No | 216117 | |
著者(漢字) | 平尾,一 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ヒラオ,ハジメ | |
標題(和) | 反応性混成軌道法の開発とそれを用いた分子の反応性に関する研究 | |
標題(洋) | ||
報告番号 | 216117 | |
報告番号 | 乙16117 | |
学位授与日 | 2004.11.04 | |
学位種別 | 論文博士 | |
学位種類 | 博士(薬学) | |
学位記番号 | 第16117号 | |
研究科 | ||
専攻 | ||
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 【目的】 化学者が「官能基」,「矢印による電子表現」などといった(必ずしも対応する観測可能量があるとは限らない)局所的概念で化学現象をとらえようとしてきたのに対し,量子化学計算は,こうした性質を分子全体の中に埋没させてしまいがちである。そのため,計算結果を化学的に説明・解釈することは, 高精度化計算が可能になった今日でも困難な問題であり続けている。こうした状況の中, 著者は分子の局所的特性に基づいた量子化学理論を開発することが非常に重要な課題であると考え, 特に化学反応性や選択性を説明・予測する新しい方法論の開発を行った。 分子の反応性を解釈するための一般的な手法の一つに,分子軌道(MO)法に基づく軌道相互作用理論がある。軌道相互作用では, 主にMO の軌道エネルギー,広がり,位相関係によって相互作用の安定化度が決まる。特にフロンティア軌道と呼ばれるMOはそこで支配的役割を果たす。このことは福井らによって見出され,フロンティア軌道論として化学者に広く認知されている。しかしながら,同理論の妥当性は分子のサイズに依存する面がある。例えば,MO には分子全体に非局在化する傾向があるため,分子が大きくなるにつれて,ある原子上のHOMO の広がりは相対的に小さくなる。このことは一見,官能基の電子的反応性が分子のサイズに依存することを意味し,化学の常識と矛盾する。また分子が大きくなればMO のエネルギー間隔が狭くなるため,フロンティア軌道以外のMOの,相互作用への寄与の大きさは増すはずである。したがって,サイズの異なる分子,サイズの大きい分子の反応性を,一律にフロンティア軌道のみで解析する方法には明らかに限界がある。 本研究では,(1)反応性をより的確に表現する軌道(反応性軌道)を作成するための方法を確立すること,(2)それを有機反応の反応性と位置選択性の理論的解釈に適用すること,を目的とした。類似の研究はこれまでにあまり行われていないが,数少ない既存の方法には後述する問題点があるため,問題点を踏まえて新しい方法(反応性混成軌道法,RHO(Reactive Hybrid Orbital)法) を開発した。ただし,フロンティア軌道論の,単一のMOの広がり・エネルギーを見さえすればよいという点, などの簡潔さは実用上極めて重大な長所と考えられるため, なるべくそれをそこなわないように, 分子の反応性を表現する単一局在化軌道を導いた。さらには,現時点の最小基底関数とされているdouble-ζ 型関数にも対応可能にし,精度化も達成した。 【予備的検討― 反応性軌道と参照関数― 】 既存の反応性軌道法に射影反応軌道(Projected Reactive Orbital, PRO)法がある。その実行のためにはまず,「参照関数」と呼ばれる軌道を任意的に定義する必要がある。参照関数を被占分子軌道空間に射影することによって,電子供与に関わる「反応性軌道」を次のように得ることができる( 空軌道も同様)。 (1) しかし方法の根本をなす参照関数の定義方法には任意性の混入の余地があり,しばしばどのように定めてよいのかが不明である。具体的には,(1)double-ζ型基底関数を用いたとき,参照関数に各種AOをどのような割合で含めればよいのか,(2)対称性の低い分子への適用の際,どの方向に参照関数を向かせれば良いのか,といった不明点が生じる。もし参照関数の決定作業から任意性を排除できれば,反応性軌道の実用性が増すものと考えられる。そこで本章では,三つの参照関数決定法のプログラム開発を行い,計算結果を検討した。まずMethod 1として, 反応性軌道のエネルギー (2) を極値にする既存の方法を調べた。その結果,本手法はエネルギーの面では反応性をよく記述する反応性軌道を与えるものの,反応中心の広がりのバランスが悪いことがわかった。つまり,本来軌道相互作用ではエネルギーだけではなく反応中心上の軌道の広がりにも重要な意味があるが,本手法では後者の重要性を過小評価しすぎていた。そこでMethod 2として,反応性軌道の反応中心の軌道の広がりの指標となる局在化率(式(3))を最大にするような式を導出し,プログラム化した。本手法を検討した結果,得られる反応性軌道のエネルギーが低くなりすぎてしまっているという問題点があることなどが明らかになった。 foc=<δr |φ oc>2 (3) これらの問題点を踏まえて,反応性指数 ρoc=-foc/λoc (4) を最大にするMethod 3を検討した。その結果,Method 3がエネルギー, 軌道の広がりの両方の点で, バランスの良い反応軌道を与えることが判明した。Method 3で得られた反応性軌道による理論値は,芳香族アミンの塩基性の実験値(pKa)と,三種類の方法の中で最も良い相関を示すことがわかった(Fig. 1)。 本検討によって,反応性指数を最大にする手法が,優れた予測能とバランスを持つ反応性軌道を与えることが明らかになった。つまり,反応領域に局在化していて,しかも軌道エネルギーの高い軌道を得るという方針は,反応性軌道を得るための手段として妥当である。しかもこうした軌道は,何も参照関数という抽象的概念の導入で段階的に得なくても, 直接的に得られるはずであると考えられた。 【反応性混成軌道法の開発と芳香族求電子置換反応の選択性への適用】 本章では,参照関数の概念を排除するため,まずサイト電子密度focと反応性指数ρocを それぞれ foc=<φoc |φ´oc> (5) ρoc=-foc/λoc (6) と定義し, このρocを最大にするような軌道を得ることを試みた。ここでφ'ocは反応性軌道のうち, 反応中心に属するLCAO成分だけを抜き出したものである。つまりfoc値は,φocに属する電子のうち, 反応中心Aに属する電子の割合を表す。このロー値の最大化で得られる反応性軌道をRHOと名づけた。式(6)は,superdelocalizabilityと形式的には似た量であり,これを最大化すれば, エネルギーが高く,且つ局在化した軌道を得ることができる。 このように定義したRHO 法を用いて,アニソール,ニトロベンゼン,その他の類似化合物における軌道相互作用を調査した。HOMO ではニトロベンゼンの反応における位置選択性(メタ選択性)を説明できないことが知られている。しかしRHO は,求電子置換反応において実験的に観測されている位置選択性と一致した結果を与えることが判明した(Fig.2)。 次にRHOのカノニカルMO 成分を解析したところ,HOMO以外のπ型MOも積極的に(ある場合にはHOMOよりも大きく)関与していることが明らかになった。さらに,本手法を他の単置換ベンゼンにも適用したところ, 反応性とよく相関を示すことがわかった。多環式芳香族炭化水素中の炭素原子に関するRHO 値も,部分速度比の実験値とよく一致することがわかった。多環式芳香族炭化水素において, フロンティア軌道以外の多数の軌道が相互作用に関わっていること,ある場合には下位のMO の寄与がフロンティア軌道の寄与を上回ることが判明した。 【多中心版反応性混成軌道法の開発とDiels - Alder 反応の位置選択性への適用】 前章において,RHO 法は一反応中心の反応性を評価するように開発されており,Diels-Alder反応のような多中心反応へはそのままでは適用できないので,本章では方法の拡張を行った。分子X のトータルでの反応性が, 反応点k における反応性の和 (7) で与えられると仮定した。ただし ρkoc (X)=fkoc(X) /λoc(X) (8) fkoc(X)=<φoc(X)|φkoc(X)> (9) である。 本章では, 上で定義した多中心版RHO法を,Diels-Alder 反応の位置選択性に適用した。その結果,置換基によらず,反応部位に局在化した反応性軌道が得られることがわかった(Fig. 3)。Hoffmann らが指摘したように,Diels-Alder 反応のような多中心反応において,反応分子の間での軌道の重なりにおける位相関係は,反応性を決める重要な因子である。この効果を適切に取り込むためにも,軌道相互作用に基づくRHO法などの適用が望ましいと考えられる。 求めたRHOに基づき, ジエン内の各炭素の相対的反応性を式(9)の値の大きさで評価することができる。解析の結果, フロンティア軌道では例えばphenyl 基のついたbutadieneの反応の位置選択性の予測に失敗するが, RHO 法では正しい予測をすることがわかった。 【結論】 以上のように著者は,反応性を評価するための新しい手法をいくつか提案した。具体的には,(1)参照関数の新しい自動決定法を開発した。(2)参照関数の概念を用いないRHO 法を提案した。さらにはそれを拡張し,(3)多中心反応への応用を可能にした。これらは, 分子内・分子間の反応性解析において良い予測能を持つことが判明した。本手法の開発により, 分子の局所的な反応性を簡便に評価することが可能になった。また本研究の結果から,化学反応性は,フロンティア軌道のみでは到底表現しきれないものであり,その合理的な解析のためには,RHO法などの全MOの寄与を考慮した手法の適用が不可欠であると結論される。 Fig.1 Method 3 で得られたPROの計算量とpKaとの相関 Fig. 2 アニソールとニトロベンゼンの各位置のRHO Fig.3 Butadiene と((E)-Buta-1,3-dienyl)-benzene のHOMOとRHO | |
審査要旨 | 平尾一は,「反応性混成軌道法の開発とそれを用いた分子の反応性に関する研究」と題し,以下の研究を行った。 1. 反応性軌道の重要性 有機反応をはじめ生体反応の反応性や選択性の理論的な定量化は予測や解釈を与え,基礎化学はもとより応用化学において大きな意義を持つ。フロンティア軌道論は実験化学者に大きな影響を与えたものの,分子軌道の持つ特性,すなわち分子軌道には分子全体に非局在化する傾向がある点,また分子が大きくなれば分子軌道間のエネルギー差が小さくなるためエネルギー面から見た軌道のフロンティア性があいまいになる点,などにより応用可能性の限界が認識されている。すなわち分子軌道相互作用には,分子サイズが大きい場合には,ある反応中心に適切な位相関係を満たす軌道分布を持つ,エネルギー的に接近した複数の軌道が相互作用に寄与することが予測される。 一方,混成軌道として表現される反応性軌道(混成軌道とはLinear Combination of Molecular Orbitals (LCMO)近似で得られる分子軌道である)を定義するための従来法である射影反応軌道(Projected Reactive Orbital, PRO)法では参照関数(最小単位の反応系に主として関与する軌道)の定義が必要であるが,参照関数の選択には任意性が含まれ,単位反応を規定できない反応も多数存在する。したがってもし参照関数の決定作業での任意性が排除できれば,反応性軌道の実用性が増す。そこで(Method 1)反応性軌道のエネルギーを極値にする方法,(Method 2)局在化率を最大にする方法,(Method 3)反応性指数,−[局在化率] / [反応性軌道エネルギー]を最大にする方法を調べた。その結果,Method 1と2にはいくつかの問題点があることが明らかになり,Method 3 がエネルギー,軌道の広がりの両方の点で,最もバランスの良い反応軌道を与えることが判明した。Method 3で得られる反応性軌道による理論値は,アミンの塩基性の実験値(pKa)と,最も良い相関を示すことがわかった。 これらの検討によって,反応性指数を最大にする手法が実験値とよい相関を示すバランスの良い反応性軌道を与えることが明らかになった。つまり,被占軌道(空軌道)の関与する反応においては,反応中心領域に局在化していて,しかも軌道エネルギーの高い(低い)軌道を得るという方針は,反応性軌道を得るための手段として妥当である。よって反応性混成軌道を定義するには,参照関数という概念を導入し段階的に行う必要がなく,以下の直接的な定義によって得られるという提案に至った。 2. 反応性混成軌道法の新定義と芳香族求電子置換反応の選択性・選択性での検証 そこで,反応性を現す新しい局在化軌道は,−[反応軌道密度] / [反応性軌道エネルギー](反応性指数ρocと呼ぶ)という値を最大にするように定義した。すなわちこの反応性指数が最大になるような分子軌道の足し合わせ軌道(LCMO)を得ることを試みた。これにより,(被占軌道では)エネルギーが高くかつ局在化した混成軌道を得ることができる。このように定義した軌道をReactive Hybrid Orbital (RHO)と名付け,芳香族求電子置換反応の選択性・反応性に適用した。アニソール,ニトロベンゼンの求電子反応の位置選択性やその他の芳香族化合物間の部分速度定数(反応性)とそのRHO軌道のもつ性質(例えば,反応性軌道エネルギー)がよい相関を示した。特に,フロンティア軌道で予測不能なニトロベンゼンの反応の位置選択性に正しい予測を与えた。 さらに,本手法を他の単置換ベンゼンにも適用したところ,反応性とよく相関を示すことがわかった。多環式芳香族炭化水素中の炭素原子に関するRHO値も,部分速度比の実験値とよく一致することがわかった。RHO にはフロンティア軌道以外の多数の軌道が相互作用に関わっていること,ある場合には下位のMO の寄与がフロンティア軌道の寄与を上回ることが判明し,フロンティア軌道では説明できない事例も矛盾を示さなかった。 3. 多中心版反応性混成軌道法の開発とDiels-Alder 反応の位置選択性への適用 一原子上の反応性を評価するように開発したRHO 法を,Diels-Alder 反応のような多中心反応へ拡張した。分子X のトータルでの反応性が,反応点k における反応性の和で表されると仮定し,その仮定の下での反応性指数を最大にすることで多中心版RHO を得た。これをDiels-Alder反応の位置選択性に適用した。その結果,置換基によらず,反応部位に局在化した反応性軌道が得られることがわかった。Hoffmann らが指摘したように,Diels-Alder 反応のような多中心反応において,反応分子の間での位相のマッチした軌道の重なりは,反応性を決める重要な因子である。反応性の議論を電子密度(軌道を2乗して積分した形)の観点からなされることがあるがその場合軌道の位相の情報は消えてしまう。RHO 法ではMO を足すだけあるから位相の情報が残り,新たな軌道相互作用論が展開できる可能性がある。解析の結果,フロンティア軌道では例えばphenyl基のついたbutadiene の反応の位置選択性の予測に失敗するが,RHO 法では正しい予測をすることがわかった。 以上のように,平尾一は予測能を持つ反応性指数を開発し,軌道相互作用に新たな描像を与え,分子の化学反応性評価を理論的・簡便に解析するための道を開いた。本研究の成果は医薬品化学のみならず化学の基礎分野にも有意に貢献するものであり,博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。 | |
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