学位論文要旨



No 216144
著者(漢字) 佐川,美佳
著者(英字)
著者(カナ) サガワ,ミカ
標題(和) クロロフィル蛍光を用いた屋内植栽樹のストレス判定に関する研究
標題(洋)
報告番号 216144
報告番号 乙16144
学位授与日 2004.12.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16144号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 蔵田,憲次
 東京大学 教授 大下,誠一
 東京大学 教授 大政,謙次
 東京大学 教授 横山,伸也
 東京大学 助教授 富士原,宏
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の背景

 景気が低迷する現在,大型建築物の建設による経済活性化への期待は切実になってきている。大型建築物には,ランドマークとしての価値,あるいはビルオーナーにとってはテナントステータスの高い建物としての価値が求められている。大型建築物には容積率が規定されているため,ビルの中に空洞のアトリウムを作らざるを得ない。ビルの価値を高めるには,アトリウムをただの空隙にしない空間演出が必要になる。その1つに,ビルの中に自然を持ち込んだように演出する手法,グリーンアトリウムがある。

 グリーンアトリウムに使われる植物には亜熱帯性の観葉植物が多い。その中で,より演出効果を高めるために,日本の公園植栽に使われる温帯性常緑樹による植栽が望まれている。

 屋内は,温度,湿度,風速,光環境が屋外と異なり,樹木は様々なストレスを受けている。そのため,樹木の良好な生育と美観の保持が困難であり,樹木の状態に合わせた剪定や薬剤散布,日々の観察など,専門家による細やかな管理が必要である。特に,生育状態を診断し良否を見極めるには,専門的な知識や経験が要求される。そのため,専門家による常駐管理を行っているアトリウムもあり,このような例では高額な管理費が発生している。この費用がグリーンアトリウムの抱える問題の1つになっている。この問題を解決するために,専門家でなくとも早めに樹木がストレスを受けているかどうかを判定できる技術の開発が望まれている。

 ストレスの有無を判定する手法を,安価でポータブルな装置によって非破壊で簡単に操作できることを条件に検討した結果,葉内の色素などから得られる蛍光情報に着目し,クロロフィル蛍光誘導期現象と蛍光スペクトルを測定することにした。本研究では,将来的な拡張の可能性を考慮し,レーザ光で励起し蛍光を得る,レーザ誘起蛍光法(Laser Induced Fluorescence:LIF法)を用いた。

2.研究の目的

 葉からの蛍光情報を利用した,屋内植栽樹の管理費用を低減するために役立つストレスの有無の判定技術を確立することが目的である。本研究では屋内植栽樹に想定される,

 (1) 長期間にわたり弱光環境下で生育するストレス

 (2) 灌水停止による水ストレス

 (3) 屋外から屋内への搬入による極端な光環境の変化

 (4) 季節のない環境

以上4つの環境および環境ストレスを樹木に与える実験を行い,その影響をLIF法で検出できるかどうか確認する。その際,ストレス判定のソフトウェアだけでなく測定装置の操作性および製作費を含め,総合的に検討していく。

3.長期弱光ストレスと水ストレス

 長期弱光ストレスの影響を調べるために,アトリウムと同程度の光環境に遮光した屋外の実験場で,クスノキ(C. camphora)とシラカシ(Q. myrsinifolia)を5年以上生育させた。また,切り取った葉を空調条件下に置いて水ストレスを与えた。各々のストレスの影響を明らかにするため,クロロフィル蛍光誘導期現象と蛍光スペクトルを測定した。測定には実験室設置型の装置を使用し,屋外で切り取った葉を供した。誘導期現象(738nm)は,連続光の半導体レーザ(659.2nm)で葉を励起して測定した。蛍光スペクトル(418.7〜754.2nm)は,Ar+レーザ(351〜364nm)で葉を励起して測定した。

 誘導期現象は,蛍光強度の変化を示す曲線の形状を2階微分法によって評価した。2階微分法とは,蛍光強度の減衰現象が現れる5〜24秒間の誘導期現象曲線を3次式で近似してから2階微分し,近似式のx3係数aと変曲点(Ip)のx座標によって評価する解析法である(時間をxとする)。

 実験の結果,蛍光スペクトルは弱光ストレスを検知するが,水ストレスを検知することは困難であることがわかった。一方,誘導期現象の2階微分法による解析は,弱光ストレスと水ストレスの両方を検知できることが明らかになった。これにより,誘導期現象(2階微分法)の方が,ストレスの検知に適していることが示された。加えて,水ストレスを受けた葉の誘導期現象と色差との比較から,誘導期現象(2階微分法)が葉色の変化より早くストレスを検出できることを確認した。以上から,クロロフィル蛍光誘導期現象(2階微分法)のストレス判定法としての可能性を示した。

4.極端な光環境の変化によるストレス

 屋内植栽樹は,屋外から屋内への搬入時に極端な光環境変化によるストレスを受ける。このストレスを再現するために,温湿度をアトリウムの平均的なものに設定し,また暗黒にしたグロースチャンバ内に,ヤマモモ(M. rubra)とモッコク(T. gymnanthera)を置いた。暗黒下の誘導期現象と葉内糖濃度の変化を測定した。

 その結果,暗黒下に置いた後,葉内糖濃度の減少とともに誘導期現象曲線が平坦な形状に変化することが明らかになった。これにより,誘導期現象(2階微分法)が夏期における極端な光環境変化によるストレスを検知できることが示された。一方で,ストレスの影響を検知できない時期があることもわかった。この理由には,暗黒処理の前に樹木が置かれた屋外環境の影響が考えられる。低温下では光合成機能の低下とともに誘導期現象が変化しなくなることや,季節によって同化器官能力が変動するなどの知見から,季節による環境条件の変化や,それに伴って周期的にみられる葉の生長変化の影響を受けた結果だと推察できる。すなわち,季節によっては誘導期現象(2階微分法)にストレスの影響が現れないという性質が示された。また,暗黒下での誘導期現象,葉内糖濃度,落葉率の推移を調べた結果から,誘導期現象(2階微分法)は落葉前にストレスを検知できる可能性が明らかになった。

5.季節変化のない環境

 本研究では屋内植栽樹のストレス判定を目的にしているため,年間を通じて環境変動の少ない屋内での樹木の挙動を確認する必要がある。そこで,アトリウムの平均的な温湿度および光環境に設定したグロースチャンバ内にクスノキを置き,その挙動を追跡した。

 クロロフィル蛍光誘導期現象は,製作したポータブル型装置で測定した。この装置は,650nmの半導体レーザ(連続光)で葉を励起し,738nmの誘導期現象を測定する。これまでの実験室設置型の装置と比較し,葉を切り取らずに測定できる。ポータブル型装置の製作では,製作費用が比較的安価で,操作上も実用的であることが確認できた。

 誘導期現象を評価する2階微分法は,ストレスの有無をほぼ二分して検知するが,ストレスの程度を数値評価できない。そこで,パラメータMM法を提案した。OIDPSMTで表されるクロロフィル蛍光誘導期現象におけるMの盛り上がり形状(以下,MMと呼ぶ)を,

 (1) 線分MsMeの傾き(以下,MM-gradient)

 (2) 2点Ms,Meの座標間の距離(以下,MM-distance)

 (3) MMの高さ(蛍光強度曲線上の任意の点(x,y)から線分MsMeにおろした垂線の長さの最大値)(以下,MM-height)

で表す解析法であり,この3つを総称してパラメータMMと呼ぶ(Fig. 1)。

 実験の結果,屋外の樹木の誘導期現象(パラメータMM法)は明確な季節変化を示したのに対し,チャンバ内の樹木はほぼ一定の値を示した。パラメータMMのうちMM-gradientとMM-distanceの2つが,これらの変化をよく表すことがわかり,判定指標としての可能性が示唆された。また,病害葉の測定結果からは,誘導期現象(パラメータMM法)が葉の色素変化を引き起こす病害の影響検出には向かないことが明らかになった。

6.パラメータMMによるストレス判定

 5項の解析では,屋内で想定されるストレスを受けてパラメータが変化していく過程を示していないため,パラメータMMの有用性の最終確認には至っていない。そこで,3および4項の実験結果に新たな実験を加え,パラメータMMで解析した。新たに加えた実験は,4項と同様の環境条件のグロースチャンバにヤマモモを搬入し,暗黒下に10日間置いた後,屋外に搬出するものである。4項と比べ短期間の暗黒ストレスを与えている。

 その結果,MM-gradientとMM-distanceは,弱光,水,長期間の暗黒,短期間の暗黒のストレスを与えた4つの実験において,ストレスの程度を数値でよく表すことが示された。

 パラメータがどの値を示すと樹木がストレスを受けていると判定するかは,重要な課題である。解析結果から,ストレスの影響は2つのパラメータのどちらか,あるいは両方に表れる傾向があることがわかった。そこで,2つのパラメータ各々にG-stress regionとD-stress regionと呼ぶストレス判定基準を仮定した(Fig. 2)。判定基準にデータの入る割合を調べた結果,7割を超える高い割合でストレスを検知できることが示された。判定基準は4項の葉内糖濃度の測定結果と同調する傾向があり,落葉前にストレスを検知する可能性が高い。

 以上より,パラメータMMが誘導期現象をよく評価する指標であることから,定期的なモニタリングによってストレスを受ける過程を検知できる可能性が示された。すべてに通用する基準を見いだすには至らなかったが,適当な判定基準を定めることにより実験データの多くについて,ストレスの有無が判定できることを示した。ストレスは落葉前に検知できる可能性が高いことも確認した。

7.結論

 以上の結果から,

 (1)クロロフィル蛍光誘導期現象が屋内植栽樹のストレスを検知すること

 (2)誘導期現象の一部を数値化し,ストレスの有無をほぼ判定できること

 (3)安価で実用性の高いポータブル測定装置の製作が可能なこと

が明らかになった。

Fig. 1 パラメータMM

Fig. 2 長期暗黒処理したモッコクのストレス判定

審査要旨 要旨を表示する

 大型ビルディング内には、容積率の規定によりアトリウムが作られ、屋内緑化の一環として樹木が植えられることが多い。しかし、屋内では、気温、湿度、風速、光環境が屋外と異なり、樹木は様々なストレスを受けている可能性がある。そのため、樹木の良好な成育と美観の保持が困難であり、専門家による細やかな管理が行われ、高額な管理費が発生している。この問題を解決するために,専門家でなくとも早めに樹木のストレスの有無を判定できる技術の開発が望まれている。本研究は、暗処理した葉にレーザを照射したときに発せられるクロロフィル蛍光の特性から、樹木のストレスの有無を簡便かつ容易に検出する手法の開発を目的としたもので、6章よりなっている。

 1章は序論で、研究の背景、目的などが述べられている。

 2章では長期弱光ストレスと水ストレスを扱っている。アトリウム内と同程度の光強度に遮光した屋外で、クスノキ(Cinnamomum camphora)とシラカシ(Quercus myrsinifolia)を5年以上成育させ、葉のクロロフィル蛍光を解析した。暗処理した葉にレーザを照射するした時のクロロフィル蛍光の経時変化を誘導期現象という。誘導期現象の解析法として、従来提唱されていた方法よりも短時間で解析可能な「第2次導関数法」と名付けた方法を開発した。これは、蛍光強度の減衰が現れる5〜24秒間の蛍光強度曲線を3次式で近似してから2回微分し、近似式のx3係数aと変曲点(Ip)のx座標によって評価する解析法である(時間をxとする)。また、蛍光スペクトルの解析も併せて行った。実験の結果、蛍光スペクトルは弱光ストレスを検知するが、水ストレスを検知することは困難であることがわかった。一方、誘導期現象の第2次導関数法による解析は、弱光ストレスと水ストレスの両方を検知できることが明らかになった。また、水ストレスを受けた葉の誘導期現象と色差との比較から、誘導期現象(第2次導関数法)が葉色の変化より早くストレスを検出できることを確認した。

 3章では、極端な光環境変化によるストレスを扱っている。暗黒にしたグロースチャンバ内にヤマモモ(Myrica rubra)とモッコク(Ternstroemia gymnanthera)を搬入し、その後の誘導期現象と葉内糖濃度変化を定期的に測定した。その結果、夏期では葉内糖濃度の減少とともに誘導期現象の曲線が平坦な形状に変化し、誘導期現象の第2次導関数法でストレスの有無を検知できることが示された。一方、この方法ではストレスの有無を検知できない時期があることもわかった。

 4章では、新たな誘導期現象の解析法を開発し、季節変化のない環境下と屋外での計測から、その有効性を検証した。誘導期現象の第2次導関数法は、ストレスの有無をほぼ二分して検知するが、ストレスの程度を数値評価できない。そこで、誘導期現象の2つ目の極大値を示す盛り上がりに着目し、この盛り上がりの形状を表すパラメータを解析した。パラメータとして、盛り上がり部分の傾き(MM-gradient)、盛り上がり部分の長さ(MM-distance)、および盛り上がりの高さ(MM-height)を取り上げた。この方法をパラメータMM法と命名した。実験の結果、屋外に置いたクスノキはMM-gradientとMM-distanceで明瞭な季節変化を示したのに対し、一定の環境に制御したチャンバ内クスノキ木は両パラメータともほぼ一定の値を示した。一方、MM-heightは、ばらつきが大きく一定の傾向を示さなかった。

 5章では、パラメータMMのストレス判定指標としての有効性を検証した。2章および3章のデータに加え、10日間の短期暗黒処理のデータを解析の対象とした。その結果、MM-gradientとMM-distanceは弱光、水、長期間暗黒、短期間暗黒のストレスの程度を数値で表すことが示された。ストレスは、2つのパラメータの内の1つ、あるいは両者に現れる傾向のあることがわかった。そこで、それぞれのパラメータごとにストレス判定基準を設け、ストレスを与えた樹木の、どちらかの基準内に入るデータの割合と調べたところ、7割を越える高い割合でストレスの有無を検知できることがわかった。

 以上を要するに、本論文は屋内樹木の、誘導期現象を中心としたクロロフィル蛍光の特徴を、様々なストレスと関連づけて解析し、高い確率でストレスの有無を判定する基準を提案したもので、学術上、応用上、貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49014