学位論文要旨



No 216142
著者(漢字) 結城,貴子
著者(英字)
著者(カナ) ユウキ,タカコ
標題(和) 途上国における教育財政の公正度と効率性 : イエメンとインドネシアの事例を通じて
標題(洋) Equity and Efficiency in the Financing of Educationin Developing Countries : Cases of Yemen and Indonesia
報告番号 216142
報告番号 乙16142
学位授与日 2004.12.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16142号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 玉井,克哉
 東京大学 特任教授 P・ウォルシュ,ジョン
 東京大学 特任助教授 森口,尚史
 東京大学 助教授 澤田,康幸
 東京工業大学 教授 牟田,博光
内容要旨 要旨を表示する

 教育は、人としての権利であるだけでなく、社会経済開発を促すための手段としても重要である。そのため、教育機会の拡張と改善に向けて国際社会が協力すべきであるという認識も高まってきた。しかし、とりわけ途上国の抱える開発課題は多大であり、投入しうる資源が有限である以上、限りある資金をどのように賢明に活用していくかは、常に重要な問題である。

 公共資金の配分決定にあたってしばしば基準とされるのは、公正さと効率性である。援助機関がある一つの経済的基準、またはごく少数の国の実証研究結果に基づいて政策提言を行うべきではないという批判はあるが、近年の途上国支援においては、公正さや効率性を基準とした計量的分析を実際の政策審査や評価に適用する動きが強まっている。

 こうした流れを受けて、本論文では、途上国における教育財政の公正度と効率性の両方を評価し、教育分野に対する公共資金の配分を決定する際に、これら2つの基準がどういう関係にあるのか考察することとした。具体的には、基礎的だが重要な政策指標である公共支出の量の変化による影響に焦点を当て、標準的な公正度の指標(ベネフィット・インシデンス)または外部効率性の指標(収益率)から評価される公共支出の効果改善を目指した政策変化が、他方の指標によっても正当化されるかどうかを考察している。

 本論文の第1部では、これらの指標の計測手法について説明し、途上国に関する先行研究の計量的レビューを行った上で、公正度と効率性をともに考察する枠組みを提示した。第2部と第3部では、この枠組みを適用して、公共教育支出が対GNP比で比較的高い国としてイエメン、低い国としてインドネシアを取り上げ、事例研究を行った。特に、イエメンの先行研究が少ないことから、途上国の教育財政に関する知見の格差を減らすためにも同国の研究に焦点を当てた。

第1部

 第2章では、34カ国に対する46のベネフィット・インシデンス研究の結果を用いて、貧困層(家計消費または所得によって順位付けた下位20%の個人または世帯人口)への公共教育支出の分配に関するメタ分析を行った。結果として、概して総公共教育支出は貧困層に有利に働いておらず、教育段階別に見ると低い教育段階でのみ貧困層に有利になっていることが確認された。つまり、平均して貧困層は総公共教育支出の16.3%分しか受益していないが、富裕層(上位20%)は25.9%も得ている。初等教育への公共支出に占める貧困層のシェアは22.4%だが、高等教育ではたった5.5%でしかない。また、国際的データベースからマクロデータを加えて、総公共教育支出に占める貧困層シェアの研究結果間の差異に関するクロスカントリー回帰分析も行った。その結果から、公共教育支出の増加は、その増加分が高等教育に配分されない限り、貧困層シェアの増加をもたらし得ると考えられた。

 第3章では、教育の収益率に関して先行レビューを基に概観した。それによると、教育の収益率、すなわち教育の費用を考慮した上での教育年数の増加にともなう賃金上昇率は、概して先進国よりも途上国において高く、教育サービスの拡張による収益率の減少に留意しても標準的な資本の機会費用(10%)よりは低くならない傾向がある。また、総公共教育支出と教育の収益率との相関関係は、先進国ではマイナスであるが、途上国ではプラスであることが解った。

 さらに、第2章の結果とあわせて公正度と外部効率性をともに考慮するため、各指標の典型的なベンチマーク(公共教育支出に占める貧困層のシェアが20%、教育の収益率が10%)及び途上国平均値(貧困層のシェア16%と収益率13%)を視覚的に表す枠組みを提示し、両方の指標で公共教育財政がどれほど正当化し得るのかを容易に比較分析できるようにした。

第2部

 第4章は、ベネフィット・インシデンス分析手法をイエメンの教育分野に初めて適用した研究で、ミクロレベルの家計調査データ(1998年の家計支出調査と1999年の貧困状況調査)及び公共支出や学校統計データを活用して行った。この研究から、公共資金の分配は貧困層に対して有利になっていないこと、特に高等教育への支出に占める貧困層シェアが低いこと、またどの階層でも女性の平均受益額は男性の半分以下であることなどが明らかになった。

 イエメンの貧困層人口20%の総公共教育支出に占めるシェアは19%で、これを教育段階別の公共教育支出に占めるシェアで見ると、基礎教育で21%、中等教育で17%、高等教育で12%であった。第2章の結果を基に他国と比較すると、教育分野全体としては低くないが、基礎教育でやや低い傾向にある。そこから、家計教育支出の階層間差異も分析した上で、総公共教育支出の高い水準での維持、高等教育から基礎教育への公共支出の再配分と貧困層をターゲットにした基礎教育サービスの拡張、貧困層以外の家計による高等教育費負担の倍増などを提案した。

 また教育の収益率に関する先行研究を考慮すると、イエメンの基礎教育の収益率は他国と比べて低く、ベンチマークにも達していない可能性がある。よって、公正度から見た基礎教育の拡張が外部効率性をさらに下げないように留意しなければならない。この低さは教育を受けていない者が外国への出稼ぎによって比較的高い賃金を得ていたことを反映しているが、急激な変化の予測される中東地域を取り巻く資本と労働力の流れを踏まえ、市場ニーズに適した基礎教育の質の向上を検討する必要がある。

 一方、高等教育の収益率はベンチマークよりも高かったが、高等教育修了者のほとんどが政府部門に雇用されており、収益率が公務員給与体系を反映していたこと、1990年代後半からの公務員制度改革により公務員の削減が進んでいることなどを考えると、効率性の観点からも、高等教育への公共支出の増加は安易に支持できるものではない。

 第5章は、標準的なベネフィット・インシデンス分析から政策的含意を導出する際の手法上の限界に対応した。標準的手法は公正度の現状を評価するには有用であるが、公正さの改善策を検討するには需要側の行動に関する情報を十分に提供できないという難点がある。そこで、基礎教育への公共支出の増加による教育サービスの拡張があらかじめ意図したような需要側の反応を得られるか、すなわち貧困層や女子の就学を向上できるかどうか考察するために、家計の教育需要決定要因を階層、ジェンダー、地域による差異に留意して分析した。

 家計構成、両親の教育水準、生活インフラなど需要側の要因を制御して就学確率のロジット推計を数々行った結果、農村においては貧困層の教育需要が教育サービスの拡張(家から学校への距離の縮小)に若干であるがより敏感に反応すること、つまり就学率がより向上し得ることがわかった。しかし、男子と比較して女子に対する教育需要のほうが学校への距離に敏感に反応するとは言えなかった。むしろ女子に対する教育需要は、教育の機会費用(もしくは家庭内・市場における児童労働への需要)や教育の便益に対する期待度の違いを表す家計やコミュニティの特性に、より強く影響されることが明らかになった。よって教育サービスの拡張を進める際には、特に女子の教育需要を促進するための特別な策(例として母親の識字教育や農村家計の調理燃料として薪に代わるガス使用の促進など)を、教育行政外の分野とも協調しながら実施していくことが重要であると考えられる。

第3部

 第6章では、インドネシアにおける教育の収益率の推計を1993/94年家族生活調査のミクロレベルデータを用いて行った。その際、先行研究ではほとんど検討されなかった公立校と私立校修了者の収益率の違いにも留意したが、結果として、全般的に公教育の収益率が高いことが確認された。ミンサー方程式の推計によると、付加的な一年間の教育に対する収益率は約12%で、教育段階別の推計でも収益率は10%を上回った。また教育の費用の中に機会費用のみならず直接費用、つまり家計と政府教育支出をも含めて推計した公教育の社会的収益率も高く、大学教育以外では10%以上となった。よって、外部効率性の基準では、公共教育支出の増加は大学以外に対しては正当化できる。但し、後期中等教育の生徒の40%は私立に就学しており、仮に私学の教育費が公立校と同程度か高い場合には、私学の後期中等教育の収益率は低くなる。その傾向は普通教育より職業技術教育において顕著であることから、私学への公的補助金には留意が必要であると言えよう。

 また、インドネシアは総公共教育支出が比較的低いが、ベネフィット・インシデンスの先行研究結果からは、公共教育支出の分配は貧困層に不利に働いており、その傾向は特に後期中等教育と高等教育で強いことがわかっている。よって、効率性と公正度の基準をあわせて考慮すると、公共教育支出の増加、特に初等教育と前期中等教育における貧困層をターゲットにした支出の増加が望ましいと考えられる。この貧困層へのターゲティングを実施する上では、1990年代後半に経済危機対策として行われた初等・中等教育における奨学金プログラムから得られた教訓も生かすべきであろう。

結論

 本論文は、途上国に関する先行研究のレビュー及び2カ国の事例研究を通じて、公共教育支出の効果を公正度と外部効率性を表す指標で評価し、その上で、両方の指標から見てより適切な効果をもたらすような公共支出の量の変化について考察した。その結果、一方の基準に関する分析結果から導出される政策変化は、他方の基準では必ずしも正当化されないことが実証的に示された。どの基準を重視するかは当該国次第ではあるが、公正度と効率性のどちらに優先度を置く場合でも、他方の基準による政策効果に配慮しておくことは、当該国のみならず、より効果的な途上国支援を目指す援助国にとっても重要であると言えよう。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、第1章から第7章までの全7章から成り、3部構成となっている。まず第1章では論文全体としての研究課題の背景と問題意識を説明し、研究の目的と内容の概要ならびに論文の構成を示している。第1部は方法論であり、第2章と第3章からなり、公平度と効率性の指標の計測手法についてそれぞれ説明し、途上国に関する先行研究の計量的レビューを行った上で、これらの基準をともに考察する枠組みを提示している。第2部(第4章と第5章)と第3部(第6章)は上記方法論の具体的適用であり、公共教育支出の対GNP比が比較的高い国としてイエメン、低い国としてインドネシアを取り上げ、それぞれ事例研究を行っている。それらを踏まえて第7章では論文全体を総括し、途上国教育財政に関する示唆を論じている。なお、本論文は英文であるが、査読付専門誌等に和文で公表済みもしくは公表予定となった論文も付録に納めてある。

 本論文の主な学術的貢献としては、以下の3点があげられる。

 第一に、途上国における公共教育支出に関して公正度と外部効率性という二つの指標を取り上げ、それぞれに関する具体的な実証を行うとともに、その結果についてメタ分析を行い、二つの指標によって公共教育支出の正当性をより明確に比較考察できるようにしたことである。公正度に関しては、公共教育支出に占める貧困層のシェアがその人口比と同程度以上であるとの典型的なベンチマークと比較し、途上国の平均ではそのベンチマークに達していないが、公共教育支出が対GNP比で多い国ほど公正度が高い傾向が見られることなどを明らかにしている。他方、外部効率性に関しては、教育への投資の収益率10%という典型的なベンチマークを考慮すれば、低所得国における平均収益率はそれを上回る傾向にあること、しかも先進国とは異なり、途上国においては公共教育支出の多さと収益率が正の関係となる傾向があることなどを示している。こうした分析から、途上国においては、教育支出がより多い国では効率性も公平度も十分なレベルである可能性が高いこと、逆に教育支出が少ない場合は、効率性のベンチマークは達成しえるものの公平度には問題がありえることが示唆されている。さらに、もし特定の途上国が公共教育支出を増加させた場合には、公平度と効率性の両方の指標からみた公共支出の効果を改善する可能性があるという仮説を示すとともに、両方の指標から当該途上国の教育支出の状況とその量の変化の効果を考察するための一般的な枠組みを提示している。

 第二に、国際的に見てこれまで研究が手薄であったイエメンの教育財政に関して、政府統計ならびに家計調査のミクロデータを駆使して、その公正度に関する包括的な実証結果を提示したことである。まず、本論文は、ベネフィット・インシデンス分析手法をイエメンの教育分野に初めて適用し、教育分野全体ならびに各教育段階(初等・中等・高等教育)に対する公共支出の貧困層と裕福層間、都市と農村ならびに女性と男性間の分配問題に加え、貧困層と裕福層間の家計教育支出の違いも分析した上で政策含意を導出している。中でも、貧困層以外の家計による高等教育費負担の倍増に伴い高等教育に対する公共支出の一部を基礎教育へ再配分することが及ぼしうる公正度指標への数値的インパクトについては、多少単純ではあるがシミュレーションし、政策審査と実施モニタリングの例として示している。

 加えて、本論文は標準的なベネフィット・インシデンス分析から政策的含意を導出する際の重要な手法上の限界、すなわち需要側の行動に関する情報を十分に提供できないという点に対応すべく、イエメンの家計基礎教育需要の決定要因を階層、男女、地域による差異に留意して分析している。とりわけ、農村と都市別に教育需要の男女差を推計した実証分析は同国では先例がなく、世界的にみても深刻な教育機会の男女格差問題を抱える同国に関するこのような実証研究結果は、国際的な知見への貢献としての意義も高いと考えられる。

 実際にも、本論文のイエメンに関する事例研究は、公共支出および教育需要についての理論・実証・政策を踏まえ、進行中の国際開発援助の実践において具体的に応用される知的貢献となっている。例えば、ベネフィット・インシデンス結果は、開発政策に対して世界的な影響力をもつ世界銀行の開発報告書の2003年度版における国際比較にイエメンを加えることを可能にした。また、2004年に世界銀行をはじめ複数の援助機関に資金援助されることが決定したイエメン基礎教育開発プロジェクトの経済財政面審査書でも引用されている。

 第三に、インドネシアにおける教育の収益率の推計に関するこれまでの先行研究を、その推計手法の差異(いわゆるミンサー方程式、フル手法、もしくは短縮型)、私的収益率と社会的収益率の差異、およびデータの差異を明確に整理した上で、先行研究ではほとんど検討されなかった公立校と私立校修了者の収益率の違いにも留意してミンサー方程式による私的収益率の推計を行い、さらにフル手法での社会的収益率の推計例を提示したことである。これによって、仮に私学の生徒一人当たりの教育費が公立校と同程度か高い場合には、私学の後期中等教育の収益率は低くなることを示している。またその傾向は普通教育より職業技術教育において顕著であることから、私学への公的補助金には外部効率性を基準にすると留意が必要であることを示唆している。インドネシアのように中等教育の提供において私立校が大きな役割を果たしており、国家の私学補助金も無視できる程度を上回り、また中等教育におけるカリキュラムの種別に関しても普通教育のみならず職業技術教育が比較的大きな発展を遂げてきた国に関して、本論文における実証結果が果たしえた先行研究への補完的な意義は高い。とりわけ、途上国でも初等教育の普及がますます進むにつれ、その次の段階である中等教育に対する国際的教育支援政策に関する議論がこれまでよりも活発化してきていることを念頭に置くと、国際的により時期を得た貢献ということができる。

 もとより、本論文にも不十分な点がないわけではない。

 第一に、本論文は、効率性と公正度をともに考察する枠組みを二カ国の事例研究に適用するにとどまり、実証のための推計モデルを構築した上でクロスカントリー・データを用いて一般的な傾向を検討するには至っていない。それぞれの指標に関する途上国の先行研究結果をマッチングした相関関係の推計は試みられているものの、サンプル数の限界により、有意味な計量的分析は今後の課題として残されている。

 第二に、本論文はインドネシアの教育収益率推計のために1990年代前半のミクロレベルのデータを用いている。それ以後の同国における教育政策・財政に関する主要な文献は踏まえられてはいるが、実証結果に基づく現在進行中の政策過程や実践への直接的示唆という点では不十分さを残している。最新のデータが研究遂行時点においては不完全であり、入手が困難だった点を考慮しても、この点の不十分さは否めない。

 しかしながら、前記のように大きな学術的貢献を有することに鑑みれば、その程度の瑕瑾の存することは、本論文の価値を基本的に損なうものではない。よって本論文は、博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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