学位論文要旨



No 216156
著者(漢字) 小野,浩史
著者(英字)
著者(カナ) オノ,コウジ
標題(和) 住宅を対象とした仮想現実感提示技術の評価に関する基礎的研究 : 建築環境統合体感システムの構築とシステムの性能評価
標題(洋)
報告番号 216156
報告番号 乙16156
学位授与日 2005.01.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第16156号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 平手,小太郎
 東京大学 教授 鎌田,元康
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 助教授 佐久間,哲哉
内容要旨 要旨を表示する

 昨今の情報技術(IT:Information Technology)の急速な進展に伴い、建築設計のスタイルは大きく変貌しようとしている。コンピュータの高性能化、CAD(Computational Aided Design)の普及、高速ネットワークを用いた協調作業や建築設計に関わる多種多様な情報の氾濫など、建築設計を取り巻く情報技術は日進月歩の勢いで建築設計の在り方そのものを変化させつつある。そしてこの情報技術を活用した新しい設計手法も研究開発から現業まで幅広く普及する傾向にある。

 太古の昔から、建築行為とは雨風を防ぎ、外敵から身を守るべき空間を当事者本人が関与する形態で築き上げるものであった。建築行為が多様化し、様々な分業スタイルが生まれ、当事者本人が関与する形態が希薄になっている現状であるからこそ、建築設計の意識の共有が次世代の設計手法を反映したシステムとして有効であると筆者は考えた。実物大の試作品を作ることの困難な建築設計において、発注者、設計者、施工者が設計コンセプトや具体的な設計仕様等の共通認識を持つためには、前述の情報技術を活用することが有効であり、そのような観点から見れば情報技術もある程度成熟した時期に到達していると言える。試作品を製作し意見交換や各種シミュレーションを繰り返す製造業においても当然、この情報技術を活用した設計行為が注目されており、ラピッド・プロトタイピング手法と呼ばれ一般に普及し始めている。筆者は建築設計に本手法を組み込み、さらに建築環境独自の数値シミュレーション技術を組み合わせたシステムの開発により、発注者、設計者、施工者の合意形成をよりスムーズにすることが、本研究の将来にわたっての最終ターゲットと位置付けている。

 以上の背景を基に、本研究では住宅設計を対象として、最先端の情報技術である仮想現実感(VR:Virtual Reality)提示技術を開発し、さらに環境シミュレーションを融合した建築環境統合体感システムについて詳細を論じるものである。住宅に研究対象を絞る理由は建築産業を支える基幹産業であるという点と、発注者・設計者・施工者の距離が近いため、今後、ラピッド・プロトタイピング手法を開発・展開する際のプラットフォームとして最適であると考えたからである。

 本論文は2部構成とし、第1部では仮想現実感提示技術を用いた建築環境統合体感システムの開発の概要を述べ、第2部では合計18回、延べ461人の被験者による評定実験によって、本システムの性能を評価した結果について述べる。

 第1章では、まず序論として本論文の目的と概要および既往研究についてまとめる。第1部で取り扱うVR技術を適用したシステムの開発に関する既往研究では、研究レベルでの活用がほとんどで、建築設計業務に実用化された例は少ないが、その中でも建築に関するシステムとして、キッチンを顧客自身が仮想体感するシステムや、照明計画を対象に景観を仮想体感するシステムが報告されている。また、実験の困難な現象を仮想体感するシミュレータとして開発された火災疑似体験システムも注目される研究と言える。そして建築分野以外では、システム開発の方向性は複合現実感(MR:Mixed Reality)へと向かう傾向にある。一方、第2部で取り扱う、VRシステムの性能評価に関しては、VR提示装置の明るさ感、圧迫感やVR提示による空間知覚に関する研究など、VRシステムの細分化された特徴に焦点を当てて検討する研究がほとんどであり、システム開発上必要な系統的なアプローチは皆無である。また、街路空間の視環境シミュレーションとしての空間知覚の研究は進んでいるものの、検討対象が屋外である点で本研究で対象とする住環境への適用は難しい。そこで、これらの既往研究の成果も活用し、システム開発とシステムの評価を研究の両輪として本研究を推進することとした。

 第1部では、システム開発を中心に、建築環境統合体感システムと本研究で対象とした環境シミュレーション技術について、2章に分けて述べる。第2章では、まず建築環境統合体感システムの概要についてまとめる。ここでは本システムで採用したVR技術の特徴とVR提示を行うための様々な工夫について示す。ハードウェア環境として、大型プロジェクタと液晶テレビの各々を使用したシステムの概要などを、ソフトウェア環境としてモデリング・レンダリング・VR表示ソフトの各々の特徴などを述べる。本システムで使用するソフトウェアは多岐に渡るが、各ソフトは適材適所で役割を担っており、作業効率を上げ、かつ、提示映像の精度を確保する上で、重要な構成となっている。また、従来のVR技術がなかなか実用化されない背景には、コンテンツ制作のための経験の不足が挙げられたので、本研究・開発の最終ターゲットはVR技術の実用化を図り、多数の案件に対応し、その過程で発生した様々な知見や手法を整理することとした。

 第3章では、本システムで検討を行った環境シミュレーション技術に関してまとめる。対象とする環境シミュレーションは光環境・音環境・温熱環境であり、いずれも住宅設計にとっては住宅の性能を左右する重要なテーマである。異なる環境シミュレーションに対し、同様のステージで検討を重ねることが有益な場合が多く、これを実現できるひとつの方法が、統合化された環境シミュレーションのVR表現である。ここで、ラピッド・プロトタイピング手法を意識し、環境シミュレーションを統合化し各シミュレーションのターン・アラウンドを短くすることで検討期間の短縮を目指す。なお、本システムの将来的に拡張すべき方向性については第8章でまとめる。

 第2部では、性能評価を中心にシステム性能・VR酔い・環境シミュレーション表現を対象とした評価について、3章に分けて述べる。第4章では、明るさ感・大きさ感・寸法感・現実感を対象にシステム性能評価結果について示す。ここではモデリング対象とする空間と同一の現実空間を用意し、比較検討する方法で各対象項目を被験者に評価させた。その結果、モデリング時の精度や照明計算の解像度等システム運用には欠かせない知見が得られた。更に、奥行き感の再現性に課題があることも明らかになった。次に、提示装置の違いによる現実感・没入感・設計ツールとしての有効性を検討し、水平視野角と解像度によって体感者の評価が異なることがわかった。その結果を受け、空間認識に関して、被験者属性も考慮した評定実験を実施し、特に建築系知識の差が空間認識に影響をもたらすことがわかった。そして、建築系知識が豊富な体感者ほど、小型のVR装置でも、ある程度の没入感が得られることもわかった。最後に、システム性能評価として実施した音声認識技術を用いた体感を評価し、そこでの結果をシステムに反映した例についても紹介する。

 第5章では、特に動画映像に対して、VR酔い・疲労感・生理応答を対象に評価した結果をまとめる。両眼視差を採用したVRシステムでは、VR酔いが生じることが懸念され、ここでの評価により運用面での対策を提案した。最初にVR酔いと被験者属性の関係を調べ、特に、女性の若年層でVR酔いを生じる傾向にあり、また疲労との相関が高いことなどがわかった。その後、約100人の若年層の女性を対象にVR酔いを生じる傾向のある被験者を抽出し、疲労と生理応答の関係を詳細に調べた。その結果、視覚疲労がVR酔いと強く相関があり、さらに、生理応答と映像の時間的変化との関係から、映像が画面から飛び出して表示される状況、つまり、提示装置より手前に対象が表示される場合にVR酔いを生じる傾向にあることが確認された。この結果、提示映像方法によってはVR酔いを回避できる可能性が示唆された。

 第6章では、環境統合シミュレーションのVR表現が妥当であるか、アンケートを中心に評価した結果をまとめる。仮想現実感提示システムによる環境シミュレーション結果の表現が発注者・設計者・施工者間で共通認識として成立するのかを検討した。そして、対象とする環境シミュレーション毎に、評価結果の傾向が異なり、特に温熱環境に関してはパーティクル表示など現実感を損なう表現であっても、逆に設計ツールとして有効であるといった結論を得た。

 第7章では、第2部での性能評価に関する研究の成果を受けて、第1部でのVRシステムの開発に反映された機能や実用面でのシステム運用時の工夫についてまとめる。

 第8章では、現状の課題と今後の展開に関して、主に今後のシステム拡張と拡張されたシステムに対する性能評価の方向性について述べる。今後のシステム開発の方向性を示す上で重要と考え、協調設計に関しては本研究内で完結するものではなく、その一部を紹介する。ここでは、筆者が従来から検討を進めてきた温熱環境シミュレーションの協調設計を中心に論述する。

 第9章では、各章で得られた知見をまとめ、本論文の総括を行う。

 以上、本論文は、仮想現実感提示技術を用いた建築環境統合体感システムの構築とシステムの性能評価に関して、ある時刻断面でまとめたものである。特にこの技術の将来性について、その実現性に未知の部分も多々あるが、情報技術が急速に進展しつつある時代背景では、本論文のようなまとめ方が工学的研究の礎となると考えている。そして、本研究の成果として、仮想現実感提示技術の性能評価に関する結果はVRシステムの開発に必要な基礎的な知見となり、また環境シミュレーションを融合した建築環境統合体感システムの構築は、新しい建築設計手法の提案につながるものと筆者は考える。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,住宅設計を対象として,最先端の情報技術である仮想現実感(VR:Virtual Reality)提示技術の開発,および環境シミュレーションを融合した建築環境体感システムの性能評価について論じたものである。環境シミュレーションについては,住宅の性能にとって重要な光環境,音環境,温熱環境を対象としており,性能評価については,明るさ感・現実感などのシステム性能,VR酔い・生理応答および環境シミュレーション表現の妥当性を対象とした問題について検討を行っている。

 序論として,第1章では本論文の目的と概要および既往研究についてまとめている。VR技術を適用したシステムの開発に関しては,建築設計業務に実用化された例は少ないこと,VRシステムの性能評価に関しては系統的なアプローチは皆無であることなどを示し,システム開発とシステムの評価を両輪として本研究を推進する旨の意義について説明を行っている。

 第1部では,仮想現実感提示技術を用いた建築環境統合体感システムの開発と環境シミュレーション技術について,2章に分けて述べている。

 第2章では,本システムで採用したVR技術の特徴とVR提示を行うための様々な工夫について示し,ハードウェア環境として大型プロジェクタと液晶テレビを使用したシステムの概要,ソフトウェア環境としてモデリング・レンダリング・VR表示ソフトの特徴などを述べ,VR技術の実用化に向け多数の案件に対応した状況,その過程で発生した様々な知見や手法を整理している。

 第3章では,本システムで検討を行った環境シミュレーション技術に関してまとめている。光環境・音環境・温熱環境という異なる環境シミュレーションに対し,同一のステージで検討することが有益であり,これを実現する方法が,統合化された環境シミュレーションのVR表現である。またラピッド・プロトタイピング手法を意識し,各シミュレーションのターン・アラウンドを短くすることで検討期間の短縮を目指すとしている。

 第2部では,合計18回,延べ461人の被験者による評定実験によって,システム性能・VR酔い・環境シミュレーション表現を対象とした評価について,3章に分けて述べている。

 第4章では,モデリング対象とする空間と同一の現実空間を用意し,比較検討する方法で明るさ感・大きさ感・寸法感・現実感の各対象項目を被験者に評価させるというシステム性能評価の結果,モデリング時の精度や照明計算の解像度等、システム運用には欠かせない知見を得ている。また奥行き感の再現性に課題があることも明らかにしている。次に提示装置の違いによる現実感・没入感・設計ツールとしての有効性を検討し,水平視野角と解像度によって体感者の評価が異なることを示し,空間認識に関して被験者属性も考慮した評定実験を実施し,特に建築系知識の差が空間認識に影響をもたらすことを導いている。さらに建築系知識が豊富な体感者ほど,小型のVR装置でもある程度の没入感が得られることを示している。最後にシステム性能評価として実施した音声認識技術を用いた体感を評価し,そこでの結果をシステムに反映した例についても紹介している。

 第5章では,特に動画映像に対して,VR酔い・疲労感・生理応答を対象に評価した結果をまとめ,運用面での対策を提案している。まずVR酔いと被験者属性の関係を調べ,特に女性の若年層でのVR酔いを生じる傾向,疲労との相関の高さなどを示している。次に約100人の若年層の女性を対象にVR酔いを生じる傾向のある被験者を抽出し,疲労と生理応答の関係を詳細に調べている。その結果視覚疲労がVR酔いと強く相関があり,さらに生理応答と映像の時間的変化との関係から,提示装置より手前に対象が表示される場合にVR酔いを生じる傾向にあることを確認している。これらの結果,提示映像方法によってはVR酔いを回避できる可能性をあるとしている。

 第6章では,環境統合シミュレーションのVR表現の妥当性についてアンケートを中心に評価した結果をまとめている。仮想現実感提示システムによる環境シミュレーション結果の表現が,発注者・設計者・施工者間で共通認識として成立するのかを検討し,対象とする環境シミュレーション毎に評価結果の傾向が異なること,温熱環境に関しては現実感を損なう表現であっても設計ツールとして有効であるといった結論を得ている。

 第7章では,第2部での性能評価に関する研究の成果を受け,第1部でのVRシステムの開発に反映された機能や実用面でのシステム運用時の工夫についてまとめている。

 第8章では,現状の課題と今後の展開に関して,主に今後のシステム拡張と拡張されたシステムに対する性能評価の方向性について述べている。

 第9章では,各章で得られた知見をまとめ,本論文の総括を行っている。

 以上本論文の仮想現実感提示技術の性能評価に関する結果は,VRシステムの開発に必要な基礎的な知見となり,また環境シミュレーションを融合した建築環境統合体感システムの構築は,新しい建築設計手法の提案につながるものと考えられる。昨今の情報技術の急速な進展に伴い,情報技術を活用した新しい設計手法が研究開発から現業まで幅広く普及する傾向にあることを鑑みると,本論文の工学に対する寄与は大きいといえる。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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