学位論文要旨



No 216113
著者(漢字) 三尾,裕子
著者(英字)
著者(カナ) ミオ,ユウコ
標題(和) 王爺信仰の歴史民族誌 : 台湾漢人の民間信仰の動態
標題(洋)
報告番号 216113
報告番号 乙16113
学位授与日 2004.10.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16113号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 教授 伊藤,亜人
 東京大学 助教授 岩本,通弥
 東京大学 助教授 名和,克郎
 東京大学 教授 並木,頼寿
内容要旨 要旨を表示する

 本論は、1980年代半ばより筆者が行ってきた台湾・中国の漢人についての一連の宗教研究の中で、台湾中西部の沿海地域にある馬鳴山鎮安宮という"廟" −本論では、廟とは様々な霊的存在(spiritual beings)を祀る施設を指す−を社会的な場として展開される信仰観念や信仰実践を、歴史人類学的に考察したモノグラフである。

 本論では、個別具体的なケーススタディを民族誌として包括的に記述するということが目的であるが、そのために、時間軸(即ち歴史)と、空間軸(即ち研究対象の設定)という点で従来の人類学研究の問題点について、新しい試みを行った。

 第一の時間と言う点では、中国文化圏の特に民間信仰の分野において、従来歴史学あるいは宗教史学と人類学的な研究とが個別に行われ、相互の連関が不問に付されてきたことに鑑み、この欠を補うことを試みた。これまでの中国・台湾の宗教史研究を通観すると、現在見られるある事象に関わる民衆の多様な解釈の中から、過去の文献にも登場するある解釈を抽出し、その間の連続性を無条件に措定することで、それ以外の解釈を逸脱や捏造として排除する場合がしばしば見受けられた。更に民間信仰を人類学的に扱う上で、仏教や道教などの成立宗教と民間信仰とがそれぞれ別個に自律的に存在するのではなく、相互に影響を及ぼし合う点に注意を払う必要があると考えられるものの、この点についての考察はほとんどなされてこなかった。

 第二の空間と言う点では、本研究では従来人類学の研究手法では扱いにくかった、明確な外延を設定できない研究対象を包括的に捉える試みを行った。今日の経済活動などに代表されるグローバリゼーションによって、従来の人類学が当然視してきたところの、その中で社会関係が完結するコミュニティを研究対象として設定することは不可能になっている。そこで、本研究では、ある考察の対象となる事象が生起する"場"に注目し、その"場"を媒介として様々な活動や人々の関係を常に外に開かれたものとして考察するとともに、人々を引き寄せ、繋いていくそのような"場"に人々が付与する意味や価値を明らかにして行く方法を取った。つまり、研究対象の外延をあらかじめ設定するのではなく、"場"を媒介とすることで、そこに参加する人たちがその"場"や信仰対象に対して作り上げて行く意味や関係のプロセスを提示することを試みた。

 以上のような問題意識に基いて、具体的に考察を行ったのは、台湾中西部の馬鳴山鎮安宮と呼ばれる〈五年王爺〉を祀る廟である。本論では、フィールドワークによる資料収集だけではなく、文書史料を併用することによって、主に、〈五年王爺〉を含む〈王爺〉というカテゴリーの〈神〉が、従来道教の文脈で〈瘟神〉と意味付けられてきたことと、人類学的研究において「〓鬼」と意味付けられてきたこととの齟齬や断絶を接合した。特に本論では、〈五年王爺〉を信仰してきた人々によるそれに対する語りを分析することから、台湾漢人の霊的な存在の動態性とのかかわりに留意しつつ、〈五年王爺〉像の変遷を跡付けた。また、従来民間信仰は、地域社会を統合する際の宗教的なシンボルとして考えられてきたことについて、「祭祀圏」という概念を用いて廟を核とする地域的な社会結合を分析した。特に、本研究の対象のように、伝統的に既に複数の郷鎮、あるいは県にまたがって広範囲に信者が広がっている廟の場合、「祭祀圏」概念がどこまで適用できるのかを検証した。更に、1970年前後から急速に増加している地縁的な基盤を持たない信者については、従来の地縁的な基盤を前提とする民間信仰概念では捉えきれない。そこで、鎮安宮という"場"を焦点として、そこに出入りする新しいタイプの信者が、地縁に代わる如何なる紐帯を廟あるいは〈五年王爺〉と結ぶに到ったのかを考察した。

 その結果、本論で明らかになったことは、以下の諸点である。

 まず、伝統的にそして現在も鎮安宮の地縁的な基盤となっている〈五股〉の諸村落及び〈香庄〉と呼ばれる諸単位に所属する信者にとっては、〈五年王爺〉は〈瘟神〉と関係付けられるのではなく、科挙に合格した「進士」としてイメージされている。

 第二には、〈五年王爺〉が天の最高位の〈神〉である「玉皇上帝」から派遣された強大な権力と権威をもった〈神〉であるという側面と、横暴で理不尽で〈鬼〉(特定の祭祀者を持たない死者の霊魂)と共通する側面とを持つ両義的な存在として意識されていることが理解される。

 第三には、道教経典などにまで遡って歴史的な〈王爺〉像の変遷を追い、〈王爺〉の起源に関する先行研究を再考した結果、清代以降の台湾では、〈王爺〉という名のもとに、経典中の「瘟神」のみならず、様々な多様な霊魂が、いくつかの共通する要素とズレとを含みつつ収斂して行くことを跡付けた。

 第四に、台湾の民間信仰における霊的な存在は、〈神(gods)〉・〈祖先(ancestors)〉・〈鬼(ghosts)〉の三位の中に位置づけられるという研究が欧米の人類学者によって蓄積されてきたが、このような三位モデルは、漢人が霊魂に関して語る二種類の語りの間の弁証法的な関係と言う点から理解することが必要であることを指摘した。即ち、一つが、非常にシステマティックで階層的な諸霊魂の位置づけの語りであり、もう一つが前者のような体系的な語りでは収まりきらない曖昧な霊魂についての語りである。彼らの中で、これらの一見相反する語りが矛盾なく同居することにこそ、漢人の霊魂観のダイナミックスの源があると考えられる。

 第五には、以上の議論を受けて、筆者の主な居住地であったS村の人々が、三位モデルに関していかなる語りをしてきたのか、特に、〈神〉と〈鬼〉との中間領域への彼等の関わり方について、「大家楽」と呼ばれる民間の賭け事を例にとって分析した。「大家楽」は一種の宝くじであるが、1980年代後半から人々が当たり番号を予想する為に、霊的な存在に頼るという現象が広くみられるようになった。彼らは、〈鬼〉と〈神〉との境界領域にあった存在に頼るが、そのような存在が霊験を発揮して当たり番号を当てた場合に〈神〉と見なされるようになるケースが見られることを、具体的な事例を用いて明らかにした。〈王爺〉は今日の台湾では、既に最もポピュラーな〈神〉となっているが、〈王爺〉の出自由来と今日の信者の語りとの間の隔たりが存在することから、今日の台湾で見られる〈鬼〉の〈神〉化のプロセスに類似した移行が〈王爺〉においてもあったことが推測される。

 第六に、鎮安宮の信者の空間的な広がりに関わる諸問題のうち、まず、主に伝統的に鎮安宮の信者とされてきた地域社会を"祭祀圏"概念を用いて考察した。まず、"祭祀圏"に関する先行研究をレビューし、多くの論者に共通する"祭祀圏"を構成する条件について論じた。それらを鎮安宮に適用して見た場合、次の二点が明らかになった。まず〈五股〉の場合には、これが外延のはっきりした一つの祭祀圏を形成していると考えることが可能だが、その結合の原理を宗教以外のその他の社会組織に求めることについては、その証左を得る事は出来なかった。また、〈香庄〉の分布域は、今日では、250を超える諸単位を抱え込んでいるが、廟経営への参与の有無などの客観的条件によってプロットされる「範囲」と人々がイメージする単位分布の「領域」が一致するような固定的で明確な外延によって囲い込まれているわけではない。各単位の鎮安宮との関係は、慣習化されているとはいえ、一回一回の儀礼毎に鎮安宮に勧請に行くこと(あるいは行かないこと)を選択できる流動性を許容する関係である。また、〈香庄〉の場合も、その分布域が何らかの社会組織と対応関係にあるという証左は発見できなかった。

 最後に、従来"祭祀圏"概念によって分析されてきた民間信仰においてほとんど取り上げられることの無かった、遠隔地の個人ベースで信仰を求める信者層について考察した。その結果、信者の都市への移動や仕事や婚姻などによる台湾の人々の活動領域の拡大が、信者の分布域の拡大と関わっていることが明らかになった。また、このような遠隔地の信者たちと鎮安宮あるいは〈五年王爺〉との関わりについて、信者の語りを分析することによって、彼らの〈王爺〉像が今日の台湾社会の社会変化とどのように関わりをもち、またその中で彼らが〈王爺〉といかなる新しい関係を結ぼうとしているのかを明らかにした。従来、集落などの地域共同体内の安寧を保護してきた〈神〉は、戦後特に1970年以降の人口の流動化、都市化によって、個人とより直接的な関係を結びつつある。そして〈神〉と個人との関係の中で、個人が〈五年王爺〉との持続的なインターアクションを構築する事によって、信仰に至り、それを維持発展させていることが明らかになった。ただし、ここにおける"個人"とは、必ずしも他者と区別された自律的な"個人"といった近代的自我を具えた"個人"ではない。本論では、彼等が近代化、都市化による社会の再編過程にある社会において生み出された不安や不確定性に対して、伝統的な思考における共同性や「〈命運 mia7-un7(運命)〉観」を援用することによって対処していることを示した。つまり、信者と〈王爺〉との間に〈命運〉観に基づく結合の回路が創り出されている事が、今日の鎮安宮が、地縁社会との結びつきとは別に脱地縁化した信者を増やしている所以である、というのが筆者の見方である。

審査要旨 要旨を表示する

 三尾裕子氏の論文「王爺信仰の歴史民族誌-台湾漢人の民間信仰の動態-」は、台湾中西部の沿海地域にある「五年王爺」という神をまつる馬鳴山鎮安宮と名付けられた"廟" 、すなわち様々な霊的存在を祀る施設、を社会的な場として展開される信仰観念や信仰実践を、歴史人類学的に考察したモノグラフである。論者は1990年より1991年にかけて14ヶ月にわたる本格的な調査を行い、その後も、1998年には重要な祭礼を調査記録し、1996年から98年にかけては中国福建省において断続的に王爺信仰の広域調査を行った。

 本論文で論者は、中国宗教研究において常に問題とされてきた、「神・鬼・祖先」という三つの超自然的存在についての再考を行った。また、近年非常な高まりを見せている台湾各地の廟を中心とする信仰の一つの事例として、五年王爺という神に関する社会・宗教的現象を分析しようとした。特に後者については、人々の五年王爺への、共同体としての関わり、信仰集団としての関わり、またそれへの信仰を核とする個人的な関わりなど、様々な信仰の様態を包括的に説明しようと試みた。

 本論文の構成は、全体としては通常の文化人類学のモノグラフを踏襲し、まず、序章において本論文の問題の所在を明らかにしたあと、第一章でこの廟のある地域の地理的、そして歴史的概括を行う。その記述に過不足はない。第二章と第三章では五年王爺信仰の中心と位置づけられる馬鳴山鎮安宮における祭礼を記述する。その祭礼集団と組織は、論者が理解の簡便のために示す図と表さえがさらなる説明を要するほどの複雑さを持ち、時にこうした研究のらち外にある者にはその細部を理解するのに困難を覚えるのであるが、それは論者の長期間の執拗なまでの調査の成果の精密さを表しているともいえよう。逆に儀礼のプロセスの描写は、実地調査の成果をふまえ、その祭礼の規模とそれに費やす人々のエネルギーとをよく活写している。ついで、第四章では、王爺信仰の始まりとその発展を説明し、第五章で、その王爺信仰の歴史的経緯の中から、この信仰の本質性を明らかにしようとする。そこで示された、五年王爺という超自然的な存在が、不慮の死を遂げた「鬼」としての、あるいは疫病を治す「神」としての複相的な由来を持つ事実は、この論文全体において、現代の台湾における王爺信仰が複雑な社会の様々な要求や願望を吸い込むことが出来る信仰対象として隆盛を誇っていることを示唆する重要な論点となる。

 本論文の後半、第六章以下では、前半部で提出したデータを元に、これまでの研究への批判と新たな分析とが行われる。第六章は「霊魂の動態性」と名付けられ、神・鬼・祖先という「三位モデル」の再考がなされる。従来中国研究では、超自然界の三種の霊魂は、現世の人間の三分類に対応しているとされてきた。すなわち神が現世における皇帝と帝国を代表する役人であり、祖先は生活世界における家族とリネージ、そして鬼はそうした社会から外れたよそ者、にそれぞれ当てはまるのだ。しかし、論者は、そうした、鮮やかな、しかしながら固定的な図式に疑問を呈する。まず、論者が調査した人々の「鬼」についての現在の知識は、前述の図式が抽出された、いわゆる中国古典に見られる記述と異なるのだ。すなわち古典によれば、人は死ねば必ず鬼となるが、しかるべき人、子孫などによって埋葬され祭祀されることで鬼となることをまぬがれ、祖先となる。ところが、人々の間には、元々祖先を広義の意味で鬼ととらえる認識は薄く、鬼とは常にトラブルを起こしかねない存在と考えられている。また、「神」として人々が尊崇する存在は、必ずしも前述のモデルの「神」のように固定不変のものではなく、社会変化に応じて栄枯盛衰し、また他の研究者も同様の指摘をしているように、場合によっては鬼が神に変容することもあるのだ。論者は、さらに、そもそも女性である女神が高い位置を占めるのは現世の男性優位のジェンダー・ヒエラルキーとは明らかに不一致である、と論じる。こうした点から論者は、超自然的世界と現世との構造的な対応関係は、ある時はたしかに現世の大枠として定まった秩序を説明するものとして用いられながらも、ある時は、揺れ動き変化する現実世界の権力の関係を表し、またそう表現することで現実を操作することが可能となる、動態的な性格を持つと主張する。

 第七章と八章では、もう一つの論点、宗教現象の組織構造的な解明を行う。論者はこれまでの研究者が提出してきた祭祀圏という概念や、信徒圏、信者圏、祭祀域という三つのレベルによるモデルを馬鳴山鎮安宮を焦点とする王爺に関する宗教活動のデータに当てはめた。その作業をすることによって、それらのモデルでは当てはまらない宗教現象が浮き彫りにされた。それは新たな信者たちに見られる、彼らが鎮安宮を取り囲む共同体の一員としてではなく、また、五年王爺を信仰する集団の一人としてというよりも、むしろ個人として、それぞれ個別に抱える悩みや問題から、王爺への信仰を持つに至るという過程であった。しかし、論者はそれを産業化の中で生まれた近代的な主体が、自覚的に神を選び取っているものとしてはとらえない。むしろ、人々が信仰可能な様々な対象へアプローチする中で、神の側からの働きかけに応えるかたちで、神との関係を持つに至った、と考える。そのようにして、神の側に決定権を委ねることで、王爺という神を受け入れる必然性を獲得する、と論じる。終章では、これまでの議論をまとめ、今後の課題として、王爺信仰に新たに加わる信者たちの研究や、いや増しに盛んになりつつある、台湾における同様の廟に関わる信仰現象との比較などを今後の課題として論を閉じる。

 審査において、本論文の長期にわたる文化人類学的な調査の綿密さ、今日多くの信者を集めつつある新たな宗教現象の複雑さに正面から立ち向かった姿勢、現在の現象に目を奪われるだけでなく歴史的な観点から分析を試みたこと、そして、霊魂観の変化、信仰における個人の出現など、進行しつつある変化の過程をこれまでの文化人類学的な研究をふまえて行った解釈の斬新さなどは高く評価された。一方、批判点として、文化人類学の仕事としては、たとえば日本などを含めた東アジアとの比較などがなされず、あまりに中国の地域研究の内側にとどまっている感があること、また、長い期間をかけて完成させた仕事ゆえか、たとえばこれまでの中国研究において長年の問題であった霊魂観などの理論に対し新たな一石を投じようとしているのか、またはそうした霊魂観の変化を背景として、産業社会の中に衰えることなくかえって盛んになっている民間信仰の現在における理由を明らかにしたいのか、立論の焦点が揺らぐことがしばしばあること、などが指摘された。しかし、論者自身もそうした問題を今後の課題として自覚しており、何よりも本論文がそうしたこれからのさらなる展開の堅固な基礎となることは言うまでもない。

 以上により、本論文提出者は文化人類学の研究に対して重要な貢献をなしたと評価される。従って、審査員一同は、本論文提出者は博士(学術)の学位を授与されるに充分な資格があるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50255