学位論文要旨



No 216123
著者(漢字) 伊藤,今日子
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,キョウコ
標題(和) ニトロフラゾン投与ラットの肝臓における変化
標題(洋) Nitrofurazone-induced Changes in the Rat Liver
報告番号 216123
報告番号 乙16123
学位授与日 2004.11.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第16123号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 九郎丸,正道
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 中山,裕之
 (有)アグロトックス 代表取締役 真板,敬三
内容要旨 要旨を表示する

 ニトロフラゾン(NF)は抗生剤の一つとして,20世紀前半から医学および獣医学領域で使用されている.従来より,その精巣毒性については比較的詳細な形態学的研究が行われてきたが,肝臓に対する影響に関する報告はごく少ない.すなわち,高用量のNFはラットに軽度な肝細胞傷害を生じることが知られているが,その詳細は不明である.また,低用量のNFの長期投与では,肝重量の増加が報告されており,組織学的変化についての記載はみられないものの,細胞分裂が増加した可能性が考えられている.細胞増殖には大きく分けてcompensatoryおよびmitogen-induced proliferationの2つの種類が知られている.前者は,物理的に細胞が減少した際,例えば,部分的肝切除や肝傷害物質による壊死に引き続いてみられ,失った細胞を補充するための増殖と考えられており,後者は,細胞の減少や傷害を伴わない増殖である.

 本研究は,高用量と低用量のNFをラットに投与した際の肝臓に対する影響を明らかにすることを目的として行った.また,NFの代謝には還元反応が関与することが知られており,フリーラジカルの発生が推測されることから,NFによる肝臓の変化へのフリーラジカルの関与の有無を調べた.さらに,NF低用量投与時に肝細胞増殖が確認されたため,それに至る経路の一端を解明すべく,肝細胞増殖関連因子の動態を,real time PCRの手法を用いて検討するとともに,各因子の動態に及ぼすフリーラジカルの関与についても調べた.

 得られた結果は以下のとおりである.

1.NFを致死量に近い500mg/kgの用量でF344雄ラットに単回経口投与したところ,散在性の肝細胞小壊死巣が観察された.壊死巣は肝小葉のzone2に多くみられる傾向を示した.

2.NFの高用量投与により誘発される肝細胞壊死は,グルタチオン(GSH)枯渇剤であるdiethyl maleate(DEM)の前投与により増悪し,散在性であった小壊死巣はzone2全域に広がり,一部でzone3の肝細胞の変性もみられた.

3.低用量のNFをF344雄ラットに単回投与し,投与後1,2,3,および5日目の肝臓を調べたところ,肝重量とBrdU取り込みの指標であるlabeling index(LI)の増加,すなわち肝細胞増殖は,2日間対照群より高値を示し,その後対照群と同程度の値に戻った.

4.低用量のNFをF344雄ラットに1,2,3,5,および7日間投与したところ,肝重量は増加し,肝細胞増殖が増加した.肝細胞増殖は投与2日で最大となり,その後は減少し,投与を継続したにもかかわらず,対照群と同程度の値に戻った.また,肝重量は数日間増加したものの,ある一定の値で停止し,それ以上は増加しなかった.

5.NFの低用量群でみられた変化には用量依存性が認められた.

6.肝細胞増殖に先立ち,生化学的にも,組織学的にも,肝細胞傷害はみられなかった.

7.NFの血中濃度は投与後速やかに上昇し,1時間後に最大となり,その後徐々に低下した.

8.細胞内グルタチオン濃度を上げ,antioxidantとしても作用するN-acetylcysteine(NAC)の前投与により,NFによる肝細胞増殖は抑制された.

9.NF単回投与後の肝細胞増殖関連の遺伝子発現量をRT-PCRで調べたところ,投与後1,2時間目にc-jun,c-mycが増加し,続いてTNF-αが投与後8時間目にピークに達し,c-Ha-rasが投与後8-12時間目,およびサイクリンEが16から20時間目にかけて増加した.

10.これらの遺伝子の発現増加は,NAC前投与により抑えられた.

 以上のことから,

1.高用量NFは肝毒性物質としての作用を示し,肝細胞壊死にはフリーラジカルの関与が示唆された.

2.低用量NFは肝細胞の傷害を伴わずに肝細胞増殖作用を示す,すなわち,mitogenとしての作用を有し,その作用は用量依存性,かつ可逆性で,連続投与してもある時点で停止することが明らかとなった.

3.低用量NFのmitogen作用にもフリーラジカルが関与していることが示された.

4.NFのmitogen作用において,

i)フリーラジカル発生

ii)early response genesが増加,肝細胞がprimingを受ける.(G0→G1期の細胞が増える)

iii)TNF-α,TGF-αの増加による増殖刺激

iv)c-Ha-rasおよびサイクリンEの増加

v)restriction point通過とS期移行

vi)肝細胞DNA合成

という経路を辿る可能性が示された.

5.NF投与により発現の増加した遺伝子セットは,他のmitogenとして知られる物質によるそれとよく類似していた.

 上述したように,NFは,高用量では肝毒性物質としての作用,低用量ではmitogenとしての作用を有することが示された.こうした投与量による作用の違いは,投与量によるフリーラジカルの発生量の違いに起因するものと推測される.肝毒性物質として代表的な四塩化炭素も,低用量ではmitogenとしての作用を示すように,多くの物質は,細胞に対し,傷害として捉えられない程度の何らかの機能的負荷を与える領域,すなわちmitogenとして作用する領域をもつと考えられる.その際の細胞増殖は,適応反応の一つとして捉えられる.また,その負荷が,細胞の防御機構あるいは代償機能や適応反応で対応できる範囲を超えると,肝毒性物質として作用するものと考えられる.物質により各領域の幅が異なり,その幅の比率により,肝毒性物質,あるいはmitogenとして分類されるのであろう.

 肝切除後や肝毒性物質投与後にみられるcompensatory proliferationと,mitogenによるmitogen-induced proliferationでは,c-jun,c-myc,TNF-αなどの共通した遺伝子の関与が示唆されており,NF投与後も同様な遺伝子の発現の増加がみられた.一方,compensatory proliferationでみられるEGFやHGFの増加はみられなかったが,TGF-αの増加がみられ,この点は他のmitogenに関する報告とは異なっていた.これには,TNF-αにより誘導された可能性,および別経路で発現が増加した可能性が考えられた.フリーラジカル発生とその後の変化を結ぶ因子として,最近注目されているNF-KBの活性化の有無を調べたところ,NF投与により,サブユニットであるp65の核内への移行はみられなかった.フリーラジカル,およびそれに伴うGSHを含む細胞の防御システムの変化は,細胞の酸化還元電位や環境に変化をもたらすが,この変化は,タンパクキナーゼやフォスファターゼ,およびその他の転写因子などのシグナル伝達系に影響することが知られている.NF投与に際し,これらの影響がどの程度であったかについては不明であるが,フリーラジカル発生による細胞内の環境変化が,集合的に遺伝子発現の変化,さらには最終的に肝細胞増殖へと導いた可能性が考えられた.

 本研究により,NFは用量によって肝傷害物質としてもmitogenとしても作用し,そのいずれにおいてもフリーラジカルが関与していることが明らかとなった.また,mitogenとしての作用は可逆的で,連続投与時でも一過性で,肝臓は重量が増加した状態で定常状態に至ること,および,mitogenicな過程は,他のmitogenでみられるそれと類似していることも明らかとなった.

 本研究の成果は,化学物質による肝毒性の発現機序を考える上での基礎的知見として極めて重要である.

審査要旨 要旨を表示する

 ニトロフラゾン(NF)は抗生剤の一つで,従来より,その精巣毒性について形態学的研究が行われてきたが,肝臓に対する影響に関する報告はごく少ない.すなわち,高用量のNFはラットに軽度な肝細胞傷害を生じることが知られている.また,低用量のNFの長期投与では,肝重量の増加が報告されており,組織学的変化についての記載はみられないものの,細胞分裂が増加した可能性が考えらていれる.細胞増殖には大きく分けて,失った細胞を補充するたの増殖と考えられているcompensatory proliferationおよび細胞の減少や傷害を伴わないmitogen-induced proliferationの2つの種類が知られている.本研究は,高用量と低用量のNFをラットに投与した際の肝臓に対する影響を明らかにすることを目的として行った.また,NFの代謝には還元反応が関与することが知られており,フリーラジカルの発生が推測されることから,NFによる肝臓の変化へのフリーラジカルの関与の有無を調べた.さらに,NF低用量投与時に肝細胞増殖が確認されたため,それに至る経路の一端を解明すべく,肝細胞増殖関連因子の動態を,real time PCRの手法を用いて検討するとともに,各因子の動態に及ぼすフリーラジカルの関与についても調べた.

 得られた結果は以下のとおりである.

1.NFを致死量に近い500mg/kgの用量でF344雄ラットに単回経口投与したところ,散在性の肝細胞小壊死巣が観察され,壊死はグルタチオン(GSH)枯渇剤であるdiethyl maleate(DEM)の前投与により増悪した.

2.低用量のNFをF344雄ラットに単回投与し,投与後1,2,3,および5日目の肝臓を調べたところ,肝重量と肝細胞増殖が2日間対照群より高値を示し,その後対照群と同程度の値に戻った.

3.低用量のNFをF344雄ラットに1,2,3,5,および7日間投与したところ,肝細胞増殖は投与2日で最大となり,その後は減少し,投与を継続したにもかかわらず,対照群と同程度の値に戻った.また,肝重量は数日間増加したものの,ある一定の値で停止し,それ以上は増加しなかった.これらの変化には用量依存性が認められた.

4.肝細胞増殖に先立ち,生化学的にも,組織学的にも,肝細胞傷害はみられなかった.

5.NFの血中濃度は投与後速やかに上昇し,1時間後に最大となり,その後徐々に低下した.

6.細胞内グルタチオン濃度を上げ,antioxidantとしても作用するN-acetylcysteine(NAC)の前投与により,NFによる肝細胞増殖は抑制された.

7.NF単回投与後の肝細胞増殖関連の遺伝子発現量をRT-PCRで調べたところ,投与後1,2時間目にc-jun,c-mycが増加し,続いてTNF-alphaおよびTGF-alphaが投与後8時間目にかけて増加,c-Ha-rasが投与後8-12時間目,およびサイクリンEが16から20時間目にかけて増加した.これらの遺伝子の発現増加は,NAC前投与により抑えられた.

 以上のことから,

1.高用量NFは肝毒性物質としての作用を示し,肝細胞壊死にはフリーラジカルの関与が示唆された.

2.低用量NFはmitogenとしての作用を有し,その作用は用量依存性,かつ可逆性で,連続投与してもある時点で停止することが明らかとなった.また,低用量NFのmitogen作用にもフリーラジカルが関与していることが示された.

3.NFのmitogen作用において,発現の増加した遺伝子セットは,他のmitogenとして知られる物質によるそれとよく類似しており,フリーラジカル発生→early response genesが増加,肝細胞がprimingを受ける(G0→G1期の細胞が増える)→TNF-alpha,TGF-alphaの増加による増殖刺激→c-Ha-rasおよびサイクリンEの増加→restriction point通過とS期移行→肝細胞DNA合成という経路を辿る可能性が示された.

 上述したように,NFは,用量によって肝傷害物質としてもmitogenとしても作用し,いずれにおいてもフリーラジカルが関与していることが明らかとなった.また,mitogenとしての作用は可逆的で,連続投与時でも一過性で,肝臓は重量が増加した状態で定常状態に至ること,およびmitogenicな過程は,他のmitogenでみられるそれと類似していることも明らかとなった.本研究の成果は,化学物質による肝毒性の発現機序を考える上での基礎的知見として極めて重要である。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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