学位論文要旨



No 216102
著者(漢字) 二村,悟
著者(英字)
著者(カナ) ニムラ,サトル
標題(和) 茶産業の発展と建築の近代化に関する研究 : 静岡県を事例として
標題(洋)
報告番号 216102
報告番号 乙16102
学位授与日 2004.10.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16102号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤森,照信
 東京大学 教授 鈴木,博之
 東京大学 教授 伊藤,毅
 東京大学 助教授 藤井,恵介
 東京大学 助教授 村松,伸
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、茶産業の発展と建築の近代化との関係を、明治期以降に茶の生産が盛んとなった静岡県を例として論述したものである。

 茶は、茶畑で栽培され、農家で製茶される。この茶を荒茶といい、この工程を一次工程という。荒茶は、問屋や再製業者が買入れ、再び火を入れて乾燥させ、製品となる。この二次工程を再製という。本論文では、これらの工程に関わる建築を網羅的に扱っている。

 本論文では、こうした茶の生産から製品販売に至るまでの場である茶畑、農家、工場、町家、都市の5つに注目しているが、全体の構成としては、生産地における茶畑と農家、販売地における町家と都市の4つを主として取り上げ、2部構成とした。工場については、農家にある製茶工場については、第1部で扱った。再製工場については、独立した節を設けてはいないが、再製は主として町家や商社で行われたものなので第2部で扱った。各章、各節の内容は以下の通りである。

 「序」では、本研究が茶産業や静岡県へと着目した理由、建築史等における本研究の位置付け、研究の概要についてまとめている。

 第1部「茶畑と農家」・第1章「茶畑」・第1節「土居」では、茶畑に見られた土居と呼ばれる土塁は、現存がほとんど確認できず、入植者が明治初年に築いた遺構として、地域の開拓史上、貴重な土木遺産としての価値を資することを明らかとした。

 第2節「簡易住居」では、開墾時の仮住まいである簡易住居は、牧之原での住まいの基礎であり、茶産業建築の記録報告として有意義であることを示した。

 第3節「水利」では、茶産業における水は茶栽培だけでなく、近代技術によって生じた農薬、機械の近代化にも影響を与え、直接茶産業の発展に寄与していることを明らかとした。

 第2章「農家」・第1節「茶部屋」・第1項「変遷」では、茶部屋は茶生産の増加と共に農家建築の主屋の一部に生じ、製茶機械や動力の普及等と共に独立を始め、規模を拡大し、製茶工場へと至っていくことを明らかとした。

 第2項「旧加藤家」では、現存物を例に、動力や製茶機械の近代化と共に建築構造や間取りが変化していくことを明らかとした。建築と製茶機械との関係を明らかとした。

 第2節「ノキバ」では、農作業には欠かせぬ場で、この地方特有の広い軒下空間として利用されていたことが判明した。

 第3章「工場」・第1節「製茶工場の変遷」では、木造の製茶工場が明治末期から大正にかけて形態を大きく変え、その背景に製茶機械の普及が関わっていたことを明らかとした。また、機械を導入する広い空間が必要とされ、大規模化が図られたと考えられることが判明した。

 第2節「経済的単位工場」では、標準的な仕様といえる単位工場を規範とした民間の製茶工場が存在していたことを明らかとした。

 第3節「共同製茶場」では、第二次大戦による共同製茶場の奨励は、戦後、農家の生産性を向上させ、茶部屋を工場化させたひとつの要因となっていたことが判明した。また、戦後、共同組合として残り、現在の静岡茶業発展の一翼を担っていることを明らかとした。

 第4節「茶部屋の工場化」では、農家が茶の専業へと移行する過程で、茶部屋を、戦後、製茶工場へと変化させていく過程を明らかとした。また、戦中、農家が共同製茶場によって細々と茶業を続け、そのことが戦後、生産地の発展の礎となっていることが判明した。

 第2部「町家と都市」・第1章「日除け」・第1節「普及」では、審査設備である日除けの普及は、明治30年代の再製工場の設置や輸出と密接な関係を持っており、茶産業の近代化に関わる重要な設備であったことを明らかとした。

 第2節「発生」では、これまで、資料としてのみ語られてきた横浜と静岡との関係を、日除けを用いて明らかとし、同時に建築文化の潮流を実証的に示した。

 第3節「国立茶業試験場審査室」では、管見の限り唯一静岡県下に現存する第二次大戦前の日除けとして、改修は多いが貴重であり、現存する公共施設の日除けとして、貴重な産業遺産であることを明らかとした。

 第4節「衰退」では、日除けの衰退した原因が、照明設備の普及や公平公正取引の為の茶市場の設立にあったことを明らかとした。輸出と共に生じた建築設備が、近代化と共に衰退していくことが判明した点で、茶産業の発展と建築の近代化との関係を示したといえる。

 第2章「町家」・第1節「間取りの復元 小山兼吉商店を例に」では、江戸時代以来の旧式の形態を保持していた町家が、産業の発展にともない、再製工場、再製機械、拝見場、日除けといった新たな建物、部屋、設備等を整えていき、産業独自の特徴を示す近代的な建築へと変化していったことを明らかとした。

 第2節「間取りの復元」では、第二次大戦の空襲によって焦土と化した静岡市中心部で、町家で茶業を営んだ茶業者の間取りを明らかとし、特徴、規模拡張の変遷等、近代化の過程を明らかとした。

 第3章「都市」・第1節「町並み」では、茶産業と共に生じた北番町の景観が、建築史上注目すべきこと、産業の近代化が町の景観形成に密接に関係していたことを明らかとした。

 第2節「開発」では、この町並みの形成は、個人が開発者として土地集積、貸与・売却という形で関わっていたことを明らかとした。

 「結」では、茶産業建築を分析した意義と、その特徴を示した。

 第1部を総括すると、茶畑と農家について、次のような特徴が見られた。

 茶畑については、住居の周囲に築かれた土居と呼ばれる土塁、茶の開墾時の仮住まいである簡易な住居が存在した。これらは、茶畑特有の土木構造物・建築物である。

 農家については、特に茶部屋と呼ばれる室が特徴として見られた。茶部屋は、摘採した茶葉を製茶する室で、元々主屋の土間での手揉み製茶を最初とし、近代化と共に分棟化、工場化し、現在へと至った。

 第2部を総括すると、町家と都市について、次のような特徴が見られた。

 町家については、再製工場、拝見場、日除けが特徴として見られた。再製工場は再製機械の普及と共に既存の町家に附設され、拝見場は荒茶の審査用に町家の表側の土間や帳場を改修して設置された。日除けについては、茶葉を審査する建築設備として、町家のファサード等に見られた。日除けは、近代と共に生じ、近代化によって衰退した設備で、特徴的な形状とあわせて、茶産業の近代化を象徴する設備であった。

 都市については、茶を扱う問屋業、再製業、国内外の商社がひとつの町を形成し、洋風の事務所、石蔵、工場の並ぶ独特な景観を形成していた。この都市は、一人の茶業者が中心となって土地集積等を行い、開発された景観で、現在でも茶業の機関が集る地域である。

 このように、本研究では、民家史研究という視点では、農家、町家共に特徴を見出すことができた。農家と町家を同時に扱えたこと、主屋以外の畑・附属屋の役割・意義が判明した点で、民家史研究の中で、これまでの研究に無い特徴を示すことができたと考える。

 また、近代建築史研究という視点では、都市の茶業者による開発、日除けという建築設備、製茶機械と工場との関係に特徴が見られた。特に、製茶機械と工場との関係については、一次工程で農家を主とした製茶工場、二次工程で町家を主とした再製工場と、工程によって別々の工場が存在したことに特徴があった。このように、工場建築と都市を同時に扱えたこと、機械・設備の史的な役割・意義が判明した点で、近代建築史研究の中で、これまでの研究では余り為されていない範囲を対象にできたと考える。

 本研究が、民家史及び近代建築史研究として、新たな特徴を示すことができたのは、茶というひとつの産業から建築を捉えたからで、この視点の提示が本研究の最大の意義と考える。

 本論文の課題を総括すると、近世以前や第二次大戦以降との比較、他の茶産地との比較、他産業及びその建築との比較がある。また、細かな課題として、冷蔵庫等の建築設備との関係、現存する茶部屋のある建物の間取りの変化、現存する製茶工場の基準となった仕様との関係がある。これらの課題はあるが、本論文は、静岡県の牧之原台地を中心とした研究については、一定のまとまりが得られたと考える。その結果、静岡県の近代における茶産業の発展が、建築の近代化に寄与した影響を明らかにすることができたと筆者は考える。

 茶産業建築の全体を網羅した本論文の成果は、茶産業に関わる歴史的建造物の文化財としての保存、茶産業建築を核とした町おこし等への取り組み方にも大きく寄与できるものであると筆者は考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、茶産業の発展と建築の近代化との関係を、明治期以降に茶の生産が盛んとなった静岡県を例として論述したものである。

 茶は、明治期の我が国の主な輸出産品のひとつであり、近代の産業において茶産業の占める地位は低くない。にもかかわらず、茶産業にかかわる建築の研究はこれまでほとんど行われていない。本論文は、栽培から製品となるまでの茶の工程に注目することにより、茶産業にかかわる建築を具体的な事例に基づき網羅的にとりあげており、建築学上の意義が深いものである。

 本研究は、近代の産業建築に関する研究としても注目される。近代の産業建築に関する研究は、文化庁による近代化遺産総合調査や国立科学博物館・清水慶一の研究等によってはじめられたばかりであり、方法論が確立しているとは言い難い。そのなかで本研究は、産業の生産工程に注目したことによって各種の建築を検討するという研究の一方法論を提示した点で、評価すべきものといえる。同様に、本研究は、生産工程に注目したことによって、工場建築と機械との関係を明らかとしており、工場建築に関する新たな研究の視座を提示した点でも価値あるものといえる。

 本研究は、民家研究としても注目できる。従来の民家研究では、母屋が主な研究対象であり、農村と都市部(農家と町家)で別に研究が行われる傾向にあった。これに対して本研究では、生産工程に注目したことによって、農村部と都市部を同時に扱っており、これまでの研究でほとんど扱われていなかった畑、附属屋、建築の設備等についても研究が及んでいる。この点から本研究は、これまでの民家史研究の欠落部分を補い、新たな視点を与えた研究としても評価できる。

 本研究は都市計画の研究としても、特筆すべき点がある。都市計画の歴史的研究は、これまで国や地方公共団体といった公共が主体となった計画を中心に進められてきた。本研究では、茶産業に関わる人々が主体的に計画に関与した事例を示しており、関連分野の研究に貴重な資料を提供している。

 このほか、本論文の成果は、茶産業に関わる歴史的建造物の文化財としての保存や、茶産業建築を利用した地域振興への取り組み方に貢献できるものである。

 以上の通り、本論文は建築学の研究として十分な成果をあげており、意義あるものといえる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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