学位論文要旨



No 216141
著者(漢字) 工藤,謙一
著者(英字)
著者(カナ) クドウ,ケンイチ
標題(和) マイクロマニピュレーションシステムの開発
標題(洋)
報告番号 216141
報告番号 乙16141
学位授与日 2004.12.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16141号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樋口,俊郎
 東京大学 教授 相良,泰行
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 助教授 鳥居,徹
 東京大学 助教授 高橋,哲
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は,動物細胞を対象とした細胞のマイクロマニピュレーションの自動化に関する研究である.

 動物細胞のマイクロマニピュレーションを自動化するにあたり,医学系,農学系の研究者と共に実際のマイクロマニピュレーションを行い,作業を分析してきた.ICSI(卵細胞質内精子注入)や核移植は個々の研究者の個人技であり熟練を要する手技であった.

 本研究は,それらの熟練者だけが行ってきた個人技を,メカトロニクスとコンピュータ技術を用いて誰が行っても同じ結果出るような装置の開発を目指した.

 第1章では,序論であり,研究背景,従来の手法,人工受精の歴史と現状について述べ,本論文の目的,構成,及び本研究で研究開発する新システムの開発指針について述べている.細胞操作用マイクロマニピュレータを用いた作業が行われている医療分野における顕微授精作業は,不妊治療の臨床に定着して来た.今後も少子化問題の解決手段の一つとして益々増え,作業効率の良いマクロマニピュレーションシステムへの要求が高まるものと思われる.

 第2章では,既存の細胞操作用マイクロマニピュレータについて述べた.生物学および医学分野においては,顕微鏡視野内の作業用として,古くから純機械式のマイクロマニピュレータが用いられてきた.近年では,油圧駆動方式マイクロマニピュレータが一般的に使用されるようになってきた.この油圧マイクロマニピュレータは,スムースな動きを実現している.しかし,その操作には熟練を要する.電磁力駆動,電動モータ駆動タイプなどが存在するが,大多数の研究者は,液圧駆動タイプを使用している.マイクロマニピュレータの代表的なものの現状を紹介し,それぞれの特徴を述べた.

 第3章では,卵細胞の大量操作への提案と液流を用いた細胞整列機構について述べた.

 哺乳動物の卵細胞を用いた核移植や体外受精では,細胞の入ったメディウム(培養液)をシャーレに小分けしたドロップとして,その中で作業を行う方法がとられている.ドロップ内で作業することにより,卵細胞を,倍率を上げた顕微鏡視野内およびマニピュレータの作業領域内に比較的容易にセッティングすることができるが,その場合液体の温度が変化しやすい(体温程度に温度を保つ必要がある),液体の量が少ないため不純物など外乱の影響を受けやすい,蒸発しやすい(培養液の浸透圧の変化をまねく)などの問題点が生じている.少量の卵子を扱う場合は(例えばヒトなど)細胞の迅速な回収が行われれば上述の問題の影響を最小限に抑えることが可能である.しかし,家畜の品種改良の様に一度に大量の卵子に対してマニピュレーションを行う必要がある作業の場合,本来は効率良く一カ所でまとめて作業を行いたいのだが,大量の細胞を扱うには培養液の量も多くなり,広い範囲から細胞を選別・ハンドリングする操作が要求される.また,小分けしたドロップにおける作業では,作業時間の増大により前述の問題点が実験効率の低下に大きく影響してくることが予想される.マニピュレーション作業終了後,逐次細胞の回収作業を行う方法も考えられるが,細胞の入ったドロップレットを正確に回収・設置を繰り返すシステムは極めて複雑な装置構成となることが予想される.

 従って,家畜の品種改良など大量の卵細胞に対して作業を迅速に行う作業の自動化に際しては,マニピュレーションの作業工程からドロップレットの使用を廃し,常に多量の培養液中で作業が行えるようにすることが有効な解決方法と考えられる.しかし,このような場合には細胞がシャーレに散在してしまい,マイクロマニピュレータの作業領域内に存在するとは限らないといった状況に陥ってしまう可能性がある.マイクロマニピュレータのような微細作業に特化したシステムは,その作業領域が極めて小さくシャーレ全体をカバーすることはできないため,別途に細胞を作業領域内に搬送する技術が必要となる.マニピュレータ自身を細胞位置に移動させるという方法も考えられるが,マニピュレータに移動機構を持たせることによる作業精度の低下の可能性や,散らばった卵細胞が極めて微小であるため位置検出が容易ではないことなどの問題があり,実用的とは言いがたい.したがって,有効な手段となるのは位置検出を行うことなく散在した細胞を任意位置,すなわち作業領域内に搬送してくる方法であると考える.

 このような作業を行う方法として,本章において,液体と操作対象の微小物が入ったケースを振動させることにより微小物が集束する現象の利用した細胞整列機構を考案し,その有用性を確認した.

 第4章では,圧電素子の急速変形に伴う慣性力を利用した移動機構を考案して,独自な発想に基づいて開発したピェゾインパクトマイクロマニピュレータについて述べた.ピエゾインパクトマイクロマニピュレータの駆動原理(圧電素子の急速変形に伴う慣性力を利用した微小移動機構)を示す.

 (1)では圧電素子は短縮された状態にある.(2)で圧電素子を急激に伸長させると移動体に衝撃的な慣性力が作用し,移動体が微小移動を起こす.次に圧電素子を元の長さに戻す際にはゆっくりと縮めるとこのときの慣性力は小さいため,移動体は静止摩擦力によって位置を変えること無く圧電素子を元の長さに戻すことができる.(3)また引き戻しの過程で圧電素子の動きを急に止めることで衝撃的な力を移動体に作用させることができ,移動体を微小移動させることができる.移動機構の移動はこの過程によるステップ状の移動を繰り返すことで原理上は無制限に行うことができる.また後述のように1ステップの移動量は圧電素子の振幅を変化させることで数nmから数μmまで変えることが可能である.

 この駆動原理を用いたピエゾインパクトマイクロマニピュレータは,動物卵細胞を変形させることなく,微細器具の挿入が可能である.液圧駆動のマニピュレータを細胞穿孔用に用いた場合,スムースな動きのため,細胞膜をゆっくり押している状態になり,膜の変形が進み,ピペットの挿入が上手く行かないことがある.ピエゾインパクトマイクロマニピュレータの場合は,圧電素子により発生した慣性力とピペットの急速な動きのため,細胞膜の変形は起こらない.また,マウスの核移植において,壊れやすく従来は挿入不可能であった,脱核用のピペットの挿入を可能にしたことにより,クローンマウスの製作には,欠かせない重要なツールとなった.

 第5章では,電磁力を用いた細胞穿孔機構について述べた.細胞膜の固い卵細胞やより口径の大きなピペットの挿入に際して,ピエゾインパクトマイクロマニピュレータより大きな穿孔力を必要とする.そこで,圧電素子に代わって,電磁衝撃力を用いることにより,この機構はピエゾインパクトマニピュレータよりさらに大きな力を発生出来ることを確認した.その応用として脳や臓器などへの薬剤のインジェクションにも適応可能である.

 第6章では,精密インジェクタについて述べた.圧電素子と慣性体を取り付けただけの単純な構造でも,精度の高い精密インジェクションが可能であった.また,電気的に制御が可能なので,マイクロマニピュレーションの自動化に適している事を確認した.

 第7章では,細胞膜の物理特性測定用の微小力測定装置の開発について述べた.実験に供される細胞の物理学特性を正確に測定することにより,細胞の優劣を判断できれば,迅速な卵子の選別が可能になると考える.透明帯や細胞膜の強度を測定する事や受精前と受精後の細胞の変化を測定することが,受精機構の解明や一番適した人工授精方法の選択に利用できるなら,不妊症治療の成功率を引き上げることができると考える.実際に物理的測定をするために,レーザー光を利用した微小力センサ及び静電容量型微小力センサを試作して,細胞穿孔時の強度を計測し,細胞穿孔時の力のモデル化を考えた.

 第8章では,コンピュータ制御自動化マイクロマニピュレータについて述べた.今まで熟練者の手技であったマイクロマニピュレーションを,メカトロニクスとコンピュータ技術を用いて,片手で簡単に操作できる自動化マイクロマニピュレータを作製した.

 画像処理装置を倒立顕微鏡に取り付け,卵細胞の自動選択を試みた.同倍率視野内では細胞の自動選択が可能であること確認した.

 複雑な作業をコンピュータと電動ステージを用いて簡素化して,作業効率の向上や,マイクロマニピュレータの操作を短時間で習熟できる事を目的とした"自動化マイクロマニピュレータ"を製作した.コンピュータマウスを用いた片手だけの操作でピペットの位置合わせや退避などが自動的に行われるようになり,ICSIや核移植1回当たり,2〜3分の作業時間の短縮が達成された.一般的な核移植操作では,一回に6〜7個の卵細胞を使用するので,一連の連続操作では,約15分前後の短縮となった.

 第9章は結論で,本研究で明らかとなった知見を纏めている.

Fig.1 Principle of operation

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は「マイクロマニピュレーションシステムの開発」と題し,動物卵細胞に対して,人為的な操作を行うときに使用する細胞操作用マイクロマニピュレータおよびその周辺機器の開発を目的として行った研究成果を纏めたものである.

 本論文は,全8章で構成されている.

 第1章は,「序論」であり,研究背景,従来の手法,人工受精の歴史と現状及び既存の細胞操作用マイクロマニピュレータについて述べ,本論文の目的,構成,及び本研究で研究開発する新システムの開発指針について述べている.

 第2章「細胞整列機構」では,卵細胞の大量操作への提案と液流を用いた細胞整列機構について述べている.哺乳動物の卵細胞を用いた核移植や体外受精では,細胞の入ったメディウムをシャーレに小分けしたドロップレットとして,その中で作業を行う方法がとられているが,大量の細胞を扱うことを前提として自動化を考えた場合,細胞の入ったドロップレットを正確に回収・設置を繰り返すシステムは複雑な装置構成となることが問題であった.そこで,液体と操作対象の微小物が入ったケースを振動させることにより微小物が集束する現象を利用した細胞整列機構を考案している.この細胞整列機構を用いてのポリスチレンビーズやウサギの卵細胞を対象とする実験により,効率良く操作領域に微粒子を集めることが確認され,考案した整列機構の有用性を実証している.

 第3章「ピエゾマイクロマニピュレータ」では,圧電素子の急速変形に伴う慣性力を利用した移動機構を考案し,これを利用したピエゾインパクトマイクロマニピュレータについて述べている.考案した圧電素子の急速変形に伴う慣性力を利用した移動機構は,移動体に圧電素子を取り付け,その圧電素子の端面に慣性体を取り付けただけの簡単な構造で,最小4nmのステップ移動を実現できる微小移動機構であり.種々の超精密位置決め装置に用いられており,本機構に関する研究は,精密工学会賞を受賞している.この駆動原理を用いたピエゾインパクトマイクロマニピュレータは,動物卵細胞を変形させることなく,微細器具の挿入が可能である特徴がある.従来の液圧駆動のマニピュレータを細胞穿孔用に用いた場合には細胞膜の大きな変形が避けられなかったが,ピエゾインパクトマイクロマニピュレータでは,圧電素子により発生した慣性力によるピペットの急速な動きのため,細胞膜の変形をほとんど生じないことを明らかにしている.そして,マウスの核移植において,壊れやすく従来は挿入不可能であった脱核用のピペットの挿入を可能にしたことにより,クローンマウスの製作に欠かせない重要なツールとなったと述べている.

 第4章「電磁衝撃力を利用した細胞穿孔機構」では,衝撃電磁力を用いた細胞穿孔機構について述べている.細胞膜の固い卵細胞やより口径の大きなピペットの挿入に際して,より大きな穿孔力を必要とする.そこで,圧電素子の代わりに衝撃電磁力を用いる機構を開発した.試作した機構により,ピエゾインパクトマニピュレータよりも大きな穿孔力を用意に発生出来ることを確認し,脳や臓器などへの薬剤のインジェクションなどにも適応可能であることを示している.

 第5章「精密インジェクタ」では,精密インジェクタの開発について述べている.圧電素子と慣性体を取り付けただけの単純な構造で,精度の高い精密インジェクションが可能である新しい方式のインジェクタを考案している.電気的に吐出量の制御が可能でありマイクロマニピュレーションの自動化に適している事を確認している.

 第6章「微小力測定装置」では,細胞膜の物理特性測定用の微小力測定装置の開発について述べている.細胞の物理学特性を正確に測定することにより,細胞の優劣を判断できれば,迅速な卵子の選別が可能になると考え,レーザ光を利用した微小力センサ及び静電容量型微小力センサを開発した.試作したこれらのセンサを用い,細胞穿孔時の力を精密に測定できることを明らかにしている.

 第7章「自動化マイクロマニピュレータ」では,コンピュータ制御マイクロマニピュレータシステムの開発について述べている.今まで熟練者の手技であった複雑な作業をコンピュータと電動ステージを用いて簡素化して,作業効率の向上や,マイクロマニピュレータの操作を短時間で習熟できる事を目的としたオペレータ支援装置を企業と共同で開発し,実用化に成功している.コンピュータマウスを用いた片手だけの操作で,ピペットの位置合わせや退避などが自動的に行われるようになり,ICSIや核移植1回当たり,2〜3分の作業時間の短縮が達成されるなど,利用者から高い評価を得ている.

 第8章「本論文のまとめ」は,本論文の結論であり,本研究で明らかとなった知見を纏めている.

 このように,本論文でなされた研究において,「圧電素子の急速変形に伴う慣性力を利用した移動機構」や「液流を用いた細胞整列機構」などの革新的な技術を考案して,自動化されたマイクロマニピュレーションシステムの構築に成功している.開発した装置は,わが国だけでなく欧米にも販売され,顕微授精や核移植の研究に活用されており,医学や生物学の進歩に大きく貢献している.本論文の研究成果は生命工学,精密機械工学の発展に大きく寄与するものと言える.

 よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク