学位論文要旨



No 216186
著者(漢字) 野口,泰志
著者(英字)
著者(カナ) ノグチ,ヤスシ
標題(和) 好気性培養における31P NMRを用いた細胞内代謝物の非破壊測定に関する研究
標題(洋)
報告番号 216186
報告番号 乙16186
学位授与日 2005.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第16186号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 徳田,元
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 堀之内,末治
 東京大学 助教授 宮脇,長人
内容要旨 要旨を表示する

 微生物反応による物質生産プロセスの最適化工程において,菌体量,pH,温度,基質濃度及び,溶存酸素濃度といった培養環境の設定は極めて重要な問題である.なかでも,酸素は,好気的な微生物代謝の方向性を質的にも量的にも支配している.例えば,アミノ酸発酵に代表される好気性反応において酸素供給不足の与える影響は,酢酸や,乳酸といった有機酸などの副生物をあたえるであろう.また,ある種の微生物反応においては,溶存酸素の過剰供給によっても,生産物の減少が報告されている.

 In vivo NMR法は,細胞内の代謝情報を得るのに極めて有効な手段であり,大腸菌,酵母,生体組織等の種々の分野で測定されている.その長所として,非破壊で,連続的に細胞内のダイナミックな代謝活動の変化をとらえられることが挙げられる.とりわけ,31P NMR測定法は,in vitroでは測定の難しい,ATPに代表される高エネルギーリン酸化合物や,菌体内pHといった好気的な代謝反応において極めて重要な細胞内エネルギー状態に関する情報を取得することが可能であり,溶存酸素濃度や,酸化還元電位といった培養環境の与える影響を明らかにする際に,大きな可能性を秘めている.しかしながら,従来,その測定は,NMR装置自体の物理的な制約もあり,主として試験管内に懸濁された静止菌体を対象として実験が行われており,実際の物質生産プロセスにおける菌体自体や,培養条件の課題を解決することは困難であった.従って,本手法を用いた培養条件の最適化を行うためには,実用培養系を対象としたin vivo NMR測定を実現すること,即ち,測定対象となる菌体を前提となる条件下で培養することにより,その代謝活動を維持できるようなバイオリアクターの構築が必須であった.

1.31P NMRを用いた細胞内代謝物の非破壊測定を目的とした,外部還流型バイオリアクターの構築

 本研究では,上記前提に基づき,先ず,NMR管と独立した培養制御機構をNMR装置外部に有し,且つ,測定対象となるNMR管内の溶存酸素濃度を適切に制御できような新規バイオリアクターを構築した(図1).本培養装置の特徴として,NMR試料管と並列に溶存酸素濃度センサーを装備した溶存酸素モニター管を循環路におくことで,実際のNMR測定の対象となる,NMR試料管内の培養環境を適切にモニター可能であることが挙げられる.本培養装置を用いて,大腸菌野生株の31P NMRスペクトルを取得したところ,NMR試料管内にセンサーを装備し,直接空気を供給していた従来型の培養装置に比して,S/N及び分解能の顕著な改善がみられることがわかった(図2).

2.Escherichia coliの細胞内ATP濃度の溶存酸素濃度に対する依存性の検証

E.coli野生株を用いて,溶存酸素濃度の与える細胞内エネルギー状態への影響を検証したところ,本装置を用いることで,増殖期から定常期に至る細胞内ATP,ADP及び,細胞内pHの変動を観察することが可能であることがわかり,構築したバイオリアクターは長時間または,複雑な制御をともなう反応プロセスの解析に対しても,充分に適用可能であることがわかった.

3.Corynebacterium ammoniagnes由来のxanthisine-5'-monophospahte生産株の細胞内エネルギー代謝の解析

 実際の微生物による物質生産の例として,C.ammoniagnes ATCC6872由来のXMP生産株における細胞内エネルギー状態の与えるヌクレオチド生産に対する影響を31P NMR測定法を用いて検証した.その結果,顕著な菌体内ATP濃度及び,ATP/ADP比の低下がXMP生産期特有の現象として生じること,さらに,このATP/ADP比の低下がグルタミン酸を培地中に添加することで改善することが明らかとなった.同時に,このグルタミン酸を添加によって,XMP生産量の増加及び,hypoxanthine副生量の低減を誘導することもわかった.

4.Saturation transfer法を用いたEscherichia coliのATP生成効率の測定

 In vivo 31P NMR測定法による細胞内代謝の速度論的な検証すべく,好気条件下の大腸菌野生株の酸化的リン酸化によるATP生成収率(P/O比)をsaturation transfer法(以下ST法)によって推定を行った.その結果,グルコース消費速度を制限しない標準条件及び制限条件と,異なる糖消費速度条件下において,それぞれ,P/O比は1.4±0.3及び1.5±0.1と推定され,好気条件にも関わらず,何れのケースにおいても,理論最大値(P/O比=2.3)を大きく下回るものとなった.また,ST実験下における呼吸鎖酵素群の酵素活性を測定した結果,プロトン輸送効率の高いNADH:ubiquinone oxidoreductaseであるNDH-1は,総NADH酸化活性の約60%程度を占めるに留まり,さらにbo型ユビキノール酸化酵素に至っては,総ユビキノール酸化活性の40%以下であることが分かり,P/O比の推定を支持するものとなった.本結果は,好気条件下においても菌体増殖が定常期への移行に伴い,効率の低い一連の呼吸鎖酵素群の活性が増加することに起因しているものと推定された.従って,bo型ユビキノール酸化酵素活性の高発現または,bd型酸化酵素の欠損株の利用は,大腸菌を利用した物質生産工程における生成収率の向上に大きな手段となり得るものと思われた.

 以上の結果より,本研究で報告した外部還流型の培養装置を駆使することで,細胞内代謝物を測定できるのみだけではなく,速度論的な解析も可能となり,微生物の好気呼吸システム全般を解析するに有力な手段となり得ることがわかった.また,本手法により,微生物による物質生産工程の最適化や,代謝律速点の解析等の機構研究にも利用できるがわかった.

図1 新規設計した外部循環型バイオリアクターの構成

(a) ベッセル本体及び,外部試料管の外部還流路における配置

(b) Tube A(DOTモニター管)とtube B(NMR測定管)の構成

図2 菌体懸濁液と,外部還流型バイオリアクターを用いた増殖時の大腸菌の31P NMRスペクトルの比較.

菌体懸濁液(Takesadaら2000 J.Biotechnol.)の31P NMRスペクトル(a),外部還流型バイオリアクターによる代表的な31P NMRスペクトル(b,c) (b)嫌気条件,(c)好気条件.図中の略語は,methylene-diphosphonic acid(MDP),6PG(6-phosphoglycerate),G6P(glucose-6-phosphate),FDP(fructose-diphosphate),F6P(fructose-6-phosphate),intracellular inorganic phosphate(Piin),extracellular inorganic phosphate(Piex),phosphodiester(PDE),uridine dipohsphate hexose(UDP-glucose)及び,ATP α-,β-及びγ-phosphate.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は好気性条件下における微生物反応を対象としたin vivo 31P NMR測定について、1)in vivo 31P NMR測定に最適化した新規バイオリアクターの開発、2)開発した測定装置を用いたEscherichia coli野生株における細胞内ATP濃度の溶存酸素濃度依存性の検証、3)同測定装置を用いたCorynebacterium ammoniagenes由来のxanthosine-5'-monophosphate生産株のエネルギー代謝の解析、4)同測定装置において31P NMR saturation transfer法を適用することでE.coli野生株のATP生成効率の測定を行ったもので、4章からなる。

 第一章では、31P NMRに最適化したバイオリアクターの構築について述べている。従来、NMR装置自体の物理的な制約もあり、主として試料管内に懸濁された静止菌体を対象として測定が行われており、長時間且つ複雑な反応制御を伴う実生産プロセスに対する解析は行われていなかった。本研究では、従来の問題点を解決すべく、NMR試料管とは独立にNMR装置外部に培養制御機構を設置した外部環流型のバイオリアクターを開発した。環流型バイオリアクターの課題として、循環路における各区画間の溶存酸素濃度の維持が挙げられる。これに対して溶存酸素濃度センサーを装備した試料管を外部循環路にNMR試料管と並列配置することで、実際の測定対象となるNMR試料管内の培養環境を間接的にモニターし且つ、制御できるように工夫した。本培養装置を用いて、大腸菌E.coliの31P NMRスペクトルを取得したところ、従来型の培養装置に比して、顕著なS/N及び分解能の改善がみられることがわかった。

 第二章では、E.coliにおける細胞内ATP濃度の溶存酸素濃度依存性について検証している。増殖期のE.coli野生株に対して好気条件から嫌気条件に至るまで、様々な溶存酸素濃度条件下で連続的に31P NMR測定を行った。その結果、好気条件から嫌気条件にシフトすると、顕著な菌体内ATP濃度の低下及び、解糖系の糖リン酸化合物の増加を確認した。このとき、細胞内pHは若干低下(7.45→7.32)することがわかった。これらの結果は、酸化的リン酸化反応の急激な低下、さらには嫌気的発酵への菌体内の代謝状態の移行を表しているものと推察された。以上の結果より、構築したin vivo 31P NMR測定装置により、溶存酸素濃度の与える菌体内代謝物の動的な変化を連続的に解析できることを確認した。

 第三章では、実生産プロセスの解析例として、C.ammoniagenes ATCC6872由来のxanthosine-5'-monophosphate(以下XMP)生産株における31P NMR測定結果について述べている。XMPに代表されるヌクレオチド生合成は、その過程で多量のATPの消費を伴う。実際、31P NMR測定によって、顕著な菌体内ATP濃度及び、ATP/ADP比の低下がXMP生産期特有の現象として生じることを確認した。加えて、このATP/ADP比の低下がグルタミン酸を培地中に添加することで改善し、このときXMP生産収率の増加及び、本反応の主要な副生産物であるhypoxanthine量が低下することを明らかにした。このXMP生産量の増加については、XMP生合成酵素であるIMP dehydorogenaseが菌体内ATP量に依存して活性化されることが報告されており、グルタミン酸添加効果の実体は、菌体内ATP量の確保のために必要なTCA回路の基質源として機能していることが推察された。

 第四章では31P NMR saturation transfer法を用いたE.coli野生株のATP生成効率の推定について述べている。In vivo 31P NMR測定法による細胞内代謝の速度論的な検証すべく、好気条件下の大腸菌野生株の酸化的リン酸化によるATP生成収率(P/O比)をsaturation transfer法(以下ST法)によって測定を行った。その結果、グルコース消費速度を制限しない標準条件及び制限条件と、異なる糖消費速度条件下において、それぞれ、P/O比は1.4±0.3及び1.5±0.1と推定され、好気条件にも関わらず、何れのケースにおいても、理論最大値(P/O比=2.3)を大きく下回るものとなった。またST実験下における呼吸鎖酵素群の酵素活性を測定した結果、プロトン輸送効率の高いNADH:ubiquinone oxidoreductaseであるNDH-1は、総NADH酸化活性の約60%程度を占めるに留まり、さらにbo型ユビキノール酸化酵素に至っては、総ユビキノール酸化活性の40%以下であることが分かり、P/O比の推定結果を支持するものとなった。本現象は、好気条件下においても菌体増殖が定常期への移行に伴い、効率の低い呼吸鎖酵素群の活性が増加することに起因しているものと推定された。従って、bo型ユビキノール酸化酵素活性の高発現または、bd型酸化酵素の欠損株の利用は、E.coliを利用した物質生産工程における生成収率の向上に大きな手段となり得るものと思われた。

以上本論文は、好気性条件下における微生物反応を対象としたin vivo 31P NMR測定について、最適化した新規バイオリアクターの開発とそれを実際の微生物に応用した結果を述べたものであり、学術上、応用上貢献することが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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