学位論文要旨



No 216131
著者(漢字) 澤岡,清秀
著者(英字)
著者(カナ) サワオカ,キヨヒデ
標題(和) 建築の創造的再利用に関する研究 : ニューヨークとチューリヒのケースを中心として
標題(洋)
報告番号 216131
報告番号 乙16131
学位授与日 2004.12.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 第16131号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大野,秀敏
 東京大学 教授 西村,幸夫
 東京大学 教授 浅見,泰司
 東京大学 助教授 松村,秀一
 東京大学 助教授 清家,剛
内容要旨 要旨を表示する

今日、「保存活用」「改築」「改修」「コンバージョン」などと呼ばれている行為は、歴史的建築物の保存活用、過剰供給されたストックの有効利用など様々な目的から取り組まれている。本論ではそれらの行為を、「既存建築を設計の与条件として受け入れながらそこに設計者の解釈や創意を加えて新たな建築として再利用する行為」として捉え直して〈創造的再利用〉と呼び、それが設計者にとってどのような意義をもつかを明らかにし、さらにその行為によって生み出されるデザインの方法について論じることを研究の目的とする。またあわせて保存制度や都市計画制度など〈創造的再利用〉を実現に導く背景についても整理を行った。

研究調査対象としては、まず欧米において〈創造的再利用〉の成功例の多いと思われるニューヨーク市を取り上げて設計者の視点とデザイン手法を見た。またソーホー地区のロフトコンバージョン現象の社会的文化的意味を探り、次にニューヨーク市で得られた知見を確認し比較するために、欧州で同じように〈創造的再利用〉の成功例が多いと思われるチューリヒ市を取り上げた。研究の方法は、現実にプロジェクトに関わった設計者や行政関係者らにインタビューを行うことを中心に据えて、実地調査と資料分析により、新築ではない既存建築をベースに設計する事例についての研究方法を確立することを目指した。

第1章では、ニューヨーク市における建築再利用に関する3つの法体系(建築基準、ゾーニング、ランドマーク保存)を整理した後、〈創造的再利用〉の建築事例14件の調査と合計21人のインタビューをもとにまとめ、その中から4件の事例について詳述した。いずれも市の保存指定に関わる建物のケースである。

1908年建設のクィーンズボロ・ブリッジ下に広がるカタラン・ヴォールトの多柱空間を再利用する計画では、40年間市交通局管理下で有効な利用方法を見いだせなかった空間について、民間による再三にわたる商業的施設への転用計画が30年かけて実現された経緯を調べた。地元コミュニティとの調整や投資環境の整備、独創的なデザインが、社会的に忘れられていたパブリック空間を発掘する結果につながった。

パッカー学園が取得した1869年建設の元英国国教派教会建築のケースは、学園がその活用法について取り壊し・転売・再利用のオプションを保存地区指定との関連で検討した過程が明らかになった。局面を打開したのは元教会堂空間の内陣部分に櫓のように教室を組み上げ中等学校教室棟として転用する大胆なデザイン提案であった。当初価値がないと思われていた建築に、他では得難い広報的価値を発見した例である。

1890年代建設のソーホー地区にある元百貨店ビル再利用のケースは、意欲的な出版社スコラスティック社がこの地区の文化的先進的雰囲気を評価して企業的利用価値を見出した例である。奥行き深い平面形を開放的なオフィス空間へ変貌させるデザインが建築に新しい価値を与えていた。またグランドファーザー条項という既存不遡及原則によって、この建物は現在では得られない大きな容積を得ていることがわかった。

第1章まとめではニューヨーク市の〈創造的再利用〉に見られる内外分離の原則と、それに基づく内外対比のデザインの系譜が、コリン・ロウからヴェンチューリらの60年代の言説につながっていることを指摘し、またニューヨーク市の保存が用途ではなく「表現」の保存に主眼のあることを述べた。

第2章では、〈創造的再利用〉が建築単体のみならず、地区の社会的変容をもたらした例としてニューヨーク市のソーホー地区を取り上げ、過去30年間にわたる変容の経緯を整理した。軽工業地区からアーティスト居住区へ変容した第1段階と、不動産資本が投入されて高級なブランド商業・住居混在地区へ変わった第2段階の変容を、都市計画行政(ゾーニング条例と州集合住宅法)との関係から継時的に整理し、あわせてキャストアイアン建築群の保存を促した社会的運動を整理した。

第2章まとめでは、ロフトコンバージョンの社会的背景としてマンハッタンの脱工業化促進と、ミドルクラスの都心回帰が関わることを指摘し、ロフトリビングの文化的背景を分析した。アーティストのライフスタイルがミドルクラスの人々の憧れになったこと、外部と著しいコントラストをもつ内部空間や工業製品的美学への評価、過去へのノスタルジア等の背景を挙げた。また、保存地区内での新築デザインに対する規制が、既存環境との同調性や統一性を求める傾向にあるため、独創的な新築デザインが生まれにくい背景についても分析した。

第3章では、チューリヒ市の記念物保存行政について整理し、市の記念物目録制度を概説するなかで、目録対象建築の要件として「政治、経済、社会および建築美術における時代の重要な証人」という概念の重要性を見た。その後で同市での〈創造的再利用〉の建築事例9件の調査と合計8人のインタビューをもとにまとめ、その中から3件の事例について詳述した。

1931年建設の農産物卸売倉庫は1930年代の近代建築運動「ノイエスバウエン」を代表する建物として記念物登録されていたが、世界自然保護基金(WWF)本部として再利用された。建築規制上、容積と用途において再利用が有利であった背景があった。市記念物保存課は南東ファサードの開口デザインを問題としたが、設計者の工夫と交渉により一定の改変が認められた。

1911年創建の電気機器工場が事務所と住居の複合用途建築へ再利用されたケースでは、現行法規では得られない大きなヴォリュームや用途が既存不遡及原則で認められた背景があった。奥行き深い平面を生かした独自の住居プラン、大屋根の変更、バルコニーなど新しい要素の導入によって、新旧対比のアンサンブルを構成している。

1860年代に起源を持つ湖畔の洗濯工場がショップ、集合住居等の複合用途へ再利用されたケースでは、一部ヴォリュームを保存して構造体を新築し、一部鉄骨スケルトンを再利用して外装を新築するなど、新旧要素が相互に影響しつつ混在して独自の造形を得ている。設計者は社会的に認知されていた場所のイメージを継承して計画にマーケティング的価値を与えた。

第3章まとめでは建築群による複合体の事例から1927年建設のネオバロック様式ヴィラに増築を行って保険会社研修センターに再利用した例を取り上げ、古い建物を尊重しながら新しいデザインを大胆に対比させる手法を見た。元機械部品工場群跡地やビール醸造工場群跡地においては、既存建築を部分的に保存再利用しながら、その間に新築を建設して新旧をコラージュ的に混在させる手法を見た。これは「メランジェ」の手法と言えるもので新築と既存との間の対話に基づく新しい複合体を創り出す方向性を示している。

結論では、〈創造的再利用〉の意義に対する設計者・建築家の基本的認識の側面と、〈創造的再利用〉を行う際のデザイン手法の側面が、インタビューによる方法によって明らかになったことをまとめた。

第一に〈創造的再利用〉の意義に対しては次のことがわかった。

まず、〈創造的再利用〉は古美術の博物館展示的作業ではなく、既存建築の物理的骨格のみを利用して思いのまま変更する作業でもなく、既存建築を「対話」の相手と考えてアイデアを構想する、新しい創作の一領域であるということである。そして、〈創造的再利用〉は既存建築の中に、それを創り出した人々の考え方や価値観、感情の「表現」を見るという基本的視点に立っていることがわかった。従って、過去の建築をそれぞれの「時代の証人」と見て、創建当初の形態のみを尊重するのでなく、後年加えられた改変も、各時代の「時間の形跡」として不可分の要素と捉える認識が存在する。そしてこのような認識の元に生み出されたすぐれた〈創造的再利用〉の実例は歴史的文化的価値を経済的社会的価値に転換し、その価値の転換が長い間人々に忘れられていた空間に光を当て、パブリックのための価値を生み出している。

第二に〈創造的再利用〉のデザイン手法については次のことがわかった。

まず、内部と外部を切り離して考える「内外分離の原則」があり、これは特にニューヨーク市の保存行政において顕著に見られる。この原則は、外部の保存と引き換えに内部の自由な変更を保証し、内外デザインに強いコントラストを生む背景を形作っている。そして、この原則によって生み出される内外対比のデザインは60年代に起きた建築美学の浸透に呼応していることがわかった。しかし内外は独立して捉えられながらも相互に影響しあう関係にあるため、原則は必ずしも外部の完全な保存を意味せず、外部にも一定の変更が認められることが多く、それが新旧混在の印象を表出していることがわかった。一方で外部ファサードのみを保存して内部のみを改変する手法には明確な批判もあり、これは特にチューリヒ市において顕著に見られた。そこでは内外を統合して考え、新旧の混在をより積極的に表現する方向性が模索されている。

いずれにしても〈創造的再利用〉では内外ともに新旧の差異を顕在化する方法がのぞましく、古いファサードを生かしながらもそれを不変と考えず、積極的に新しい「時代の形跡」を加えて新旧の「メランジェ(混合物)」を創り出していく方向を模索すべきであると考えられる。

〈創造的再利用〉は既存作品の「解釈」から成り立つ点で演劇の演出や音楽の演奏にも通ずる「対話」に基づくアートであり、設計者にとって21世紀において今後ますます重要になってくる新たな創作の領域であることがわかった。今後の課題としては〈創造的再利用〉を設計者にとってだけでなく広く市民が享受できる創造的活動として定着させていくための環境の形成が重要であるといえる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、歴史的建造物を保存しつつ活用している事例を、創造的再利用と名付け、この方面での先進地域である合衆国のニューヨーク市とスイスのチューリヒの二つの都市での特徴的な事例の建築物の計画課程の調査(23件)とそれに関わった設計者や行政担当者(合計29名)などからの聞き取り調査を基に、保存活用の制度とデザインの関係を明らかにし、成立の社会的基盤を論考した研究である。

本論は4章からなり、第1章ではニューヨーク市における単体建築物の保存再利用事例をくわしく調査している。アメリカの歴史的建築物保存が法的にも整備され実践されていることを、法的体系を押さえた上で、具体的なプロジェクトの事例研究を行っている。各プロジェクトにおいて再利用が選択された契機、実現にむけての問題、設計における提案の特質などをインタビューと現地調査を通じて細かく分析している。「まとめと考察」において、資本主義大国アメリカで文化的価値が経済的価値に対抗できるほど評価されている背景にはどのような理由と仕組みがあるのか?「保存」の本質は何か、何が保存され、何が変えられているか、保存行政と都市計画行政はどう連携しているかなどについて検討している。

第2章ではニューヨーク市の地区の変容をソーホー地区とチェルシー地区において調査している。特にソーホー地区のおけるロフトコンバージョンの成立と展開を、都市計画規制と保存規制を含めた行政サイドの施策と、それに対応した社会的背景を追いながらくわしく調査分析している。またチェルシー地区において都市計画行政が行っている施策がどのように地区保存と関係があるのかを市当局者とのインタビューなどを通して調査している。そして「まとめと考察」では、地区の変容において地区保存制度の果たしている役割を検証し、同時に地区保存制度は既存建築物の改修にとどまらず、新築の建築物にもデザイン規制を加えているが、これは表現の自由とどう関わるかについても考察している。

第3章ではニューヨークで見いだされた価値観の一般性と独自性を明らかにするため、比較対象としてスイスのチューリヒ市をとりあげている。チューリヒの独自の建築保存制度をチューリヒ市当局の担当者や保存研究者とのインタビューおよび書面による質疑応答によって明らかにし整理している。そしてその保存制度との関連の中で具体的な建築プロジェクトの事例研究を行っている。調査分析はニューヨーク市と同じ方法を用い、設計者へのインタビューを重視している。そして「まとめと考察」では、チューリヒにおける保存の理念をニューヨークとの比較において明らかにしようとする。

結論では、第1章から第3章までのケーススタディを基に、それらを社会的価値観の変化、建築都市に関する行政制度の対応、建築家の意識の変化という3つの視点から整理している。

本論の特徴は以下の3点である。

1. インタビューを1次資料とする方法。個別性が強く、かつ裁量的な要素が強い歴史的建造物の保存の計画、設計の実態を調べるには優れた方法である。なぜなら、制度などの明文化された文献資料からだけではわからないような、行政当局との具体的なやりとりなどが聞き出せ、保存の実態に肉薄できるからである。また、併せて設計者の側の意識、美学を聞き出してもいる。堪能な語学能力を生かして、これまで知られることのなかった現場性を研究に持ち込み、説得力のある研究に仕上げている。

2. 建築系の保存を扱った研究においては保存技術を中心に論じたものが多く、都市計画系の研究においては制度的な側面に焦点を当てることが多い。ところが、本論文の結章で述べられているように、歴史的な建物の保存活用は、制度的支援と社会性(認知、経済性、合理性など)、建築家の建築設計美学の3つが揃わないと成立しない。本論は、これまで余り触れられることのなかった建築家の美学の問題を扱いつつも、他の2側面についても実態を明らかにし統合的に扱っている。建築の設計を専門としているものでなければ書けない具体性と総合性をもった優れた研究である。

3. 日本の、おもに建築を中心とする文化財保存行政は、国宝、重要文化財中心の優品を創建時の形で凍結保存する思想から、街並みを対象とした伝統的建造物群保存地区制度(昭和50年)、そして近年は活用を念頭に、幅広く多数の近代建築も含めて保存しようという文化財登録制度(平成8年)へと拡大充実してきた。しかしながら、具体的な保存活用となると、日本には好事例が少なく、実践の場では具体性をもった情報が待たれていた。本論は、このような状況にまさしく対応するものである。

以上、本研究は優れた研究であり、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/111