学位論文要旨



No 216096
著者(漢字) 徳廣(澤田),美由紀
著者(英字)
著者(カナ) トクヒロ(サワタ),ミユキ
標題(和) ミツバチの脳に発現する二つの新規非翻訳性核内RNA、Ks-1とAncR-1の同定と解析
標題(洋) Identification and characterization of two novel non-coding nuclear RNAs, Ks-1 and AncR-1, expressed in the honeybee (Apis mellifera L.) brain
報告番号 216096
報告番号 乙16096
学位授与日 2004.09.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第16096号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 久保,健雄
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 教授 岡,良隆
 東京大学 助教授 平良,眞規
内容要旨 要旨を表示する

 セイヨウミツバチ(Apis mellifera L.)は社会性昆虫であり、様々な社会性行動を示す。一つのコロニーは女王蜂、働き蜂、雄蜂で成り立ち、女王蜂と雄蜂が生殖に関わる行動をする一方、働き蜂は育児や採餌、巣作りといった生殖以外の全労働を行う。このようなミツバチの社会性行動の分子的基盤については、未だ不明な点が多い。私は本学大学院薬学系研究科での修士課程において、ミツバチの高次行動に関わる遺伝子の候補として、記憶・学習の高次中枢とされている脳のキノコ体で、介在神経細胞のサブタイプ(小型Kenyon細胞)選択的に発現する新規遺伝子、Ks-1を同定している。本研究で私は、このKs-1の転写産物が、非翻訳性核内RNAであることを明らかにした。さらにミツバチ脳のcDNAデータベースから新たな非翻訳性核内RNA遺伝子の候補を検索した結果、AncR-1を同定した。これらは、組織/器官特異的に発現する新しいタイプの非翻訳性核内RNAで有り、RNAの新たな分子機能を提唱するものである。

 第一章ではKs-1について詳細な発現解析とcDNAクローニングを行った。まず、働き蜂脳切片を用いたin situハイブリダイゼーションの結果から、Ks-1がミツバチ脳のキノコ体以外の領域、及び食道下神経節においても、一部の神経細胞に限局して発現することが分かった。女王蜂、及び雄蜂においても、Ks-1はキノコ体小型Kenyon細胞と他の脳領野の一部の神経細胞に限局した発現が認められ、カーストや性差による大きな発現パターンの違いはなかった。働き蜂体内でのKs-1の発現分布を調べるためにRT-PCRを行った結果、Ks-1は頭部、特に脳のキノコ体に強く発現しており、その脳機能との関連が強く示唆された。続いてcDNAクローニングを行った結果、最終的に5'末端を含む17.5kbのKs-1コンセンサスcDNAを同定した。しかしながら、その配列中には長いORFが認められず、Ks-1がタンパク質をコードしている可能性は低いと考えられた。このことは、コンセンサスcDNA中に見出される、200bp以上の長さのORFの内で、最も翻訳される可能性が高いと考えられた5'末端側に位置するORFが、近縁種であるトウヨウミツバチのKs-1 cDNA中では保存されていなかったことからも支持される。一方でKs-1の塩基配列はミツバチ種間でよく保存されていた。更に、Ks-1転写産物の細胞内局在を蛍光in situハイブリダイゼーションにより調べたところ、Ks-1転写産物は神経細胞内で核に点状に局在しており、その局在点の数はKs-1を発現する神経細胞の種類によって異なっていた。従って、Ks-1は神経細胞の核内で機能する、新規な非翻訳性RNAをコードすることが強く示唆された。また、Ks-1転写産物の核内での局在箇所を蛍光in situハイブリダイゼーションを用いてより詳細に解析した結果、局在点の幾つかはKs-1遺伝子座とは離れた位置にあり、Ks-1転写産物が転写後に核内の別の場所に移動して機能する可能性が示唆された。この結果は、哺乳類のXist RNAやショウジョウバエのroX RNAなど、既知の非翻訳性核内RNAで遺伝子量補正に関わる因子群が、転写後にそれらの遺伝子座の近傍に局在するとの知見とは異なっている。よってこれらの結果から、Ks-1は全く新しい非翻訳性核内RNAをコードしており、ミツバチ特有の脳機能に関わる可能性が考えられる。

 第二章で私は、Ks-1の他にもミツバチの脳機能に関わる非翻訳性核内RNA遺伝子が存在する可能性を考え、ミツバチ脳で発現する遺伝子のデータベース中からその候補をスクリーニングした。働き蜂脳切片に対するin situハイブリダイゼーションにより、転写産物が核内に局在する遺伝子を探索した結果、約100個の遺伝子断片の中から一つの候補遺伝子、AncR-1を見出した。AncR-1はKs-1とは異なり、ミツバチ脳の全ての皮質領域で発現していた。蛍光in situハイブリダイゼーションによる解析の結果でも、AncR-1転写産物が実際に核内に局在することが碓認された。このとき、AncR-1転写産物もKs-1転写産物同様に点状の局在を示したが、両者の核内での局在箇所は異なっており、一つの神経細胞の核内で違う機能を担うことが推測された。次にAncR-1転写産物の構造を知る目的でEST検索およびRACE法によるcDNAクローニングを行い、約7kbのAncR-1 cDNAを同定した。その過程でAncR-1転写産物がスプライシング及びポリ(A)付加を受けるという、mRNA様の構造を持つことが判明した。更にAncR-1転写産物は選択的スプライシングを受けており、最も長いバリアント(AncR-1a,6.8kbp)の他に、一部がスプライシングされた6.7kbp及び2.8kbpのバリアント(AncR-1b及びAncR-1c)が存在することが分かった。次に、AncR-1の転写開始部位を決定するために、AncR-1 cDNAの上流ゲノム領域の発現をノザンプロット解析により調べたところ、cDNAより上流の配列は発現していなかった。また、ショウジョウバエSL-II細胞を用いたレポーターアッセイの結果、AncR-1 cDNAの5'末端上流約30baseの位置にあるTATAボックスがプロモーター活性を持つことが分かり、現在までに同定されているcDNAの5'末端が転写開始部位であると結論した。以上より全長AncR-1 cDNAが単離されたので、その配列中に含まれるORFを解析したところ、AncR-1a〜cのどのバリアントcDNA配列中にも長いORFは存在せず、またKs-1と同様に、最も翻訳可能性が高いと考えられた5'末端側に存在する200bp以上のORFは、ミツバチ種間で保存されていなかった。一方で全体的なAncR-1の塩基配列はミツバチ種間でよく保存されていた。これらの結果は、AncR-1が新規な非翻訳性核内RNAをコードすることを強く示唆している。

 更に、ミツバチ個体内におけるAncR-1の発現領域を知る目的で、まず働き蜂、女王蜂、雄蜂各々の頭部、胸部、腹部におけるAncR-1の発現をノザンブロット解析で調べた結果、女王蜂では全ての部位で発現が認められたのに対し、働き蜂の腹部、雄蜂の頭部では発現が検出されず、AncR-1のミツバチ体内での発現パターンはカーストや性によって異なることが示唆された。更に頭部、腹部におけるAncR-1の発現箇所をin situハイブリダイゼーションにより詳細に調べたところ、働き蜂の頭部では脳以外でも下咽頭腺(ローヤルゼリー等の分泌腺)で発現していた。また腹部においては、女王蜂と雄蜂の生殖器官、働き蜂の脂肪体エノサイトに発現していた。従って、AncR-1は脳以外でもミツバチの役割に応じてそれぞれの組織/器官に特異的に発現し、様々な組織/器官の機能に関与する可能性が考えられた。なお、これらの組織/器官におけるAncR-1転写産物のスプライスバリアントの発現をRT-PCR法により調べたところ、いずれの組織/器官においてもAncR-1a〜cの3つのバリアントの存在が示唆され、組織/器官による違いは認められなかった。

さて、cDNAクローニングの過程で得られた幾つかのAncR-1 3'RACE産物の3'末端には長いポリ(A)配列が見出された。通常ポリ(A)付加を受けた転写産物は速やかに核外へ輸送されるため、この結果はAncR-1転写産物が核内に局在することと矛盾するように思われた。そこで核内にあるAncR-1転写産物が実際にポリ(A)付加を受けているか調べるために、下咽頭腺細胞の核画分から抽出したtotal RNAを用いて3'RACE法を行った結果、先と同様に幾つかの長いポリ(A)配列が付加された産物が得られた。従って、少なくとも一部のAncR-1転写産物はポリ(A)付加を受けてなお、核内に留まることが示唆された。

 以上、私は本研究においてミツバチの脳に発現する二つの新規な非翻訳性核内RNA遺伝子、Ks-1とAncR-1の同定ならびに解析を行った。既知の非翻訳性核内RNAとしては、哺乳類とショウジョウバエの各々で遺伝子量補正に関わるXist RNAとroX RNAが挙げられるが、今回ミツバチで新規に同定されたKs-1 RNAおよびAncR-1 RNAはいずれも比較的大きな分子サイズや、AncR-1 RNAではmRNA様の構造を持つといった点ではこれら因子との類似点が認められる。しかしながら、XistやroXが性特異的にすべての体細胞で発現しているのに対し、Ks-1は脳内の限られた神経細胞、またAncR-1は組織/器官特異的に発現する点で異なっており、核内での点状の局在と合わせて、これらの遺伝子が組織/器官特異的な遺伝子発現に関与する新規な制御因子である可能性が指摘できる。それぞれの組織/器官における実際の生理機能や核局在のメカニズム、他動物種でのホモログの存在の有無など、不明な点は未だに多いが、ミツバチという分子生物学の分野では余り注目されて来なかった動物を用いて新しいRNAの分子機能を提唱した点で、本研究は学術的な意義があるのではないかと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 セイヨウミツバチ(Apis mellifera L.)は社会性昆虫であり、雌が女王蜂と働き蜂にカースト分化する他、働き蜂は羽化後の加齢にともなって育児から門番、採餌へと分業する。さらに、その働き蜂はダンス言語により、仲間の働き蜂に見つけた花の位置を伝達する。しかしながら、こうしたミツバチの社会性の分子的基盤は明らかではない。徳廣氏は平成8年、本学大学院薬学系研究科修士課程在籍時に、ミツバチの行動を規定する遺伝子の候補として、脳で発現する遺伝子をdifferential display法を用いて検索する過程で、高次中枢(キノコ体)選択的に発現する遺伝子、Ks-1を同定した。徳廣氏はその後、製薬会社に就職したが、平成12年に本学大学院薬学系研究科、平成13年からは同理学系研究科で教務補佐員として採用され、上記の研究を継続、発展させる研究に従事した。本研究の第一章では、Ks-1遺伝子産物が、神経選択的な非翻訳性核RNAであることを報告している。さらに第二章では、ミツバチの脳で発現する遺伝子のデータベースから、新たな非翻訳性核RNAの遺伝子として、AncR-1を同定した。これらは、組織/器官選択的に発現する新しいタイプの非翻訳性核RNAであり、RNAの新たな分子機能を提唱するものである。

 第一章では先ず、Ks-1の詳細な発現解析を行っている。その結果Ks-1は、性やカーストに依らず、脳などの神経組織に選択的に発現することを見出した。次いで、cDNAの単離と細胞内局在の解析を行い、(1)5'末端を含む17.5kbpのcDNAに長いORFが含まれない、(2)短いORFについても、別種のミツバチ(ニホンミツバチ)のKs-1ホモログの間で構造が保存されていない、(3)Ks-1転写産物は核内に点状に局在する、(4)Ks-1転写産物は核内で、遺伝子座とは異なる部位に局在する、ことを見出した。これらの結果は、Ks-1転写産物が神経特異的な新規な非翻訳性核RNAとして機能することを示唆している。

 第二章では、ミツバチ脳で働く新規な非翻訳性核RNA遺伝子を同定する目的で、ミツバチ脳のcDNAデータベースから、in situハイブリダイゼーション法により、シグナルが働き蜂脳の細胞核に局在して検出される遺伝子を検索し、新たにAncR-1を得た。cDNAクローニングの結果、AncR-1転写産物はサイズが約7kbpで、スプライシングとpoly(A)付加を受けるという、mRNA様構造をもつことが明らかになった。AncR-1についても、(1)転写開始部位上流-30bpのTATAボックスがプロモーター活性をもつ、(2)完全長のcDNAに長いORFが含まれない、(3)短いORFについても、ニホンミツバチのAncR-1ホモログの間で保存されていない、(4)AncR-1転写産物は核内で点状に局在する、(4)核分画から同定したAncR-1転写産物もpoly(A)付加されている、ことを明らかにした。これらの知見は、AncR-1転写産物がmRNA様構造をもつ新規な核内非翻訳性RNAであることを示している。しかしながらAncR-1は、Ks-1とは異なり、神経組織以外でも発現しており、雄蜂腹部では精巣、働き蜂頭部では下咽頭腺、腹部では脂肪体、女王蜂腹部では卵巣と、各々の個体で選択的に発達する組織/器官で発現していた。

これまでに報告のある、サイズの大きい(数kbp以上)非翻訳性核RNAとしては、哺乳類のXistとショウジョウバエのroX以外には、ほとんど解析が進んでいない。XistやroXは性特異的にほぼ全身で発現し、性染色体に局在して、遺伝子量補正に関与するのに対し、Ks-1やAncR-1の発現は性に依らず、それぞれ神経組織や組織/器官選択的に発現する点で、新しいカテゴリーに属するRNAであると思われる。また、その発現様式から、遺伝子発現調節に関わる可能性がある。さらに両者のホモログが他動物種からは見出されないことから、社会性などミツバチ固有の生物学的特性に関わる可能性も指摘できる。以上本研究では、ミツバチから2種類の組織/器官特異的に発現する非翻訳性核RNAを世界で初めて同定した点で、分子生物学や動物科学の発展に寄与する点がある。なお本論文は、第一章、第二章とも複数の研究者との共同研究として行われているが、全編に渡り、論文提出者が主体となって実験計画の立案、実験の遂行、論文作成を行っており、論文提出者の寄与は充分である。従って、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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