学位論文要旨



No 216089
著者(漢字) 圓山,琢也
著者(英字)
著者(カナ) マルヤマ,タクヤ
標題(和) ネットワーク均衡モデルを応用した都市圏レベルの交通政策分析
標題(洋)
報告番号 216089
報告番号 乙16089
学位授与日 2004.09.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 第16089号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 原田,昇
 東京大学 教授 浅見,泰司
 東京大学 教授 家田,仁
 東京大学 教授 桑原,雅夫
 東京大学 教授 田渕,隆俊
内容要旨 要旨を表示する

 都市における交通問題は,数多くの人々が関わる身近な問題であり,その解決のための計画や政策について,さまざまな意見が存在する.しかしながら,その議論の中には,観念的・情緒的なレベルのものも少なくない.例えば,混雑地域において道路混雑を緩和するために新たな道路を建設するという計画については,道路容量の増加は,新たな交通量の増加を招くだけで,結局混雑は緩和されず,道路投資は無駄である,という主張が存在する.また,道路利用に対する混雑課金政策の導入についても,課金は低所得者に対して相対的に大きな影響を与え,所得間公平性の問題が生じるため望ましくないという反対意見がある.しかしながら,財源制約下で多数の主体が関わる都市・地域の計画や政策においては,科学的,客観的な手法を用いた判断が求められる.

 この判断においては,社会経済構造を単純化・抽象化した理論モデルを用いた考察から得られる知見は少なくない.上述の道路建設による誘発交通の問題についての最も単純化した議論は,空間,時間を捨象した,横軸に交通量,縦軸に交通費用をとったグラフにおける需要曲線とトリップ費用曲線を用いたものである.誘発交通が存在しない場合は,垂直な需要曲線が想定され,誘発交通が存在する場合は,需要曲線が傾いているときに相当する.これらを用いて,誘発交通が存在することによる道路投資の便益のゆがみなどを,定性的に議論することが可能となる.

 これらの理論的考察は,経済学を中心に行われてきた.そこでは,さらに,道路混雑に対するファーストベストな対策として,混雑課金が古くから提案され,その課金額の最適設定法や政策の所得間公平性の議論についても同様に単純なグラフを用いた議論がなされてきた.

 これら理論的議論は,定性的なものでありながら,一般性・規範性に優れている.しかしながら,現実の政策判断に必要な定量的な評価値を得るためには,グラフで想定されている需要曲線,トリップ費用曲線をどう推定するのか,ネットワークから構成される現実の都市施設をどのように考えればよいのかという問題があり,これらの議論は現実の政策評価に直接利用できるものではなかった.

 一方,実際の都市圏において現実の評価を行うために,工学的に実用的なモデルが数多く開発され,実務の現場で幅広く用いられてきた.四段階推定法に基づく都市圏レベルの交通需要予測,交通政策分析はその典型といえよう.しかし,四段階推定法は,工学的な実用性の一方で,理論との整合性,モデル内部の整合性に問題があることが古くから指摘され,この欠点により,前述した誘発交通などの扱いが不十分となっており,それらの分析に有益な情報を提供しうるものではなかった.

 工学的な実用性を重視したモデルを用いた予測,分析が一般的となったのは,現実都市の複雑なネットワークや,利用者の多種多様な行動を想定した場合,理論の厳密性,一般性を維持した展開は困難と考えられていたためと思われる.

 本研究では,これら一見困難と思える理論との整合性を堅持した政策分析フレームの拡張は,ネットワーク均衡モデルを応用することで可能となることを明らかにし,その特徴を生かした,現実の都市圏レベルの交通政策分析を行うことを目的とする.

 ネットワーク均衡モデルの概念自体は,目新しいものではなく,最近では,実都市圏への適用事例も少なからず存在する.しかしながら,残念なことに既存研究では,これらのモデルは四段階推定法の代替案としての工学的需要予測ツールとしてしか利用されていなかった.モデルが理論と整合性があることを利用した分析例は意外なほど少なかった.本研究では,この点に着目し,単純なグラフを用いて展開されていた理論考察のいくつかが,複数交通手段を考慮した現実の大規模なネットワーク上で,利用者の異質性を考慮しながら利用者の多次元選択行動を明示した場合にも展開可能であることを示し,その知見を用いた現実都市圏での分析を行う.

 本論文は,全8章から構成される.第1章では,上述の内容を含む本論文の背景と目的を詳述し,第2章では,本研究に関連する既存研究の動向を整理している.第3章では,本研究の政策分析の基礎となるモデルの構築を行い,第4章から第7章は,このモデルを用いた政策分析を行っている.第4章は,既存の工学的実用性を重視したモデルと本研究のモデルによる政策評価の違いが端的に示される章である.理論の厳密性,一般性を維持した展開及び整合性を活かした分析例は,第5,7章および第4章の一部に含まれる.また,第5,6,7章は,都市交通政策の多様化に応じた内容ともなっている.

 具体的に,第3章では,現実の東京都市圏を対象に,マルチクラスNested Logit型ネットワーク均衡モデルの定式化,解法の構築を行った.トリップ目的別の利用者のセグメントを行いつつ,発生レベルまでの統合を行うために,片側制約型の分布モデルを採用し,目的地選択肢集合の確率的形成を考慮したパラメータ推定を行った.これらの改良によりモデルの現状再現性は既存の固定需要モデルと同等なレベルが確認され,論理性を保持しながらも実用性の高いモデルが構築された.また,このモデルは,大規模な多手段の交通ネットワークを対象に,鉄道の混雑現象を考慮しつつ,発生レベルまでを統合した点で,先進的なモデルといえる.

 第4章では,誘発交通を考慮した混雑地域における道路整備の利用者便益推定を行った.セカンドベストの経済となる現実の都市圏での便益評価における留意点を踏まえた理論的検討,誘発交通量の試算とその便益評価に与える影響を詳細に考察した.推定の結果,誘発交通の量は,都市圏全体ではわずかであるが,対象道路の交通状況,利用者便益に大きな影響を与えうることが示された.さらに,最適料金制度の下での便益計測に関して,本モデルから,既存の交通経済学の知見を一般化した結果が得られることも示された.

 これら誘発交通の存在とも関連して,道路混雑対策としての道路容量の拡大は,最適な対策ではなく,混雑課金こそが最適な政策であると経済学者により主張されてきた.しかしながら,特に経済系の研究における混雑課金理論は,前述したようにきわめて単純なフレームに基づいており,現実都市圏にそのまま適用できるものではない.第5章では,これらの問題意識から,最適混雑課金理論の拡張と,実都市圏でのその料金レベル試算を行った.具体的には,利用者の交通行動が複数の交通手段を含むネットワーク上でNested Logit型の多次元選択行動に従う場合の最適混雑課金を考察した.この場合,ネットワーク上の全リンクへの限界費用課金がモデルと整合的な社会的余剰の最大化をもたらす最適課金であることを簡明に証明,解説した.この証明をもとに,現状の料金制度下と,最適混雑課金が実行できた場合と,現実に構想されている都心部への課金政策を実施した場合の,それぞれの社会的余剰を試算し,それらの値を比較し考察を加えた.本章の内容は,現実都市圏の大規模な複数の交通手段を含むネットワーク上での利用者の行動を対象としており,記述性に優れながら,最適課金の算出などの規範的な分析も行えるという,既存のモデルでは実現できない政策評価の枠組みの一例を示したものである.

 第6章では,混雑課金施策の社会厚生的な問題点を,利用者を所得階層に区分したマルチクラス型のネットワーク均衡モデルを用いて考察した.まず,課金によって所得逆進性の問題が生じることを単純なネットワークで確認し,課金収入を鉄道料金,駐車料金値下げに利用することで政策の所得逆進性が緩和されることを示した.また,課金が計画されている東京都心部にもモデルを適用し,政策の逆進性,地域間の影響差の計算例を提示し,混雑課金政策の所得間公平性の問題点について定量的に検討可能となるフレームが現実都市でも構築可能であることを示した.

 第7章では,現状の職住の分布は変化させずに,職住の組み合わせのみを変化させるという職住最適配置問題を考えている.既存の職住配置問題は,自動車の混雑現象,現実の交通ネットワークの情報が十分に考慮されているとは言いがたいものであった.本章では,職住最適配置の議論を,ネットワーク均衡モデルを応用して,理論的な厳密性を保ちつつ,各リンクでの混雑現象を考慮した形で展開し,東京都市圏を対象にその実証研究を行った.その結果,通勤交通の最適配置により,自動車総走行台キロ,台時,CO2総排出量,鉄道混雑を大幅に削減可能であることを実証的・定量的に明らかにした.

 第8章では,本研究の成果をまとめ,今後の課題と展望を述べている.

 ネットワーク均衡モデルの既存研究の多くは理論研究にとどまっており,それを実務で利用していくために検討が必要な事項の整理が十分とはいえなかった.この問題意識のもと,本研究では,広範なレビューをもとに,ネットワーク均衡モデルの実都市圏への適用時に有用となるモデル拡張の考え方,検討が必要な事項を整理した.そして,現実の交通計画に用いる需要予測モデルの論理性,客観性を高めるためには,解の一意性が保証されたモデルの利用が望ましいとの立場に立ち,その考えに基づきながら現状再現性を高める改良を行った.結果として構築したモデルは,現実の都市圏の交通需要予測・便益評価にも十分適用可能な,従来の四段階推定法に代替しうる有用性,実用性を兼ね備えたものであることを明らかにした.また,具体的に誘発交通を考慮した道路整備効果の推定,混雑課金政策の評価など,緊急な回答が必要とされている政策課題について,試算の域ではあるが,具体的な数値を示した社会的意義は少なくないものと考える.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、ネットワーク均衡モデルを、理論的整合性を保ちつつ大規模ネットワーク分析に適用する枠組みを提案し、都市圏レベルの交通政策分析を行い、その有用性を明らかにした論文である。

 本論文は8章からなり、1章では本論文の背景と目的を詳述し、第2章では,本研究に関連する既存研究を整理している。第3章では,本研究の政策分析の基礎となるモデルの構築を行い,第4章から第7章は,このモデルを用いた政策分析を行っている。

 具体的に、第3章では、現実の東京都市圏を対象にマルチクラスNested Logit型ネットワーク均衡モデルの定式化と解法の構築を行った。トリップ目的別の利用者セグメントを行い、発生レベルまでの統合を行うために、片側制約型の分布モデルを採用し、目的地選択肢集合の確率的形成を考慮したパラメータ推定を行った。これらの改良によりモデルの現状再現性は既存の固定需要モデルと同等なレベルが確認され、論理性を保持しながらも実用性の高いモデルが構築された.また,このモデルは,大規模な多手段の交通ネットワークを対象に、鉄道の混雑現象を考慮しつつ、発生レベルまでを統合した点で、独創性が高い。

 第4章では、誘発交通を考慮した混雑地域における道路整備の利用者便益推定を行った。セカンドベストの経済となる現実の都市圏での便益評価における留意点を踏まえた理論的検討、誘発交通量の試算とその便益評価に与える影響を詳細に考察した。推定の結果、誘発交通の量は、都市圏全体ではわずかであるが、対象道路の交通状況、利用者便益に大きな影響を与えることが示された。さらに,最適料金制度下での便益計測に関して、本モデルから、既存の交通経済学の知見を一般化した結果が得られることも示された。

 第5章では、最適混雑料金理論の拡張と実都市圏でのその料金レベル試算を行った。具体的には、利用者の交通行動が複数の交通手段を含むネットワーク上でNested Logit型の多次元選択行動に従う場合の最適混雑料金を考察した。この場合、ネットワーク上の全リンクへの限界費用課金がモデルと整合的な社会的余剰の最大化をもたらす最適課金であることを簡明に証明し、解説した。この証明をもとに、現状の料金制度下と、最適混雑課金が実行できた場合と、実に構想されている都心部への課金施策を実施した場合の、それぞれの社会的余剰を試算し、それらの値を比較し考察した。本章の内容は、現実都市圏の大規模な複数の交通手段を含むネットワーク上での利用者の行動を対象としており、記述性に優れながら、最適課金の算出などの規範的な分析も行えるという、既存のモデルでは困難であった、政策評価の枠組みの一例を示したものと言える。

 第6章では、混雑料金施策の社会厚生的な問題点を、利用者を所得階層に区分したマルチクラス型のネットワーク均衡モデルを用いて考察した。まず、課金によって所得逆進性の問題が生じることを単純なネットワークで確認し、課金収入を鉄道料金、駐車料金値下げに利用することで政策の所得逆進性が緩和されることを示した。また、課金が計画されている東京都心部にもモデルを適用し、政策の逆進性、地域間の影響差の計算例を提示し、ロードプライシングの所得間公平性の問題点についての定量的な検討が可能なフレームが、現実都市でも構築可能であることを示した。

 第7章では、現状の職住の地域別分布量は変化させずに、職住の組み合わせのみを変化させるという職住最適配置問題について検討した。本章では,職住最適配置の議論を、理論的な厳密性を保ちつつ、ネットワーク上での各リンクでの混雑現象を考慮した形で展開した。東京都市圏を対象にその実証研究を行い、通勤交通の最適配置により、自動車総走行台キロ、台時、CO2総排出量、鉄道混雑を大幅に緩和可能であることを、実証的に明らかにした。

 第8章では,本研究の成果をまとめた。本研究では,モデルの特徴である解の唯一性を保持しながら,実務で重要視される結果の現状再現性を高めるためのモデルの改良の方法を整理し,その設計思想に基づいたモデルを構築し,その特徴を活かした政策分析を提示した。これらの分析により,構築したモデルは,現実の都市圏の交通需要予測・便益評価にも十分適用可能な,従来の四段階推定法に代替しうる論理性と有用性を兼ね備えたものであることを明らかにした。

 なお、本論文の第3章から第7章は、太田勝敏、原田昇との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

 したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49004