学位論文要旨



No 216093
著者(漢字) 高田,祐彦
著者(英字)
著者(カナ) タカダ,ヒロヒコ
標題(和) 源氏物語の文学史
標題(洋)
報告番号 216093
報告番号 乙16093
学位授与日 2004.09.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16093号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 助教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 竹内,整一
 総合文化研究科 教授 三角,洋一
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、平安時代中期に書かれた『源氏物語』が、平安文学ひいては古代文学の歴史に内的に深く関わりながらも、それまでの文学史の歩みから大きく抜け出ていかに独自の達成を実現したか、その機構を解明しつつ、同時に『源氏物語』の分析から立体的に展望される平安文学史の把握をとおして、文学史と作品との相関関係を考察したものである。

 本論文は、I「源氏物語と王朝文学」、II「方法をめぐる視角」、III「作中人物からの展望」の三部からなるが、『源氏物語』が先行する平安文学の所産と広くかつ深く関わりあいながら、その作品としての新たな創造を展開していった軌跡を追尋するためには、和歌、漢詩、物語、日記といった文学の諸ジャンルについてはもとより、神話や伝承、さらには、文学の範囲を越えた歴史や諸芸術への目配りを保ちながら、『源氏物語』に至る平安文学史全体におよぶ見渡しを欠かすことはできない。そこで、本論文では、上記の三部構成に先立って「序『源氏物語』の文学史に向けて」を設け、本論文全体の基本的視点、主要な論点、さらには本論との補完的な関係に立つ論点を提示している。

 『源氏物語』をはじめとする古典が時代を越え、あるいは国を越えて読み継がれうるのは、なぜか、そこには、特定の時代や地域の所産でありつつ、その限定を越える普遍性が内蔵されていることは疑いないとしても、そのような普遍性がなにゆえ獲得されるのか、という問いは文学研究において、すこぶる本質的な問いである。本論文は、かかる問題意識を基底としながら、『源氏物語』が平安文学史と深く関わったがゆえに、時代の枠組みの中にとどまることなく時代を超えた作品たりえた、という一種逆説的な機構の解明を志すものであるが、そのさい、平安文学を時間軸に沿って把握する中に『源氏物語』を位置づける視点とともに、『源氏物語』が平安文学史の流れの中にはいかにしても収まらない側面を保有していることに十分に留意した。『源氏物語』がジャンルとして物語に含められるとしても、その物語としての達成は、けっして作り物語と歌物語との総合といった単純な枠組みでは把捉できず、そこに日記文学の切り拓いた内面性に対する観点の導入が不可欠である。さらには、和歌や漢詩の表現や発想を深々と組み込んで物語文学史を一変させた作品であることから明らかなように、平安文学史の総合的な摂取がもはや平安文学の枠組みに収まらない断絶をもたらすにいたっている。このような、平安文学史から超出した『源氏物語』の姿を通してはじめて立ち現れてくる豊かな鞍文学史像の把握を心がけつつ、『源氏物語』の外側内側双方の視点に基づく新たな平安文学史の構築を模索した。

 以下、章を追って本論文の要旨を述べる。まず、I「源氏物語と王朝文学」では、和歌、物語、唐代伝奇、漢文日記、かな日記との関係を展望する。この章は、網羅的ではないが、ある程時間軸に沿って『源氏物語』と平安文学史との関係を捉える視点によりながら、従来看過されてきた観点を盛り込んでいる。

 I-1「かな文学創造」は、かな文学の出発点にあたる『古今和歌集』と『竹取物語』との関係について、ジャンルを超える形で虚構や伝承、知と情の均衡といった特質が見出されることから、9世紀から10世紀への文学史的な転換点をおさえようとするものである。I-2「貫之の幻視の花」は『古今集』116番歌を、見立てを用いて虚構の時間と世界を創造した歌と読むことによって、紀貫之の先鋭的な方法を見出し、ことばによって生み出される時間の問題を論じた。I-3「古今・竹取から源氏物語へ」では、『源氏物語』における「あはれ」の断絶の問題を、本居宣長の「もののあはれ」論への批判的な視点とともにとりあげ、『古今集』『竹取物語』から『源氏物語』へ至る「あはれ」をめぐる文学史の系譜を見定めた。I-4「唐代伝奇から源氏物語へ」では、源氏を拒む女君空蝉の造型に尸解仙の型を読みとり、唐代伝奇の談論と帚木三帖の語り、とりわけ雨夜の品定めとの密接な関係を明らかにした。I-5「吏部王記のまなざし」は、『源氏物語』中に引用が散見される重明親王の漢文日記『吏部王記』をとりあげ、醍醐天皇の皇子として宮廷故実に高い識見を誇った親王が、帝位との微妙な距離をもって10世紀前半を生きた様相を読み解きながら、文学と歴史との接点を探り、漢文日記と『源氏物語』との関係を文学史の中に包摂して論じた。I-6「道綱母から六条御息所」は、かな日記と『源氏物語』との関係を見定める視野のもと、道綱母の苦悩の果てに、六条御息所の生霊の創造という新たな文学的開拓が可能になった経緯について、表現の関連を中心に明らかにした。道綱母と紫式部とを作家として繋ぐだけではなく、紫式部にとって、『蜻蛉日記』に描かれた道綱母が作品創造にとっての好個の刺激となる機微を浮き彫りにした。

 II「方法をめぐる視角」は、『源氏物語』に見られる語り、和歌、長編構造、引用といった諸問題を「方法」という観点でとりおさえながら、そのような方法と表現とがいかに深い関連をもって作品の創造を支えているか、その機構を明らかにしようとする各章から構成した。限定された箇所を取り扱いながらも、作品全体にわたる問題を論じるよう心がけ、かつ作品の創造の次元における先行作品との不可分の関係をも明らかにした。

 II-1「語りの虚構性と和歌」は、光源氏と藤壺各々の独詠歌に添えられた、和歌の語り継ぎを訝しむ語り手のことばから、虚構の世界の創造と事実の伝承というたてまえとの矛盾を逆手にとった作者が、物語世界の実在性に読者を巧みに引き込む方法を読みとった。II-2「〈結婚拒否〉の思想」は、おもに朝顔の姫君と宇治の大君を対象としながら、結婚拒否の問題が、作品の進行や主題、さらには先行作品との関係の中から方法的に追求されていることを論じたうえで、この問題がさらに男女の結びつきの困難さという点で、『源氏物語』の世界に広がりを持って展開されることを示した。II-3「長編の始動」は、青年光源氏の恋物語が実質的に始動するにあたって、明石や藤壺の物語の背後に存在する語られざる闇の存在が物語展開の推進力となること、および巻名「若紫」に『伊勢物語』との関係を従来以上に濃厚に読みとることで、若紫巻の長編的始動の機構を解明した。II-4「引用の創造性」は、須磨巻の豊富な引用表現が、流謫の人物像とは異なる光源氏の独自性を新たに生み出す方向で働くこと、この作品にはめずらしくあらわな神話構造が、謫居の抒情的な場面の累積によって、光源氏の明石への移住から都への復活に、物語としてのリアリティを与えられていることを明らかにした。II-5「歌ことばの表現構造」は、御法巻の唱和歌から野分巻、桐壺巻へと、「露」をめぐる表現をさかのぼることによって、『源氏物語』の表現の新生面を見出すとともに、風に吹かれる萩の上の露という風景に、紫の上と光源氏に共通する存在のはかなさを託した、この物語の方法を分析した。II-6「浮舟物語と和歌」は、浮舟物語で和歌や引歌が表現の要として機能する様相を分析し、新たな引歌の存在を複数指摘しつつ、手習巻の浮舟の「袖ふれし」の歌をめぐって、宇治十帖の引歌の方法から浮舟の回想の相手を通説の匂宮ではなく、薫であることを論証した。

 III「作中人物からの展望」は、作中人物の造型に典型的に現れてくる作品の構造や表現の機構、さらには、文学史や歴史への、この作品の視野の広がりを明らかにしようとする章である。ここでは、作中人物の造型そのものが問題なのではなく、虚構の人物の造型に否応なく顕現するところの作品の本質を探り出すことが目的である。

 III-1「六条御息所の〈時間〉」は、六条御息所の造型に見られる矛盾が、葵巻の代替わりから始まる新たな展開に伴う必然であったこと、とりわけ、賢木巻の決定的な年齢矛盾は、年立の整合性を破っても人物の生きた内面から生まれる時間を大切にしたこの物語の方法であることを明らかにした。III-2「逆境の光源氏」は、賢木巻の月の表現に王統の象徴や藤壺とかぐや姫との重なりを読みとり、巻後半に見られる源氏のすさびごとや朧月夜との対面に、体制から本質的に反乱せざるをえない源氏の本質を見出すことによって、須磨流離に至る必然性を論じた。III-3「光源氏の復活」は、六条御息所の後継的位置にある明石の君と源氏との関係や絵合巻の文化的な優越性の意義、さらには、嵯峨野という空間に堆積された皇族を含めた賜姓源氏の歴史、桂の宴の唱和歌などから、桐壺聖代を継承する光源氏の帝にもまさる本質的な王としての位相を論じた。III-4「身のはての想像力」は、柏木の死に至る道程に、表現の細部を掘り起こしながら主に和歌との関係で新たな読み方を導入した上で、『竹取物語』の発展的引用を見出し、さらに、六条御息所との強い類同性から、現世への絶望と執着に苦しむ人間の心の闇の凝視へと物語が一段と深まってゆく足どりを分析した。III-5「山姫としての大君」は、宇治の大君が、亡父八の宮を継承する山ごもりの存在となることを、「山姫」などの表現から明らかにし、その死によって、大君の物語を引き継ぐ女の物語の主題性があらためて押し出されてくる物語の転換点を論じた。III-6「中将の君の身分意識をめぐって」は、浮舟の母中将の君と八の宮北の方との血縁関係から、中将の君の出自への誇りと現在の境遇との落差に由来する複雑な身分意識を見出すとともに、そのような母のもと、物語の女君が限りなく女房(召人)に近づく世界が展開される必然性、および作品大尾の浮舟における母の問題を論じた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は『源氏物語』が、神話、和歌、漢詩、物語、日記といったさまざまな源泉から主題や話型、素材、表現等々を貪欲欲に吸収して生成を遂げながら、しかも時代を超え、国を越えて読まれ続ける普遍性と高い芸術性とを有する巨大な作品となった機構を解明するとともに、そのような『源氏物語』を通して立ち現れてくる豊かな平安文学史像を闡明することを企図したものである。論文構成は「I源氏物語と王朝文学」「II方法をめぐる視角」「III作中人物からの展望」の三部からなる。第I部では、『源氏物語』が先行諸作品から継承し深化させたものが何であったのかを解明し、第II・III部では『源氏物語』の、それら先行諸作品から高く抜きん出た文学的達成がいかにして可能になったのかという問題をさまざまな視点から分析する。第I部と第II・III部とは、以下にその大略をのべるように相互に緊密に関連し照応している。

 まず第I部の「1 かな文学創造」「3 古今・竹取から源氏物語へ」等の章で、高田氏は、『古今和歌集』の歌や『竹取物語』において発見された、愛執の苦と不可分なものとしての「あはれ」という主題が、『源氏物語』全篇の根幹的な主題となっていることを指摘する。その上で、第III部「4 身のはての想像力」において、柏木と六条御息所の心情表現における引歌や歌語の精細な分析を通して、その主題がいかに芸術的に密度高く形象されているかを詳細に検証し、さらに第II部「2 <結婚拒否>の思想」において、同じ「あはれ」の主題が、この物語に繰り返し現れる<結婚拒否>の主題とも密接に関連していることを明らかにしている。物語の奥行きの深さを指摘した、すぐれた考察である。また第I部「6 道綱母から六条御息所へ」では、『蜻蛉日記』における道綱母の愛執と苦悩の表現が、六条御息所の生霊化へと継承・発展されていることを指摘する。一方、そこに示された六条御息所の人物造型の方法は、第III部「1 六条御息所の<時間>」においては、古来議論の多い御息所の年齢の矛盾が、逆にその方法の特徴的なありようを示すものであること、また右に関連して、第II部「3 長編の始動」では、単線的な「年立」では捉えきれない、この物語固有の時間の構造が存在することが明らかにされている。いずれも従来の議論を一段と深めた卓説といえる。さらに、第I部「5 吏部王記のまなざし」において、光源氏の造型に嵯峨・醍醐源氏の文化的理想性が継承されていることを丹念に論じているが、第III部「2 逆境の光源氏」「3 光源氏の復活」においては、物語の表現と構造に即した分析を通じて、それをさらに具体化する考察が深められている。第II部「4 引用の創造性」においても、逆境を経て復活する光源氏の造型に、神話の引用と相拮抗するような形で和歌や漢詩が引用されていることに着目、その神話的な英雄像の内面に、人間的な心情と文化的な理想性が充填されている様相が明らかにされている。

 このように、本論文は、個々の章が相互に有機的に結び合うことで、『源氏物語』を貫く主題が自ずと浮かび上がるような構成をもっており、それを通じてこの物語の文学史的な位相――先行諸作品との関連やこの物語独自な達成のありよう――がきわめて明瞭に打ち出されている。この点が本論文のもっとも高く評価しうるところである。

 なお、本論文においては、歌語の分析が少しく図式的になっている嫌いがあり、また本居宣長の「もののあはれ」の理解がやや一面的に過ぎるという難点も見受けられるが、しかしながらそれらは本論文全体の価値をいささかも減殺するものではない。よって審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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