学位論文要旨



No 216154
著者(漢字) 勝原,菜温子
著者(英字)
著者(カナ) カツハラ,ナオコ
標題(和) 源氏物語の性と生誕 : 王朝文化史論
標題(洋)
報告番号 216154
報告番号 乙16154
学位授与日 2005.01.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16154号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤原,克己
 東京大学 教授 小島,孝之
 東京大学 教授 多田,一臣
 史料編纂所 教授 保立,道久
 立正大学 教授 藤井,貞和
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、平安中期(十一世紀初頭)に成立した『源氏物語』の分析を中心に、物語・説話・日記あるいは和歌などの文学史を見渡しつつ、日本文化の規範とされる王朝文化の歴史的・社会的な意義を考察したものである。

 方法としては、王朝の歴史や社会の動向との対比をとおして、王朝文学の批評性を浮き彫りにする。『源氏物語』をはじめとする諸作品に表象された性と生誕を軸に、王朝文学が社会や文化を相対化していく様相を確かめる。性と生誕を分析軸とすることの意義については、序章「『源氏物語』の性と生誕」にまとめた。『源氏物語』の前史である9世紀から10世紀の日本社会は、律令体制から摂関体制へと国家の集権形態を発展させながら、<みやび>なる宮廷文化を育むとともに、王権をめぐる<家>や<血>の観念をも培養することとなった。中世に確立する家父長制に先んじて、平安朝の宮廷貴族階級は閨閥による権力関係を基盤として成り立っていた。そのことと表裏に、王朝人の生活において性愛や結婚そして出産・誕生といった事柄が、性差意識の強化を引き起こしつつ社会的に管理されていくことは、近年の女性史・家族史の研究によって指摘されているとおりである。王朝文学にも、そのような歴史的・社会的動向の影響は認めうる。だが、その反面で、文学に形象化された男・女あるいは父・母・子といった関係には、権力や性差の規範から逸脱する方向性も窺える。本論文は、王朝文学にみる性・身体の描写の種々相や、生誕儀礼をはじめとする人生儀礼の諸相における、王権や<家>や<血>という規範的な枠組みの揺れに、歴史的・社会的コンテクストに対する文化批評の指標を見出していくものである。

 本論文は、序章と第一部・第二部・第三部の三部(全6章)からなる。第一部「王朝文化の性と身体」では、性・身体の表象をめぐって『源氏物語』とその前史を眺め渡す。第二部「生誕の王朝文化史」では、生誕儀礼の歴史と文化を参照しつつ、『源氏物語』などの物語史だけでなく、日記あるいは和歌も含めた王朝文学史を俯瞰していく。第三部「<王朝>の中世的変容と日本文化論への視座」では、性・性差や身体の枠組みの中世的変容を観察したうえで、近代・現代の『源氏物語』享受における<みやび>観の問題点を探る。

 以下、章を追って本論文の要旨をのべる。

 第I章「王朝の<みやび>と王・女・エロス」では、『源氏物語』の前史から、性・身体の表象を抽出する。九世紀から十世紀にかけて、<物語>への欲望の高まりがあったこと。そして王朝の文学表現のなかで、性・身体の表象が、多様化していくことを、物語史や和歌史に窺おうとする。<王>と<女>の関係に生じる権力・性差――そのモチーフは王朝文化の基本構図であるが、王朝文化史のなかで、その構図はいかに相対化されるか。また、<家>を軸とする枠組みはどうか。『竹取物語』や『伊勢物語』などの平安前期物語や、『古今集』などの和歌集にそのことを確かめていく。『竹取物語』については前著(『かぐや姫幻想』)を踏まえつつ、仁明朝の大嘗祭の五節舞の儀礼に注目し、そこに表象される王・女・エロスの様式を読み取る。また、『今昔物語集』の竹取説話との比較から、<王>と<女>の関係に生じる、抑圧された性・身体の問題を析出する。それらの文化表象が、『源氏物語』を取り巻く宮廷社会の状況のなかで、いかに転位していくかが問われてくる。

 第II章「光源氏の身体と両性性――ゆらぐ性、ゆらぐ<家>」では、『源氏物語』の性・身体の表象について、それらがどのように表現されているかを分析する。光源氏の物語を中心に、周辺の女君たちの問題も合わせて見ていく。神話や、第一章で見た前期物語との関連についても、引用表現を視野に入れつつ論じる。また、前著『源氏物語批評』でも試みたように、和歌だけでなく歌謡との関連についても、神楽歌・催馬楽あるいは風俗歌の引用に着目した分析を加える。ヒロインたちの性・身体はきわめて多様に形象される。<産む性>を含む女性性や、その身体性にまつわる規範が括りだされるいっぽうで、そこからの疎外や逸脱への志向も見られるのである。そして、光源氏その人の性・身体も、揺らぎのなかに置かれる。光源氏と子どもたちの性・身体を囲い込む、主題的な枠組みとしての<家>や<血>は、彼らの親子関係において十全に展開しうるかどうか。そのことを、長男・夕霧の物語における「ぬりごめ」の時空の意味や、不義の皇子・冷泉帝との物語における月と音楽の機能から読み取る(明石姫君や薫については、第IV章で扱う)。<家>と<血>の規範の揺れと、その閉塞状況がそこから看取されよう。性・身体の抑圧と揺らぎの現象は、光源氏の<地上の聖王>という矛盾体においても、発生していることが理解される。

 第III章「宮廷社会と<産む性>――生誕儀礼の歴史と文化」では、生誕儀礼(産養)の歴史と文化を背景に、『源氏物語』の<子>をめぐる<家>と<血>の主題を浮き彫りにする。それに先立ち、『竹取物語』を手始めに、『落窪物語』『うつほ物語』における、人生儀礼・生育儀礼のありかたを辿る。『落窪物語』『うつほ物語』そして『源氏物語』の背景となる一条朝の、"二后並立"の事態と連動する"猫の産養"。その珍事が象徴する、<産む性>に付与される社会的な役割を、生誕儀礼の歴史と文化に見る。と同時に、それを和歌史と物語史における、「産ぶ屋」の賀歌の表象の問題として捉えなおす。勅撰和歌集の歴史でいえば、八代集のなかでは『拾遺集』『後拾遺集』に、「産ぶ屋」の賀歌が多く分布することから、時代的に両集のあいだに位置する『うつほ物語』『源氏物語』などの産養の意義が照射されてくる。また、『伊勢物語』『蜻蛉日記』『枕草子』『紫式部日記』の個々の作品における、「産ぶ屋」の記事についても、個々の意味が考えられる。また、『うつほ物語』は物語史上、産養の儀礼の描写においても、「産ぶ屋」の賀歌の分布においても突出する。『落窪物語』がそうであったように、『うつほ物語』もそれなりに、<家>と<血>の文脈において、<子>の誕生を多様に描きわけており、『源氏物語』の先蹤として評価できる。また、『源氏物語』以降の平安後期物語から中世王朝物語、あるいは散逸物語における「産ぶ屋」の賀歌の分布について、後代に編まれた物語和歌集である『風葉集』に拠って通覧し、物語史における生誕と王権のテーマの変遷を辿る。

 第IV章「『源氏物語』の産養と人生儀礼――<家>と<血>の幻影」では、『源氏物語』の産養について、語られる場合と語られない場合に分けて考察する。語られるのは、明石姫君所生の皇子・薫・宇治中君所生の皇子の三例のみ。その子どもたちは、いずれも<家>や<血>や王権の主題と関わりにおいて問題を抱える。華やかな儀礼の反面で、「産ぶ屋」の賀歌をともなわない抑制された描写となっている。そうした儀礼空間において、<子>の社会的な位置づけが巧みに仕組まれる。いっぽう産養が語られないのは、主人公・光源氏とその実子たちであった。光源氏にしても、その子たち(冷泉帝・明石姫君)にしても、なぜ産養が描写されないのか。そのことの意味を闡明するべく、もしかりに産養が語られるとしたらどのような事態が生じるかをシミュレートする。手がかりとするのは、天暦四年の産養の史料である(『九暦』逸文)。これまでは、語られる産養についての断片的な準拠として扱われていた史料であるが、語られない産養の背景としてこれを据えなおす。皇位継承争いをめぐる権力闘争の舞台として、産養が機能しうることが史料の上で確かめられよう。<家>と<血>と王権の主題をになう<子>の史劇として、光源氏およびその実子たちの物語はある。その誕生に際して、危機を孕む儀礼は回避され、<家>と<血>と王権の主題はあくまでも水面下で燻り続けることになる。様々な人生儀礼の設営の仕方とも、それは緊密に関連する。そして光源氏の性・身体は、最終的に"賀=慶祝"の反世界のなかに封印されることを確認する。

 第V章「異界としての<王朝>――性・身体の中世的変容」では、『源氏物語』以降の、王朝物語史において、性・身体の表象はどのように変容していくかをみる。平安後期物語から鎌倉・室町物語へと、<家>と<血>と王権をめぐる物語の中世的な変容を追う。『更級日記』に語られる竹芝伝説とアマテラスの位相に、王・女・エロスの構図の変容を読む。あるいは、『堤中納言物語』のなかの『貝合』『はいずみ』、そして『ささやき竹』から、<のぞきカラクリ><ささやき><鬼>といった、異界としての<王朝>への回路を読み取る。さらに『狭衣物語』から『今鏡』へと、"妊婦の自殺譚"の展開を見ることで、<産む性>の否定の系譜を浮き彫りにする。また、継子譚の<家>の変容について、『男衾三郎絵詞』の<観音>と<父>の役割を、『貝合』や『住吉物語』と比較しつつ考える。そして『有明の別れ』にみる性・身体の揺れや、<家>と<血>の解体を、『虫めづる姫君』『とりかへばや』そして『源氏物語』との対比をとおして確認する。王朝物語の再生産をとおして、<王朝>が現実とは隔離されたものとして異界化されていく、その断面を照射していく。

 第VI章「『源氏物語』の戦時下・戦後そして現在――日本文化論への視座」では、前著(『源氏物語批評』)での王権論の反省とその検証に立ちながら、戦時体制化における『源氏物語』に対する弾圧と、三島由紀夫の<みやび>論の問題点を探る。また、戦前の紫式部学会誌『むらさき』を読むことをとおして、『源氏物語』学が直面した危機について検証する。后妃の密通そして不義の皇子の即位。『源氏物語』の語る皇統譜の乱倫は、万世一系の神聖天皇制との背反において弾圧の対象となった。性・身体そして生誕への弾圧を余儀なくされる、『源氏物語』の<みやび>とは何か。その<みやび>に拠って立つ、日本文化論の視座は、いかなるものであるべきか。王朝文化論そして研究の現在のスタンスへの問いかけをとおして、近代日本における『源氏物語』研究の歴史的検証への糸口を探る。

審査要旨 要旨を表示する

 王権・宗教・家・恋・性差等々の要素が織りなす文化的規範体系は、物語世界を形成する文化史的コンテクストであると同時に、文学の批評的な想像力は、物語の創作を通して、典雅な王朝の文化的規範の表層下に隠された抑圧や排除、管理の構造を探り当て、それを相対化するものでもある。本論文は、『源氏物語』を頂点とする王朝物語の創作が、まさにそのような文学的営為であったことを克明に浮かび上がらせたものである。論文の構成は大きく三部に分かれる。

 第一部「王朝文化の性と身体―『源氏物語』とその前史」は、まず『源氏物語』の批評的想像力の源泉を明らかにすべく、性と身体に関する表象を、『源氏』以前の物語や和歌・歌謡、さらに神話や儀礼、説話等々に至るまで広く探査し、それによって得られた知見をもとに『源氏物語』を分析する。すなわち、性的な表象が希薄で死と引き換えに光源氏の子を出産した葵の上、少女の頃からその身体的表象のうちに豊かな官能性を湛えていながらついに光源氏の子を生むことがなかった紫の上、エロティックな催馬楽の引用とともに登場しながら本人はその性的表象をまったく欠落させた空蝉、女性性の規範を奇矯なまでに逸脱する末摘花、さらには両性具有的な光源氏といったように、この物語が<産む性>としての女性性やその文化的規範を根源的に相対化している様相を明らかにしている。

 第二部「生誕の王朝文化史―<家>と<子>の儀礼」は、王朝物語の内に、10世紀における<家>の成立と、双系的社会から中世的家父長制社会への移行という歴史社会的コンテクストを透視しつつ、藤原道長の肝煎りで盛大に行なわれた一条天皇の愛猫の産養という奇妙な行事や、『九暦』逸文に見える憲平親王産養の記録などを丹念に分析して、摂関制下の産養の政治性を明らかにする一方、物語における産養や裳着等々の儀礼には、『落窪』や『うつほ』においてすでに、物語が真に語ろうとしている人間関係を反映させるように選択的に描き分けてゆく方法が取られていることを明らかにし、そのような方法が『源氏物語』においてさらに深化している様相を精緻に読み解いている。

 第三部「<王朝>の中世的変容と日本文化論への視座」は、家父長的原理が強化されてゆく中世にあってなお、『とりかへばや』や『有明の別れ』のような物語が女性性の規範を相対化しえた力の源泉として『源氏物語』を捉え直し、三島由紀夫のみやび論をはじめ今日一般に流布している「みやび」の通念の表層的な一面性を明らかにして、王朝文化を真に捉え直してゆくための今後の研究のあり方を展望している。

 やや論の粗い所も指摘されたが、関連する日本史研究の近年の成果をも丹念に取り入れた、「王朝文化史論」の副題にふさわしい包括的な労作であり、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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