学位論文要旨



No 216168
著者(漢字) 秋山,伸子
著者(英字)
著者(カナ) アキヤマ,ノブコ
標題(和) 昆虫由来抗菌物質5-S-GAD(N-β-alany1-5-S-glutathiony1-3,4-dihydroxyphenylalanine)の抗腫瘍活性に関する研究
標題(洋)
報告番号 216168
報告番号 乙16168
学位授与日 2005.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16168号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 夏苅,英昭
 東京大学 教授 久保,建雄
 東京大学 助教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

 昆虫は、進化の過程で独自の生体防御機構を発達させ、地球上に多数棲息している。この昆虫を新しい医薬資源として着目している。昆虫の生体防御機構である自然免疫は、全ての動物種が普遍的に持つ免疫システムの根幹である。昆虫の免疫機構で働く生理活性物質(生体防御分子)が、我々哺乳類の免疫機構に働きかけ、その潜在能力を引き出す可能性がある。また、昆虫の生体防御分子群の一部は発生の過程でも機能しており、複数の機能を持つ分子が少なからず存在している。このようなユニークな特徴を持つ昆虫の生理活性物質がこれまでに医薬資源として注目された例はほとんどない。

 センチニクバエ成虫から精製された5-S-GADは、感染によりその合成が誘導される低分子抗菌物質である。5-S-GADは過酸化水素を産生して直接抗菌活性を発揮する他、NF-κBを活性化し抗菌タンパク遺伝子の転写を促進して間接的に生体防御に働くと考えられている。また、哺乳類細胞のチロシンリン酸化阻害活性やアポトーシス誘導活性が見出され、5-S-GADが腫瘍細胞の増殖に対して抑制効果を持つ可能性が考察されてきた。そこで私は、この昆虫由来の新規な抗菌物質5-S-GADをがんの化学療法に応用できないかと考え、5-S-GADの抗腫瘍活性の研究に着手した。

1.5-S-GADの in vitro および in vivo 抗腫瘍活性

 ヒト培養がん細胞38株(肺癌7株、胃癌6株、大腸癌6株、卵巣癌5株、脳腫瘍6株、乳癌5株、腎癌2株、メラノーマ1株)を用いて、5-S-GADの増殖に対する影響を検討した。その結果、5-S-GADはほとんどのがん細胞の増殖に対して全く影響しなかったが、使用した5株の乳がん細胞のうち2株の増殖が5-S-GAD処理により阻害されることが明らかとなった。次に、5-S-GAD感受性、非感受性細胞の存在を明確にするため、いくつかの細胞株を用いて詳細な用量依存性を検討し、その効果を制癌剤マイトマイシンCと比較した。その結果、5-s-GADはメラノーマLOX-IMV1、乳がんMDA-MB-231、MDA-MB-435Sに対して用量依存的な増殖阻害活性を示したが、メラノーマG361、CRL1579、乳がん細胞MDA-MB-468、T47D、MCF-7に対しては100μMの濃度までほとんど増殖に影響しなかった。感受性細胞に対する5-S-GADのIC50値はマイトマイシンCとほぼ同程度であった。しかし、マイトマイシンCは非特異的に全ての細胞の増殖を抑制したのに対して、5-S-GADは細胞選択性があった。また、5-S-GADが有効な細胞は乳がんの中でもエストロゲンに反応しない、比較的悪性度の高い細胞であったことも注目すべき興味深い事実である。

 次にがん細胞のin vivo増殖に対する5-S-GAD投与の効果を検討した。まず in vivo 実験系で5-S-GAD感受性が見られたヒトメラノーマLOX-IMV1を、移植可能なヌードマウスの皮下に移植して5-S-GADの投与実験を試みた。腫瘍塊の成長が速いメラノーマでは、移植後14日目には直径約2cm程度の腫瘍塊が形成されるが、500mg/kg 5-S-GADを移植後4、8、11、14日の4回腹腔内投与を行うと、腫瘍塊の肥大が有意に抑制された。腫瘍移植後4日目から8日目まで5回連続投与した場合は、さらに低用量の100mg/kgで移植後12日目から有意な抑制効果が認められた。

 さらに5-S-GAD感受性の乳がんMDA-MB-435Sをヌードマウスの乳腺に移植して5-S-GAD投与の効果を検討した。腫瘍塊の成長が比較的緩やかな乳がん細胞の場合には、100mg/kgの用量を腹腔内へ一週間に3回、投与を7週間継続して行ったところ、5-S-GADは有意な増殖抑制効果を発揮した。

 In vitro 実験系で5-S-GAD感受性が見られなかったヒトメラノーマG361、CRL1579と乳がんMDA-MB-468、MCF-7の in vivo 増殖に対しては、上記と同様なスケジュールで200mg/kg 5-S-GADを投与したが、有意な抑制効果は見られなかった。

2.5-S-GADからの活性酸素産生と抗腫瘍活性への寄与

 5-S-GADの抗腫瘍活性に対する抗酸化分子添加の効果を検討した。その結果、MDA-MB-435Sに対する5-S-GADの作用は添加カタラーゼの濃度依存に減少した。したがって、この細胞に対する5-S-GADの抗腫瘍活性には過酸化水素が関与していることが示された。またsuperoxide dismutase(SOD)を添加しても、5-S-GADの抗腫瘍活性は消失した。この結果より、5-S-GADの抗腫瘍活性には過酸化水素だけでなく、superoxide anion(O2〓)など、他の活性酸素種も関与する可能性が示された。カタラーゼやSODは細胞膜を通過しないことから、これらの活性酸素種は細胞外で産生されるものと思われる。

 次に実際に5-S-GADから過酸化水素が産生されるか検討した。その結果、細胞非存在下培地中に5-S-GADを添加後4時間以降に過酸化水素の産生が検出され、24時間後にプラトーに達した。添加5-S-GADからほぼ等モル相当の過酸化水素の産生が検出された。

3.5-S-GADからの過酸化水素産生のメカニズム

 5-S-GADが過酸化水素を産生する際、5-S-GAD構造中のカテコール部分が自己酸化してキノン構造になると考えられる。その反応中間体として、セミキノンラジカルができる可能性を考え、5-S-GADからのラジカル形成を電子スピン共鳴法(ESR)にて検出した。その結果、5-S-GADは20分以上インキュペーションすると、ラジカルを形成することが明らかとなった。このラジカルは10時間後まで安定に検出された。このラジカル形成はカタラーゼの添加では阻害されず、SODまたはグルタチオンの添加により阻害された。このラジカルは波形から5-S-GADのカテコール部分から形成されるセミキノンラジカルであると考えられた。

 SODが5-S-GADラジカルの形成を阻害したことから、SODが5-S-GADからの過酸化水素産生を阻害する可能性を考えた。そこで、5-S-GADからの過酸化水素産生に対するSODの効果を検討したところ、SODは添加濃度および酵素活性依存に5-S-GADからの過酸化水素の産生を阻害した。この結果より、SODは反応中間体であるラジカル形成を阻害して、5-S-GADからの過酸化水素産生を阻害すると考えられた。

 以上の結果から、5-S-GADはラジカル形成を介して過酸化水素を産生することが明らかとなった。また、SODは5-S-GADのラジカル形成を阻害し、その過酸化水素産生および抗腫瘍活性を抑制すると考えられた。現在までに5-S-GADからのO2〓産生は確認されておらず、SODがラジカル形成を阻害するメカニズムは不明である。しかし、SODはカテコール類からのセミキノンラジカル形成を阻害する、いわゆるsuperoxide:semiquinone酸化還元活性があると言われており、この活性が関与する可能性がある。5-S-GADの抗腫瘍活性はカタラーゼの添加によりほぼ完全に消失することから、5-S-GADの抗腫瘍活性には過酸化水素の産生が必須と考えられ、5-S-GADラジカルは過酸化水素産生過程に関与していると考えられる。

4.5-S-GADの細胞選択性の分子メカニズム

 上記の結果より5-S-GADはラジカル形成を介して過酸化水素を産生し、長時間にわたって細胞に酸化ストレスを与えると考えられた。しかし5-S-GADの抗腫瘍活性には細胞選択性がみられている。したがって、この5-S-GADに対する細胞の感受性の違いは、細胞側の抗酸化能力に起因する可能性を考えた。そこで、細胞内のカタラーゼ活性、SOD活性、GSH量を比較した。その結果、細胞のSOD活性とGSH量は有意な差が見られなかったが、カタラーゼ活性は5-S-GAD感受性の細胞と比較して、非感受性細胞は3倍から6倍の活性を有することが明らかになった。この結果より、5-S-GAD感受性細胞ではカタラーゼ発現量が低いことが示された。

 次に培養がん細胞のカタラーゼ発現量と5-S-GADに対する感受性が相関するか検討した。MDA-MB435S細胞に遺伝子導入を行い、親株や空ベクター導入細胞と比較して、カタラーゼの発現量が3倍以上であるstable cell lineを樹立した。この細胞を用いて5-S-GAD感受性を比較したところ、カタラーゼ過剰発現細胞は5-S-GADに対する感受性が明らかに低下していた。IC50値を比較すると、親株や空ベクター導入細胞が約40μMなのに対し、カタラーゼ過剰発現細胞は約80μMとなり、ほぼ2倍となった。この結果から、少なくともこの細胞株では5-S-GADの in vitro 増殖阻害活性は細胞のカタラーゼの発現量に依存すると考えられた。

5.まとめと考察

 本研究で私は昆虫由来抗菌物質5-S-GADが一部の腫瘍細胞に対して増殖抑制効果を示すことを見出した。そして、この増殖抑制効果は5-S-GADから産生される過酸化水素によるものであり、その産生過程にラジカル形成の関与があることも明らかにした。私はまた、細胞工学的手法により、5-S-GADの細胞選択性は、標的細胞のカタラーゼ発現量に依存することを示した。この結果は、5-S-GADをリードとして、癌化して抗酸化分子の発現が低下した細胞に対して選択性のある抗がん剤の作出が可能であることを示唆するものである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、昆虫の自然免疫機構を担う物質の抗腫瘍効果について研究した結果を述べたものである。センチニクバエ成虫から精製された5-S-GADは、感染によりその合成が誘導される低分子抗菌物質である。5-S-GADは過酸化水素を産生して直接抗菌活性を発揮するだけでなく、NF-・Bを活性化し抗菌タンパク遺伝子の転写を促進して間接的に生体防御に働くと考えられている。また、哺乳類細胞のチロシンリン酸化阻害活性やアポトーシス誘導活性が見出され、5-S-GADが腫瘍細胞の増殖に対して抑制効果を持つ可能性が指摘されている。

 本論文は、6章から構成されている。第1章では、5-S-GADの発見かに抗腫瘍作用があるのではないか、という着想に至った経緯が説明されている。

 第2章では、5-S-GADの in vitro および in vivo 抗腫瘍活性に関する結果が述べられている。検査した5株の乳がん細胞のうち2株の増殖が5-S-GAD処理により著明に阻害された。さらに5-S-GADの細胞増殖抑制効果を制癌剤マイトマイシンCと比較した。その結果、5-S-GADはメラノーマLOX-IMV1、乳がんMDA-MB-231、MDA-MB-435Sに対して用量依存的な増殖阻害活性を示したが、メラノーマG361、CRL1579、乳がん細胞MDA-MB-468、T47D、MCF-7に対しては100μMの濃度までほとんど増殖に影響しなかった。感受性細胞に対する5-S-GADのIC50値はマイトマイシンCとほぼ同程度であった。しかし、マイトマイシンCは非特異的に全ての細胞の増殖を抑制したのに対して、5-S-GADは細胞選択性があった。

 さらに5-S-GAD感受性の乳がんMDA-MB-435Sをヌードマウスの乳腺に移植して5-S-GAD投与の効果を検討した。腫瘍塊の成長が比較的緩やかな乳がん細胞の場合には、100mg/kgの用量を腹腔内へ一週間に3回、投与を7週間継続して行ったところ、5-S-GADは有意な増殖抑制効果を発揮した。

 第3章では、5-S-GADからの活性酸素産生とその抗腫瘍活性への寄与が述べられている。5-S-GADの抗腫瘍活性に対する抗酸化分子添加の効果を検討した結果、抗腫瘍活性には過酸化水素が関与していることが示された。またsuperoxide dismutase(SOD)を添加しても、5-S-GADの抗腫瘍活性は消失した。この結果より、5-S-GADの抗腫瘍活性には過酸化水素だけでなく、superoxide anion(O2〓)など、他の活性酸素種も関与する可能性が示された。さらに、実際に5-S-GADから過酸化水素が産生されることも明らかとなった。5-S-GADが過酸化水素を産生する際、5-S-GADのカテコール部分から形成されるセミキノンラジカルが重要な役割を果たしていると考えられた。

 第4章では、5-S-GADの細胞選択性の分子メカニズムが述べられている。上記の結果より5-S-GADはラジカル形成を介して過酸化水素を産生し、長時間にわたって細胞に酸化ストレスを与えると考えられた。しかし5-S-GADの抗腫瘍活性には細胞選択性がみられている。したがって、この5-S-GADに対する細胞の感受性の違いは、細胞側の抗酸化能力に起因する可能性を考えた。そこで、細胞内のカタラーゼ活性、SOD活性、GSH量を比較した。その結果、細胞のSOD活性とGSH量は有意な差が見られなかったが、カタラーゼ活性は5-S-GAD感受性の細胞と比較して、非感受性細胞は3倍から6倍の活性を有することが明らかになった。この結果より、5-S-GAD感受性細胞ではカタラーゼ発現量が低いことが示された。

 次に培養がん細胞のカタラーゼ発現量と5-S-GADに対する感受性が相関するか検討した。MDA-MB435S細胞に遺伝子導入を行い、親株や空ベクター導入細胞と比較して、カタラーゼの発現量が3倍以上であるstable cell lineを樹立した。この細胞を用いて5-S-GAD感受性を比較したところ、カタラーゼ過剰発現細胞は5-S-GADに対する感受性が明らかに低下していた。IC50値を比較すると、親株や空ベクター導入細胞が約40μMなのに対し、カタラーゼ過剰発現細胞は約80μMとなり、ほぼ2倍となった。この結果から、少なくともこの細胞株では5-S-GADの in vitro 増殖阻害活性は細胞のカタラーゼの発現量に依存すると考えられた。

 さらに、第5章では、5-S-GADの部分構造体の抗腫瘍活性及び、過酸化水素産生について述べられている。さらに、第6章では、本研究の成果の今後の展開の可能性について論じられている。

 以上、本研究は、昆虫の自然免疫に預かる抗菌物質が、抗腫瘍効果を有することを明らかにした点で、免疫学、細胞生物学、微生物学に貢献するところが大きい。よって、博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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