学位論文要旨



No 216121
著者(漢字) 宮腰,靖之
著者(英字)
著者(カナ) ミヤコシ,ヤスユキ
標題(和) 北海道におけるサクラマスの放流効果および資源評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 216121
報告番号 乙16121
学位授与日 2004.11.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16121号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白木原,國雄
 東京大学 教授 青木,一郎
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 助教授 山川,卓
 東京海洋大学 教授 北田,修一
内容要旨 要旨を表示する

 北海道におけるサクラマスOncorhynchus masouの放流効果を評価し,望ましい増殖方法について指針を示すことを目的に,市場における水揚げ尾数,沿岸での遊漁船による釣獲尾数,河川内でのサクラマスの生残率を調べた。これらの調査では,サンプリング理論に基づく調査方法や標識再捕による個体数の推定方法を応用し,サクラマスの生態を考慮した放流効果および資源の評価方法を検討した。得られた調査結果からサクラマスの種苗放流を含む資源増殖の問題点と今後の展望を述べる。

1. 北海道におけるサクラマスの生活史と資源増殖の取り組み

 北太平洋のアジア側にのみ分布しているサクラマスは,北日本における冬から春にかけての重要な漁業資源の一つとなっている。北海道ではサクラマスの資源増殖を目的とした種苗放流が実施されているが,近年も北海道沿岸におけるサクラマスの漁獲量は減少傾向が続いている。サクラマスの種苗放流の歴史はサケOncorhynchus ketaと同様に100年以上の歴史を持つが,長い間,無給餌の稚魚放流が続けられ,目立った放流効果はみられなかった。1960年代以降,サクラマスの生態が詳しく調べられ,それらの調査結果に基づいて放流技術の開発が進められた。1980年代以降はスモルト(降海型幼魚)など大型幼魚の放流技術が検討され,試験放流では有効な増殖手法となり得る可能性が示されている。ここでは,北海道のサクラマスの生活史や生物学的特徴を概説し,増殖事業のこれまでの経過と最近の取り組みを整理した。

2. 市場調査によるサクラマス放流効果の推定

 サクラマスの種苗放流効果を検証するために試験放流が実施されてきたが,放流効果調査は放流河川とその近隣の市場に限られており,沿岸に沿って広い範囲を回遊するサクラマスの放流効果が十分に評価されるまでには至らなかった。1994年以降,北海道でのサクラマスの主な水揚げ地域において,市場を1次抽出単位,水揚げ日を2次抽出単位とする2段抽出の市場調査を実施し,沿岸漁業による標識魚の回収率および経済回収率(種苗生産コストに対する水揚げ金額の比)の推定を試みた。日本海側から放流されたサクラマスは放流翌冬から春にかけて,季節ごとに水揚げ場所を変えながら各地で漁業の対象となっていることが明らかとなった。冬には津軽海峡や太平洋側での水揚げが多く,春には放流場所近くでの水揚げ尾数が多くなった。標識魚の沿岸漁業による回収率(括弧内は標準誤差)は稚魚放流では0.22 (0.08)〜0.54 (0.09) %,スモルト放流では0.18 (0.06)〜4.05 (0.88) %と推定された。スモルト放流では高い回収率が得られた事例もみられたが,ばらつきが大きく,回収率の向上と安定化が必要であると考えられた。稚魚放流では回収率は低いものの,ばらつきは小さく,種苗生産コストが安いこともあり経済回収率はスモルト放流より高い結果となった。水揚げ尾数の推定の際には,市場の層別が推定精度の向上に有効であった。また,市場間分散が市場内(日間)分散よりも大きく,調査市場数を増やすことが推定精度の向上に有効であると考えられた。

3. スモルトの放流サイズと放流効果の関係

 北海道西岸における市場調査で得られた結果を用い,放流時のサクラマススモルトのサイズと沿岸漁業による回収率の関係を調べた。スモルトの平均体重のデータと回収率の推定値および分散を7つの回帰モデルに適用し,最尤法を用いてパラメータを推定した。モデルの妥当性はAICの大小で判定した。スモルトサイズが20 g台から30 gに大型化するにつれて,沿岸漁業による回収率が高くなる傾向がみられたが,35 gを超えるサイズでは顕著な回収率の向上はみられなかった。スモルトサイズと回収率の関係を表す式としてはロジスティック曲線が最も小さなAICを示し,最も妥当性の高いモデルと考えられた。

4. 遊漁船によるサクラマス釣獲尾数の推定

 近年,栽培漁業の放流効果が明らかとなる一方で,種苗放流の対象魚種が遊漁者により数多く利用されている実態が徐々に明らかにされるようになった。サクラマスでも沿岸での遊漁が新聞,雑誌などで取り上げられることが多くなったが,遊漁に関する統計は整備されておらず,遊漁による釣獲尾数は把握されていない。1998年および1999年の12月から翌年3月,北海道太平洋側の胆振沿岸において,遊漁船によるサクラマスの釣獲尾数を調べた。標本抽出は1段のクラスターサンプリングとし,標本船のすべての出漁日における遊漁者数と釣獲尾数を記録した。遊漁者1人1日あたりの釣獲尾数は約4尾で,1日あたりの釣獲尾数が5尾以下の遊漁者が全体の7割以上を占めた。釣獲尾数のピークは1月下旬から2月上旬にかけてみられた。同海域におけるサクラマスの釣獲尾数(括弧内は標準誤差)は1999年には66,844(11,685)尾,2000年には57,454(6,559)尾と推定された。これは北海道沿岸での漁業による年間漁獲尾数の12〜13%に相当し,サクラマスの資源管理や放流効果の評価において,遊漁による釣獲尾数の把握が重要であることが示唆された。

5. 標識再捕によるスモルト降河尾数の推定

 サクラマスのように長い河川生活期を持つサケ科魚類では,河川での最終発育段階であるスモルトの降河尾数を定量的に調べることにより,放流された稚幼魚の生残率を評価したり,野生魚の資源量を把握することができる。1998年および1999年の5〜7月,北海道北部を流れる増幌川において,2つのトラップを用いて標識再捕によりサクラマススモルトの個体数の推定を試みた。調査期間中を通じて2つのトラップを連続的に稼動させ,標識と再捕を繰り返した。標識と再捕データをすべて合計して計算するpooled Petersen法とデータを週ごとに層別した層別Petersen法(ML Darroch法)によりスモルトの降河尾数を推定した。層別Petersen法ではpooled Petersen法と比べ,1998年は30%,1999年は16%大きな推定値となった。一方,変動係数は両年とも層別Petersen法よりもpooled Petersen法のほうが小さく,推定精度は高かった。しかし,標識魚の時期ごとの再捕率や,標識魚と未標識魚の採捕尾数の比率を検定した結果,pooled Petersen推定値は偏りを持つものと判断され,層別Petersen法がより適切な推定値を与えるものと考えられた。スモルトの移動速度が時期的に変化し,トラップの採集効率も河川流量の変動に伴って時期的に変動した。これらのことが個体のとられ易さの不均一さの原因となり,pooled Petersen法による推定値の偏りの原因となったものと考えられた。

6. 秋季に河川放流したサクラマス幼魚の生残率の推定

 河川での遊漁による減耗を最小限にするため,遊漁のシーズンが終わりに近づいた秋季にサクラマス幼魚を放流する秋季幼魚放流が実施されている。1994〜1998年の10月,ふ化場で飼育したサクラマス幼魚(平均体重の範囲:4.1〜13.9 g)を北海道北部の増幌川に放流し,冬季間の生残率と放流翌春のスモルト降河尾数を調査した。スモルト降河尾数は2つのトラップを用いた標識再捕により推定した。スモルトの降河移動が終わった7月には,調査河川から数箇所の定点を抽出した後,各定点において2回採捕の除去法を行い,スモルト化せず河川に残留している放流魚の個体数を推定した。スモルトと河川残留魚の個体数の合計を冬季間の生残個体数とした。放流翌年にスモルト化した幼魚の割合(括弧内は標準誤差)は2.2(1.7)〜15.7(2.2)%と推定され,放流時の平均体重と翌春のスモルト化率の間には正の相関がみられた。また,放流サイズと冬季間の生残率の間にも正の相関がみられた。漁業資源の増殖の観点からみると,放流翌年に多くのスモルトを降河させることが効果的であり,秋季幼魚放流では大型幼魚の放流の効果が高いものと考えられた。

7. 総合討論

 サクラマスの放流効果と資源評価について議論した。市場調査による水揚げ尾数の推定では単純ランダムサンプリングを基本とした2段抽出の調査方法を用いることにより,広い範囲の調査を効率よく実施することが可能であった。単純ランダムサンプリングに基づく調査方法は,統計の整備されていない遊漁による釣獲尾数の推定にも有効であった。精度のよい推定のためには,対象魚種の生態や水揚げ実態に合わせた調査計画と市場の層別の検討が必要であり,現場の状況に応じた調査方法の創意工夫が重要であることを述べた。河川でのスモルト降河尾数の推定については,層別Petersen法の有効性を指摘するとともに,効率的な採集方法の工夫が重要であることを述べた。また,河川に生息するサクラマス幼魚の個体数の推定方法についても,定点数の設定や定点内での除去法による推定方法について論じた。最後に,種苗放流による生態系への影響が懸念されていることに触れ,本論文で明らかにしたサクラマスの増殖技術の現状を踏まえた上で,今後のサクラマスの資源評価および増殖の取り組みについての展望を述べた。

審査要旨 要旨を表示する

 枯渇した水産資源を回復させたり漁獲量を安定化させるために,人工種苗の放流が活発に行われてきている.しかし,放流効果が明確に示された事例は決して多くない.これは,放流技術の未熟さや対象資源の生態を踏まえなかった放流に起因するだけでなく,放流効果判定の方法に問題があることも考えられる.近年,自然環境の保全への関心の高まりとともに,資源の持続的利用を可能とする資源増殖の実行が要求されるようになった.これに対して責任のある対応をするためには,対象資源の生態・資源評価,それらに応じた放流技術の確立,放流効果の判定方法の確立,放流事業の経済分析までの多様な研究が必要となる.サクラマスは北日本とりわけ北海道で重要な水産資源となっているが,漁獲量は漸減傾向にある.本種に対して責任のある資源増殖が期待されているが,これに関連する研究は萌芽段階にとどまっている.

 本論文「北海道におけるサクラマスの放流効果および資源評価に関する研究」は7つの章よりなる.第1章「北海道におけるサクラマスの生活史と資源増殖の取り組み」では,序章として,北海道におけるサクラマスの生活史の概要を述べ,これまでの増殖事業の経過や現在行われている放流方法についてレビューを行った.第2章「市場調査によるサクラマス放流効果の推定」では,北海道でのサクラマスの主な水揚げ地域において2段抽出の市場調査を実施し,標識魚の沿岸漁業による回収率は稚魚放流では0.2〜0.5%,スモルト放流では0.2〜4.1%と推定した.一方,コストの高いスモルト放流が経済的には有利とは限らないことを示した.第3章「スモルトの放流サイズと放流効果の関係」では,北海道西岸における市場調査で得られた結果を用い,放流時のサクラマススモルトのサイズと沿岸漁業による回収率の関係を調べた.スモルトサイズが大型化するにつれて放流効果が高くなる傾向がみられたが,35 gを超えるサイズの放流からは顕著な効果が期待できないことが分かった.第4章「遊漁船によるサクラマス釣獲尾数の推定」では,沿岸域におけるサクラマスの遊漁船による釣獲尾数を標本調査から初めて推定した.調査海域とした北海道胆振沿岸での遊漁による釣獲尾数は,1999-2000年に5,6万尾に達した.これは北海道沿岸での漁業による年間漁獲尾数の12〜13%に相当し,サクラマスの資源管理や放流効果の評価において,遊漁による釣獲尾数が無視できない数量にのぼることを示した.第5章「標識再捕によるスモルト降河尾数の推定」では2つのトラップを用いて標識再捕調査を行い,層別Petersen法により1998-99年のスモルトの降河尾数をそれぞれ13821,7988尾と推定した.Pooled Petersen法もあわせて適用し,この手法適用の問題点と推定値の偏りについて論じた.第6章「秋季に河川放流したサクラマス幼魚の生残率の推定」では,秋季に放流したサクラマスの翌春のスモルト降河尾数および冬季間の生残率を推定した.放流時の平均体重と翌春のスモルト化率(2.2〜15.7%)の間に,また放流サイズと冬季間の生残率(9.0〜17.0%)の間に正の相関がみられ,秋季の幼魚放流では大型幼魚の放流の効果が高いものと考えられた.第7章「総合討論」では,本論文で用いた放流効果の評価および資源評価の手法について検討し,本論文で明らかにしたサクラマスの増殖技術の現状を踏まえた上で,今後のサクラマスの資源評価および増殖の取り組みについての展望を述べた.

 審査委員会の全委員は.長年のサクラマス資源増殖研究に基づき,野外調査データに裏打ちされた詳細な分析を評価した.従来,放流効果や資源評価に関する推定は点推定値の提示に留まりがちであったが,本研究は推定精度を明示しており,学術的価値の高い研究となっていることは全員の一致した見解であった.討議はむしろ今後の課題に集中した.人工種苗の放流にもかかわらずサクラマスの漁獲量の減少が続く中で,サクラマスの資源増殖は如何にあるべきか,その具体的な指針を何かを提示してほしいとの要望が出された.さらに,放流効果の判定のためには,野生資源の評価の一層の充実も必要であるとの意見が出された.本論文の枠組みを超えるこれらの要望が提出されたことは,申請者の高い力量を考慮しての期待とみなすことができる.パラメータ推定に関する技術的な質問も幾つかあったが,申請者は的確に返答した.

 以上のように,本論文を積極的に評価する見解が相次いだ.審査委員会委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として十分に価値あるものと認めた.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50257