学位論文要旨



No 216167
著者(漢字) 土屋,亮人
著者(英字)
著者(カナ) ツチヤ,キヨト
標題(和) HIVの抗HIV薬剤耐性化機構および抗HIV薬剤代謝に関わるシトクロムP450の遺伝子多型性に関する研究
標題(洋)
報告番号 216167
報告番号 乙16167
学位授与日 2005.02.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16167号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 祥雲,弘文
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 助教授 若木,高善
内容要旨 要旨を表示する

 後天性免疫不全症候群(Acquired immunodeficiency syndrome; AIDS)、通称エイズとは、ヒト免疫不全ウイルス(Human immunodeficiency virus; HIV)感染症によって引き起こされた免疫不全状態により、日和見感染症を併発した状態を示す。

 近年の抗HIV療法は、抗HIV薬多剤併用療法の導入により大きく進歩した。抗HIV薬多剤併用療法は、核酸系逆転写酵素阻害剤(Nucleoside およびNucleotide reverse transcriptase inhibitor; NRTI)2薬剤とプロテアーゼ阻害剤(Protease inhibitor; PI)1から2薬剤、もしくは非核酸系逆転写酵素阻害剤(Non-nucleoside reverse transcriptase inhibitor; NNRTI)1薬剤の計3薬剤以上を併用する非常に強力な抗HIV療法である。この抗HIV薬多剤併用療法の導入により、エイズによる日和見感染者数および死亡者数は激減し、患者の予後は大幅に改善した。しかしながら、その反面、治療の長期化に伴う薬剤耐性HIVの出現や複数の抗HIV薬の併用による副作用が新たな問題となってきている。現在、抗HIV薬多剤併用療法において、それらのリスクを軽減させることが急務である。そこで本研究では、第一章でPIを含む多剤併用療法における薬剤耐性HIVの出現までの期間について解析し、第二章でEFVを含む多剤併用療法における副作用の軽減に関連する薬物代謝酵素シトクロムP450の遺伝子多型性について解析した。

 第一章 第一節では、PIを含む多剤併用療法を初めて開始したHIV患者141例について、HIVのLopinavir(LPV)に対する耐性変異の蓄積する期間を解析した。LPVは、現在の治療ガイドラインでも第一選択薬として推奨されており、使用頻度の非常に高いPIである。LPVに対するHIVの耐性度は、薬剤耐性変異(HIVプロテアーゼのアミノ酸変異L10、K20、L24、M46、F53、I54、L63、A71、V82、I84、L90)の数(Mutation score)の蓄積と共に上昇する。そのHIVの耐性度は、Mutation score 4 - 5で2.7倍、6 - 7で13.5倍、そして8 - 10で44.0倍、野生株よりも上昇する。本検討の結果から、PI開始9ヶ月後よりMutation score 4 - 5および6 - 7のHIVが出現した。そして、PI開始42ヶ月後において、Mutation score 4 - 5および6 - 7のHIVは、それぞれ141例中30例(21.3%)、141例中11例(7.8%)の患者に出現した。ウイルス学的な失敗例に対し漫然と治療を継続した場合、Mutation scoreの高い多剤耐性ウイルスがさらに増加する可能性もある。この結果から、PIを含む多剤併用療法において、ウイルス学的な失敗例では、遅くともPI開始6ヶ月後までに遺伝子型薬剤耐性検査(Genotyping法)を行う必要性が示された。

 次に第二節では、Nelfinavir(NFV)を含む多剤併用療法における治療継続率および治療効果、NFV耐性ウイルス出現の経時的変化について解析した。NFVは、この検討を行った2002年当時の治療ガイドラインの第一選択薬であり、使用頻度の非常に高いPIである。PI未使用患者51例において、治療継続率は、NFV開始48週後、108週後でそれぞれ86%、78%と比較的良好であった。ウイルス学的成功(HIV-l plasma viral load(VL)<400 copies/ml)例は、NFV開始108週後において51例中32例(63%)であった。NFVに対する薬剤耐性一次変異であるHIVプロテアーゼのアミノ酸変異D30Nを獲得したHIVは、NFV開始9週後から出現した。同様に、NFVに対する薬剤耐性一次変異であるHIVプロテアーゼのアミノ酸変異L90Mを獲得したHIVは、NFV開始66週後から出現した。NFV開始12週後のウイルス学的成功(VL<400 copies/ml)17例において、NFV開始108週後までに1例(6%)でNFV耐性ウイルスの出現が見られた。その結果とは対照的に、NFV開始12週後のウイルス学的失敗(VL>400 copies/ml)30例において、NFV開始108週後までに11例(37%)でNFV耐性ウイルスの出現が見られた。Cox比例ハザード分析を用いてNFV耐性ウイルスの出現リスクについて解析した結果、NFV開始前のNRTI治療歴、AIDS発症歴、CD4細胞数別、VL別によるNFV耐性ウイルスの出現リスクは、1.7から2.5倍程度であった。しかし、統計学的な有意差は見られなかった。最終的に、51例中39例(77%)の患者において、NFV耐性ウイルスの出現なしにNFV開始108週後まで治療を行えた。NFV開始12週後のウイルス学的成功(VL<400 copies/ml)17例中16例(94%)の患者おいては、NFV耐性ウイルスの出現なしに108週までNFVを含む多剤併用療法を行えた。この結果より、NFV開始12週後のVLは、その後のNFV耐性ウイルス出現の指標になることを示している。

 続いて第二章 第一節では、NNRTIであるEfavirenz(EFV)血漿中濃度と、肝臓においてEFVを代謝するシトクロムP450 2B6(Cytochrome P450 2B6; CYP2B6)の遺伝子多型との関連性について解析した。EFVは、HIVに対し非常に強い抗ウイルス効果を示し、現在の治療ガイドラインでも第一選択薬として推奨されているNNRTIである。しかしながら、EFV血漿中濃度高値の患者において、頭痛、目眩、不眠、倦怠感等の精神神経系の副作用が出現し、治療継続を困難にさせる。EFVを含む多剤併用療法施行中の患者35例(EFV 1日1回600mg服用の患者のみ)において、CYP2B6 *6/*6の患者2例のEFV血漿中濃度は非常に高値(平均25.4 μM)であった。この値は、*6 heterozygoteの患者10例の平均EFV血漿中濃度9.9±3.3 μM(平均値±SD)や*6を持っていない患者23例の平均EFV血漿中濃度8.0±2.6 μMと比較して明らかに高値であった。この結果を確証後、独立行政法人 国立病院機構 大阪医療センターの9例(EFV血漿中濃度の高値例3例を含む)と併せて解析を行った。その結果、EFV血漿中濃度の高値例のみがCYP2B6 *6/*6の患者であった。このCYP2B6 *6/*6の患者においては、EFVの服薬量を減量し、強い抗ウイルス効果を維持しつつ副作用を軽減できる。本検討の結果は、抗HIV療法において、初のテーラーメイド治療として発展するものと考えられる。現在、私のこの知見を基に、「CYP2B6 *6/*6のHIV-l陽性者に対するefavirenz投与量減量に関する多施設共同臨床試験」[Reduction of efavirenz dose in HIV-l-infected patients with CYP2B6*6/*6: A prospective, multicenter, clinical study]が開始される予定である。当研究室での成果が実際の治療に応用され、患者に還元されれば、この研究の意義もさらに高まると期待される。

 以上において本研究では、抗HIV薬多剤併用療法におけるHIVの薬剤耐性化機構について、PIであるLPVおよびNFVの耐性変異を指標として出現までの期間を解析した。PIを含む多剤併用療法において、HIVのLPVに対する耐性変異の蓄積(Mutation score 4 - 5および6 - 7)はPI開始9ヶ月後より見られた。この結果から、多剤耐性ウイルスを増加させないためにも、ウイルス学的な失敗例の場合、遅くともPI開始後6ヶ月後までに遺伝子型薬剤耐性検査(Genotyping法)を実施する必要性が示された。また、NFVを含む多剤併用療法において、NFV開始12週後のウイルス学的成功(VL<400 copies/ml)例では、その後NFV耐性ウイルスの出現なしに108週までNFVを含む多剤併用療法を行えた。この結果から、NFV耐性ウイルスの出現なしにNFVを含む多剤併用療法を継続するためには、NFV開始12週後のウイルス学的成功(VL<400 copies/ml)の必要性が示された。

 次に、抗HIV薬多剤併用療法における副作用の軽減を目指すテーラーメイド治療への試みとして、EFV血漿中濃度とEFVを代謝するCYP2B6の遺伝子多型との関連性について解析した。その結果、CYP2B6 *6/*6の患者のEFV血漿中濃度は、*6を持っていない患者と比較して、3.2倍高値であった。このCYP2B6 *6/*6の患者において、EFVの服薬量を減量し、強い抗ウイルス効果を維持させつつ副作用を軽減できる可能性が示された。

 抗HIV療法における薬剤血中濃度とHIVの薬剤耐性化や副作用の間には、極めて密接な関係がある。つまり、人種差および個人差のある薬剤血中濃度を解析し、最適な薬剤血中濃度を維持させることは、薬剤耐性HIVや副作用を出現させないためにも必須である。今後の抗HIV療法は、患者個人個人の遺伝子多型性を基にして最適な薬剤血中濃度を維持させ、薬剤耐性HIVや副作用の出現の少ない、より良いテーラーメイド医療へと進んで行くと考えられる。本研究の結果は、それらの礎となり、また、進むべき道の第一歩になりうることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 後天性免疫不全症候群(Acquired immunodeficiency syndrome; AIDS)、通称エイズとは、ヒト免疫不全ウイルス(Human immunodeficiency virus; HIV)感染により免疫不全状態に陥り、そのため日和見感染症を併発し、やがて死に至る病である。2003年には世界のエイズ患者は4000万人に達し、また、500万人が新たに感染し、300万人が死亡した。HIV感染症は現在の人類にとってもっとも脅威となっている感染症である。

 近年、タイプ(標的)の異なる複数の抗HIV薬を併用する多剤併用療法の導入によりエイズ治療では大きな進歩が見られ、日和見感染者数と死亡者数ともに激減した。しかしながらその一方で、治療の長期化に伴う薬剤耐性HIVの出現や複数の抗HIV薬併用による副作用が新たな問題となってきている。従って現在のエイズ治療においては、薬剤耐性HIV出現の解明と対策、および副作用軽減策の確立により多剤併用療法のリスクを軽減させることが急務となっている。本論文はそのような、現在のエイズ治療上の緊急課題解決に貢献できる知見を得ることを目的として行われたものである。本論文では、国立国際医療センターエイズ治療・研究開発センター等において、多剤併用療法を初めて開始したHIV患者を対象として、薬剤耐性ウイルス出現経過や薬剤血中濃度と薬物代謝酵素シトクロムP450の遺伝子多型との関係等について長期間にわたり観察し、その結果を解析したものである。

 第1章・第1節では、1〜2種のプロテアーゼ阻害剤(PI)と2種の核酸系逆転写酵素阻害剤を併用するHIV患者141例について、PIであるLopinavir(LPV)に対する薬剤耐性変異蓄積の経過を42ヶ月にわたり観察・解析した。LPVに対するHIVの耐性度はHIVプロテアーゼのアミノ酸変異(L10,K20,L24,M46,F53,I54,L63,A71,V82,I84,L90)の数(Mutation Score)の蓄積とともに上昇し、mutation score8〜10では野生株の44倍もの耐性を獲得する。経過観察の結果、治療開始9ヶ月後にはmutation score4〜7のhigh score HIVが出現し始め、42ヶ月後には141例中41例においてhigh mutation score HIVが出現した。以上の結果から、ウイルス学的失敗を予防するためには、遅くともPI投与開始から6ヶ月後までに遺伝子型薬剤耐性検査(Genotyping法)を行う必要性が示された。第1章・第2節では、LPVと同様に多用されるPIであるNelfinavir(HFV)を含む多剤併用療法における治療継続率および治療効果、NFV耐性ウイルス出現の経時変化などについて解析した。その結果、NFV投与開始12周後のVL(HIV-l plasma viral load)の検査が、その後のNFV耐性ウイルス出現の判定に重要であることが示された。

 第2章・第1節では、非核酸系逆転写酵素阻害剤であるEfavirenz(EFV)の血漿中濃度と、肝臓においてEFVを代謝するシトクロムP450であるCYP2B6およびCYP3A4の遺伝子多型との関連を調べた。その結果CYP2B6 *6/*6のallele pairを持つ患者のEFV血漿中濃度が異常に高いことを発見した。薬剤耐性HIV出現を防ぐためには、薬剤の血漿中濃度を適切なレベルに保つことが不可欠である。それが高すぎると毒性が問題となり、逆に低濃度期間が続くと耐性ウイルスの出現頻度が増す。CYP2B6の遺伝子多型がEFV血漿中濃度に大きく関わることの発見は、患者個人個人の遺伝子情報に基づくテーラーメイド医療の必要性を指し示したものである。筆者のこの知見をもとに、「CYP2B6 *6/*6のHIV-l陽性者に対するEFV投与量減量に関する多施設共同臨床試験」という治験プロジェクトが開始される予定である。

 以上、本論文は、多剤薬剤併用療法を受けるエイズ患者多数を長期間経過観察し、薬剤耐性HIV出現や多剤併用による毒性を防ぐための方法に関し貴重なデータを提供し、さらにテーラーメイド医療への提言を行ったものであり、学術上ならびに応用上貢献するところ大である。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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