べられている。X線の偏光状態制御のために開発されたこれまでの方法の特徴を挙げ、X線変調分光法の開発には結晶移相子を用いた方法が最も有望であることを述べている。さらに、高い平行度と単色性をもつ第三世代放射光源が、X線変調分光法の開発に重要な要素であることを述べている。章のおわりに本論文の目的および構成が述べられている。

 第2章「原理」では、変調分光法の一般的な原理、ロックイン検出法、偏光状態の表記法について基本的な事項がまとめられている。本論文で開発した、X線円偏光変調分光法とX線エネルギー変調分光法の原理が記述されている。

 第3章「円偏光変調法の開発」では、透過型X線移相子による偏光状態の高速切り替えとロックインアンプによる移相敏感検出法を組み合わせることにより、XMCD測定のS/N比および検出感度を従来よりも1桁以上向上させ、10-5(0.001%)台のXMCD信号の検出が可能であることが示された。

 第4章「SPring-8 BL39XUでの円偏光変調法の応用」では、円偏光変調法を放射光ビームラインで用いるための装置技術について述べられている。高速かつ精密な移相子角度制御の方法が開発され、6から16keVという広いエネルギー範囲にわたって偏光状態がよく定義されたX線を利用可能となった。この方法は円偏光変調法を用いた磁気EXAFS測定を実用可能とし、同時に、XMCD測定の信頼性の向上と測定の自動化に大きく貢献した。また、Auナノ粒子の強磁性の検証およびGd/Fe多層膜の元素別磁化曲線という、円偏光変調分光法の応用研究が紹介されている。

 第5章「kHz領域のX線円偏光スイッチング」では、移相子結晶の振動素子としてガルバノスキャナーを用いることにより、kHz領域での高速円偏光スイッチングが実現されている。ピエゾ素子による従来の方法と比べて、偏光スイッチング周波数が10倍以上高められた。X線のエネルギー8.388keVにおいてDCから2kHzで円偏光度97%以上の左右円偏光が得られることが示された。入射X線の強度変動や環境ノイズの少ない周波数で変調を行うことにより、さらに数倍の測定精度の向上が可能であることが示された。

 第6章「エネルギー変調分光法」では、変調光学素子としてSiチャンネルカット結晶を用いることにより、硬X線領域でのエネルギー(波長)変調分光法が開発され、高分解能なエネルギー微分XAFSスペクトルが直接かつ高精度に得られることが示された。微分スペクトルのエネルギー分解能は270meVであり、10秒間の積算時間で検出可能な微係数は1x10-3eV-1であった。濃度0.015wt%のKMnO4試料に対してエネルギー変調法が十分適用可能であることが示され、静的なXAFS測定よりも高いS/N比が得られることが実証された。

 第7章「変調法によるXAFS/XMCD法の開発」では、蛍光法でのX線変調分光のための検出器として、従来よりも格段に高速なX線電離箱の開発が行われた。17枚の電極(グリッド)を用い、電極間隔を狭めた構造を採用されており、高速応答性と検出効率がともに満足させられた。応答時間は、広く用いられている3グリッド型の蛍光X線電離箱と比べて一桁以上短縮された。印加電圧500Vにおける応答速度は0.13ms、実用可能な周波数帯域はおよそ1kHzであり、X線変調分光に用いられる40Hzの周波数に対して十分な応答速度をもつことが示された。

 第8章「結論」において以上の研究の要約がまとめられている。

 以上のように、本研究により硬X線領域での変調分光法がはじめて開発され、XMCDや微分XAFS実験の測定精度が従来よりも格段に向上した。これにより、これまでS/N比の制約のために実施が困難であった希薄磁性材料、磁性薄膜、多層膜のX線磁気分光測定、あるいは非磁性材料中に誘起された磁気モーメントの観測などへの応用が期待できる。そのうえ、X線集光光学系と円偏光変調分光法を組み合わせた走査型XMCD顕微鏡の開発や、動画XMCD磁気イメージングへの可能性が示された。エネルギー変調分光法により、微量試料や希薄試料に対する高エネルギー分解法XAFS測定、相転移に伴うXAFSスペクトルの変化を詳細に追跡する研究への応用が考えられる。さらに、高速X線電離箱検出器の開発により蛍光モードでの変調分光法への道筋がつけられた。この蛍光法によるX線変調分光法を実用化していくことにより、これまでにない超高感度なX線分光の手法として、ナノメートルサイズの人工機能材料や人工磁性材料の物性研究、特性評価のために大いに活用されることが期待できる。よって本論文は博士(科学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49040