学位論文要旨



No 216150
著者(漢字) 岡本,拓司
著者(英字) Okamoto,Takuji
著者(カナ) オカモト,タクジ
標題(和) パーシー・ウィリアムズ・ブリッジマンと操作主義の展開
標題(洋) Percy Williams Bridgman and the Evolution of Operationalism
報告番号 216150
報告番号 乙16150
学位授与日 2004.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第16150号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,力
 東京大学 教授 村田,純
 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 助教授 廣野,喜幸
 日本大学 教授 古川,安
内容要旨 要旨を表示する

 ブリッジマン(Percy Williams Bridgman, 1882-1961)は、高圧物理学を専門とするアメリカの物理学者であり、1946年度のノーベル物理学賞受賞者であるが、現在では「操作主義」と呼ばれる科学観の提唱者として知られる。本論文は、ブリッジマンが操作主義の形成に至るまでの過程、量子力学との邂逅により操作主義が変容を遂げる過程、物理学・心理学者による操作主義の受容の実態を精査し、従来理解されてきた操作主義の内容や、その影響に関して、新たな見解を提示することを目的としている。

 従来のアメリカ物理学史においては、ヨーロッパで広範な哲学的議論を惹き起こした量子力学が、アメリカにおいては特に議論もないままに受容された理由に関して、様々な議論が展開されてきた。多くの研究者たちは、アメリカの量子物理学者たちは、科学上の諸概念を操作によって定義することを主張する操作主義の影響の下にあったため、波動関数の物理的意味や、不確定性原理など、哲学的な議論の対象となった量子力学の諸概念についても、それらが実験においてもつ意味を問うに止まったと論じてきた。実際、J. C. スレーター、J. H. ヴァン・ヴレック、J. R. オッペンハイマーなどは、ブリッジマンや操作主義の影響があったために、量子力学の理解が容易であったと回想しており、彼らからみた限りでは、操作主義は量子力学の受容を容易にするような思想的背景を形成していたと考えることができる。その一方で、操作主義の提唱者であるブリッジマン自身が、量子力学に対しては否定的な態度をとり続けていたことも、科学者や科学哲学者、科学史家の間では広く知られてきた。本論文では、筆者は、まず、ブリッジマンの操作主義の成立過程を明らかにし、次いでブリッジマンの理解の枠内で操作主義と量子力学がどのように対立していたのかを解明し、その上で、従来主張されてきたブリッジマンや操作主義の量子物理学者たちへの影響の実態を明らかにした。さらに、操作主義を研究の指針として採用しようとした心理学者の議論や、ブリッジマンの第二次大戦中の言論・政治活動を検討することにより、科学観としての操作主義の可能性と限界を提示した。

 第一部では、ブリッジマンが、学生・教員として終生離れることのなかったハーヴァード大学において、どのような教育を受け、どのような研究を行ったか、また学科が相対論・量子力学といった新たな成果を教育・研究に取り入れていく上でどのような役割を果たしたかを明らかにした。彼の実験研究は、それ以前に人類が手の届かなかった高圧の領域において、新種の操作の制御を可能にしていくことを通して、物質が高圧下で見せる多様な振る舞いを明らかにするというものであった。ブリッジマン自身は自分の実験研究と科学哲学上の著作の関連を否定するが、彼の研究は、それ自体が、科学という知識の成り立ちが操作と強く結びついていることを如実に示している。

 また、ブリッジマンは、高校在学のころから哲学書に親しんでおり、専門は実験研究を選択したものの、物理学への理論的側面や科学の思想的基盤に強い関心を抱いていた。物理学の世界的な動向にも敏感であり、自分の専門を離れて、ハーヴァード大学物理学科における理論研究の確立に尽力している。ブリッジマンは、彼自身による物理理論の哲学的な検討を、理論研究への貢献の一種であると考えていたようである。ブリッジマンは、相対論・量子論という理論上の大変革と、サイクロトロンに代表される巨大科学の勃興が多くの物理学者の関心を集めた時期に、学期中は手作業が主体で費用も多くかからない古典的な実験研究に従事し、夏期休暇には最新の理論の検討に勤しむという生活を続けた物理学者であった。操作主義は、理論研究や巨大科学の隆盛に対して制度上も学問上も機敏な対応を取りながら、自分の研究の意義を問い続けた古典的な実験物理学者の思索の産物であった理解することが可能である。

 第二部は、次元解析と相対性理論の批判的検討の過程から、量子力学の誕生直前にブリッジマンが操作主義の着想に至った経緯を明らかにし、ついで彼の科学観が量子力学の提示する自然観との対決を通じて変容を遂げていく様子について述べた。ブリッジマンは、この変容の後の操作主義を基盤として更に量子力学批判を展開したが、本論文では、彼のこの立場と、操作主義の影響下で量子力学を理解したと述べる物理学者の議論も比較した。ブリッジマンは、次元解析の基盤の検討を通じて、物理学上の諸概念が、歴史的に蓄積された操作に関する知識に基づいて形成されていることに気づき、実験的状況への理解のないままでは理論は機能しないと主張するに至っている。更に彼は、特殊相対論が物理学に変革をもたらしたのは、この理論が、従来その正当性が疑われることのなかった物理学上の諸概念(たとえば同時性)を具体的な操作によって定義し直した点にあると(誤って)確信し、この変革をさらに徹底させるための綱領として、操作主義を提唱した(『現代物理学の論理』、1927年)。しかし、その直後にブリッジマンが知ることとなる不確定性原理は、定義を与えるべき役割を果たす操作そのものに、排除することのできない不確定性が付随することを明らかにし、ブリッジマンの科学観に大きな修正を迫ることとなった。不確定性原理によって修正をうけた後の操作主義には、物理学の変革のための綱領としての機能は残されず、既存の物理理論を理解するための指針としての機能のみが残された。一方、ブリッジマンより20才前後若い世代を主体とする量子物理学者たちは、理論の理解が主たる関心であり、当初より操作主義を理論の理解の指針として受容した。しかし、同じ操作主義を基盤とする物理理論の理解であっても、その実質は個々の物理学者の科学観や自然観(それらは世代や専門によって大きく異なる)を反映しており、こうした経緯から、理論の論理的整合性を重視するブリッジマンと、計算の道具として量子力学を受容する物理学者たちの間には、量子力学に関する見解の相違が生ずることとなった。

 物理学における以上のような動向の特徴は、1930年代に操作主義を研究の指針として採用しようとした心理学者の議論と、それへの批判を検討することにより、いっそう明らかなものとなる。操作主義を信奉する心理学者たちは、『現代物理学の論理』の主張通り、概念の操作的な定義によって心理学を変革することを目指したが、批判者たちは、早くから、科学上の諸概念は操作主義の主張とは異なる過程を経て形成されると指摘していた。両者の間の論争の中で、操作主義が科学論としてもつ欠点も明らかになっていった。たとえば、無限にある個別の操作の中から都合のよいものを選択する基準それ自体は操作のみでは定義できないこと、或いは、測定値が数的に一致することをもって同種の操作であると断ずるブリッジマンの議論には操作以外の基準が入り込んでいることなどが、操作主義の批判者によって指摘された。行動主義者と呼ばれた心理学者たち(B. F. スキナーなど)は、「主観」や「感情」を排除する全面的な操作主義の貫徹を目指して独自の心理学論を展開し、一定の成果を得た。ただし、publicとprivateの古典的な区別に固執し、後者をもって科学の特徴であると主張するブリッジマンと、心理学をpublicな科学へと革新することを目指して操作主義に期待したS. S. スティーヴンズ、および個々人のprivateな領域も言語を介した社会からの制約のもとに成立するとしてprivateとpublicの間に本質的な相違を認めないスキナーの間で交わされた議論が、生産的な成果を生むことはなかった。

 第三部では、ブリッジマンの第二次大戦中の言動を検討し、彼の社会観が操作主義の展開の方向を制約するものであったことを明らかにした。操作主義は科学の実践的側面を強調する立場であるが、提唱者のブリッジマンは、科学が社会のために存在する以上に、社会こそ科学のために存在すべきであるとする科学観・社会観を抱いており、彼の科学論上の著作において科学と社会の関係が論じられる際にも、この主張が展開されるのみであった。このような事情から、科学の社会的な位置・機能や、科学の技術的応用に関して、操作主義に基づく議論が展開されることはなかった。

 操作主義は、ブリッジマンの科学観に基づく変革の綱領として確立されながら、時期によって様相を変え、またそれを利用する人々の意図に応じて機能を変化させてきた。こうした操作主義の変容が、同じ操作主義を理解の指針としながらも、ブリッジマンと量子物理学者たちの間で量子力学に対する見解が異なるという事態をもたらした。一方、このような操作主義の変容の中で、ブリッジマンは二つの特性(「繰り返し可能」(repeatable)と「実現可能」(realizable))を、科学の成り立ちに関わる操作の条件として示し続け、人類が制御可能にしてきた操作と、科学という知識の間の強い結びつきを明らかにした。もちろん、操作主義に反対する心理学者が指摘した通り、操作をもって概念を定義することはできない。科学と操作の関わりは、逆に、科学という知識が操作という実践にどのように反映されるかを検討することでより明らかになるであろう。しかし、科学に不可侵の地位を与えたブリッジマンは、科学そのものについて操作的な分析を加えることはなかった。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、20世紀前半のハーヴァード大学を代表する物理学者でノーベル賞受賞者P. W. ブリッジマン(1882-1961)の物理学的・哲学的概念「操作主義」の成立に至るまでの歴史過程、量子力学との邂逅によるその変容過程、物理学者・心理学者によるその概念の受容の実態を精査し、従来理解されてきた操作主義の内容や、その影響に関して、斬新な見解を提示したきわめて秀逸な研究である。

 岡本氏は、まず従来の20世紀アメリカ物理学史の記述において、アメリカの量子物理学者たちが、科学上の諸概念を操作によって定義することを主張する操作主義の影響の下にあったため、波動関数の物理的意味や、不確定性関係など、哲学的な議論の対象となった量子力学の諸概念についても、それらが実験においてもつ意味を問うにとどまったと論られてきたことを確かめる。他方、操作主義の提唱者であるブリッジマン自身が、量子力学に対しては否定的な態度をとり続けていた事実を対比させる。岡本氏はこういった齟齬を解消させようとして、ブリッジマンの操作主義の現実の成立過程を明らかにし、ついでブリッジマンの理解の枠内で操作主義と量子力学がどのように対立していたのかを解明し、さらに、従来主張されてきたブリッジマンや操作主義の量子物理学者たちへの影響の実態を明らかにした。そうして、操作主義を研究の指針として採用しようとした心理学者の議論や、ブリッジマンの第二次大戦中の言論・政治活動を検討することにより、科学観としての操作主義の可能性と限界を提示した。

 本論文の各部ごとの議論を紹介すれば、つぎのようになる。第一部では、ブリッジマンが、ハーヴァード大学において、物理学思想の形成過程を追跡し、哲学書に親しみ、専門は高圧下での物理現象の解明という実験研究を選択したものの、物理学の理論的側面や科学の思想的基盤に強い関心を抱いていた事実を確認する。第二部では、次元解析と相対性理論の批判的検討の過程から、量子力学の誕生直前にブリッジマンが操作主義の着想にいたった経緯を明らかにし、ついで彼の科学観が量子力学の提示する自然観との対決を通じて変容を遂げてゆく様子についても調査した。そして、操作主義概念の世代間の理解の仕方の相違、心理学者たちの受容についても詳細に研究した。第三部では、ブリッジマンの第二次大戦中の言動を検討し、彼の社会観が操作主義の展開の方向を制約するものであったことを明らかにした。操作主義は科学の実践的側面を強調する立場であるが、提唱者のブリッジマンは、科学が社会のために存在する以上に、社会こそ科学のために存在すべきであるとする特異な科学観・社会観を抱いていたことを確認する。このような事情から、科学の社会的な位置・機能や、科学の技術的応用に関して、操作主義に基づく議論が展開されることはなかったと論断する。

 本論文の独創的貢献をもっと個別的に述べれば、以下のとおりである。

(1) ブリッジマンの操作主義概念の展開過程をこれまでになく精細に研究し、量子物理学の発展過程との相関関係、さらに、心理学者の理解の仕方をも調査して、新知見を打ち出した。

(2) ブリッジマンの個人主義的科学観を紹介し、財政的に巨額の資金を要するビッグサイエンス的な20世紀物理学研究とは相当異なる科学観をもっていたことをも明らかにした。

 本論文は、ハーヴァード大学のブリッジマン文書を実地に調査するなど研究手法の地道さで際立っており、同時に、操作主義という科学哲学的概念の展開過程を可能な限り広範囲に調査し、歴史的に再構成した射程の大きさにおいても非凡である。これまでの日本人の研究水準をはるかに超えているばかりでなく、英語で書かれた本論文は、欧米においても高く評価されるものと確実視される。本論文は、岡本氏が現代日本を代表する第一線のすぐれた物理学史家であるであることを示した。よって審査委員全員は、本論文をもって学位取得のために十分であると判断した。

 したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/40225