学位論文要旨



No 216132
著者(漢字) 安藤,英由樹
著者(英字)
著者(カナ) アンドウ,ヒデユキ
標題(和) 感覚-運動系の相互作用を利用したインタフェースの研究
標題(洋)
報告番号 216132
報告番号 乙16132
学位授与日 2004.12.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 第16132号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 舘,
 東京大学 教授 原,辰次
 東京大学 教授 満渕,邦彦
 東京大学 助教授 篠田,裕之
 東京大学 講師 川上,直樹
内容要旨 要旨を表示する

 本論文では感覚-運動系の相互作用である行動を実質的に支えている,高速・安定で工学的に機械的応答特性のよい無意識的な脳内の情報処理(低次系の感覚-運動変換処理機能)に着目し,この情報処理に作用する人間の機能拡張や行動支援のためのインタフェースを設計,実現する.

 第1章では人間とインタフェースの関わり合いと本論文で提案するインタフェースの概要について述べる.人間の中枢神経系は,感覚受容器を通じて環境から感覚情報を受け取り,感覚情報から運動指令を変換・生成し,効果器を通じて運動を環境へ作用させている.そして,環境は運動により変化し,この変化を再び感覚情報として人間の感覚受容器が受け取る(図1).人間の行動はこのような感覚と運動のループ形成によって成立している.このとき,中枢神経系側(図1左側)は神経生理学の知見をもとに,想起記憶を検索するなど低速で離散的な高次系(意識的な)の経路と高速で連続的な低次系(無意識的な)の経路の2つの経路に分けられ,それぞれの速度で感覚-運動ループが形成されている.一方で,人間の中枢神経系と環境(図1右側)の情報を橋渡ししている感覚受容器と効果器の2つのみに介在することができるインタフェースは,実空間と情報空間の感覚-運動ループ形成を拡張し,インタフェースは実空間に存在する.このとき,人間の機能拡張,行動支援を行うインタフェースの設計指針を本論文の視点から考えると,高速で無意識的な低次系の感覚-運動変換経路を利用することでより直感的で,脳に対して負荷が少ないインタフェースが実現されると期待される.

ここで,インタフェースが人間に作用する機能(図2)について考えると,インタフェース側から人間の中枢神経系に作用する要素は,(1)感覚受容器,(2)効果器,(3)感覚-運動変換器の3つの要素があり,それぞれに作用する機能は(a)感覚提示,(b)運動誘導,(c)感覚-運動変換器の獲得の3つの機能がある.

このとき,中枢神経系の高次系と低次系の2つの経路とインタフェース設計論(構成)の観点からすると,従来型は高次系の経路を経由するもののみを対象とし,低次系を考慮したものはない.一方で,低次系の感覚-運動変換経路を活用することによって脳に対する負荷の低減などが期待される.そこで,本論文では主に低次系の感覚-運動変換の経路を利用したインタフェースの設計指針を探り,図3に示すインタフェースを提案する.

 第2章では,低次系の情報処理機能と考えられる探索運動を利用した感覚提示手法として,触覚は環境に対して運動出力と感覚入力を同時に起こす能動触覚(アクティブタッチ)が知られている.人間は触覚を得るために環境に対して常に運動出力(なぞり動作)を行い,そこから受け取った感覚入力と運動情報を無意識的に統合し,知覚していると考えられ,なぞり動作は感覚を知覚するために典型かつ重要な運動である.本論文ではこの無意識的な感覚運動統合機構を利用した触覚提示インタフェースを実現した.このインタフェースは物体のなぞり動作時に爪上から振動刺激を加えることによって,指腹部に適切なインパルス刺激を生成することで,凹凸のエッジ知覚を再現している.このインパルス刺激の特性を調べるために実環境と爪上からの振動刺激によるバーチャル環境の2つの環境のそれぞれをなぞる時の指腹部の局所的な一点の力学的応力を計測し,両者の圧力変化について比較した.さらに,バーチャル環境と実環境の凸幅を比較する実験によりこの手法によって提示される感覚の特徴を明らかにした.

 またこの技術を応用して,Augmented Realityのシステムに効果的に用いるための小型のセンサ群と組み合わせた爪装着型触覚ディスプレイを開発し,このアプリケーションを実現するための爪側から指腹の圧力を計測する手法を実用化するための解析手法を提案する.

 探索運動を利用した感覚提示手法においては,振動刺激を適切なタイミングに感覚受容器へ与えることによって凹凸感覚を生じさせることが可能であることを示した.このインタフェースは爪側から振動を与えることで指腹側に何もつけることなく,直接実環境に触れたまま,つまり実環境との感覚-運動ループを保持したまま,付加的な触覚を重畳することができるものであり,これまでにないアプリケーションが実現可能となる.

 第3章では,低次系の感覚-運動変換経路へ訴えかける感覚入力を利用して運動誘導する手法として,低次系の情報処理を司ると考えられる脳の機能部位(脊髄や脳幹)の神経振動子や前庭系のバランス制御によって行われている歩行運動をとりあげ,2つの歩行誘導インタフェースについて提案する.1つはある周期的な刺激に対して低次系の感覚-運動変換器が作用を受け,運動周期が合うように変化する「引き込み現象」と呼ばれる現象を利用した靴型歩行誘導ウェアラブル・インタフェースであり,もう1つは前庭感覚に対して電気刺激を行うことで平衡感覚が左右にシフトする「電気性身体動揺」を利用した頭部搭載型(ヘッドホンタイプの)ウェアラブル・インタフェースである.

 前者は歩行者の歩行周期を力センサによって計測し,計測された周期にある範囲内の周期変化を歩行者に振動刺激によって与えることで,歩行周期と歩行方向の誘導を行うものである.実験では,装着者ができるだけ少ない注意で歩行誘導を実現されるための条件を求めた.その結果,特定の範囲内であれば歩行周期の誘導が可能である.

 後者は頭部耳後部の乳様突起に電極を固定し電流を流すことで前庭感覚に変動を与え歩行方向を誘導するものである.この手法によって起こる歩行方向の変化は不随意的な動作によるため,意識上には動作が起きた後に他の感覚(固有感覚,視覚)との情報の矛盾が生じて初めて昇ることになる.したがって動作前に注意を向けることはない.実験では,電流量と重心の移動量,歩行変化の曲率の関係を調べ,任意の方向へ歩行者を追従させるフィードバックループを実現した.

 このように感覚入力による運動誘導において,運動を無意識的に起こさせるためには,日常の運動の大部分に対して意識的調節を必要としない中脳・橋・脊髄・脳幹の階層といった脳の低次系の感覚-運動変換経路に作用する刺激を運動中の適切な空間位置において適切な時間タイミングで感覚受容器へ入力することが重要である.

 第4章では,低次系の感覚-運動変換機能を利用した感覚-運動変換器の学習支援インタフェースとして,運動中に運動誤差を的確に指示する回転モーメントを利用した機械ブレーキ式力覚提示装置である「ウェアラブル・モーメント・ディスプレイ」を提案した.

 本インタフェースは回転モーメントを機械ブレーキによって取り出すタイプの小型軽量なインタフェースであり,任意の方向,大きさのトルクを任意の時間に出力可能であることを実験によって確認する.

 そして,このインタフェースは運動の学習支援に効果的であることを検証するために同一人物が過去に行った運動を学習し再現する実験を行った.その結果,空間的な要素(位置,速度,加速度)の時系列を記録し,同じ空間的な要素の時系列になるようにモーメントディスプレイを用いて人間にトルク刺激を提示することで動作学習が可能であることを検証した.また結果から,少ないエネルギーで人間に知覚させるためには,軽量であること,腱の力検出受容器に対して効率良くインパルス状のトルクが伝達できる装着方法を選択することが重要であることが明らかとなった.

 低次系の感覚-運動変換器の学習を促進させるために重要なことは,運動と誤差情報を提示する感覚モダリティの質が近い(例えば,運動誤差をトルクで与える)こと,空間的誤差を提示すること,時間誤差を提示することであると考えられる.

 第5章では感覚-運動系の相互作用を利用したインタフェースの設計指針について結論を述べる.ここまでに低次系の感覚-運動変換機能(感覚ー運動系の相互作用)を利用した探索運動を利用した感覚提示,感覚入力による運動誘導,感覚-運動変換器の学習支援というインタフェースの各機能について述べてきた.これら3つの機能を持つインタフェースの共通点として,低次系経路を経由する感覚-運動系の相互作用を利用したインタフェースの設計指針は,

●非言語的な感覚・運動の情報を扱う

●感覚-運動系(ループ)を妨げない

●時空間統合を考慮した感覚入力を与える

の3点が重要であると結論づけられる.

 これらの非言語的な情報を扱うインタフェースの研究はまた,生理学的,解剖学的,神経学的な知見を踏まえて,現在多くの科学者が取り組んでいる「人間の行動メカニズムを知る」という問題のさまざまな研究成果を人間の生活を豊かにするための道具に還元することを最終的な目標としている.また逆に,このようなインタフェースがさらに「人間の行動メカニズムを知る」ための道具として使用されるべきであろう.

図1.感覚-運動系(ループ)

図2.インタフェースが人間に作用する3つの機能

図3.提案するインタフェース

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「感覚-運動系の相互作用を利用したインタフェースの研究」と題し、5章からなる。人間の意識的な行為を伴うインタフェースの研究は従来から多数あるが、無意識な状況下で、非言語的な方法で人間の感覚―運動ループに直接働きかけるウェアラブルなインターフェースシステム実現のための研究は数少ない。本研究は、行動の制御、行動の記録と再生、行動の増強支援の視座に立ち、基本要素を考察し、それぞれについて具体的な例を取り上げ、独創的な方法で具体的に実現して、応用への道を拓いている。

 第1章「序論」は緒言で、人間の感覚と運動の相互作用を利用して人間と環境とを無意識下でインタフェースするシステムを、運動を利用した感覚提示、感覚を介した運動誘導、感覚―運動変換の学習支援について考察し設計するという本研究の目的と立場と意義とを明らかにしている。

 第2章は、「探索運動を利用した感覚提示」と題し、触覚の探索運動(なぞり動作)を阻害せず、なぞり動作時に人工的な触覚を重畳するための爪側から指腹部に刺激を与える感覚提示インタフェースを提案している。指腹面に提示する刺激と同じ刺激を爪上から与えても指腹面に触覚情報は提示できない。そこで、物理的に与える情報が異なっていてもバーチャルに等価的な情報を与える手法を考案している。人間はなぞり動作によって触覚受容器からの凹凸に伴う刺激感覚と指先の動きの感覚の2つを感覚統合し、なぞっている対象の表面情報を知覚している。まず、なぞり動作を行っているときに指腹部にはどのような振動的刺激が起きているか観察した結果、凹凸が変化するときにインパルス状の力が発生することがわかり、この刺激に類似した刺激を爪上から包絡線がインパルス状のバースト波形を指腹部に与えれば、この刺激が凹凸として知覚されることを見出している。

 また、押しつけ圧力に比例した刺激量を提示することが知覚特性の向上に効果的であるため、爪上から指腹部にかかる力の検出手法が必要となる。爪下の血流分布から指腹部にかかる力、指の屈曲角を推定する従来手法を改良し、従来の問題点であった指腹部にかかる力と指の屈曲角の分離を、力と屈曲角という事象自身の独立性に着目して、「独立成分分析(ICA)」を利用することで分離する方法を提案している。

 なお本章で提案したインタフェースは、実環境に触覚を重畳する触覚AR(Augmented Reality)のウェアラブル・インタフェースとして効果的に利用できる。その例として、紫外線励起発光塗料等で描かれた文字や図形などの不可視情報を、このインタフェースを用い触覚で知覚することによって、五感で感じることの出来ない情報を特定の感覚モダリティに変換する具体的な応用システムも実現している。

 第3章は「感覚情報を用いた運動誘導」と題し、低次系の感覚―運動変換経路に着目し、神経振動子に対する引き込み現象と頭部電気刺激による前庭動揺の2つを利用することで無意識的な歩行運動誘導が実現可能であることを示している。ここで研究している無意識的な歩行誘導インタフェースは、(1)周期的な刺激に対して低次系の感覚―運動変換器が作用を受け、運動周期が合うように同調する「引き込み現象」を利用した靴型歩行誘導ウェアラブル・インタフェースと(2)前庭感覚に対して電気刺激を行うことで平衡感覚に変動をきたす「電気性前庭動揺」を利用した頭部搭載型(ヘッドホン型)ウェアラブル・インタフェースの2つである。

 (1)は歩行者の歩行周期を靴底の圧力分布センサによって計測し、踵接地時に刺激を入力することが引き込みを発現するために最も有効であることを見出し、周期変化を歩行者に振動刺激によって与えることで、歩行周期の誘導を行うものである。高負荷の注意を要するボタン押しのタスクを実行しながら、同時に誘導周期の誘導が可能な歩行周期変動量を求めたところ、歩行周期の変化量が-100〜150[ms]のときには、ボタン押しのタスク遂行に要する時間が周期刺激無しの時とほぼ同時間であったことから、ボタン押しのための高次系タスクを妨げることなく歩行周期の誘導が可能であることが確認されたとしている。

 (2)は歩行方向の誘導を可能とするため、頭部耳後部の乳様突起に電極を固定し電流を流すことで前庭感覚を変動させ歩行方向を誘導するものである。この手法によって起こる歩行方向の変化は不随意的な動作によるため、動作が起きた後に他の感覚(固有感覚、視覚)との情報の矛盾が生じて初めて意識に上ることになる。知覚されずかつ歩行方向誘導に十分と考えられる前庭動揺のための電流量は約2[mA]であることを求め、歩行の曲率が電流量に比例する(1[mA]あたり約20[deg])との知見を得ている。外乱(固有感覚等)による曲率の分散が約10[deg]と大きいため、歩行方向を追従させるフィードバックループを形成したところ、直径約25[m]円周の曲率を持つ目標軌道上から0.8[m]以内の誤差範囲で追従が可能であることを示している。

 第4章は「感覚―運動変換器の学習支援」と題し、未獲得の感覚―運動変換器を学習によって取得することを支援するインタフェースについて議論している。テニスやゴルフのスイングなどの高速運動は、運動中に「高次系」が実時間に介入できないため「低次系」に形成されている運動プログラムをフィードフォワード的に利用しており、運動終了後の結果から運動プログラムの修正を行っている。このため、高速運動の獲得には膨大量の試行錯誤的な訓練を必要とする。このような高速運動の学習を支援するためには、運動中に運動の「方向」、「タイミング」、「大きさ」を提示するインタフェースが必要となる。

 そのため、小型軽量かつ、運動中に運動誤差を的確に指示するのに十分な力覚を提示することが可能な、回転モーメントを利用した機械ブレーキ式力覚提示装置を提案し、同一人物による記録された運動を学習し再現する実験を行いその効果を示している。

 動作記録として着座した状態で腕を後方から前方へ高速運動したときの空間的な要素の時系列を10種類記録し、そのうち無作為に2つ教師運動として選び、運動時にこの教師運動との時空間的偏差量を減少させるように力覚によって提示を10試行連続で行い、その結果、時空間的な誤差は試行が進むにつれて減少することを確認している。このうち、タイミング、方向、大きさの3つの要素が学習にどのような効果があるか、それぞれの要素を除いた場合に空間的誤差、時間的誤差の2つがどのような影響を受けるかを調べ、「タイミング」は運動の時間的誤差に対し相関性が高いこと、運動開始から終了までの運動速度分布に影響を与えることを見出している。一方、「方向」、「大きさ」はどちらとも空間的誤差に対し相関性が高く、かつ、どちらか一方が欠けた場合には運動軌跡の学習による収束に著しく影響を与えることが分かったとしている。

 第5章「結論」は結語で、本論文の結果をまとめ、今後を展望している。

 以上これを要するに、従来はあまり取り上げられることのなかった、非言語的な方法で人間の感覚―運動ループに直接働きかけるウェアラブルなインターフェースシステム実現を目指し、行動の制御、行動の記録と再生、行動の増強支援の視座から、具体的な例を取り上げ独創的な方法で実現するとともに、その設計指針を明らかにして、それに基づく設計法を構築し、実際に利用可能なディスプレイを試作することでその有効性を示して応用への道を拓いたものであってシステム情報学及び人工現実感(VR)に貢献するところが大である。

 よって、本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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