学位論文要旨



No 216136
著者(漢字) 荒川,絵美
著者(英字)
著者(カナ) アラカワ,エミ
標題(和) L-アスコルビン酸による血管平滑筋細胞の分化および形質制御に関する細胞生物学的研究
標題(洋)
報告番号 216136
報告番号 乙16136
学位授与日 2004.12.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16136号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 助教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

<序>

 動脈硬化あるいは冠動脈形成術(PTCA)後再狭窄の主因のひとつに、平滑筋細胞の血管内膜への遊走亢進および異常増殖をあげることができる。これまでに平滑筋細胞の増殖を抑制する薬剤の探索が盛んに行われてきたが、細胞選択性や細胞毒性などの問題から、臨床上有効性が確認された物はほとんどない。そこで新たな視点で平滑筋細胞の増殖・遊走を特異的に抑制する薬剤を開発することが必要と考えられる。私は、新しい薬剤探索の指標として、平滑筋細胞の形質変換に着目した。動脈硬化巣で観察される平滑筋細胞は、正常の平滑筋細胞と比べ脱分化した形質を示し(形質変換)、増殖能、遊走能が亢進していると考えられている。そこで、平滑筋細胞の形質を脱分化型から分化型に誘導することができれば、平滑筋細胞の増殖・遊走を特異的に抑制できるのではないかと考えた。

 これまでに平滑筋細胞の形質変換のメカニズムはほとんど明らかにされておらず、また脱分化した平滑筋の形質を分化型へ誘導できる因子は見つかっていない。その大きな理由として、平滑筋細胞の分化の簡便な指標がなかったこと、そしてin vitroで平滑筋細胞の分化・脱分化を再現できる培養系が存在しなかったことが挙げられる。近年、主にウサギを用いた解析から、平滑筋の形質変換に相関して、分化マーカーの発現パターンが変化することがわかってきた。分化型平滑筋細胞では、平滑筋型ミオシン重鎖(SM1、SM2)、カルポニン-1、SM22αといった平滑筋特異的タンパク質の発現が強い。一方、脱分化した平滑筋細胞では上記マーカーの発現は著しく減少し、非筋型ミオシン重鎖(SMemb)などの発現が高くなっている。そこで、これらの分化マーカーの発現を指標に、in vitroで平滑筋細胞の形質変換を再現する系を構築できれば、平滑筋細胞分化のメカニズム解析が大きく進展し、また分化誘導を促進できるような形質制御薬の探索が可能になると考えた。

 系の構築にあたり、平滑筋細胞への分化が可能な細胞として骨髄ストローマ細胞に注目した。骨髄ストローマ細胞は多分化能を有し、血球系細胞や中胚葉系の細胞に分化できることが知られている。近年、骨髄ストローマ細胞を接着培養系で長期間培養することにより、平滑筋様細胞に分化誘導できるという知見が報告された。そこで、温度感受性SV40 large T抗原遺伝子を導入したトランスジェニックマウスの骨髄より樹立されたストローマ細胞株(TBR)を用い、平滑筋細胞への分化誘導系を構築した。そして、この分化誘導系の解析過程で、アスコルビン酸が平滑筋マーカーの発現を誘導することを見出した。

 <結果と考察>

マウス・平滑筋分化マーカー遺伝子のクローニングと抗体の作製

 平滑筋細胞の分化マーカーのなかでも、SM1およびSM2は高度に分化した細胞にのみ発現し、脱分化過程の初期に発現が消失することから、鋭敏に分化を反映する有用なマーカーであるといえる。以下に述べるように、マウスやラット由来の細胞や動物モデルを用いて平滑筋細胞の形質変換を解析する際に、SM1およびSM2遺伝子の発現を指標の一つとした。マウスSM1およびSM2遺伝子の配列情報が報告されていなかったため、ウサギSM2遺伝子断片をプローブとし、マウスcDNAライブラリーから完全長cDNAをクローニングし、全塩基配列を決定した。

 また、マウスおよびラットのSM1を認識するモノクローナル抗体を作製した。ニワトリ砂嚢平滑筋よりミオシンタンパク質を精製し、これを抗原としてラットに免疫した。ラット脾臓細胞とミエローマ細胞(P3-X63.Ag8-U1)を融合させハイブリドーマを作製し、マウス平滑筋型ミオシン重鎖に反応する抗体を産生するクローンを選択した。作製したSM1抗体は、マウス、ラットの平滑筋型ミオシン重鎖SM1/SM2を特異的に認識することがウェスタンブロットにより確認された。さらにマウス・カルポニン-1、SM22αGST融合タンパクを大腸菌で生産し、これを抗原としてポリクローナル抗体を作製した。このようにして、マウス、ラットの平滑筋形質マーカーの検出系をそろえることができた。

平滑筋細胞への分化誘導系の構築と、分化誘導因子の探索

 温度感受性SV40 large T抗原遺伝子を導入したトランスジェニックマウスの骨髄より樹立されたストローマ細胞株(TBR)24クローンを、東北大・帯刀益夫先生から入手した。培養液、培養温度などの条件を変化させ、平滑筋特異的な分化マーカー(SM1、α-アクチン、カルポニン-1、SM22α)の発現を指標に、平滑筋細胞への分化能を持つクローンを探索した。その結果、培養液をarrested medium(RITC-80-7、2% FBS)からdifferentiation medium(α-MEM、10% FBS)に交換して2週間培養することにより、α-アクチン、カルポニン-1、SM22αのタンパク質レベルでの発現が誘導される2クローン(TBR-B株、TBR-10-1株)を見出した。平滑筋細胞の分化マーカーの発現が誘導される骨髄細胞株はこれまでに報告がなく、はじめての知見である。2つの培地の成分を比較し、differentiation mediumに多く含まれる成分の中から平滑筋マーカーの発現を誘導する因子を探索した。その結果、L-アスコルビン酸(300μmol/L:α-MEMにのみ含まれている)をarrested mediumに添加して培養すると、平滑筋分化マーカーの発現が誘導されることが明らかとなり、L-アスコルビン酸は平滑筋細胞の形質制御作用を有する可能性が示唆された。

L-アスコルビン酸によるin vitro平滑筋形質変換制御作用

 L-アスコルビン酸には抗酸化作用、細胞増殖抑制作用、創傷治癒作用など、抗動脈硬化作用に結びつく作用があることが知られているが、平滑筋細胞の形質に対する作用については報告されていない。そこで、ラット培養血管平滑筋細胞を用い、平滑筋形質マーカーの発現を指標に、L-アスコルビン酸の平滑筋細胞の形質に対する作用を調べた。平滑筋細胞は、生体から取り出して培養すると容易に脱分化することが知られている。L-アスコルビン酸を含まない培養液で平滑筋細胞を培養すると、10日目にはSM1およびカルポニンの発現は消失した。一方、L-アスコルビン酸(3〜300 μmol/L)を添加した場合には、SM1およびカルポニンの発現は濃度依存的に維持されることが明らかとなった。

L-アスコルビン酸による平滑筋形質制御メカニズム

 アスコルビン酸には骨芽細胞や骨格筋細胞などの分化を促進する作用があることが報告されている。これらの細胞では、アスコルビン酸の分化促進作用はコラーゲン産生の亢進を介している。そこで、平滑筋細胞に対する作用にもコラーゲン産生が関与しているかどうかを、コラーゲン産生阻害剤・アゼチジン2-カルボン酸を添加して検討した。平滑筋細胞の場合は、コラーゲン産生阻害剤が存在してもL-アスコルビン酸による発現上昇作用が認められ、コラーゲンとは別の機構で発現量を調節していることが示唆された。またアスコルビン酸類縁体のなかで、L-アスコルビン酸の前駆体であるグロノラクトン、酸化体であるデヒドロアスコルビン酸には発現上昇作用はなかった。一方、抗酸化作用のあるアスコルビン酸2リン酸やイソプロピリデンアスコルビン酸にはL-アスコルビン酸と同様の発現上昇作用が認められた。このことから、L-アスコルビン酸および類縁体による平滑筋形質制御作用のメカニズムの1つとして抗酸化作用が考えられた。しかし、最近アスコルビン酸がES細胞を心筋細胞に分化させることが報告されたが、この系では抗酸化作用とは別のメカニズムと考えられている。アスコルビン酸特有の作用があるのかもしれない。

L-アスコルビン酸によるin vivo平滑筋形質制御作用

 次に、生体内におけるL-アスコルビン酸の形質制御作用を調べるため、PTCA後再狭窄のモデルである、ラット・バルーン傷害モデルにL-アスコルビン酸(3g/kg)を連続投与し、血管平滑筋細胞の形質の変化を調べた。コントロール群ではバルーン傷害後1週間で、傷害血管の平滑筋細胞が脱分化し、SM1およびカルポニンの発現は減少した。これに対しL-アスコルビン酸投与群では、傷害血管において増殖してきた平滑筋細胞においてSM1、カルポニンの発現が認められ、in vivoにおいても形質制御作用があることが示唆された。L-アスコルビン酸は、臨床でPTCA後再狭窄抑制作用があることが既に報告されている。そのメカニズムの一つに平滑筋細胞の形質制御作用があると考えられる。

 以上の結果から、L-アスコルビン酸にはin vitroおよびin vivoにおいて平滑筋細胞の分化および形質を制御する作用があることが示唆された。L-アスコルビン酸および類縁体は、平滑筋細胞の分化メカニズム解析の有用なツールとなること、また冠動脈疾患の治療薬に展開可能であることが考えられる。さらに今回構築した分化誘導系は、新たな治療薬の探索系として有望であると考えられる。

 <まとめ>

 温度感受性SV40 large T抗原遺伝子を導入したトランスジェニックマウスの骨髄より樹立されたストローマ細胞株(TBR)を用いて平滑筋細胞への分化誘導系を構築した。そして、この分化誘導系を用いて、L-アスコルビン酸に平滑筋細胞への分化誘導能があることを見出した。さらに、L-アスコルビン酸には平滑筋細胞の形質を制御する作用があることをin vitro(培養平滑筋細胞)およびin vivo(病態モデル)で明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

 動脈硬化あるいは冠動脈形成術(PTCA)後再狭窄の主因として、平滑筋細胞の血管内膜への遊走亢進および異常増殖がある。これまでに平滑筋細胞の増殖を抑制する薬剤の探索が盛んに行われてきたが、細胞選択性や細胞毒性などの問題から、臨床上有効性が確認された物はほとんどない。そこで新たな視点で平滑筋細胞の増殖・遊走を特異的に抑制する薬剤を開発することが必要と考えられてきた。荒川は、新しい薬剤探索の指標として、平滑筋細胞の形質変換に着目した。動脈硬化巣で観察される平滑筋細胞は、正常の平滑筋細胞と比べ脱分化した形質を示し、増殖能、遊走能が亢進している。そこで、平滑筋細胞の形質を脱分化型から分化型に誘導し、平滑筋細胞の増殖・遊走を特異的に抑制する方策を考えた。

 これまでに平滑筋細胞の形質変換のメカニズムはほとんど明らかにされておらず、また脱分化した平滑筋の形質を分化型へ誘導できる因子は見つかっていない。その大きな理由として、平滑筋細胞の分化の簡便な指標がなかったこと、そしてin vitroで平滑筋細胞の分化・脱分化を再現できる培養系が存在しなかったことが挙げられる。近年、平滑筋の形質変換に相関して、平滑筋特異的タンパク質(平滑筋型ミオシン重鎖(SM1、SM2)、カルポニン-1、SM22α)の発現パターンが変化することがわかってきた。そこで荒川は、これらの分化マーカーの発現を指標に、in vitroで平滑筋細胞の形質変換を再現する系を構築できれば、平滑筋細胞分化のメカニズム解析が大きく進展し、また分化誘導を促進できるような形質制御薬の探索が可能になると考えた。

 近年、骨髄ストローマ細胞を接着培養系で長期間培養することにより平滑筋様細胞に分化誘導できるという知見が報告された。そこで、温度感受性SV40 large T抗原遺伝子を導入したトランスジェニックマウスの骨髄より樹立されたストローマ細胞株(TBR)を用い、平滑筋細胞への分化誘導系を構築した。TBR株24クローンに対して、培養液、培養温度などの条件を変化させ、分化マーカー(SM1、α-アクチン、カルポニン-1、SM22α)の発現を指標に平滑筋細胞への分化能を持つクローンを探索した。その結果、培養液をarrested medium(RITC-80-7、2%FBS)からdifferentiation medium(α-MEM、10% FBS)に交換して2週間培養することにより、分化マーカーのタンパク質レベルでの発現が誘導される2クローン(TBR-B株、TBR-10-1株)を見出した。平滑筋細胞の分化マーカーの発現が誘導される骨髄細胞株はこれまでに報告がなく、本研究によるはじめての知見である。さらに荒川は、2つの培地の成分を比較し、differentiation mediumに多く含まれる成分の中から平滑筋分化マーカーの発現を誘導する因子を探索した。その結果、L-アスコルビン酸をarrested mediumに添加して培養すると、平滑筋分化マーカーの発現が誘導されることを見出し、L-アスコルビン酸は平滑筋細胞の形質制御作用を有する可能性を示した。

 L-アスコルビン酸には抗酸化作用、細胞増殖抑制作用、創傷治癒作用などが知られているが、平滑筋細胞の形質に対する作用については報告されていない。そこで、ラット培養血管平滑筋細胞を用い、L-アスコルビン酸の平滑筋細胞の形質に対する作用を調べた。L-アスコルビン酸を含まない培養液で平滑筋細胞を培養すると、10日目にはSM1およびカルポニンの発現は消失した。一方、L-アスコルビン酸(3〜300μmol/L)を添加した場合には、SM1およびカルポニンの発現は濃度依存的に維持されることが明らかとなった。

 骨芽細胞や骨格筋細胞では、アスコルビン酸はコラーゲン産生の亢進を介して文化促進する。そこで荒川は、平滑筋細胞に対する作用にもコラーゲン産生が関与しているかどうかを、コラーゲン産生阻害剤・アゼチジン2-カルボン酸を添加して検討した。その結果、平滑筋細胞は、コラーゲン産生阻害剤が存在してもL-アスコルビン酸による発現上昇作用が認められ、コラーゲンとは別の機構で発現量を調節していることが示唆された。またアスコルビン酸類縁体のなかで、酸化体であるデヒドロアスコルビン酸には発現上昇作用はないこと、抗酸化作用のあるアスコルビン酸2リン酸やイソプロピリデンアスコルビン酸にはL-アスコルビン酸と同様の発現上昇作用があることを明らかにした。このことから荒川は、L-アスコルビン酸による平滑筋形質制御作用のメカニズムの1つとして抗酸化作用を示唆した。

 次に荒川は、生体内におけるL-アスコルビン酸の形質制御作用を調べるため、PTCA後再狭窄のモデルであるラット・バルーン傷害モデルに、L-アスコルビン酸(3g/kg)を連続投与し、血管平滑筋細胞の形質の変化を調べた。Sの結果コントロール群ではバルーン傷害後1週間で、傷害血管の平滑筋細胞が脱分化し、SM1およびカルポニンの発現は減少した。これに対しL-アスコルビン酸投与群では、傷害血管において増殖してきた平滑筋細胞においてSM1、カルポニンの発現が認められ、in vivoにおいても形質制御作用があることが示唆された。L-アスコルビン酸は、臨床でPTCA後再狭窄抑制作用があることが既に報告されているが、本研究から、そのメカニズムの一つに平滑筋細胞の形質制御作用があると示唆される。

 本研究において、L-アスコルビン酸にはin vitroおよびin vivoにおいて平滑筋細胞の分化および形質を制御する作用があることが示唆され、L-アスコルビン酸および類縁体が平滑筋細胞の分化メカニズム解析の有用なツールとなること、また冠動脈疾患の治療薬に展開可能であることを示した。以上のような研究成果により、荒川絵美に対して、博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク