学位論文要旨



No 216134
著者(漢字) 岸本,達也
著者(英字)
著者(カナ) キシモト,タツヤ
標題(和) リゾホスファチジルコリンおよびリゾホスファチジン酸の自動化測定法の開発とその応用
標題(洋)
報告番号 216134
報告番号 乙16134
学位授与日 2004.12.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16134号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 菊地,和也
 東京大学 助教授 青木,淳賢
内容要旨 要旨を表示する

 リゾホスファチジルコリン(LPC)は血液中に最も多く含まれるリゾリン脂質であり、健常者における血漿中LPC量は約130-280μmol/Lとされる。一方でリゾホスファチジン酸(LPA)は最も単純な構造を有するリゾリン脂質であり、その血漿中濃度は0.1-1μmol/L程度とLPCに比べて極めて少ない。近年、動脈硬化との関係が示されている酸化LDLの主成分の一つがLPCであることが報告され、さらにLPC自身も単球の化学遊走性を促進したり、内皮細胞において接着因子の発現を誘導したりすることが発表されるなど、その生理活性に注目が集まっている。一方でLPAも細胞増殖の制御や血小板凝集、癌細胞の浸潤促進など様々な生理作用をもつことが知られている。さらに卵巣癌患者の血漿中LPAが健常者に比べて有意に高値であることが報告され、血漿中LPA量と癌との関係が一躍注目されるようになった。これらのことから血液中のLPC量やLPA量を測定することが、ある種の疾患を診断する上で有用である可能性が示唆された。しかしLPC,LPAの定量法としてこれまでに知られている、ガスクロマトグラフィーにより脂肪酸量を指標に定量する方法やLC/ESI-MS法などは操作が煩雑で時間がかかり、また特別な器械を必要とするものも多く、汎用的に用いることは不可能であった。そこで臨床検査においてルーチンに使用できる、LPCおよびLPAの自動化測定法の開発を目指した。

 LPC測定法としては、リゾホスホリパーゼとグリセロホスホリルコリンホスホジエステラーゼ(GPCP)を作用させ、生じたグリセロール-3-リン酸(G3P)もしくはコリンをそれぞれ特異的なオキシダーゼで酸化させて生じた過酸化水素をパーオキシダーゼ存在下で比色定量する方法を考案した。しかしリゾホスホリパーゼには、ホスホリパーゼA活性を同時に有するものも多い。そこで幾らかのリゾホスホリパーゼをスクリーニングした結果、ホスファチジルコリンに全く反応を示さなかったBacillus由来のものを使用することにした。またLPCを測定する方法としては、前述したようにG3Pを測定する方法とコリンを測定する方法の2種類が考えられる。そこでG3Pを測定する方法とコリンを測定する方法とで基質特異性を確認したところ、コリンを測定する方法ではLPCのみが反応したが、G3Pを測定する方法ではLPCのみでなく、LPEなど他のリゾリン脂質も同程度の反応を示した。さらに特異性のみでなく、コリンを測定する方法の方が2倍高感度であることからコリンを指標にLPC測定を行うことにした。次に脂肪酸分子種に対する基質特異性を調べたところ、ほぼ同等の反応性を示した。このことから、この酵素反応系では脂肪酸分子種の認識はほとんどしておらず、その測定値は総LPC量を表すことが示された。このようにして特異的なLPC測定法の開発に成功し、さらに酵素濃度等種々の条件検討を行った結果、二つの構成試薬からなるLPC測定試薬の条件を決定した。ここで試薬を二つに分けたのは試料中に含まれるコリンや過酸化水素などの反応中間代謝産物の影響を除去してLPCを特異的に測定するためであり、試料と第一試薬を添加後5分間の前反応によって中間代謝産物を完全に無色消去し、その後第二試薬を加えてLPC由来の過酸化水素のみを反応させ、その際の第二試薬添加前と添加5分後の吸光度差を指標としてLPC量の測定を行った。

 このLPC酵素学的測定法ではLPC純品濃度と吸光度変化量との間には良好な直線関係がえられ、また血清を希釈した場合にも希釈率とLPC濃度との間には良好な直線関係がえられた。なお高濃度の血清を希釈した結果から、約1,500μmol/Lまで定量可能であることがわかったが、通常ヒト血清では1,000μmol/Lを超えるものはなく、ヒト血清を測定するには十分な定量限界であった。さらに血清試料に既知濃度のLPCを添加してその回収率を調べたところ99.5-102.1%と良好であり、また従来法の一つである脂肪酸分析法との相関関係も良好であったことから、本測定法が血清中のLPCを正確に測定できることが示唆された。

 LPC測定法と同様にBacillus由来のリゾホスホリパーゼを用いて、LPA測定法の開発を行った。ただし血液中のLPA量はLPC量に比べて極めて低く、通常の比色系では感度不足のために測定することが困難であった。そこで酵素的サイクリング法を導入することによって最終的にLPA由来の過酸化水素を増幅させる方法を開発した。具体的にはLPAをリゾホスホリパーゼによって加水分解し、生じたG3PをG3POで酸化させる。この際一分子の過酸化水素とジヒドロキシアセトンリン酸を生じる。ここでジヒドロキシアセトンリン酸をグリセロール-3-リン酸デヒドロゲナーゼによって再度G3Pに変換する。再生したG3Pを新たにG3POで酸化し、一分子の過酸化水素とジヒドロキシアセトンリン酸を産生させる。このサイクルを繰り返すことによって最終的に過酸化水素を増幅することができる。LPA測定法では、酵素的サイクリング法を導入したため、反応にともなう吸光度変化は時間に依存して上昇する。よってこの時の単位時間当たりの吸光度増加率を指標としてLPA濃度を測定した。LPA測定法では、リゾホスホリパーゼを添加しない試薬を別に用意し、リゾホスホリパーゼを添加した試薬によって得られた値から差し引くことで、反応中間代謝産物の影響を受けることなく、LPA量を特異的に測定することができた。

 次に血漿試料での直線性を調べたところ、低中濃度では良好な直線関係が得られ、高濃度レベルでは約15μmol/Lまで直線関係が得られた。さらにLPCと同様に添加回収率を調べたところ、実測値は理論値の100.3-101.6%であり、良好であったことからLPA測定法においても血漿中のLPAを測定できることが確認された。

 LPCおよびLPAともに保存血清あるいは血漿において値が上昇することが知られている。このLPCの増加は血中に含まれるLCATやホスホリパーゼA活性によって、LPAの増加はリゾホスホリパーゼD活性によって起こると考えられるが、リゾホスホリパーゼDは金属イオンを要求するとの報告があることからEDTAによって上昇が抑えられることが予測された。まずLPCについて同一のボランティアから同時に採取した血清あるいは血漿を25℃で加温した際の経時的なLPC値の変動を調べたところ、血清、血漿ともに保存時間に依存してLPC値が大きく上昇した。さらにLCAT欠損マウスの血清を使用して同様の検討をしたところ、野生型およびヘテロのマウスではヒトの場合と同様に25℃、24時間保存後にLPCが増加したが、ホモ欠損マウスではむしろやや減少した。しかしながらホモ欠損マウスにおいても血清中LPC値はゼロではなく、野生型の約半分程度存在した。これらのことは、マウスの場合、保存血清あるいは血漿における顕著なLPC増加反応のほとんどはLCAT反応に依存しているが、生体内での血中LPC産生にはLCAT以外の因子もかなり関与していることを示唆している。一方でLPAは血清とヘパリン血漿では保存時間とともに値が大きく増加したが、EDTA処理した血漿では大きな増加は見られなかった。しかしEDTAやヘパリンが本測定法に影響しないことは事前に確認している。よって今回の結果は、ヒトの血中LPA量を知るためには、血清やヘパリン血漿では難しく、EDTA処理した血漿を用いることが重要であることを示している。さらにこれらの測定法が臨床的に応用可能かどうかを調べた。以前からLPAに腫瘍細胞浸潤促進作用があることが知られ、卵巣癌患者で血漿LPA量が有意に高いことも報告されていることから、今回開発したLPA測定法を用いて卵巣癌患者の血漿LPA量を調べたが、良性疾患に対して有意差は認められなかった。最近になって卵巣癌患者の血中LPA値は健常者に比べて高いということはないという報告もされているため、これらにはいまだ議論の余地があるところである。LPCについては急性心筋梗塞患者の血清LPC濃度が低いと報告されているため、動脈硬化性疾患である不安定狭心症や冠攣縮患者における血漿中LPC濃度を調べたところ、報告と同様に両疾患群ともに低値であった。このことは、血中LPC 量の測定が動脈硬化発症の予測や治療後の病態把握に有用である可能性を示している。

 今回開発したLPCおよびLPA測定法は、血清や血漿を測定する際にも前処理を必要とせず、約10分で定量でき、また臨床検査分野で汎用的に使用されている生化学自動分析装置へも適用できる。今後この方法によって血中LPCあるいはLPAと様々な疾患との関係が研究され、病気の早期発見や予後判定などに利用されることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 リゾホスファチジルコリン(LPC)及びリゾホスファチジン酸(LPA)は、ともに血中に存在する代表的なリゾリン脂質である。LPCは酸化LDLの主成分の一つであり、LPC自身も動脈硬化性作用を有することが報告されている。一方でLPAも癌細胞の浸潤促進など様々な生理作用をもつことが知られている。さらに卵巣癌患者の血漿中LPAが健常者に比べて有意に高値であることも報告された。これらのことから血液中のLPC量やLPA量を測定することが、ある種の疾患を診断する上で有用である可能性が示唆されるが、従来知られるそれらの測定法は操作が煩雑であるなど汎用的に用いることは不可能であった。そこで岸本は、臨床検査においてルーチンに使用できる、LPCおよびLPAの自動化測定法の開発を目指した。

 LPC測定法としては、試料中のLPCにリゾホスホリパーゼ、グリセロホスホリルコリンホスホジエステラーゼ、コリンオキシダーゼを作用させ、生じた過酸化水素をパーオキシダーゼ存在下で比色定量する方法を考案した。リゾホスホリパーゼにはホスファチジルコリンに全く反応を示さないものを使用し、より特異性を高めた。脂肪酸分子種に対する反応性を調べたところ、この酵素反応系では脂肪酸分子種の認識はほとんどしておらず、その測定値は総LPC量を表すことが示された。このLPC酵素法と従来法である脂肪酸分析法との相関関係も良好であったことから、本測定法が血清中のLPC量を正確に測定できることが示唆された。

 一方で血中LPA濃度はLPCよりもかなり低いため、試料中のLPAにリゾホスホリパーゼを作用させ、生じたグリセロール-3-リン酸をグリセロール-3-リン酸オキシダーゼとデヒドロゲナーゼを用いて酵素サイクリングさせることによって最終的にLPA由来の過酸化水素を増幅させる方法を開発した。このLPA酵素法の添加回収試験を行ったところ、その添加回収率は良好であり血漿LPA量を正確に測定できることが確認された。

 LPCとLPAはともに保存血清あるいは血漿において値が上昇することが知られている。このうちLPCの増加は血中に含まれるLCAT活性等によって起こることが考えられるため、LCAT欠損マウスの血清を測定したところ、野生型及びヘテロのマウスではヒトの場合と同様に25℃、24時間保存後にLPC量が増加したが、ホモ欠損マウスではむしろやや減少した。しかしホモ欠損マウスでも血清LPC量はゼロではなく、野生型の約半分程度存在した。これらのことは、マウスの場合、保存血清での顕著なLPC増加反応の大部分はLCAT反応に依存しているが、生体内での血中LPC産生にはLCAT以外の因子もかなり関与していることを示唆している。一方でLPAの増加は、EDTA処理した血漿においては血清やヘパリン血漿ほど大きくはなかった。ただしEDTAやヘパリンが本測定法に影響しないことは事前に確認している。よってこの増加反応は血中に存在する金属イオン要求性のリゾホスホリパーゼDの作用によることが示唆される。今回の結果からヒトの血中LPA量を測定する際には、EDTA処理した血漿を用いることが重要であることがわかった。

 さらに、LPC酵素法を用いて不安定狭心症患者の血漿中LPC濃度を調べたところ、健常者に比して低値であった。このことから血中LPC量の測定が動脈硬化発症の予測や治療後の病態把握に有用である可能性が示唆された。

 今回開発したLPC酵素法及びLPA酵素法は、ともに前処理を必要とせず、約10分で定量でき、また臨床検査分野で汎用的に使用されている生化学自動分析装置へも適用できる。今後これらの方法によって血中LPCあるいはLPAと様々な疾患との関係が研究され、病気の早期発見や予後判定などに利用されることが期待される。以上の研究成果より、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた

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