学位論文要旨



No 216094
著者(漢字) 森本,一夫
著者(英字)
著者(カナ) モリモト,カズオ
標題(和) サイイド・系譜学者・ナキーブ : 十世紀後半から十五世紀前半におけるサイイド/シャリーフ系譜文献の研究
標題(洋)
報告番号 216094
報告番号 乙16094
学位授与日 2004.09.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16094号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 羽田,正
 東京大学 教授 蔀,勇造
 東京大学 教授 岸本,美緒
 東京大学 教授 高山,博
 早稲田大学 教授 佐藤,次高
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では、10世紀後半から15世紀前半にかけて編纂されたサイイド/シャリーフ系譜文献を主たる史料とし、それらの系譜文献を生みだしたサイイド/シャリーフ系譜学およびサイイド/シャリーフ系譜学者を社会的文脈に位置づける作業を行った。

 まず第一部では、発祥からイブン・イナバの時代(14世紀後半〜15世紀第一四半期)にいたるまでのサイイド/シャリーフ系譜学の歴史を、この学統を支えた個々の系譜学者に着目しながら、通時的な観点から明らかにした。サイイド/シャリーフ系譜学は、9世紀半ばに活躍したヤフヤー・アキーキーに発し、10世紀から11世紀にかけて様々な地域の局地的な情報が広域的に収集され突き合わされることによって確立された。その際に系譜学者たちが成立させた情報ネットワークは、西はエジプトから東は西トルキスタンまでを覆う広大なものであった。

 それに続く12世紀から14世紀半ばという時期は、そうして確立したサイイド/シャリーフ系譜学が、前代の遺産を基礎としながら局地化の傾向を見せた時代であったと評価することができる。イラクではヒッラやナジャフなどに強固な学統が存続し、この学統は後にイブン・イナバを生み出すことになった。それに対しホラーサーンの学統は、おそらくモンゴル侵入などによる混乱を契機として活力を失っていったと考えられる。また、エジプトにもサイイド/シャリーフ系譜学の独自の学統が存続していたことが窺われるが、それとイラクの学統との関係はほとんど検出することができない。

 こうした局地化の局面を打ち破り、イラクに存続したサイイド/シャリーフ系譜学の知にもとづいて東方で盛んに著作活動を行ったのがイブン・イナバであった。彼の著した系譜文献は、その根本部分において10世紀、11世紀というサイイド/シャリーフ系譜学確立期の学者たちに依拠するものであった。しかし、その時代までにそのような系譜学者たちの権威を引き継ぐ学統が絶えていたと考えられるイラン高原以東の地域では、「家の人尊崇」の盛行とあいまって、彼の著す文献に対する大きな需要が生じていたのである。

 続いて第二部では、サイイド/シャリーフ系譜学者たちの姿により具体的に迫るため、彼らに期待されていた資質や素養を検討し、彼らが系譜学者として行っていた様々な活動を明らかにした。サイイド/シャリーフ系譜学者は、聖なる血統の純血を守るため、敬虔さと潔癖さとにもとづき、驚くべき記憶力を駆使しながら系譜にまつわる理非曲直を明らかにする意志堅固な人物であるとされていた。おそらく暗記中心の修行を経て一人前の系譜学者になったと考えられる彼らは、サイイド/シャリーフからの聴き取りや台帳調査などを行い、そうして収集した情報をお互いに交換しながら情報ネットワークを維持していたのである。そして、そのような手段によって獲得され整理された知は、系譜を体系的に記述するためだけでなく系譜統制の必要や学術的な関心に従って生み出された様々な著作上のジャンルに従って、系譜文献という形にまとめられていったのであった。また、その際には多くの専門用語や略号・記号が用いられていた。

 翻って第三部で検討したのはサイイド/シャリーフ系譜学の社会的背景である。

 個々の系譜学者の事績からも窺うことができるサイイド/シャリーフ系譜学とサイイド/シャリーフのナキーブ職との関係のあり方は、ナキーブの職務を整理することによってより具体的に理解することができる。ナキーブは社会生活の監督などの他の職務と同時に、サイイド/シャリーフの系譜統制を職務としていたのであった。ナキーブの保護のもとにあったサイイド/シャリーフ系譜学者は、系譜の専門家としてそれら系譜統制関係の職務を代行することが少なくなかった。中でもナキーブの台帳が用をなさないよそ者の系譜審査は、広域的な背景を持つサイイド/シャリーフ系譜学の知を利用することなしには実行することができない性質のものだったのである。

 こうしてサイイド/シャリーフ系譜学とサイイド/シャリーフのナキーブ職の構造的な結びつきが明らかになったが、両者の関係はそれにとどまるものではなかった。モンゴル侵入以前の諸系譜文献で言及されるナキーブたちに関する情報を整理すると、サイイド/シャリーフのナキーブ職が、サイイド/シャリーフ系譜学が生じ確立したのと同じ時期に創設され普及していったものであることが明らかになる。ここから、10世紀から11世紀に起こったサイイド/シャリーフ系譜学の確立という現象が、実はサイイド/シャリーフに対する広域的な系譜統制システム成立の一面をなすものであったことが理解される。広域的な系譜統制システム成立の背景としては、同時代にサイイド/シャリーフの本格的な拡散が始まったことを想定することができる。

 サイイド/シャリーフ系譜学は、もちろんナキーブ職との関係のもとにのみ存在していたわけではなかった。第三部ではこの他に、国家の支配層がナキーブ職を飛びこすかたちでサイイド/シャリーフ系譜学者を保護することがあったこと、サイイド/シャリーフ系譜文献が、学者たちによって系譜統制とは異なったより学術的な文脈で利用されていたことを論じた。また、サイイド/シャリーフ系譜学と宗派との関係については、この学統の中心的な担い手が十二イマーム派とザイド派とからなるシーア派の人々であったこと、しかしながらこの学統は、「家の人尊崇」や「十二イマーム・スンナ派」の作用などによってスンナ派の人々の間にも需要を持つものであり、実際にスンナ派の学者たちによっても学ばれ担われていたことを明らかにした。その中では、十二イマーム派的な要素がスンナ派学者の所説に密かに浸透していったと考えられる事例をも指摘した。

 最後に第四部では、サイイド/シャリーフ系譜学の存在がサイイド/シャリーフ血統にとってどのような意味を持つものであったのかを考察した。

 サイイド/シャリーフ系譜学が主張するところでは、この学問は規範的な立場から個々のサイイド/シャリーフ系譜の信憑性を判定する超然とした存在であった。ナキーブとの協力のもとに維持されていた制度的な系譜統制におけるサイイド/シャリーフ系譜学者の役割もまた、このような建前に依拠するものであった。彼らはサイイド/シャリーフ系譜学の学説に照らし合わせて個々の血統主張者の信頼性を判定していたのである。サイイド/シャリーフ系譜学者とサイイド/シャリーフたちとの関係にも、サイイド/シャリーフ系譜学のこの規範性が反映していた。サイイド/シャリーフたちは、自らの系譜の信頼性を増加させるために、サイイド/シャリーフ系譜学者たちによる書かれた証言を集めることに努めていたのである。また、規範としてのサイイド/シャリーフ系譜学の立場を示す格好の文献として『偽称者列伝』を挙げることができる。

 しかし、サイイド/シャリーフ系譜学から一旦視線をそらし、あるサイイド/シャリーフ血統の信頼性がそれを取り巻く人々の間で定まっていく過程を考察してみると、血統の信頼性を裏付ける根拠は何もサイイド/シャリーフ系譜学者による承認だけではなかったことが分かる。サイイド/シャリーフの血統は周囲の人々の注視の的であったが、周囲の人々の間に形成される世論は、サイイド/シャリーフ血統の聖性に由来する様々な「徴」の出現によって左右されるものだったのである。あるサイイド/シャリーフの血統は、その人物が君主の圧制の犠牲になることによってさえその信頼性を増したのであった。さらに重要なのは、このような世論の働きが、イスラーム実定法によって、一定の手続きにもとづくことを条件とされながらもほぼ全面的に承認されていたことである。社会の秩序維持を優先するために「親子関係」を社会的な関係と捉えていたイスラーム実定法には、大方の反対を押し切ってまで生物学的な血統の純血を守っていこうとする指向はなかった。

 このような世論の働きを確認して改めてサイイド/シャリーフ系譜学による系譜の真偽判定の現場を検討してみると、実はサイイド/シャリーフ系譜学も、証言という回路を通じて表明される世論に依拠していたことが分かる。そもそもサイイド/シャリーフ系譜学には、その建前的な主張にもかかわらず、個々のサイイド/シャリーフの血統を判定するに足るような広域的かつ同時代的な知識を準備し続けることは不可能であった。しがたって系譜学者たちは、実際にある血統主張者の血統の真偽を判定する際には、周囲の人々の証言に依拠することが多かったのである。しかし、ここで重要なのは、そのような世論への依拠が無原則のうちに場当たり的に行われていたことである。このことによってサイイド/シャリーフ系譜学は、実際には世論に対し開かれた構造を持っていながらも建前的には超然とした規範として振る舞うことができたのであった。

 このようにして本論文では、15世紀前半にいたるサイイド/シャリーフ系譜学の展開およびその社会的な機能を相当程度明らかにすることができた。今後は系譜文献の記述の対象とされたサイイド/シャリーフ自体に関する理解が応分に深められることが期待される。

 なお、本論文はサイイド/シャリーフ系譜学用語集や『偽称者列伝』の校訂テクストなど四つの付録を含む。

審査要旨 要旨を表示する

イスラームの預言者ムハンマドの血をひく子孫は、サイイドまたはシャリーフと呼ばれ、その血統ゆえにムスリム社会でしばしば特別な地位を与えられ、多くの特権を享受してきた。それゆえ、彼らの系譜を確定し、誰がサイイドやシャリーフであるのかを特定するために、中東のムスリム諸社会では、10世紀以後今日に至るまで多くの系譜文献が編纂されてきた。

本論文は、退屈な名前の連なりにすぎないと見なされ、これまで歴史研究の史料として活用されることのなかったこの一群の系譜文献に注目し、これらがなぜ、また、どのようにして編纂されたのか、さらに、社会的にいかに利用されていたのかを検証したものである。第一部では、10世紀の誕生から15世紀に至る系譜学の系譜と主要な系譜学者の業績が紹介され、第二部では、系譜学者とはどのような人物であるべきで、実際にはどのように修行を積んで系譜文献を編纂したのかが説明される。次いで第三部では、系譜台帳を管理し、サイイドやシャリーフを統率することが期待されたナキーブという職の発生の政治的・社会的事情やこの職についた人々の経歴、彼らによる系譜統制の方法などが解説される。そして、現実の社会の中でのサイイドやシャリーフについて論じた第四部では、サイイドやシャリーフの血統が建前としては系譜学者の証言によって決定されたが、実際には世論の動向に大きく左右されていたことが指摘される。

イスラーム世界史研究の分野では、これまで、年代記類や地方史、地理書を主たる史料とする政治史研究や各種公文書を用いた経済史研究に重点が置かれ、社会史研究の成果は乏しかった。これは、史料の残存状況によるところが大きいのだが、本論文は、新しい史料類型としての系譜文献を活用することによって従来の陥穽を突破し、豊かな社会史的成果を生み出している。また、本論文で明らかにされた多くの事実は、随所で従来のイスラーム世界史やイラン史解釈の再考を迫っている。例えば、スンナ派対シーア派という二項対立を当然のこととするイスラーム世界史や現在のイランという枠組みを自明のものとするイラン史の叙述は、本論文の成果を考慮に入れて、大幅に書き換えられねばならないだろう。このように、本論文は、限定された分野における精緻な文献学的研究、社会史的成果であるだけではなく、従来のイスラーム世界史研究全体に大きな影響を与える優れた業績である。また、本論文で得られた系譜学や系譜学者に関する知見は、今後前近代ムスリム諸社会の特徴を考える際に常に参照されるべき堅実で基礎的なデータとなるはずである。

4つの有用な付録もあわせると、400字詰原稿用紙に換算して1500枚を優に超える巨冊であるにもかかわらず、叙述は平明で読みやすく、論理の展開も明快で無理がない。以上から、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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