学位論文要旨



No 216165
著者(漢字) 坂上,大翼
著者(英字)
著者(カナ) サカウエ,ダイスケ
標題(和) マツ材線虫病の水分通道阻害に関する研究
標題(洋)
報告番号 216165
報告番号 乙16165
学位授与日 2005.02.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16165号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,和夫
 東京大学 教授 宝月,岱造
 東京大学 教授 丹下,健
 東京大学 助教授 福田,健二
 東京大学 助教授 山田,利博
内容要旨 要旨を表示する

 マツノザイセンチュウ(Bursaphelenchus xylophilus (Steiner et Buhrer) Nickle)により引き起こされるマツ材線虫病(pine wilt disease)は,わが国をはじめとする東アジア地域で猛威をふるうのみならず,ヨーロッパへの侵入が確認されて被害の蔓延が懸念されており,今や世界のマツ林にとって最大の脅威となっている.病原線虫の感染後,数ヶ月の間に急速に全身の萎凋が引き起こされる本病の発病機構には,線虫の加害性の実体や萎凋発現の本質的原因など,今なお不明な点が残されている.そこで本論文では,萎凋の直接的原因となる木部の水分通道阻害に着目し,その発生機序を明らかにすることで本病における萎凋症状の発現原因を探ることを目的とした.そのために,仮道管のキャビテーションに対する脆弱性の増大という観点からキャビテーション発生を促進する諸要因を,また病原に対する宿主の防御的反応という観点からモノテルペンを取り上げ,それぞれの線虫感染後における動態を明らかにし,水分通道阻害発生への関与について検討を加えた.

キャビテーション発生の促進要因

 仮道管有縁壁孔壁孔膜の構造的変化を明らかにするために,有縁壁孔の走査型電子顕微鏡観察を行った.多数の閉塞壁孔対が広範囲に認められたが,物質の沈着などによる仮道管および壁孔膜の物理的閉塞はごく僅かに観察されるのみであった.このことから,水分通道阻害の原因はキャビテーションに起因するエンボリズムであるとの考えが裏付けられた.壁孔膜の破壊や変形などの構造的変化は観察されず,キャビテーション発生への関与は認められなかった.

 木部樹液の化学的変化がキャビテーション発生に及ぼす影響について明らかにするために,木部組織の化学分析を行った.木部組織の水抽出液のガスクロマトグラフィーから蓚酸量の,また表面張力の測定から表面活性物質量の増加がそれぞれ明らかになった.これら蓚酸および表面活性物質量の増加は乾燥に伴う水分欠乏によっては認められず,蓚酸および表面活性物質の産生は線虫の感染に特有の反応であった.線虫接種後に木部樹液の表面張力を測定したところ表面張力の低下が認められ,表面活性物質の産生を裏付けた.蓚酸や表面活性物質の投与による水分通道阻害の発生について調査したところ,これら何れの投与によっても水分通道阻害の発生が確認された.理論上,蓚酸および木部樹液の表面張力低下がエアシーディングを促進すると予測され,またこれらが仮道管のキャビテーションに対する脆弱性を増大させることが知られることから,以上の結果を総合して,材線虫病における水分通道阻害はエアシーディングによるキャビテーションの結果エンボリズムが引き起こされるために発生するものと考えられた.また,線虫の感染後に産生される蓚酸および表面活性物質がキャビテーション脆弱性を増大させ,キャビテーションの発生を促進することで水分通道阻害を引き起こすものと推察された.

 木部蓚酸量は線虫感染後の初期に増加し,一旦減少した後に病徴末期に著しく増加する傾向が認められた.表面活性物質量は病徴前期の病徴進展前に著しく増加し,その後減少するものの対照より高い値を保ったまま推移した.このように蓚酸量,表面活性物質量ともに病徴の前期に増加が認められたことから,これらが同じく病徴の前期に生じる柔細胞の変性や壊死に伴って産生される可能性が示唆された.蓚酸産生は弱病原力線虫の接種によっても引き起こされる傾向が認められた.一方,表面張力の低下は非病原性線虫の接種によっては引き起こされず,線虫の病原性による差異が認められた.このように蓚酸と表面活性物質の産生の特徴が異なることから,蓚酸産生と表面活性物質産生は線虫の感染に対してそれぞれ独立的に引き起こされるものと考えられた.このことは,蓚酸の投与によって表面活性物質産生が生じないことからも推測された.また,非病原性線虫の接種による木部樹液表面張力の低下が認められないために,非病原性線虫によって小規模ながら水分通道阻害が発生することを表面張力の低下のみによっては説明できないことから,キャビテーション脆弱性の増大が複数の要因の関与による複合的作用のもとに引き起こされている可能性が示唆された.

 仮道管有縁壁孔の閉塞率(閉塞壁孔率)と木部含水率との関係を調べたところ,70%の壁孔が閉塞するまで含水率に顕著な低下は認められず,90%を超す壁孔が閉塞すると含水率が急速に低下した.このことから,一時期に集中して高頻度でキャビテーションが発生するランナウェイエンボリズムの発生が示唆された.すなわち,ある一定の閾値を超える量のキャビテーション発生と,それに伴うエンボリズムの蓄積があった場合に,さらなる集中的なキャビテーション発生によって水分通道阻害が拡大し,急速に水分状態が低下するものと考えられた.このように,水分通道阻害の拡大に閾値の存在することが示唆されたが,蓚酸や表面活性物質によるキャビテーション脆弱性の増大によってこの閾値が相対的に引き下げられることから,夏季の水ストレスと相まって一気に水分通道阻害の拡大が引き起こされて萎凋が発現するものと考えられた.従って,蓚酸および表面活性物質の産生が,水分通道阻害の発生のみならず,その後の水分通道阻害の拡大と萎凋にも重要な意味を持つものと推察された.

モノテルペン生産と水分通道阻害

 モノテルペンの水分通道阻害への関与を明らかにするために,線虫感染に対するモノテルペンの生産について検討を加えた.宿主と病原の親和性の組合せ下における病徴進展過程で,木部モノテルペン量には線虫の接種直後に減少してその後回復するという変動傾向が認められた.しかし,モノテルペン量の増加は認められなかった.水分通道阻害をはじめとする病徴はモノテルペン量の変動と無関係に進展し,供試苗は萎凋枯死した.従って,親和性の組合せにおいては線虫感染に対して新たなモノテルペンの生産は誘導されず,モノテルペンは材線虫病における水分通道阻害の原因として関与しないものと考えられた.材線虫病抵抗性苗を用いた宿主と病原の非親和性の組合せにおいては,線虫感染後に木部モノテルペン量の増加が認められ,モノテルペン生産と種内の遺伝的抵抗性との関連が示唆された.このことから,親和性の組合せにおいてはモノテルペン生産が誘導されないために発病に至る可能性が考えられた.

 パラコートの樹幹注入により人為的にモノテルペン生産を促進し,線虫感染によって引き起こされる水分通道阻害との比較を行った.モノテルペン生産を促進した場合には過剰な樹脂生産のために水分通道阻害が発生し,著しいモノテルペン量の増加とともに木部含水率が低下した.一方,線虫を接種した場合には含水率が低下したもののモノテルペン量は増加しなかった.このように,水分通道阻害にはモノテルペン量の増加を伴うものと伴わないものの二通りがあった.以上の結果は,材線虫病においてキャビテーションによるエンボリズムが水分通道阻害の主原因であり,樹脂や樹脂様物質による仮道管の物理的閉塞は局所に限られることと符合するものであった.一方,抵抗性個体においてモノテルペン生産は線虫感染に対する抵抗性反応として位置づけられるものの,過度な反応が生じた場合には水分通道に影響を及ぼす可能性が考えられた.

 以上のように,本論文では線虫感染後の蓚酸の産生,および表面活性物質の産生に伴う木部樹液表面張力の低下を明らかにし,これらがキャビテーションの発生を促進すること,材線虫病における水分通道阻害の原因がエアシーディングに基づくキャビテーションであると考えられることを指摘した.また,ランナウェイエンボリズム発生の傍証を得て,一連の成果から水分通道阻害が発生・拡大する機序について以下のように提案した.

(1)線虫の感染に伴い,蓚酸および表面活性物質が仮道管中に放出される.これには宿主柔細胞の変性や壊死の関与が推察される.

(2)蓚酸によって仮道管有縁壁孔壁孔膜の柔軟性が増加し,表面活性物質によって木部樹液の表面張力が低下する.

(3)壁孔膜柔軟性の増加および木部樹液表面張力の低下により,仮道管のキャビテーションに対する脆弱性が増大する.

(4)夏季の水ストレスによって仮道管内の負圧が増大し,エアシーディングによるキャビテーションが発生する.

(5)閾値を超えるキャビテーションが発生するとランナウェイエンボリズムが発生し,一気に水分通道阻害が拡大する.

水ストレスが緩和された場合や,エアシーディングに対する脆弱性が回復した場合には水分通道阻害は拡大せず,病徴の進展が回避される.

審査要旨 要旨を表示する

 マツノザイセンチュウ(以下、材線虫)によって引き起こされるマツ材線虫病は、わが国をはじめとする東アジア地域で猛威を振るうのみならず、1999年にヨーロッパへの侵入が確認されて被害の蔓延拡大が懸念され、世界のマツ林にとって最大の脅威となっている。しかし、材線虫に感染後、急速に引き起こされるマツ樹体の全身の萎凋発現の原因については、未だに不明な点が多い。

 本論文は、マツ樹体の萎凋の直接の原因となる木部の通道阻害について、仮道管のキャビテーションに対する脆弱性の増大という観点から明らかにしたもので、4章よりなっている。

 第1章は、序論にあてられ、本研究に関する既往の研究と問題点について明らかにし、本論文の目的について述べている。

 第2章では、仮道管の有縁壁孔膜の構造的変化から、水分通道阻害の原因はキャビテーションに起因するエンボリズムであるとし、木部樹液の化学性がキャビテーションに及ぼす影響を明らかにするために、蓚酸および表面活性物質の産生とキャビテーション発生との関係について検討した。これらの物質は水分欠乏によっては産生されず、材線虫病感染に特有の反応であり、樹液の表面張力を低下させてエアシーディングを促進させ、キャビテーションを引き起こすものであることを明らかにした。また、病徴進展前期には材線虫感染によって生じる柔細胞の変性や壊死によって蓚酸および表面活物質は著しく増大して表面張力の低下が引き起こされるものの、非病原線虫の接種では表面張力の低下は引き起こされないことが明らかにされた。

 仮道管有縁壁孔の閉塞率と木部含水率との関係を調べたところ、70%の閉塞では含水率の低下は認められず、90%の閉塞を境として急速に木部含水率は低下した。このことから、材線虫病の病徴進展では、一時期に集中して高頻度でキャビテーションが発生するランナウェイエンボリズムの発生が示唆された。

 第3章では、モノテルペン生産と水分通道阻害との関係について検討を加え、感染後の水分通道阻害には著しいモノテルペン生産を伴う場合と伴わない場合の二通りの現象があることが明らかにされた。すなわち、感受性個体の場合には感染後モノテルペン生産と水分通道阻害は無関係に進展するものの、抵抗性個体の場合にはモノテルペン生産が材線虫抵抗反応として位置づけられる推移を示した。

 第4章では、材線虫病の水分通道阻害の発生機序について考察し、材線虫感染後に蓚酸の産生や表面活性物質の産生に伴い木部樹液の表面張力が低下して、これらがエアシーディングに基づくキャビテーションの発生を促進し、マツ樹体の水分通道阻害が発生・拡大することを明らかにした。

 以上を要するに、本論文はマツ材線虫病の水分通道阻害について、その発生機序を明らかにしたもので、学術上、応用上、貢献することが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位を授与するにふさわしいと判断した。

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