学位論文要旨



No 216114
著者(漢字) 黒住,真
著者(英字)
著者(カナ) クロズ,ミマコト
標題(和) 近世日本社会と儒教
標題(洋)
報告番号 216114
報告番号 乙16114
学位授与日 2004.10.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16114号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三谷,博
 東京大学 教授 大貫,隆
 東京大学 教授 山脇,直司
 東京大学 助教授 小島,毅
 国際基督教大学 教授 小島,康敬
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、江戸時代を中心とする日本における儒教思想について、その社会的な性質と思想の特徴とを総合的に明らかにしたものである。第一部「近世社会の儒教」では、近世儒教思想の性格を他の思想文化との関連を視野に入れながら構造的に位置づけ、またその歴史的な流れを大づかみに描き出す。第二部「伊藤仁斎」・第三部「荻生徂徠」は、近世日本の代表的な儒教思想家である仁斎・徂徠の思想について立ち入ってテクスト分析をおこない、その思想の倫理・政治的様相を描出するとともに、併せて日本の儒教思想の典型的特徴を浮き彫りにする。

 第一部、「徳川前期儒教の性格」。日本では、儒教について、諸々の関連文物は比較的早く受容されるが、その道徳的本質は定着に遅れがあるとされる。その傾向は、じつは儒教祭祀・科挙の欠如と関連があり、それが徳川儒教の非原理主義的で複合的なあり方となって展開している。さらに主要な儒教思想家たちが朱子学によって骨組を与えられながらも他の諸文化要素に習合していく有り様を描き出し、そこから実用主義的傾向や全体・共同性への帰順の倫理が生まれつつ、やがて日本論や日本神話と結合していく、とする。こうした儒教の複合的性格の解明を、「儒学と近世日本社会」「近世日本思想史における仏教の位置」では、さらに政治社会との関連で深める。近世の儒者・儒教は、すでに充実していた神仏の宗教複合の後に加わった新参者であり、政治システムの中核にも十分位置づかなかった。しかし、それゆえに神道的な正統性と習合して発展した。また仏教は、近世の思想宗教複合の外部的な守りの部分を占めていた、とする。儒教をめぐるこのような諸思想の複合は、近世後期に向けて社会的な定着と統合の度を高めた。

 以上の儒教の複合性と後期に向けての拡充という議論は、研究史的には、儒教の初期イデオロギー的特権性と古学・国学による後期に向けてのその否定という丸山真男氏の徳川思想史論に対立する。「徳川儒教と明治におけるその再編」では、その点を吟味しつつ、儒教のイデオロギー機能は神道的伝統との結合にあり、それは否定されるのではなく、むしろ明治になって完成したこと、このイデオロギー形成は儒教研究のアカデミズムの析出を伴っていること、を指摘する。さらに、このような儒教の在り方は、古代以来の漢学の日本文化やその言語使用におけるシンクレティズムと関連するものとして、ひろく通観することができる(「漢学−その書記・生成・権威」)。

 そうした近世儒教思想の流れの中にあって、仁斎・徂徠は、儒教古典テキストにもとづく本格的な経学者として典型的な位置を占める。その経学の構築は、じつは当時の世間を背景にした思想創造でもあった。仁斎は元禄期京都での町人の文化と人倫、徂徠は元禄後江戸の政治的社会的変動を扱う思想であった、とする(「儒学の体系化−仁斎・徂徠の思想構築」)。

 第二部では、伊藤仁斎の道徳論の内部に立ち入る。仁斎において道徳は、朱子学のような先天的な理によって基礎付けられるものではなく、人々の意志や行為によって形成される。そこで、仁斎の道徳は、理ではなく徳行を中心に捉えられるともに、道の顕現・隠蔽という歴史的ストーリーと孔子という主体像の強調によって位置づけられる(「伊藤仁斎の「道」)。また、仁斎が道徳を人間の営みのうちに定位させる背景には、世界観的なヴァイタリズム(活物観)があり、そして仁斎は、道徳を歴史的に持続・蓄積されかつ天下に広がった公共的な実質としてとらえている。仁斎にとって、道徳とは人間における生命的・日常生活的な相互作用やその認知であり、その否定を乗り越えようとする営みでもあった、とする(「伊藤仁斎の倫理」)。

 荻生徂徠は、道をやはり人の営みとするが、仁斎よりいっそう人為的な構築物としとらえる。第三部の荻生徂徠論では、まず、徂徠でも仁斎同様、活物観があるがそれが神秘的不可知的様相を深めており、それと相俟って、世界を様々な主体的によって作為・構成された入れ子状の秩序として捉えていることを解明する(「活物的世界における聖人の道」)。そこにおいて構想された「道」の様態を、徂徠の政治国家構築論−礼楽等の制度構築および封建・郡県の国制論を中心に詳しく分析する(「徂徠学における「道」の様態」)。そのような徂徠の道は、自己と他者、人間組織など、各レベルにおいて、差異(多様性)を容れるものとして考えられており、それは徂徠の共同体空間からの出離とその対象化の経験に基づき、また彼の言語認識論からも来ていること、さらに生への畏敬感覚をも孕んでいること、を論証する(「荻生徂徠−差異の諸側面」)。

 こうした多様性の把握とも相まって、徂徠は、その道を、理ではなく文学性・歴史性を中心にとらえ、それを体得すべき主体的キャパシティー(量)の拡大・包括化を学問だとした。「徂徠学の基底」では、この問題を学問=主体形成論を軸に詳しく分析した。また、徂徠の主体論・人間論は、(しばしばそうだとされるような、相克的・利己的な人間観ではなく)、相生的・共生的な人間観を基礎とするもので、それを伸ばすところに徂徠の社会(俗)・国家構築論がある、とする(「荻生徂徠の人間論に向けて」)。

 最後に、このような徂徠学を形成史的に分析する。「初期徂徠の位相」では、徂徠学を押し出す所以となる、徂徠の出自・背後の物語をまず遡及する。これに加えて、共同体の認識枠の離脱(「クルワ」を出る)と世情への下降の体験が、初期徂徠のライトモチーフになって働いていることを指摘する。それは次いで徂徠の異言語理解論としての「訳学」となって発展するが、その根本文献である『訳文筌蹄』の従来十分明らかでなかったテキスト成立・文法的構成等をもさらに解明した(「『訳文筌蹄』をめぐって」)。

 以上の仁斎・徂徠論は、最大の日本儒者に数え挙げられる伊藤仁斎・荻生徂徠について、その思想内容を詳細かつ包括的な把握したものである。従来の近世日本政治思想史では、徂徠らに自然に対する作為の論理があることが指摘されていた。それを半ば正しいが、しかし彼らは、決して機械論的な世界の住人でも、絶対的な主体の哲学を説いたものでもなく、天地人の「生」を感得しつつ道徳を構成する思想家であることはしばしば見落とされていた。本論文は、その「生の思想」の側面に着目しつつ、仁斎・徂徠を多角的に明らかにした。

 さらに、彼らを含む近世儒教の位置づけでは、朱子学的儒教の盛行とこれに対する徂徠の主体的作為思想による打倒という従来のストーリーに対して、他の諸思想・諸宗教の複合性の中における儒教の神道依存的な成長という構図を対置させた。近世後半に向けてまだ探求の余地が残るが、把握パラダイムを変換するという意義は持ち得たのではないかと考えている。

審査要旨 要旨を表示する

 博士学位請求論文『近世日本社会と儒教』(ぺりかん社、2003年)は、3部から構成される。第1部では儒教の近世日本社会における位置づけと特徴を俯瞰し、第2部では伊藤仁斎、第3部では荻生徂徠の儒学について立ち入った分析を行っている。著者が1970年代から書き継いできた近世儒教論の集大成であって、緩やかな視点の変化を見せながら、全体として、今日の学界に対し日本近世の儒教を理解する標準とみなさるべき学説を提供している。

 今日、近世日本の儒教に関心を持つ人は少ない。西洋の学問体系に基づいて世界を見るように教育された我々にとって儒学的教養は遠い世界である。戦後の日本では近世儒学は封建道徳とか忠孝・仁義といったステロタイプ化された見方に押し込められ、見捨てられていると言って良い。このような知的状況において、著者は、伊藤仁斎や荻生徂徠らの遺したテクストに現代世界が見失った人間に関する奥深い感受性を発見し、そこから異質な他者と対話し、それを通じて現代社会を再生する方途を探求するに至った(「まえがき」、「儒学の体系化」)。

 さて、第1部は「近世社会の儒教」と名付けられ、近世儒教の思想史的・社会史的位置づけを試みている。20世紀なかばの研究では、儒学は幕藩体制を支えたイデオロギーと見なされ、初期に朱子学が正統の教説として採用され、その崩壊が近代を準備したと解されてきた。黒住氏の第1部の諸論文はこれを否定し、近世儒学を仏教・神道など諸思想の複合の中で、かつ生々の相で眺め、それを通じて近世儒学の権力との距離、近世後期における普及、そして近代の国民国家への大きな影響という、異なる物語を提供している。

 著者は、徳川初期の儒教の特徴を中国の朱子学と比較しつつ抽出する。まず社会史的な側面では、近世儒教が中国・朝鮮のように科挙を通じて政権と結びつかず、祭祀機能も持たなかったという渡辺浩が指摘した事実を確認する。ここでは、武家諸法度が当初、本来の「右文左武」を「左文右武」に転倒し、武の優位を明確にしつつも、綱吉の代になると文を優位に置くようになったという指摘が興味深い。また、祭祀に関与できなかった儒者は神道を取り込んだが、そのとき彼らは「別々のものの習合」と意識していなかったという指摘は重要と思われる(「儒学と近世日本社会」)。教説の面では、両者が生成の思想という共通面を有しながら、朱子学が天・人を一貫する「理」の存在、それに基づく個の全体に対する理想主義的働きかけという組み立てを持つのに対し、近世儒教では全体が個に先立って存在し、個々は全体に包含されるものと観念され、したがってその主体性は全体への報恩として随順の形を取るという(「徳川前期儒教の性格」)。これは、日本における共同体優先志向を儒教に即して見事に分析したものと評しうる。ただし、著者は究極の包括性をもつ随順対象として、「日本」が登場すると述べているが、その論証は不十分である。近世日本は大名の国家連合の上に「日本」という国家が成り立っていた二階建ての国家であり、「日本」が究極の随順対象になる経路は、何時いかにしてという点をより丁寧に説明せねばならない。

 さて、儒者が導入した「道」の言説は、権力が「天との応答関係」を独占しなかったゆえに、治世が深まるにつれて庶民の世界にも拡散していった。この強調が先行研究と著者の説との最も大きな相違点と思われる。「天道の理」による自己正当化の論理、また統治委託の論理を、統治身分だけでなく、富裕化し、自信をつけた庶民層が自ら獲得しようと努めた。それは庶民の自己規律を促したが、結局は「国民道徳」の形成、「人々の参加と包容の運動に結果」したという。「天」の崇拝の「無限定性」は差別化には役立たなかったが「国民的」包容と動員にはむしろ「好都合」だったという解釈は、一九世紀の理解にとって示唆的であるが、やはり、国学の生成との関係を含め、より詳細な分析が望まれる。

 他方、徳川権力が自らの正統性を確立しなかったことは、周知のように、幕末の権力喪失の前提となった。著者は、徳川が新井白石が主張したような独自の礼楽を樹立せず、「既に朝廷(天皇・公家)がもっている種姓と身分に結びついた文化的伝統の資本を充実し、これに寄り合う形で国家形成をしていく道」を選んだ理由として、一つには、社会関係が固定化して行ったとき、「根強い記憶の再生産構造としての種姓や伝統」が再浮上したこと、また一つには、「上下男女ともに天照皇太神へ参」るという「神国」の風儀があったことを挙げている。それぞれ示唆的ではあるが、ここでも論証は十分とはいえない。

 ところで、第1部の末尾には「漢学ーその書記・生成・権威」という論文が置かれていて、新しい展開を見せている。これは漢字と漢学の言語文化における権威の有りかたを、他の文字や学問との分節・複合・対抗関係の中で通観したものである。うち最も啓発的なのは、近世後半に普及した儒教的教養・語彙が近代にどう変容しつつ影響したかを述べた部分であろう。「洋学」のヘゲモニー確立の過程で、漢字の役割はむしろ重くなり、漢学・儒教も必ずしも捨てられたわけではなった。明治は「儒学・漢学がもっとも日本社会に受肉した時代だと言える面がある」。教育勅語や日本を東洋の指導者とするイデオロギーに言葉を供給する一方、西洋的な学問観に立つ「支那学」にも姿を変えて生き残った。この理解は、漢学の没落という見方と国家主義との抱合という理解の間にあった不整合を、いまだ十全でないにしても、解消する道を指し示しているように思われる。

 さて、第2部及び第3部では、近世の儒学思想界の頂点に立つ伊藤仁斎と荻生徂徠の思想分析が遂行されている。前者については、相良亨、子安宣邦等による先行研究をさらに進める意図のもと、仁斎学における「道」の概念を検討し、仁斎の思想が朱子学的な「理」を否定した「徳行」を中心としたものであることを明らかにしている。そして、そういった仁斎の思想成立の「基底」にある世界観的ヴァイタリズム(活物観)に着目し、それが倫理思想として展開した場合の意義を論じ、仁斎の生の倫理は「開かれた柔軟な態度で世界に対しており、寛やかなやさしさ」をもっており、「生々をどこまでも自覚的に保持してゆく強い内省と意志」とを含んでいた、と結論づけている。仁斎の思想の「基底」にあるものを内在的に理解・追体験しようとする黒住氏の方法意識が明確に読み取れるが、結論は従来より指摘されてきたことを大きく出るものではない。論文初出時から20年以上経過した現時点においては、仁斎研究としては物足りないものを感じる。しかし、氏独特の解釈と叙述のうちに仁斎の思想が魅力的に再構成されている点に氏の力量が遺憾なく窺えると言えよう。

 第3部の荻生徂徠を扱った部分においても、第2部同様に徂徠の思想に内在的に迫る方法が取られているが、それに加えて、徂徠の出自や背後の物語にまで遡及した、徂徠の思想形成史を扱った論考(「初期徂徠の位相」)も副えられており、徂徠の思想が歴史的に奥行きをもったものとして描かれている。ここではまず、徂徠の言う「聖人の道」が思想的敵手仁斎の活物的世界観を実は継承していることを確認し(「活物的世界観における聖人の道」)、さらにその「聖人の道」の様態を詳細に分析・再構成した上で(「徂徠学における「道」の様態」)、徂徠思想の特徴が「差異性」を積極的に承認し、「多様性」を重視したものであることが指摘され(「荻生徂徠ー差異の諸局面)、それらを可能ならしめている徂徠の学問の「基底」にあるものの探求(「徂徠学の基底」)へと考察が持続的に深まってゆく。その意味で特に「徂徠学の基底」という論考は黒住氏の徂徠理解の核心と見なせる。徂徠の思想にあっては、他者との差異性や存在の多様性の承認が、それを生み出した「天」への畏敬によって動機づけられているが、これを解釈学的に解き明かして、説得力がある。氏の叙述からは、丸山真男の描く近代的な徂徠像とも、また尾藤正英の描く「国家主義の祖型」としての徂徠像とも異なる、有機体的でホーリスティクな世界観の上に立脚する徂徠像が豊かに形象されてくる。徂徠学のその後の思想展開への見通しや宋明儒学との関連性といった領域にまで論が十分に及んでいないものの、これらの問題を考えて行く上でも、この徂徠像の提示は示唆的でありかつ重要であろう。

 さて、以上の諸論考を貫いて注目されるのは、ヴァイタリズムや生命主義的要素に注がれる氏の視線である。第2部・第3部の諸論は主に70年代後半から80年代にかけてのものであり、第1部のそれらは90年代以降、現在にいたるものである。この間に<哲学から思想史へ>とでも言うべき「方法上の変化」があったという。にもかかわらず、生成論、生命主義的要素、ヴァイタリズムは氏の問題意識の根底に持続的に一貫して横たわっており、それが第1部の論旨をも特色づけている。ただし、ヴァイタリズムの評価は第2部・第3部と第1部でかなり異なる。前者でポジティブに評価されていることは論述からして明らかであるが、第1部においてはそれが個の主体性を未成熟に留まらせるものとしてネガティブに評価されているのである。このねじれをどのように理解すべきであろうか。

 これに関連して、全体の配列・構成がやや不親切な点も問題であろう。概ね、新しいものから古いものの順に配列されているが、それが必ずしも貫かれていない。最初から読んでゆくと、解釈の変化がうまく辿れず、理解に支障を来す恐れがある。

 また、テクストの徹底的な内在的解釈は本書に学問的な信頼感を付す上で重要な貢献をしているが、その反面で、先行研究との関係への言及が少ないことが惜しまれる。思想史研究にしばしば見られることとはいえ、序論でやはり見通しを与える必要があったのではなかろうか。

 しかしながら、これらの問題点は、研究上の貢献と比べると重大なものではない。個別思想家についての掘り下げた研究成果を踏まえながら、それを近世社会の広い文脈の中で捉え直し、近代をも視野におさめながら近世日本社会における儒教の意味を知識社会学的に解明した本書は、世代を代表する学問研究の到達点を示している。

 本審査委員会は以上の根拠に基づき、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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