学位論文要旨



No 216120
著者(漢字) 北垣,浩志
著者(英字)
著者(カナ) キタガキ,ヒロシ
標題(和) 酵母Saccharomyces cerevisiaeの細胞壁形成に関わるタンパク質に関する研究
標題(洋)
報告番号 216120
報告番号 乙16120
学位授与日 2004.11.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16120号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 助教授 前田,達哉
 東京大学 助教授 足立,博之
内容要旨 要旨を表示する

 酵母はその細胞の外側に強固な細胞壁を持っている。酵母細胞壁は酵母を外界の環境から守ると同時に、外界の情報を酵母細胞に伝えるインターフェースでもある。また醸造においても、酵母細胞壁は清酒酵母の高泡形成能やビール酵母の凝集性などに関与し、重要な役割を有している。本研究では、酵母の静置培養特異的細胞壁タンパク質としてTir1p/Srp1pを、定常培養期において主要な細胞壁タンパク質としてSed1pを同定し、Sed1pが定常培養期において溶解酵素に対する耐性に関与していることを明らかにした。また、DCW1及びDFG5の遺伝子産物はGPIアンカー型膜タンパク質であり、芽の細胞壁の生合成に重要な役割を持つことを明らかにした。

1 静置培養特異的細胞壁タンパク質Tir1p/Srp1pの同定と解析

 静置培養した酵母の細胞壁グルカンから酵母溶解酵素であるRarobacter faecitabidus protease I処理で遊離する100-kDaのタンパク質を精製した。このタンパク質は、振盪培養した酵母からは見いだされなかった。このタンパク質のアミノ酸配列を決定したところ、TIR1/SRP1遺伝子がコードするタンパク質であった。TIR1/SRP1はこれまでにグルコース、低温ショックあるいは嫌気培養で誘導される遺伝子として見つかっており、その産物は細胞壁タンパク質ではなく細胞膜タンパク質であると考えられてきた。しかしながら、Tir1p/Srp1pはβ-1,3-グルカナーゼ処理によって細胞壁から溶出され、精製したTir1p/Srp1pはβ-1,6-グルカンに対する抗体と反応し、グルコースを含んでいた。これらのことから、Tir1p/Srp1pは静置培養された酵母における主要な細胞壁タンパク質のひとつであり、細胞壁にβ-1,6-グルカンを通じて結合していることが示唆された。TIR1/SRP1 mRNAは静置培養でのみ転写され、その転写はROX1 repressorにより制御されていた。以上のことから、Tir1p/Srp1pは静置培養特異的細胞壁タンパク質であることが示された。

2 定常培養期の主要細胞壁タンパク質Sed1pの同定と解析

 上記と同様の方法により、振盪培養した酵母の細胞壁から260-kDaの構造細胞壁タンパク質を精製した。アミノ酸配列の解析から、このタンパク質はSED1遺伝子の産物であることが明らかとなった。SED1はこれまでに、分泌経路からの小胞体内膣のタンパク質の回収に欠陥を持つerd2変異のマルチコピーサプレッサーとして見出されている。Sed1pはセリンとスレオニンに富み、他の細胞壁タンパク質と同じようにグリコシルホスファチヂルイノシトール(GPI)アンカーを付加するための想定上のシグナル配列を含んでいる。しかしながら、他の細胞壁タンパク質とは異なり、Sed1pは6個のシステインと7個の想定上のN糖鎖結合部位を含むことから、細胞壁タンパク質の新しいファミリーに属することが示唆された。エピトープタグを付加したSed1pはイムノブロット解析で細胞壁のβ-1,3-グルカナーゼ抽出画分に見出されたことから、Sed1pはグルカナーゼで抽出可能な細胞壁タンパク質であると考えられた。SED1 mRNAの発現は定常培養期で増加し、それに付随して細胞壁のSed1p含量も増加していた。SED1を破壊しても、対数増殖期の細胞には効果がなかったが、定常培養期の細胞は溶解酵素感受性になった。これらの結果は、Sed1pが定常培養期における主要な構造細胞壁タンパク質のひとつであり、定常培養期における溶解酵素に対する耐性に必要であることを示している。

3 細胞壁生合成に関与するDCW1 (YKL046c)とDFG5の同定と解析

 主要な酵母細胞壁タンパク質はGPIアンカータンパク質として合成され、細胞壁のβ-1,6-グルカンに転移することが知られている。この転移を糖転移反応であると仮定し、Bacillus circulansのα-1,6-mannanaseをコードする遺伝子とホモロジ−のある酵母の遺伝子をゲノムデータベースから検索したところ、DFG5とYKL046cが見出された。これらの遺伝子は互いに相同であり、GPIアンカータンパク質に特徴的な構造を持っていた。DFG5とYKL046cの単独破壊株は生育可能であったが、Δykl046cは細胞壁溶解酵素に感受性を示し、細胞壁が弱くなっていたことから、この遺伝子が細胞壁の生合成に関与していることが示唆された。従って、YKL046cをDCW1 (Defective Cell Wall)と命名した。Δdcw1 Δdfg5は致死であったことから、両遺伝子産物の機能は重複しており、細胞の増殖のためには少なくともひとつは必要であると考えられた。両方の遺伝子産物が欠損した細胞では、細胞は大きく丸くなり、細胞壁のキチン含量が多くなり、主要な細胞壁タンパク質であるCwp1pを培地に分泌した。Dcw1pにエピトープタグを付加して解析したところ、Dcw1pはN糖鎖を持ったGPIアンカー型膜タンパク質であり、細胞表層を含む膜画分に局在していた。これらの結果から、Dcw1pとDfg5pはGPIアンカー型膜タンパク質であり、細胞壁の通常の生合成に必要であることが示唆された。

4 温度感受性dcw1変異株の取得と解析

 Dcw1p及びDfg5pの細胞壁生合成に関する機能をより詳細に解析するため、PCRでランダムにDCW1に変異を導入し、プラスミドに組み込んだ後、Δdcw1 Δdfg5に形質転換して温度感受性変異株DC61を単離した。DC61を37℃で培養すると、ほとんどの細胞は母細胞の20%以下の断面積しか持たない小さな芽の状態で増殖を止めていた。この結果は、37℃で培養したDC61は細胞周期のアレストを起こしていることを示唆していたため、DNA含量を調べたところ、37℃で培養したDC61では、1n DNAを持った細胞の割合が減少していたが、Spindle pole body (SPB)は分離していなかった。また、細胞をDAPI染色したところ、単核であった。このことから、37℃で培養したDC61はDNA合成の後、SPB分離の前で細胞周期を停止していると考えられた。これらの小さな芽の表層にはキチンが集積し、芽は溶解を示したことから、芽の細胞壁が異常になっていると考えられた。また、DCW1 mRNAはG1期に、DFG5 mRNAはS期に、また両者とも対数増殖期に多く蓄積しており、芽の形成に重要な時期に発現すると考えられた。これらの結果から、Dcw1pとDfg5pは、芽の細胞壁の生合成に重要な役割を持つことが示された。

5 結論

 酵母溶解酵素であるRarobacter faecitabidus protease I処理で細胞壁グルカンから遊離する260-kDaと100-kDaのタンパク質を精製した。アミノ酸配列を解析した結果、260-kDaのタンパク質の配列はSed1pの配列と一致し、100-kDaのタンパク質の配列はTir1p/Srp1pの配列と一致した。TIR1/SRP1遺伝子は静置培養特異的に発現し、Tir1p/Srp1pはβ-1,6-グルカンに結合していると考えられたことから、Tir1p/Srp1pは静置培養特異的な細胞壁タンパク質であると考えられた。一方、SED1遺伝子は定常培養期に多く発現し、Sed1pは細胞壁からβ-1,3-グルカナーゼにより抽出できたことから、Sed1pは定常培養期の主要な細胞壁タンパク質であると考えられた。また、Sed1pは溶解酵素に対する耐性に関与していた。

 Bacillus circulansのα-1,6-mannanaseをコードする遺伝子とホモロジ−を持つ遺伝子として酵母ゲノムデータベースから見出したDCW1とDFG5について詳しく調べた。その結果、これらの遺伝子は互いに相同であり、両方破壊すると致死であった。Δdcw1は溶解酵素に対して感受性であり、Δdcw1 Δdfg5も細胞壁が弱くなった表現型を示したことから、これらの遺伝子は細胞壁の生合成に関与していると考えられた。DCW1にエピトープタグを付加して解析したところ、Dcw1pはN糖鎖を持ったGPIアンカー型膜タンパク質であり、膜を含む細胞表層に局在していた。Dcw1p及びDfg5pの細胞壁生合成における詳細な役割について解析するため、温度感受性のdcw1変異株を作成したところ、37℃で培養したdcw1ts株は異常な細胞壁を持った小さな芽の状態でDNA合成の後、SPB分離の前で細胞周期を停止しており、細胞壁チェックポイントにより細胞周期を停止したと考えられた。事実、DCW1 mRNAはG1期に、DFG5 mRNAはS期に、また両者とも対数増殖期に多く蓄積しており、芽の形成に重要な時期に発現していた。このことから、Dcw1p及びDfg5pは芽の細胞壁の生合成に重要な役割を持つことが明らかとなった。

審査要旨 要旨を表示する

 酵母の細胞壁は、細胞を外界から守るとともに物質や情報の授受に関わるが、醸造においても清酒酵母の高泡形成やビール酵母の凝集性に関与するなど重要な役割をもっている。

本論文は、この酵母細胞壁の形成に関わる新規なタンパク質の分子生物学的研究をまとめたもので、5章からなっている。

 第1章の序論では、酵母細胞壁の組成・構造・生合成に関して、研究開始時までの知見、未解明の問題点についてまとめ、本論文の研究で行われたタンパク質の単離による生化学的解析と、ゲノム情報に基づく遺伝学的解析の意義が述べられている。

 第2章では、静置培養時に特異的な細胞壁タンパク質Tir1p/Srp1pについて解析した。酵母溶解酵素であるRarobacter faecitabidus proteaseで酵母細胞壁を処理すると、静置培養した酵母から100kDaのタンパク質が遊離されるが、振盪培養した酵母からは見出されなかった。これを精製し、アミノ酸配列を決定したところ、低温ショックや嫌気培養で誘導される遺伝子として見つかったTIR1/SRP1遺伝子にコードされていることが判明した。この産物は、細胞質膜のタンパク質と考えられてきたが、分離した細胞壁からβ-1,3-グルカナーゼ処理によって溶出され、β-1,6-グルカンが結合していることなどから、実際には細胞壁グルカンに共有結合しているタンパク質であることを明らかにした。

 第3章では、定常期に主要な細胞壁タンパク質となるSed1pについて解析した。上記と同様に分離精製した206kDaのタンパク質が、そのアミノ酸配列からSED1遺伝子の産物であることを明らかにした。SED1は、小胞体内腔タンパク質の局在に欠陥をもつerd2変異の多コピー抑制遺伝子として見出されていたが、Sed1pは分泌とGPIアンカー付加のためのシグナル配列をもち、セリン・スレオニンに富むタンパク質である。エピトープ標識したSed1pが単離した細胞壁に結合しており、β-1,3-グルカナーゼ消化で遊離されることから、細胞壁を構成するタンパク質であることを確認した。SED1mRNAの発現は、培養の定常期に増加し、細胞壁の存在量も増加した。遺伝子破壊株は、対数増殖期には変化がないが、定常期に細胞壁溶解酵素に高感受性になったことから、定常期における細胞壁の分解抵抗性に寄与することが示唆された。

 第4章では、機能未知の遺伝子がコードする新規膜タンパク質を同定し解析した。GPIアンカー中間体として細胞表層に輸送された細胞壁タンパク質は、糖転移反応によって細胞壁のβ-1,6-グルカンを介しβ-1,3-グルカンに結合する。この反応に関わる酵素はこれまでの研究ではまったく明らかになっていない。酵母ゲノムデータベースを検索し、Bacillus circulansのα-1,6-mannanaseと相同的なタンパク質をコードする、DFG5とYKL046cを発見した。これらは、ともにGPIアンカータンパク質と予想され、それぞれの単独の遺伝子破壊株は生育可能であったが、Δykl046cは細胞壁溶解酵素に高感受性になったことから、DCW1(Defective Cell Wall 1)と命名した。Δdcw1 Δdfg5二重破壊は致死的であったことから、両遺伝子産物の機能は重複しており、少なくとも一方の存在が必須であることが明らかとなった。遺伝子発現を抑制すると、細胞は大きく丸くなり、キチン含量が増加し、細胞壁タンパク質が培地に漏出した。エピトープ標識によって、両遺伝子産物がGPIアンカー型タンパク質であり、膜画分に存在することを示した。

 第5章では、PCRによりDCW1遺伝子に変異を導入し、Δdcw1 Δdfg5二重破壊株にプラスミドで存在させることで、温度感受性変異株DC61を単離した。37℃で培養すると、ほとんどの細胞は母細胞の20%以下の断面積の芽をもつ状態で増殖を停止した。DNA含量1Nの細胞の割合は減少したが、単核であり、Spindle Pole Body(SPB)の分離はみられず、DNA複製後SPB分離前で細胞周期が停止していると考えられた。小さな芽の表層にはキチンが集積し、液胞のアルカリ性ホスファターゼが活性染色で反応することから、芽の細胞壁が脆弱になっている。すなわち、Dcw1pとDfg5pは、細胞周期の進行と共役する芽の細胞壁の生合成において、必須の役割をもっていることが明らかになった。

 以上、本論文は、酵母の細胞壁を構成する主要タンパク質と、細胞壁の形成に関わる必須な膜タンパク質を発見し、それぞれの特徴を明らかにしたもので、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50256