学位論文要旨



No 216171
著者(漢字) 稲垣,裕章
著者(英字)
著者(カナ) イナガキ,ヒロアキ
標題(和) 耐性グラム陽性菌感染症治療薬を指向した新規キノロンカルボン酸誘導体の合成と生物活性評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 216171
報告番号 乙16171
学位授与日 2005.02.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16171号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大和田,智彦
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 助教授 菅,敏幸
内容要旨 要旨を表示する

 メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)やペニシリン耐性肺炎球菌(PRSP)、バンコマイシン耐性腸球菌(VRE)等の多剤耐性グラム陽性菌による細菌感染症が問題となっている。これらの感染症に対する治療薬としてバンコマイシンやリネゾリド等の薬剤が用いられているが、これらの薬剤は殺菌性の乏しさ、耐性誘導、副作用等の問題を抱えている。一方、キノロン抗菌薬は殺菌的な作用メカニズムを有しており、体内動態が良好で、高い安全性を有することから、耐性グラム陽性菌感染症治療薬として好適な資質を有していると言える。キノロン抗菌薬は元来グラム陰性菌に対して抗菌力が強く主に尿路感染症治療薬として用いられてきたが、近年構造変換によって肺炎球菌等のグラム陽性菌に対して抗菌力を有する化合物が幾つか発表されており、さらなる構造変換によって多剤耐性グラム陽性菌に対して強力な抗菌活性を示す誘導体を得ることも可能と考えられる。

 以上で述べた考えから、私は、耐性グラム陽性菌感染症に対して有効でかつ安全性の高いキノロン誘導体を得るべく研究に着手した。

 グラム陽性菌に対して高い抗菌活性を有するキノロン誘導体として、3-(aminomethyl)-pyrrolidin-l-yl基を7位に有するキノロン誘導体が知られているが、本誘導体は同時に強い遺伝毒性を示すことが知られている。私は、本誘導体のうち特に抗グラム陽性菌活性が高い2つの誘導体:7-(2-amino-8-azabicyclo-[4.3.0]non-8-yl)-キノロン誘導体1、及び7-[-3-(1-aminocycloprop-1-yl)pyrrolidin-l-yl]-キノロン誘導体2(Figure 1)に着目し、これら誘導体の有する高い抗グラム陽性菌活性を維持しつつ遺伝毒性を低減する2系統の化合物デザインを行い、デザインした化合物の合成とその抗菌活性評価及び遺伝毒性評価を行った。

1.シクロプロパン環を縮環した7-(2-amino-8-azabicyclo[4.3.0]non-8-yl)-キノロン誘導体

[デザイン・合成]誘導体1の7位極性アミノ基は、飽和6員環のフリップのために多様な配向を採り得ると思われ、このような多様性が遺伝毒性を引き起こしている可能性が考えられため、シクロプロパン環を飽和6員環に縮環してフリップを制限し、本アミノ基の配向を制御することにより遺伝毒性の低減を図ることとした。

 デザインした誘導体のうち、誘導体6a-cは以下のように合成した(Scheme 1)。α,β-不飽和エステル誘導体4にS-メタニドを作用させてトリシクロ誘導体5をまずラセミ体として合成した。5を光学活性カラムによって両エナンチオマーに分割し、それぞれを官能基変換の後、高い抗グラム陽性菌活性を維持し遺伝毒性を低減する効果を有するキノロン母核へ導入し6a-cを得た。

 誘導体10a-dは以下のように合成した(Scheme 2)。ビシクロ誘導体7にジアゾメタンを作用させてトリシクロ誘導体8をまずラセミ体として合成した。8を光学活性カラムによって両エナンチオマーに分割し、官能基変換の後にそれぞれを2位アミノ基の立体配置に基づく2っのジアステレオマーに分割した((+)-9a,(+)-9b&(-)-9a,(-)-9b)。得られた4つの立体異性体をそれぞれ官能基変換の後にキノロン母核へ導入し10a-dを得た。

[抗菌活性試験]シクロプロパン縮環化合物のうち、右旋光性の7位置換基合成中間体から導いた化合物はグラム陽性菌に対して非常に高い抗菌活性を示し、その抗菌活性は市販のキノロン薬や他系統の耐性グラム陽性菌感染症治療薬を大きく凌駕するものであった。また、これらの化合物はシクロプロパン非縮環化合物とほぼ同等の抗菌活性を示し、シクロプロパン環の縮環は高い抗菌活性を維持することが明らかとなった。

[マウス静脈内単回投与毒性試験及び末梢血小核試験]上記で高い抗菌活性を示した化合物の遺伝毒性を評価するため、マウス静脈内単回投与毒性試験及びマウス末梢血小核試験を行った。単回投与毒性試験では、ほとんどの化合物が100mg/kgにて生存例が見られず毒性が比較的強かった。小核試験ではほとんどの化合物が陽性を示した。

[ヒトトポイソメラーゼII阻害活性試験]遺伝毒性に対するシクロプロパン環導入の効果を精査すべくヒトトポイソメラーゼII阻害試験を行った。キノロン誘導体の遺伝毒性はヒトトポイソメラーゼIIの阻害によると考えられている。試験の結果、ほとんどのシクロプロパン縮環化合物は、シクロプロパン非縮環化合物の1/3以下の阻害活性しか示さず、シクロプロパン環の縮環が遺伝毒性を低減する可能性があることが示された。

2.フッ素原子を導入した7-【(R)-3-(1-aminocycloprop-1-yl)pyrrolidin-1-yl】-キノロン誘導体

[デザイン・合成]7位極性アミノ基近傍へのフッ素原子の導入によって遺伝毒性が低減するという報告を参考に、本7位置換基の4位にフッ素原子を導入した化合物をデザインした。

 デザインした誘導体14a-cは以下のように合成した(Scheme 3)。(S)-1-Phenylethylamineを利用して合成した光学活性なピロリドン誘導体11の4位をLDAとN-fluorobenzenesulfonimideを用いてtrans選択的にフッ素化して12aとし、12aのフッ素原子の異性化によってcis-フルオロ体12bを、また12aのさらなるフッ素化によってジフルオロ体12cを合成した。12a-cは、それぞれ官能基変換によって13a-cとし、キノロン母核に導入して14a-cを得た。

[抗菌活性試験]フッ素原子導入化合物はいずれもグラム陽性菌に対して非常に高い抗菌活性を示し、その抗菌活性は市販のキノロン薬や他系統の耐性グラム陽性菌感染症治療薬を大きく凌駕するものであった。また、これらのフッ素原子導入化合物はフッ素原子非導入化合物とほぼ同等の抗菌活性を示し、フッ素原子の導入は高い抗菌活性を維持することが明らかとなった。

[マウス静脈内単回投与毒性試験及び末梢血小核試験]単回投与毒性試験では、14a>14c>14bの順で毒性が減弱し、本毒性が導入したフッ素原子の立体配置によって影響を受けることが明らかとなった。末梢血小核試験では、フッ素原子導入化合物はいずれも小核陰性を示し、フッ素原子の導入は遺伝毒性を低減することが明らかとなった。

[14b(=DQ-113)の多剤耐性グラム陽性菌に対する抗菌活性]高い抗菌活性を示しかつマウス静脈内単回投与毒性試験ならびに末梢血小核試験にて高い安全性を示した14bについて、臨床分離された各種多剤耐性グラム陽性菌に対する抗菌活性を測定した。14bは、キノロン耐性MRSAやPRSP、VREに対して、市販のキノロン薬や他系統の耐性グラム陽性菌感染症治療薬を凌駕する高い抗菌活性を示した。

3.cis-フルオロ体14b(=DQ-113)の合成法改良

 cis-フルオロ体14bの工業化に向け、大量合成法の開発を行った。初期合成法は、a)-78℃にて強塩基を使用する事、b)高価なフッ素化試薬を使用する事、c)多工程(16工程)で総収率(0.6%)が低い事、等の問題を抱えており、実用的でなかった。

[Reformatsky反応を鍵工程とする改良合成法]まずReformatsky反応を鍵工程とする改良合成法を開発し、問題a)、b)を解決した。本法では、フッ素原子の導入をbromofluoroacetateを用いるReformatsky反応によって行い、cis-立体配置の構築をフルオロオレフィン誘導体への水素添加によって行った。本法によって、14工程、総収率2.1%で14bを得た。

[分子内Horner-Wadsworth-Emmons(HWE)反応を鍵工程とする改良合成法]上記改良合成法は、幾つかの問題点を解決したものの、d)2回の異性体分離工程を含む事、e)依然として多工程である事、f)キノロン母核への7位置換基導入反応が低収率である事、等の問題を抱えていた。そこで、新たに分子内HWE反応を鍵工程とする改良合成法を開発した(Scheme 4)。アミン成分15と酸成分16とを縮合し、得られたケトリン酸エステル誘導体を分子内HWE反応に処すことにより17を短工程で得た。さらに、7位置換基導入反応をN-methylpiperidine存在下75℃にて7日間行うことにより、11工程、総収率11.9%で14bを得ることに成功した。

総括

 耐性グラム陽性菌感染症に対して有効でかつ安全性の高いキノロン化合物を得るために、高い抗グラム陽性菌活性を示すと報告されているキノロン誘導体1及び2の遺伝毒性を低減する化合物をデザインし、1についてはシクロプロパン縮環誘導体を、2についてはフッ素原子導入誘導体を数種合成した。合成した誘導体はいずれも高い抗菌活性を維持し、さらに遺伝毒性の低減もしくは低減傾向を示した。特にcis-フルオロ体14b(=DQ-113)はマウス静脈内単回投与毒性試験においても高い安全性を示し、臨床分離された各種多剤耐性グラム陽性菌に対しても高い抗菌活性を示した。また、煩雑・多工程・低収率であった14bの合成法の工業化に向けた改良研究を行い、分子内HWE反応を鍵工程とする実用的な合成法を開発した。

Figure 1

Scheme 1

Scheme 2

Scheme 3

Scheme 4

審査要旨 要旨を表示する

 稲垣裕章は「耐性グラム陽性菌感染症治療薬を指向した新規キノロンカルボン酸誘導体の合成と生物活性評価に関する研究」と題し、以下の研究を行った。

1.耐性グラム陽性菌感染症治療薬を指向した新規キノロン誘導体のデザインと合成

 メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)等の多剤耐性グラム陽性菌による細菌感染症が問題となっているが、これらの治療薬として知られるバンコマイシン等の薬剤は、殺菌性の乏しさ、耐性誘導、副作用等の問題を抱えている。一方、キノロン抗菌薬は、従来グラム陰性菌に対して抗菌力が強く主に尿路感染症治療薬として用いられてきたが、殺菌的な作用メカニズムを有し、また、体内動態が良好で、高い安全性を有することから、耐性グラム陽性菌感染症治療薬として好適な資質を有していると言える。そこで、キノロン誘導体の構造変換によって、耐性グラム陽性菌感染症に対して有効でかつ安全性の高い治療薬の獲得を試みた。

 グラム陽性菌に対して高い抗菌活性を有するキノロン誘導体として、3-(aminomethyl)-pyrrolidin-l-yl基を7位に有するキノロン誘導体が知られているが、本誘導体は同時に強い遺伝毒性を示すことが知られている。稲垣は、本誘導体のうち特に抗グラム陽性菌活性が高い2つの誘導体:7-(2-amino-8-azabicyclo[4.3.0]non-8-yl)-キノロン誘導体1、及び7-[-3-(l-aminocycloprop-l-yl)pyrrolidin-l-yl】-キノロン誘導体2(Figure1)に着目し、これら誘導体の有する高い抗グラム陽性菌活性を維持しつつ遺伝毒性を低減する2系統の化合物デザインを行った。すなわち、誘導体1に関しては、その7位置換基の構造自由度が遺伝毒性発現に関与していることが考えられたため、構造自由度の制限を目的としてシクロプロパン環縮環誘導体6a-c,10a-dを、誘導体2に関しては、7位置換基上の1級アミノ基近傍へのフッ素原子の導入によって遺伝毒性が低減するという報告を参考に、フッ素原子導入誘導体14a-cをデザインした(Scheme1)。誘導体6a-cは、α,β-不飽和エステル誘導体7にS-メタニドを作用させて得られるトリシクロ誘導体4から合成した。誘導体10a-dは、ビシクロ誘導体7にジアゾメタンを作用させて得られるトリシクロ誘導体8から合成した。誘導体14a-cは、光学活性なピロリドン誘導体11のフッ素化・異性化等によって得られる12a-cから合成した。

2.構造・抗菌活性相関ならびに構造・遺伝毒性相関と有望化合物DQ-113の発見

 合成した化合物のうち6a,6c,10a,10c,14a-cは、市販のキノロン薬や他系統の耐性グラム陽性菌感染症治療薬を大きく凌駕する高い抗グラム陽性菌活性を示した。また、これらの化合物はシクロプロパン非縮環化合物やフッ素原子非導入化合物とほぼ同等の抗菌活性を示し、シクロプロパン環の縮環、ならびにフッ素原子の導入は高い抗菌活性を維持することを明らかにした。一方、高活性を示したシクロプロパン縮環化合物6a,6c,10a,10cは、マウス静脈内単回投与毒性試験においていずれも比較的強い単回投与毒性を示し、マウス末梢血小核毒性試験においてほとんどの化合物が陽性を示したものの、ヒトトポイソメラーゼII阻害試験においては6a,6c,10aがシクロプロパン非縮環化合物の1/3以下の阻害活性しか示さず、シクロプロパン環の縮環が遺伝毒性を低減する可能性があることを明らかにした。また、フッ素原子導入化合物14a-cは、マウス末梢血小核試験においていずれも陰性を示し、フッ素原子の導入が遺伝毒性を低減することを明らかにした。マウス静脈内単回投与毒性試験においては、14a>14c>14bの順で毒性が減弱し、本毒性が導入したフッ素原子の立体配置によって影響を受けることを明らかにした。

 高活性を示し、マウス静脈内単回投与毒性が弱く、遺伝毒性が低減された14b(=DQ-113)は、臨床分離されたキノロン耐性MRSAやペニシリン耐性肺炎球菌、バンコマイシン耐性腸球菌に対しても市販のキノロン薬や他系統の耐性グラム陽性菌感染症治療薬を凌駕する高い抗菌活性を示すことを明らかにした。

3.14b(=DQ-113)の実用的合成法の発見

 高コスト・煩雑・多工程(16工程)・低収率(0.6%)であった14bの初期合成法の工業化に向けた改良研究を行い、Reformatsky反応法の後に分子内Horner-Wadsworth-Emmons(HWE)反応法を見出した(Scheme 2)。すなわち、アミン成分15と酸成分16とを縮合し、得られたケトリン酸エステル誘導体を分子内HWE反応に処すことにより17を短工程で得、さらに、7位置換基導入反応をN-methylpiperidine存在下75℃にて7日間行う方法である。本法によって、高価なフッ素化剤の使用、低温下における強塩基の使用が回避されるとともに、異性体分離工程が大幅に削減され、11工程、総収率11.9%で14bが得られる実用的な合成法を確立した。

 以上の業績は、薬学分野における医薬品化学の進歩に有意に貢献するものであり、博士(薬学)の授与に値するものと考えられる。

Figure 1

Scheme 1

Scheme 2

UTokyo Repositoryリンク