学位論文要旨



No 216151
著者(漢字)
著者(英字) Hidayat,Herman
著者(カナ) ヘルマン,ヒダヤット
標題(和) インドネシアにおける森林政策の動態 : スハルト時代および改革期での利害関係者の動向と論理に着目して
標題(洋) Dynamism of forest policy in Indonesia : focusing on the movement and logic of stakeholders under the Soeharto government and reformation era
報告番号 216151
報告番号 乙16151
学位授与日 2005.01.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16151号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 井上,真
 東京大学 教授 山本,博一
 東京大学 助教授 白石,則彦
 東京大学 助教授 石橋,整司
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は、インドネシアにおける森林政策の動態(ダイナミズム)を、「ポリティカル・エコロジー」の視点から、特に利害関係者(直接的および間接的なアクター)の動向と論理に着目して明らかにしようとしたものである。

 1章(背景・目的・方法):インドネシアの森林・林業を巡る状況と問題を述べたうえで、次のような研究目的を設定した。(1)スハルト体制における森林管理のための国家政策を明らかにする。(2)森林消失に関与する直接的・間接的なアクターの動向を明らかにする。(3)改革期における森林政策を明らかにする。(4)東カリマンタン州とブンクル州の事例研究を通して森林政策に対する人々の反応を明らかにする。

 このような課題にアプローチするためのフレームワークとして「ポリティカル・エコロジー」がある。ポリティカル・エコロジーとは、環境破壊の研究に政治学的な視点を持ち込むことによって、村落を中心とする小さなスケールの研究(文化生態学および応用人類学など)と国家や世界を視野に入れた大きなスケールの研究(政治経済学)の両者を含み、かつ両者を繋げるような研究分野の総称である。本研究では、既存研究をレビューした結果、ポリティカル・エコロジーのなかでも、アクターの動向や論理に焦点を絞る研究(=アクター分析)を研究のフレームワークとして採用することとした。研究の具体的手法は、文献調査、利害関係者に対する詳細なインタビュー、東カリマンタン州とブンクル州におけるフィールド調査である。東カリマンタン州でのフィールド調査は、1996年9月と2002年3-4月に、サマリンダ市、ボガン郡、そしてムアラ・グシック村で実施した。一方、ブンクル州でのフィールド調査は、2003年2-3月に、レジャン・レボン県、クパヒアン郡、ブルマニ郡、バトゥ・バンドゥン村にて実施した。

 2章(スハルト時代の森林政策):スハルト体制(1966-1998年)は権威主義的であり、原油・鉱物・海産物・林産物といった天然資源を中央集権的に統制し、家族や政治的支援者の利益のためにそれらを開発した。森林セクターは、潜在力が大きく、外貨獲得および移住者の雇用創出の源泉として大いに期待された。そのため当初の森林政策は、1967年の「外国投資法」、1968年の「国内投資法」、1967年の「林業基本法」、1970年の「森林事業権(HPH)に関する政令」といった法令に基づいて経済的利益の追求を目指すものであった。

 森林管理の主要アクターであった国家(具体的には林業行政)は国内外の企業家にHPHに基づく伐採事業を促した。1970年代には、林業行政が、不公平でしかも賢明でない専門家気質によって森林管理を行い、私企業・国営企業・国軍企業に対するHPHの認可に絡んだ腐敗と汚職が横行した。また、1970年代から1980年代にかけて林業行政諸機関は林業関連の規則を実行に移さず、法令類の執行は不十分であった。また、公共の利益への考慮なしに、政治的エリートや民間企業へ利益が集中した。たしかに、森林伐採産業、合板産業、紙・パルプ産業が外貨獲得および雇用創出において重要な役割を果たしたことは多くの人が認める事実である。しかし、これら森林関連産業は森林の劣化や消失、土壌浸食や洪水といった生態的な災害を助長した。さらに、スハルト政府が森林に対する地元住民の慣習的権利を認めなかったため、森林地域の人々とHPH保持者(=伐採企業)との間に土地をめぐる紛争が生じた。生計の糧であった土地を企業に奪われて人々の生活が苦境に陥るケースも多発した。こうして、森林地域の人々は経済的・政治的に周辺化されていったのである。

 一方で、世界銀行、国際通貨基金、アジア開発銀行といった国際援助機関、および二国間援助機関は、森林消失を促進した間接的なアクアターとして位置づけられる。インドネシアにおける森林消失の近因の一つである大規模移住プログラム(トランスミグラシ)は、1970年代から1990年代にかけて実施され、170万ヘクタールの生産林を伐開した。このプログラムは世界銀行から財政的支援を受けた。電力発電用のダム、道路、灌漑、石油掘削施設、紙・パルプ工場もまた、国際援助機関や二国間援助機関からの支援を得ていた。

 ところで、NGO、学者、地元住民といった間接的なアクターは、森林消失およびそれによる環境問題(森林火災、生物種の絶滅、飢饉、洪水、水質汚濁、気候変動)の助長、あるいは地元住民への生態的・経済的な悪影響について批判を表明する重要な役割を果たした。例えば、WalhiやSkephiといったNGOは、林業官僚、他の政府機関、民間企業に対して、HPHの発給に際しての腐敗・汚職・縁故主義、伐採・合板の企業集団化、供給量を超える過剰な木材需要、違法伐採、木材の密輸、造林基金の不正使用、インドネシア択伐造林システムの不十分な実施、などを批判してきた。

 3章(改革期の森林政策):改革期(1999-2004年)になると、直接的アクターである政府は、民主化の促進、説明責任の向上、透明性の確保、参加の促進、を通して森林ガバナンスの改善に取り組んでいる。特に重要なのは、1999年の「地方行政法」、「中央・地方財政均衡法」、「林業法」、およびそれ以後に発布された関連する政令類である。これらによって、国家(林業省)の役割が中央集権による直接的な統制から、地方政府(特に県・市の政府)の森林部局による政策を規制し、側面支援し、規範や基準・指標を提示することへと移行しつつある。林業セクターからの地域所得は地方政府が管理し、地元住民による森林への慣習的な権利が認められた。地元住民の福祉水準をスハルト時代よりも上昇させることが目論まれているのである。

 しかし、林業部門における地方分権の促進に伴って、様々なアクターの間に利害の衝突が生じている。例えば、国家(中央政府)レベルでは、林業省と内務省との間に軋轢がある。内務省は、地方政府の収入確保および地元住民の生計改善のため、1999年の地方自治関連諸法(上記)に基づいて、すみやかに国家の権限を地方政府へ移譲すべきであるという立場を取っている。これに対して、林業省は地方政府への権限移譲は徐々に行われるべきであると主張してきた。それは、持続可能な森林管理の能力や、森林に関連する利害関係者たちに林業関連法令を遵守させる能力が、地方政府に備わっていないからという論理に基づいたものである。

 一方で、インドネシア森林事業権保持者協会(APHI)と地方政府との間にも軋轢がある。住民組織に与えられる「森林産物採取権(HPHH)」(一件当たり100ヘクタールで)の発給は、地方政府にとって林業部門からの地方所得を向上させるのに不可欠である。しかし、実際には外部者の流入などによって違法伐採や木材の密輸を助長しやすく、また森林事業権エリアと重なるケースも多かったため、APHIの利益を損ねるものであった。実際に、HPHHに基づく伐採事業が開始されたため撤退せざるを得なくなったHPH保持者(=伐採企業)もおり、そのため林産業用の木材供給も不足した。

 4章(東カリマンタン州の人々の反応)・5章(ブンクル州の人々の反応):スハルト体制下では、森林への慣習的権利が認められていなかったため、地元住民たちは経済的・政治的に周辺化され、HPH保持者(=伐採企業)との軋轢が各地でみられた。しかし、改革期になってからは状況が大きく変化した。東カリマンタン州のムアラ・グシック村のでは、籐や木材が人々の重要な現金収入源であった。これらの資源の利用をめぐってスハルト時代に住民と軋轢のあったHPH保持者が、改革期になってから住民の慣習権を尊重して補償金を支払った。ブンクル州のバトゥ・バンドゥン村では、コーヒーが人々の重要な現金収入源であった。スハルト時代には、人々のコーヒー園を含む一帯が行政機関によって保安林や生産林に指定されていたためコーヒー園排除の圧力が働いたが、改革期になると住民の権利が見直されてコーヒー園の保持が合法化された。

 6章(結論):スハルト時代と改革期とを比べてみると、利害関係者の動向と論理には類似点と相違点とがある。また、様々な利害関係者には勝者と敗者がいる。権威主義・中央集権主義であったスハルト時代には、国家(林業省)、民間企業、国営企業といった直接的なアクター、および国際援助機関(世界銀行、国際通貨基金、アジア開発銀行)といった間接的なアクターが、権限と政治力を強めたという意味で勝者であった。そして、直接的アクターは林業関連法を遵守せず、持続可能な森林管理の原則に対する学者やNGOによる批判を無視したため、森林の消失や劣化を引き起こしてしまった。

 改革期では別のアプローチがとられている。様々な利害関係者が計画策定、実施、モニタリング、予測の段階に関与できるようになった。その結果、国家や民間企業(直接的アクター)は権力が弱まることになり、インドネシアの森林管理政策における敗者となった。

 一方で、地元住民、地方政府、NGO、学者といったアクターはその地位を高め、いわば勝者といえる。地元住民の生活は、政治的・経済的・社会的にみてスハルト時代に比べて改善される方向にある。それは、森林に対する慣習的な権利が認められ、森林の利用・管理に関与することができるようになり、土地紛争の結果として補償金を獲得し、造林基金を活用して慣習地を植林することができるようになったことに表れている。ただし、本研究で対象とした利害関係者以外にも、改革期において「隠れた勝者」が存在するかもしれない。これがどのようなアクターであるのかは、今後の課題としたい。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、インドネシアにおける森林政策の動態を、「ポリティカル・エコロジー」の視点から、特に利害関係者)の動向と論理に着目して明らかにしたものである。

 1章では、インドネシアの森林・林業を巡る状況と問題を述べたうえで、次のような研究目的を設定した。(1)スハルト体制における森林管理のための国家政策を明らかにする。(2)森林消失に関与する直接的・間接的なアクターの動向を明らかにする。(3)改革期における森林政策を明らかにする。(4)東カリマンタン州とブンクル州の事例研究を通して森林政策に対する人々の反応を明らかにする。

 そのためのフレームワークとして、本論文では「ポリティカル・エコロジー」研究のなかでも、特にアクターの動向や論理に焦点を絞る研究(=アクター分析)を採用した。これによって、インドネシアの森林政策を公正に評価する視点と材料を提供することに本論文は成功している。研究の具体的手法は、文献調査、利害関係者に対する詳細なインタビュー、東カリマンタン州とブンクル州におけるフィールド調査である。

 2章では、スハルト体制(1966-1998年)のもと、林産物などの天然資源が中央集権的に開発されたことが示されている。森林管理の主要アクターであった国家(林業行政)は国内外の企業家にコンセッションに基づく伐採事業を促した。たしかに、森林伐採産業、合板産業、紙・パルプ産業が外貨獲得および雇用創出において重要な役割を果たしたことは事実である。しかし、私企業・国営企業・国軍企業に対するコンセッションの認可に絡んだ腐敗と汚職が横行し、政治的エリートや民間企業へ利益が集中した。さらに、政府が森林に対する地元住民の慣習的権利を認めなかったため、森林地域の人々とコンセッション保持者(=伐採企業)との間に土地をめぐる紛争が生じた。生計の糧であった土地を企業に奪われて人々の生活が苦境に陥るケースも多発した。森林地域の人々は経済的・政治的に周辺化されていったのである。

 一方で、世界銀行、国際通貨基金、アジア開発銀行といった国際援助機関、および二国間援助機関といった間接的アクターは、森林消失を促進した。また、同様に間接的なアクターであるNGOや学者は、森林消失およびそれによる環境問題の助長、あるいは地元住民への生態的・経済的な悪影響について批判を表明する重要な役割を果たした。

 3章では、改革期(1999-2004年)において直接的アクターとなった地方政府が、民主化の促進、説明責任の向上、透明性の確保、参加の促進を通して森林ガバナンスの改善に取り組んでいることが示されている。地元住民の生活は、政治的・経済的・社会的にみてスハルト時代に比べて改善される方向にある。それは、森林に対する慣習的な権利が認められ、森林の利用・管理に関与することができるようになり、土地紛争の結果として補償金を獲得し、造林基金を活用して慣習地を植林することができるようになったことに表れている。しかしながら、地方分権の促進に伴って、様々なアクターの間に利害の衝突が生じているのも事実である。

 4章および5章では、人々の反応に関するフィールド研究の結果がまとめられている。東カリマンタン州のM村では、現金収入源である籐や木材の利用をめぐって住民と軋轢のあったコンセッション保持者が、改革期になってから住民の慣習権を尊重して補償金を支払った。ブンクル州のB村では、人々の重要な現金収入源であったコーヒー園を含む一帯が行政機関によって保安林や生産林に指定されていたが、改革期になって住民の権利が見直されてコーヒー園の保持が合法化された。

 6章は結論である。権威主義・中央集権主義であったスハルト時代には、国家(林業省)、民間企業、国営企業といった直接的なアクター、および国際援助機関(世界銀行、国際通貨基金、アジア開発銀行)といった間接的なアクターは、経済的な利益を得るとともに、権限と政治力を強めた。そして、直接的アクターは林業関連法を遵守せず、持続可能な森林管理の原則に対する学者やNGOによる批判を無視したため、森林の消失や劣化を引き起こしてしまった。

 これに対して、改革期では様々な利害関係者が計画策定、実施、モニタリング、予測の段階に関与できるようになった。その結果、国家や民間企業(直接的アクター)は、インドネシアの森林管理政策における権力を低下させた。一方で、地元住民、地方政府、NGO、学者といったアクターはその地位を高めた。

 以上のように、本論文は、豊富な既存研究のサーベイと焦点を絞ったフィールド研究に基づいて、インドネシアの森林政策の動態を諸アクターの動向と論理から解明しており、学術上および政策実践上の貢献が大きい。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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