学位論文要旨



No 216137
著者(漢字) 岩原,紳作
著者(英字)
著者(カナ) イワハラ,シンサク
標題(和) 電子決済と法
標題(洋)
報告番号 216137
報告番号 乙16137
学位授与日 2004.12.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第16137号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江頭,憲治郎
 東京大学 教授 能見,善久
 東京大学 教授 樋口,範雄
 東京大学 教授 山下,友信
 東京大学 教授 斎藤,誠
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、最近急速に広がりを見せている電子資金移動、電子マネー等の電子決済に関する私法的問題及び金融監督法的な問題を検討し、解釈論・立法論を展開して、法制整備の必要性を明らかにするものである。しかし本論文は、単に電子決済という新たな取引分野に止まらず、小切手等の既存の有価証券理論に基づく法制を含めた、決済法制、資金移動法制全体の見直しを目指している。さらに、民法478条、手形法40条3項、普通取引約款や約款免責等の分析を通じて、動的安全の重視の名の下に実際にはいかなる利益が私法上保護されてきたかとか、金融機関規制の根拠はいずこにあるのか等、私法や金融監督法の根本原則の見直しにも及んでいる。

 今日では決済方法の中心は、銀行に対する要求払預金の付替により資金を移動させて決済する資金移動取引となり、その中でも紙ベースの手形・小切手から、電子的方法による振込・振替等の電子資金移動へと変化してきた。両者の代表である小切手による決済も電子的振込による決済も、送金人と受取人の間の原因関係、送金人と送金銀行(小切手の支払銀行・振込の仕向銀行)の間の資金移動契約、送金人の送金銀行に対する資金移動指図(小切手の支払委託・振込の振込委託)、受取人と受取銀行(小切手の取立銀行・振込の被仕向銀行)の間の入金承諾契約、送金銀行が受取銀行に発する為替通知(振込の場合は振込通知)、送金銀行と受取銀行の間の為替契約に基づく移動資金の決済、という以上六つの基本的要素から構成されている共通のシステムとして理解することができる。両者の違いは、資金移動指図の流れる経路とその伝達手段(証券か電子的信号か)にある。従って法律問題に関しても、小切手による決済という確立した法原則との比較において、電子的な振込という新たな取引分野の法原則を考えていくことができる。

 電子資金移動の中心は電子的な方法による振込であり、その法律問題については、紙ベースを含めた振込取引の法律構成から考えていかなければならない。この問題に関し、世界で最も早く完備した立法を行い、国連国際商取引委員会(UNCITRAL)の国際振込モデル法やEU国際振込指令のモデルになったアメリカの統一商事法典(UCC)第4A編、わが国の判例・学説が従ってきたドイツの旧判例・学説、EU国際振込指令に従って旧判例・学説を改めたドイツ振込法等を参考に、わが国における振込取引の法律構成を考えると、解釈論としては、従来のわが国における通説のように、振込依頼人と仕向銀行の間の振込依頼契約、仕向銀行と被仕向銀行の間の為替契約、被仕向銀行と受取人の間の入金承諾契約といった個別契約の解釈を積み上げるアプローチがベースとならざるをえない。しかし、振込取引はそのような契約関係が多数積み重ねられてネットワークを構成し、ネットワーク全体として機能を果たすところに特色がある。その意味で、ドイツにおけるネット契約理論やUCC第4A編、ドイツ振込法のようなネットワークとして振込の法律関係を捉えていくアプローチを、立法論は勿論、個別契約の解釈の中でも生かしていくべきである。

 電子資金移動において一番問題になる私法的な論点は、送信人(振込依頼人等)の債務の発生であり、とりわけATMやインターネット等を通じて無権限者が振込委託を送信したときに、振込依頼人がそれに拘束されるのはいかなる場合かという問題である。特にATM機やCD機からのカードによる無権限振込及び預金引出に関し、多数の事件が生じて争われている。動的安全を重視し、民法478条を拡張解釈して無権限者への弁済一般に適用を認める判例・通説は、これらカードによる無権限振込・引出の事件にも民法478条及びそれを受けた銀行の免責約款の適用を認め、無権限者に振込や引出をされた銀行顧客の過失の有無を問わずに、仕向銀行ないし払戻銀行に過失がなければ顧客側に損失を負担させている。しかも銀行の過失の認定も厳しいものではなかった。しかしこれは民法478条の解釈論としても、同条の沿革等に照らし疑問であるし、法政策的に見ても疑問である。銀行顧客に酷な損失負担を強いる結果になっているだけでなく、電子資金移動のセキュリティ確保への銀行のインセンティブを弱め、諸外国に遅れをとる結果を生んでいるからである。アメリカにおいては、銀行顧客は無権限振出に自らの過失が寄与しない限り損失を負担しないという偽造小切手支払に関する法理に倣い、振込取引に関するUCC第4A編は、仕向銀行が取引上合理的なセキュリティ手続を経て無権限振込委託を執行しても、顧客側に原因への寄与がなければ仕向銀行が損失を負担するものとする。個人の電子資金移動取引については、無権限取引に関し顧客は過失の有無に拘わらず原則50ドルに損失負担が限定されるという50ドル・ルールが法定され、イギリス、カナダ、オーストラリア、フランス等に同様のルールが導入されている。ドイツにおいても、顧客の損失負担を損失の10%に限定する10%ルールが採用されている。わが国においても、決済システムの効率性だけでなくその公正性や信頼性を、銀行の利益だけでなく顧客の利益を配慮することが望ましく、そのためにはUCC第4A編のような解釈論がとられるべきであるし、立法論として50ドル・ルールや10%ルールのような考え方がとられるべきである。

 振込依頼人等の制限行為能力を理由に電子資金移動取引における振込委託等の効力が否定されるといった問題に対処するためには、小切手法33条やUNCITRAL国際振込モデル法12条11項のように、振込委託の送信後受信までに行為能力を喪失したことを理由とする取消を否定すべきであろう。さらに電子資金移動(振込)取引開始時の基本契約締結については能力のチェックを銀行に要求するが、その後に能力を喪失したときはそのことを理由に善意の銀行に取消を主張できないといった立法が考えられてよい。振込委託等の指図における意思の欠〓・瑕疵ある意思表示についても、錯誤・強迫であっても振込依頼人はそれを理由に無効や取消の主張を仕向銀行に対し行えないと立法すべきであろう。但し、物理的強迫によって意思無能力と評価できる場合は、無権限指図と同様に扱うべきであろう。意思表示の撤回可能時点については、各国のルールに違いがあり、国際振込等につき問題になるため、その調整が必要である。

 振込取引により発生する受取人の被仕向銀行に対する振込金の請求権は、ドイツの学説のように貸方記帳により生じる抽象的請求権と解する必要はなく、受取人と被仕向銀行の間の契約関係において債権を成立させてしかるべき事情があれば、柔軟に解釈により認めるべきであろう。誤振込によっても受取人が被仕向銀行に対し振込金請求権を取得するかが判例・学説上大きな問題になっている。誤振込につき受取人に悪意・重過失があって記帳に対する信頼を保護する必要がなければ、被仕向銀行の振込の効力に関する判断リスクをいかに保護するかという問題になる。資金移動取引という経済のインフラを排他的に担当し、公的な監督と保護を受ける銀行は、誤振込をした振込依頼人の静的安全のために、一定範囲ではリスクを負担して顧客に安全な資金移動サービスを提供すべきであろう。そうだとすれば、原因関係の存在が受取人の権利の要件と考えたうえで、振込金の支払に関し被仕向銀行は手形法40条3項の類推により保護されるという解釈が妥当であろう。しかし判例がそれを否定していることから立法論としては、UCC第4A編のように、少なくとも被仕向銀行が同意すれば、受取人の振込金に関する権利を消滅・訂正・差止させる権利を認め、受取人に対する差押債権者に対する関係でも、第三者異議を認めるべきであろう。

 振込が仲介銀行・被仕向銀行・資金移動取引システム・通信事業者等の仕向銀行以外の者のために実現しない場合、振込依頼人に対し仕向銀行が振込金を返還する義務を負うかが大きな問題となってきた。前述した振込取引やその法律関係をネットワークとして捉えるアプローチからは、仕向銀行に資金移動システムの過程で生じた事故につき、仕向銀行が返還義務を負ったうえで事故に責任のある当事者から順次振込金を回収することが、法政策的にも望ましいと考えられ、解釈としては、仕向銀行は被仕向銀行への振込通知の到達と振込金の提供の実現を約束しているという通知請負説が妥当である。ドイツ振込法も類似の法律構成をとる。しかしさらに立法論としては、そのような考えをより具体化した、UCC第4A編、UNCITRAL国際振込モデル法、EU国際振込指令、ドイツ振込法などが採用する資金返還保証の法理を立法化することが望ましい。

 電子マネーについては、その法律構成につき様々な説が唱えられているが、いずれも具体的問題につきぴったりした解決をもたらすものではない。オープン・ループ型電子マネーについては、金券説、ついで有価証券説が比較的妥当な解決をもたらすが、なお問題が残る。約款によって対応することにも、強行法規や第三者効等の関係で問題がある。結局、具体的問題ごとに立法によって妥当な解決を与えざるをえないであろう。

 歴史的にいえば、決済機能そしてそれと殆ど重なるところの為替取引こそ銀行の本来的業務であり、あとから付け加わった金融仲介機能を併せ営むことに銀行の特色がある。比較法的には、各国とも決済手段である預金の受入を銀行の重要な定義としている。銀行に対する各種の法規制は、預金通貨の通用力や預金通貨による決済システムを守り、通貨の供給量を管理するという金融政策のコントローラビリティを守るためにあるという見方もできよう。しかし現行銀行法がそのために為替取引を銀行の排他的業務として銀行以外の者が業として為替(決済)業務を営むことを許さないのは、賢明ではないように思われる。決済手段に関する競争を阻害し、決済サービスの向上を妨げるからである。むしろ決済システム参加者や中央銀行当座勘定保有者の資格をチェックしたり、安全性を高め利用者を保護するための決済システムや業者に対する規制を、BISコア・プリンシプル、カナダ、オーストラリア、アメリカ各州の送金業者法等に倣って導入する必要がある。電子マネーについては、十分に汎用性が備わった将来においては、EU指令に倣って、準備預金や中央銀行の市場操作の対象等にするほか、電子マネー発行機関の破綻に備えた規制が必要となろう。

 以上

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、最近急速に広がりを見せている電子資金移動、電子マネー等の電子決済に関する法的問題につき、私法的および金融監督法的問題の双方にわたって解釈論および立法論を展開し、その法制整備の必要性を明らかにするものである。しかし、本論文は、単に電子決済という取引分野を取り扱うだけでなく、進んで、有価証券理論に基づく小切手等の法制をも含めた決済法制・資金移動法制全体の見直しを提言するものでもある。また、民法478条、小切手法40条3項、約款免責等の分析を通じ、「動的安全」の重視の名の下に実際にはいかなる利益が私法上保護されてきたか、あるいは金融機関規制の根拠はどこにあるか等、私法・金融監督法の根本原則の見直しをも目指すものである。

 本論文は、第1編「電子資金移動の私法的諸問題」、第2編「電子マネーの私法上の諸問題」、第3編「金融監督法上の諸問題」の三つの編から構成されている。

 第1編「電子資金移動の私法的諸問題」では、第1章「電子資金移動取引総説」において、今日の資金決済は、銀行に対する要求払預金の付替えにより資金を移動させて決済する方法が中心となっており、その中でも、手形・小切手という紙ベースの方法から、電子的方法による振込・振替など電子資金移動の方法へとウェイトが変化してきたという認識から叙述が始められる。そのうえで、二つの決済方法の代表である小切手による決済も電子的振込による決済も、以下の六つの基本的要素を含む点で異ならないと指摘する。すなわち、1)送金人と受取人との間の原因関係、2)送金人と送金銀行(小切手であれば支払銀行、振込であれば仕向銀行)の間の資金移動契約、3)送金人の送金銀行に対する資金移動指図(小切手であれば支払委託、振込であれば振込委託)、4)受取人と受取銀行(小切手であれば取立銀行、振込であれば被仕向銀行)の間の入金承諾契約、5)送金銀行が受取銀行に対して発する為替通知(振込であれば振込通知)、6)送金銀行と受取銀行との間の為替契約に基づく移動資金の決済である。両方法の違いは、資金移動指図の流れる経路とその伝達手段(証券か電子的信号か)にすぎないこと、したがって、法律問題に関しては、小切手による決済という確立した法原則との比較において、電子的振込という新しい取引分野の法原則を考えていくことが可能であることが説明される。

 続いて、電子資金移動の中心である振込の法律構成が取り扱われ、この問題に関し世界でもっとも早く完備した立法を行い、国連国際商取引法委員会(UNCITRAL)の国際振込モデル法やEU国際振込指令のモデルとなったアメリカの統一商事法典(UCC)第4A編、および、わが国の判例・学説のもとになったドイツの旧判例・学説、EU国際振込指令に従い旧判例・学説を改めた1999年ドイツ振込法等を参考に、わが国における振込取引の法律構成が論じられる。そして、解釈論としては、従来のわが国の通説が説くように、振込依頼人と仕向銀行との間の振込依頼契約、仕向銀行と被仕向銀行との間の為替契約、被仕向銀行と受取人との間の入金承諾契約といった個別契約の解釈を積み上げるアプローチがベースとならざるを得ないとしつつも、しかし、振込取引は、そうした契約関係が多数積み重ねられてネットワークを構成し、ネットワーク全体として機能を果たすところに特色があるから、ドイツにおけるネット契約理論やUCC第4A編、ドイツ振込法のようなネットワークとして振込の法律関係を捉えていくアプローチ、すなわち、契約上の権利・義務の内容が契約当事者の直接の行為を超えて及ぶことや、契約当事者以外にも法的効果が及びうることを、立法論としてはもちろん、解釈論としても個別契約の解釈の中で認めていくべきであると主張される。

 第2章「電子資金移動取引における送信人の債務の発生」においては、最初に、電子資金移動の大きな私法的論点の一つである、送信人(振込依頼人等)の債務の発生の問題、とりわけ、ATMやインターネット等を通じて無権限者が振込委託を送信したときに、振込依頼人がそれに拘束されるのはいかなる場合か、という問題が取り扱われる。わが国でも、ATM機やCD機からのカードによる無権限振込および預金引出しの事件が多数生じているが、動的安全を重視し民法478条を拡張解釈して無権限者への弁済一般に同条の適用を認める判例・通説は、カードによる無権限振込・預金引出しの事件にも民法478条およびそれを受けた銀行の免責約款の適用を認め、無権限者に振込・預金引出しをされた顧客の過失の有無を要件とせず、仕向銀行・預金払戻銀行に過失がなければ、顧客側に損失を負担させている。しかも、銀行の過失の有無の認定も、厳しいものではない。本論文は、この点を批判し、こうした民法478条の解釈は、同条の沿革等に照らし疑問であるばかりでなく、法政策的にも、顧客に酷な損失負担を強いる結果になること、電子的資金移動のセキュリティ確保への銀行のインセンティブを弱め諸外国に遅れをとる結果を生んでいること等の理由から疑問であるとする。そして、アメリカにおいては、顧客は小切手の無権限振出に自らの過失が寄与しない限り損失を負担しないという偽造小切手支払に関する法理に倣い、振込取引に関するUCC第4A編は、仕向銀行が取引上合理的なセキュリティ手続を経て無権限振込委託を執行しても、顧客側に原因への寄与がなければ仕向銀行が損失を負担するものと定めていること、個人の電子資金移動に関しては、無権限取引につき顧客に過失があるか否かを問わず原則50ドルに損失負担が限定される「50ドル・ルール」が法定され、イギリス、カナダ、オーストラリア、フランス等においても同様のルールが導入されている(ドイツでは、顧客の損失負担を損失の10パーセントに限定する「10パーセント・ルール」が採用されている)ことを指摘し、わが国においても、決済システムの効率性だけでなくその公正性や信頼性を、また銀行の利益だけでなく顧客の利益を配慮することが望ましく、その観点から、無権限振込委託の損失負担に関する解釈論としては上記のUCC第4A編のような解釈がとられるべきであり、かつ、立法論としては「50ドル・ルール」、「10パーセント・ルール」のようなルールが採用されるべきであると主張する。

 続いて、振込依頼人等の制限行為能力を理由として振込委託等が取り消された場合に、銀行、制限能力者のいずれが損失を負担すべきかの問題が取り扱われる。この問題についても、アメリカおよびドイツの法制、わが国において小切手の支払委託が制限行為能力を理由に取り消された場合の効果等が検討された後、立法論としては、小切手法33条やUNCITRAL国際振込モデル法12条11項のように、振込委託の送信後受信までに行為能力を喪失したことを理由とする取消しは否定すべきこと、電子資金移動(振込)取引開始時の基本契約締結の際には銀行は顧客の行為能力をチェックすべきことが要求されるが、その後に行為能力を喪失したときはそのことを理由に善意の銀行に対し取消しを主張することはできないものとすべきことが主張される。

 振込委託等の指図における意思の欠〓・瑕疵ある意思表示についても、同様の検討を経た後、錯誤・強迫があっても振込依頼人はそれを理由に無効・取消しの主張を仕向銀行に対し行えない旨を立法すべきこと、ただし物理的強迫により意思無能力と評価できる場合には無権限指図と同様に取り扱うべきことを主張する。

 振込委託が撤回可能な時点を何時までとすべきかについては、この点に関する各国の法制がまちまちであること、各国法は一般的に撤回不能時点を早める傾向にあることを指摘し、まずは国際振込に係る銀行間の規則の調整が必要であることを主張する。

 第3章「受取人の権利」においては、最初に、振込取引において受取人の被仕向銀行に対する請求権が発生する法律構成を論じ、わが国の場合、振込取引により発生する受取人の被仕向銀行に対する請求権の根拠は預金契約に求められるから、ドイツの学説のように、被仕向銀行が受取人口座に貸方記帳することにより生ずる抽象的請求権(抽象的債務約束)と解する必要はなく、受取人と被仕向銀行との間の契約関係において債権を成立させてしかるべき事情があれば(たとえば、被仕向銀行が送信銀行から振込金を受け取った場合)、柔軟に発生を認めてしかるべきであるとする。

 続いて、わが国でも判例・学説上大きな争いとなっている、誤振込によっても受取人が被仕向銀行に対し振込金請求権を取得するか否かの問題が取り扱われる。本論文は、問題のポイントは、誤振込であることにつき受取人に悪意・重過失があって記帳に対する同人の信頼を保護する必要がない場合における、被仕向銀行の振込の効力に関する判断リスクをどのように保護すべきかであると指摘した上で、資金移動取引という経済のインフラを排他的に担当し、公的な監督と保護を受ける銀行は、誤振込をした振込依頼人の静的安全のために、一定範囲ではリスクを負担して顧客に安全な資金移動サービスを提供すべきものであり、したがって、原因関係の存在が受取人の権利の要件であると解した上で、振込金の支払に関し被仕向銀行は手形法40条3項の類推適用により保護されると解すべきことを主張する。しかし、判例がその解釈を否定し、誤振込による受取人の権利の成立を認めていることから、立法論としては、UCC第4編のように、少なくとも被仕向銀行が同意すれば、受取人の振込金に関する権利を消滅・訂正・差止めさせる権利を振込依頼人に認めるべきであり、かつ、受取人の差押債権者に対する関係でも第三者異議を認めるべきであると主張する。

 第4章「受信銀行の義務」においては、振込が仲介銀行・被仕向銀行・資金移動システム・通信事業者等、仕向銀行以外の者の故意・過失のために実現しない場合に、振込依頼人に対し仕向銀行が振込金を返還する義務を負うか否かという問題が取り扱われる。本論文は、第1章で論じた振込取引やその法律関係をネットワークとして捉えるアプローチからは、資金移動システムの過程で生じた事故につき、仕向銀行が返還義務を負った上で、事故に責任のある当事者から順次振込金を回収することが法政策的にも望ましいと主張し、解釈論としては、仕向銀行は、振込依頼人に対し被仕向銀行への振込通知の到達と振込金の提供の実現とを約束しているという、通知請負説が妥当であると主張する。しかし、さらに立法論としては、そのような考えをより具体化した、UCC第4A編、UNCITRAL国際振込モデル法、EU国際振込指令、ドイツ振込法などが採用する資金返還保証の法理(マネーバックギャランティ・ルール)を立法化することが望ましいと主張する。

 第2編「電子マネーの私法上の問題」では、本論文は、最初に、電子マネーの法律構成として、電子マネーを発行者に対する金銭債権と見る説、振込指図と見る説、有価証券と見る説、金券と見る説、電子マネーの使用により発行者が譲渡人の譲受人に対する金銭債務の引受を行うと見る説など様々な見解があるが、いずれも具体的問題につき完全に満足のいく解決をもたらすものではないこと、オープン・ループ型電子マネーについては、第一に金券説、次いで有価証券説が比較的妥当な解決をもたらすが、なお問題が残ることを指摘する。

 続いて、電子マネーに関する各私法上の諸問題、すなわち、電子マネーの存否(成立、偽造・変造等)、移動(二重譲渡、無権限取引、善意取得、行為能力・意思表示の瑕疵、喪失者の権利等)、デバイス(カード等)に関する問題、決済をめぐる問題(システム障害等)、その他(強制執行等)を順次論じ、約款による対応は、強行法規または第三者効等の関係につき限界があるので、具体的問題ごとに立法により妥当な解決を図るほかないと主張する。

 第3編「金融監督法上の諸問題」では、本論文は、銀行業は、歴史的に見れば、決済機能およびそれと殆ど重なるところの為替取引こそがその本来的業務であり、金融仲介機能は後に付け加わった業務であること、比較法的に見れば、各国とも決済手段である預金の受入を銀行の重要な定義としていることを指摘し、したがって、銀行に対する各種の法規制は、預金通貨の通用力を支える銀行の信用力を維持し、また預金通貨の供給量が経済に与える影響ゆえにその供給量を管理するという金融政策のコントローラビリティを守るためにあるとの見方もできるものの、最近では法貨・預金通貨以外の決済手段(プリペイドカード、トラベラーズチェック、投資信託受益権、コンビニの収納代行、金融VAN等)が生じつつあることに鑑みると、現行銀行法のように為替取引を銀行の排他的業務とし、銀行以外の者が業として為替(決済)業務を営むことを許さないことは、決済手段に関する競争を阻害し、決済サービスの向上を妨げるから賢明ではなく、むしろ決済システム参加者や中央銀行当座勘定保有者の資格をチェックし、安全性を高め利用者を保護するための決済システム・業者規制を、BISコア・プリンシブル、カナダ、オーストラリア、アメリカ各州の送金業者法等に倣って導入すべきであること、および、電子マネーについては、十分に汎用性が備わった将来時点においては、EU指令に倣って、準備預金・中央銀行の市場操作の対象等とするほか、電子マネー発行機関の破綻に備えた規制が必要になることを指摘する。

 本論文の長所として、次の諸点をあげることができる。

 第一に、本論文は、資金決済法制という一つの新しい学問的領域を構築し、その分野のわが国の研究水準を一挙に高めたものである。すなわち、この分野の法的問題は、伝統的な法律学では、有価証券法、契約法(委任契約、第三者のためにする契約等)等において、個々の問題がそれぞれ断片的に取り扱われるにとどまってきたのに対し、本論文は、各問題を、送金人・送金銀行・受取銀行・受取人等を結ぶ六つの基本的要素から構成されるシステムの中に位置づけるとともに、従来判例・学説で論じられてこなかった問題も洩れなく拾い上げ、かつ、有価証券が用いられる場合と振替・振込といった電子的方法が用いられる場合との解決を相互に比較する形で総合的に考察することにより、一貫した法理を構築した。

 第二に、本論文の論述の進め方は、最初に制度の仕組みを説明し、続いて諸外国法およびわが国の既存の判例・学説を綿密・詳細に分析することを通じて、あるべき政策論を導き出し、そこから自身の解釈論・立法論を展開するという、きわめてオーソドックスであるが堅実なものであり、比較法等、膨大な資料を渉猟したうえでの強固な政策論に裏づけられた本論文の結論は、きわめて説得力に富むものである。こうした論述を通じて、本論文は、ネットワークとして振込の法律関係を捉えるべきことをはじめ、単に既存の契約法理等を適用したのでは各問題の妥当な解決とならない点を多数指摘しており、民法法理に対し貢献するところもきわめて大きい。

 第三に、本論文は、単に私法領域にとどまらず、金融監督法もふくめ資金決済法制を総合的に捉えている点も評価に値する。とりわけ、資金決済に関する公法的規制については、従来、もっぱら規制目的・根拠論を中心に経済学的視点から論じられる傾向があったのに対し、本論文は、沿革・比較法の検討を含め、銀行法の仕組みという視点から問題を論じ、ネットワークとして振込の法律関係を捉えるという視点と整合的な金融監督法のあり方を提言している点が注目される。

 第四に、本論文が、銀行およびその周辺の業界の実務、金融監督実務等、著者の長年の観察から得られた実務に対する該博な知識に裏づけられている点も、本論文の説得力を大きなものにしている。また、論述はきわめて平明であり、わかりやすい。

 ただ、本論文の論述の進め方は、実定法の研究として厳格なまでにオーソドックスな姿勢が貫かれており、わが国と外国における金融機関の社会的地位の差異等、法制に影響を及ぼしているかもしれない法制以外の要素に踏み込むところがない。この点を物足りないとする評価はありえよう。しかし、この点は、実証困難な問題には言及すべきでないという著者の禁欲的な学問的姿勢の反映とみることができ、本論文の学問的な価値をいささかも損なうものではない。

 したがって、本論文は、博士(法学)の学位を授与するにふさわしいものであると評価できる。

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