学位論文要旨



No 216185
著者(漢字) 及川,寛
著者(英字)
著者(カナ) オイカワ,ヒロシ
標題(和) トゲクリガニの麻痺性貝毒成分に関する研究
標題(洋)
報告番号 216185
報告番号 乙16185
学位授与日 2005.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16185号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 阿部,宏喜
 東京大学 教授 福代,康夫
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 助教授 落合,芳博
内容要旨 要旨を表示する

 プランクトンフィーダーである二枚貝は、麻痺性貝毒(PSP: paralytic shellfish poisoning)を生産する渦鞭毛藻プランクトンを捕食して毒化するため、食品衛生上の大きな問題となっている。この麻痺性貝中毒は死亡事故にもつながるため、国内で流通する二枚貝については毒化監視の体制が整備され、一定レベルの安全性が確保されている。一方、近年、海外では麻痺性有毒プランクトンが発生した海域において二枚貝を捕食する生物が新たな毒化生物となることが報告され、タイワンガザミPortunus pelagicusやアメリカンロブスターHomarus americanusなど、食用対象となる甲殻類も含まれている。日本国内でも、麻痺性有毒プランクトンが発生する沿岸域には多数の甲殻類が生息し、漁業対象となる種もあるが、安全性については十分な検討が行われていない。

 以上のような背景の下、本研究では、麻痺性貝毒の発生した海域で二枚貝を捕食する可能性のある生物の毒化を検討した。その結果、福島県小名浜港で採取したトゲクリガニTelmessus acutidensがPSP成分の蓄積により高毒化することを見いだした。そこで、天然海域で毒化実態を明らかにするため、長期間にわたり多くのトゲクリガニを採取して毒性を調べるとともに、二枚貝のムラサキイガイMytilus galloprovincialisの毒化状況と比較し、食物連鎖による毒化現象を解析した。さらに、飼育実験により、トゲクリガニの毒化および減毒過程を定量的に把握するとともに、トゲクリガニのPSP成分組成も検討した。その成果の概要は以下の通りである。

 1.麻痺性貝毒発生海域における各種海産動物の毒化

 麻痺性有毒プランクトンが発生した海域で、潜水により各種海産動物を採取し、毒性をマウスアッセイで調べるとともに、毒化が認められた試料についてPSP成分の蓄積を調べた。その結果、1999年に福島県小名浜港で採取したトゲクリガニの肝膵臓部から80MU/gの毒性を検出した。ここで1MU(マウスユニット)とは20gのddY雄マウスを15分間で死亡させる毒力を表す。毒化の原因となった成分を明らかにするため、ポストカラム蛍光検出による高速液体クロマトグラフィー(HPLC-FLD)でPSP成分標準品と溶出時間が同じであったピークをカラムクロマトグラフィーにより精製し、エレクトロスプレーイオン化法によるマススペクトロメトリー(ESI-MS)を行った。その結果、マススペクトルの特徴からサキシトキシン(STX)の誘導体であるゴニオトキシン(GTX)1、GTX2、GTX3、GTX4、C(N-sulfocarbamoyl-11-hydroxysulfate toxin)1およびC2の6種のPSP成分を確認した。また、微量のためESI-MSによる確認はできなかったがHPLC-FLD分析ではSTXも確認された。このトゲクリガニのPSP成分組成を、同じ海域で採取したムラサキイガイのそれと比較した結果、両者はともにGTX1、GTX2、GTX3およびGTX4のGTX群を主要な成分としたが、トゲクリガニではN1位が-OHであるGTX1およびGTX4成分(GTX1+4)に比べ、N1位が-HであるGTX2およびGTX3成分(GTX2+3)が多く、STXが検出されるなど、ムラサキイガイの成分組成と違いも認められた。また、麻痺性有毒プランクトンの発生が小規模であった2000年は、ムラサキイガイとトゲクリガニはともにPSP成分の蓄積量が少なく、両者の毒化に関連性があることが推測された。トゲクリガニのほかに、食用対象となるイシガニCharybdis japonicaについても小名浜港と広島県大野浦で調査を行った。その結果、小名浜港のイシガニ肝膵臓部から微量のPSP成分を検出し、大野浦で調べた17試料のうち3試料からも2.9〜4.0MU/gの毒性を検出した。これらのことから、麻痺性有毒プランクトン発生海域では、二枚貝だけでなくトゲクリガニやイシガニなどの甲殻類、とくにトゲクリガニの毒化実態を早急に明らかにする必要があると考えられた。

2.小名浜港におけるトゲクリガニの毒化実態

 トゲクリガニの毒化実態を明らかにするため、小名浜港において、かご網で長期にわたり、多数のトゲクリガニを採取し毒性を調べ、ムラサキイガイの毒化状況と比較した。まず、ムラサキイガイの最大毒性値が21.5MU/gであった2001年には、採取したトゲクリガニの74%に毒性が認められた。一方、ムラサキイガイの毒性値が4MU/g以下で推移した2002年は、トゲクリガニ38試料のうち3試料(7.9%)から同様に低い毒性が検出された。さらに、麻痺性有毒プランクトンが大規模に発生し、ムラサキイガイが50MU/g以上に高毒化した2003年には、ムラサキイガイの毒化後に採取したトゲクリガニのほぼ90%に毒性が検出され、最大毒性値も85.3MU/gと記録された。2003年のトゲクリガニの一部試料については、毒性の組織分布も調べた。その結果、肝膵臓部の毒性が高い試料の一部で胸部筋肉に僅かに毒性が認められたが、付属肢筋肉には認められず、PSP成分は肝膵臓部にほぼ偏在することが明らかとなった。以上のように、小名浜港ではムラサキイガイの毒化レベルが高い年にはトゲクリガニの有毒個体の割合が高く、高毒化個体も認められるなど、トゲクリガニの毒化はムラサキイガイのそれと同調した。また、試料採取で潜水した際には、トゲグリガニがムラサキイガイを捕食することも観察されており、以上の結果はトゲクリガニの毒化が、麻痺性有毒プランクトンの生産するPSP成分を起源とした食物連鎖によることを示唆する。

 次に、2003年のトゲクリガニおよびムラサキイガイにつき、HPLC-FLDによりPSP成分組成を調べた。トゲクリガニのPSP成分組成は、ムラサキイガイのそれに比較してGTX1+4は低く、GTX2+3は高い傾向にあり、 STXやneoSTXなどのSTX群もトゲクリガニでその割合が高かった。GTX2+3はGTX1+4が還元作用を受けて生成する成分で、STXもGTX2+3からのO-sulfateの還元的な離脱により生じる成分である。したがって、これらの結果は、トゲクリガニ体内でPSP成分が還元的に変換されていることを示唆する。

 以上のように、トゲクリガニの天然海域における毒化実態が明らかにされたが、これらの結果からはトゲグリガニのPSP成分の蓄積過程や減毒過程を定量的に検討できなかった。一方、PSP成分組成の変化についても直接的な検証が必要と考えられ、これらについては毒化餌料を用いた飼育実験でさらに検討することとした。

3.給餌飼育によるトゲクリガニの麻痺性貝毒成分の蓄積および排出

 市場で購入後1ヶ月以上馴致飼育し、一部の個体の無毒をマウスアッセイで確認したトゲクリガニに対し、毒化ムラサキイガイを一定条件下で給餌し、トゲクリガニの毒化過程を定量的に検討するとともに、毒化させたトゲクリガニに無毒のムラサキイガイを与えるか、あるいは無給餌で飼育し、その減毒過程を調べた。まず、トゲクリガニが蓄積した総毒量は、毒化餌料の摂取量に比例して高くなり、両者は高い相関を示した。また、20日間の給餌により単位重量当たりのトゲクリガニ肝膵臓の毒量も餌料ムラサキイガイの3.2倍となり、トゲクリガニはムラサキイガイの摂食により毒化することが直接的に示された。また、トゲクリガニは摂取した毒量の3割以上を蓄積したことから、二枚貝の毒化した海域では、トゲクリガニも毒化の危険性が高い種であることが明らかとなった。一方、減毒試験では、トゲクリガニの総毒量は減毒開始した後の5日間で半減し、20日後には当初の2割以下となった。このように、トゲクリガニの毒性は、初期に大きく低下し、その後も緩慢ながら低下傾向をたどり、既報の二枚貝の減毒過程と共通する特徴をもつことが明らかにされた。また、トゲクリガニのPSP成分組成は、餌料ムラサキイガイに比べてGTX2+3の割合が高く、STXも検出された。さらに、これらの成分の割合は、毒化餌料を給餌して毒化過程にあるものより、減毒過程のものでさらに高くなった。このようなPSP成分組成の変化は、天然海域のムラサキイガイの毒性が低下する過程でトゲクリガニに認められたPSP成分組成の変化と共通しており、食物連鎖によりトゲクリガニに蓄積されたPSP成分が還元的な変換を受けていることを裏付けた。なお、このようなPSP成分の還元的変換は麻痺性有毒プランクトンからPSP成分を蓄積する二枚貝体内でも生じるとされている。以上のトゲクリガニについての成果を受け、厚生労働省は2004年、二枚貝を捕食する生物の麻痺性貝毒による規制値を設定するとともに、二枚貝を捕食する生物の毒化について積極的な調査を行うよう関係機関に通知した。

 以上、本研究により、麻痺性有毒プランクトンの発生海域では、トゲクリガニが食物連鎖を介してPSP成分を肝膵臓部に蓄積し、高毒化することが示された。また、毒化および減毒過程の検討から、トゲグリガニについて、食品としての安全性を確保するためには少なくとも二枚貝と同様な監視体制が必要であることが明らかとなった。さらに、トゲクリガニ体内ではPSP成分は還元的な作用を受けることが示唆されるなど、食物連鎖におけるPSP成分の動態の一端が示された。本研究を契機に、今後は国内においても二枚貝を捕食する生物の安全性についてさらに検討が進むものと考えられ、本研究の成果は、食品衛生学上に資するところが大きいと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 麻痺性貝毒(PSP)を生産する有毒渦鞭毛藻プランクトンの捕食により二枚貝類が毒化することは知られているが、近年、海外では麻痺性有毒プランクトンが発生した海域で二枚貝類を捕食する生物が新たな毒化生物として報告されている。しかし、国内では二枚貝類を中心にモニタリングされており、二枚貝を捕食する生物については十分に検討されていない。以上の背景から、本研究では、二枚貝類を捕食する生物の毒化を調べ、そのなかで高毒化が確認されたトゲクリガニTelmessus acutidensについて天然海域での毒化実態を明らかにするとともに、飼育実験により毒化および減毒過程を定量的に検討した。その成果の概要は以下の通りである。

 第1章で、1999〜2000年に福島県小名浜港で潜水により各種魚介類を採取し、マウスアッセイにより毒性を調べたところ、肉食傾向が高いトゲクリガニの肝膵臓部から80.0MU/gの毒性を検出した。さらに、トゲクリガニ試料を、ポストカラム蛍光検出による高速液体クロマトグラフィー(HPLC-FLD)ならびにエレクトロスプレーイオン化法によるマススペクトロメトリー(ESI-MS)で分析したところ、PSP成分であるゴニオトキシン(GTX)1、GTX2、GTX3、GTX4、C(N-sulfocarbamoyl-11-hydroxysulfate toxin)1、C2およびSTXが検出され、毒化がPSP成分の蓄積によることを確認した。また、トゲクリガニと生息域が近いイシガニCharybdis japonicaについても、高毒化したものはなかったがトゲクリガニと同じく肝膵臓部からPSP成分を検出した。

 第2章では、麻痺性有毒プランクトンが発生した2001〜2004年の小名浜港で、かご網を用いて継続的にトゲクリガニを採取してマウスアッセイにより毒性を調べ、ムラサキイガイの毒化状況と比較した。その結果、トゲクリガニの毒化がムラサキイガイのそれと同調することが示され、トゲクリガニの毒化は、麻痺性有毒プランクトンの生産するPSP成分を起源とした食物連鎖によることが示唆された。また、PSP成分は肝膵臓部にほぼ偏在することを明らかにした。さらに、トゲクリガニのPSP成分組成をHPLC-FLD分析で調べたところ、ムラサキイガイに比較して、GTX1およびGTX4(GTX1+4)の割合が低く、GTX2およびGTX3(GTX2+3)、ならびにSTXはその割合が高い傾向にあった。GTX2+3はGTX1+4のN1位が還元された成分であり、STXもGTX2+3からO-sulfateが還元的に脱離すると生成することから、トゲクリガニ体内でのPSP成分の還元的変換が示唆された。

 第3章では、毒化過程において、トゲクリガニが蓄積した総毒量は、毒化餌料の摂取量に比例して高くなり、両者は高い相関を示した。この間、トゲクリガニは摂食したムラサキイガイの毒量の3割以上を蓄積し、20日間給餌したトゲクリガニ肝膵臓では単位重量当たりの毒量が餌料ムラサキイガイの3.2倍となった。一方、減毒過程においては、トゲクリガニの総毒量は減毒開始後の5日間で半減し、20日後には当初の2割以下となった。したがって、トゲクリガニの減毒過程は、初期に毒性が大きく低下し、その後は緩やかな毒性の低下が続くと考えられ、既報の二枚貝の減毒過程と共通する特徴をもつことが明らかになった。また、飼育実験を行ったトゲクリガニのPSP成分組成は、餌料ムラサキイガイに比べてGTX1+4の割合は低下するが、GTX2+3の割合は増加し、ムラサキイガイには検出されなかったSTXも検出された。餌料としたムラサキイガイとトゲクリガニを直接比較した飼育実験の結果において、このようなPSP成分組成の変化が認められたことは、食物連鎖によりトゲクリガニに蓄積されたPSP成分が還元的な変換を受けることを裏付ける結果と考えられた。

 以上、本研究により、トゲクリガニが食物連鎖を介してPSP成分を肝膵臓部に蓄積し、高毒化することが示された。また、トゲクリガニについては、食品としての安全性を確保するためには少なくとも二枚貝と同様な監視体制が必要であることが明らかとなった。さらに、トゲクリガニ体内ではPSP成分は還元的な作用を受けることが示唆されるなど、食物連鎖におけるPSP成分の動態の一端が示されたもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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