学位論文要旨



No 216189
著者(漢字) 加藤,淳彦
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,アツヒコ
標題(和) Parathyroid hormone related peptide(PTHrP)およびその受容体によるラット切歯象牙芽細胞の分化および修復過程の調節
標題(洋)
報告番号 216189
報告番号 乙16189
学位授与日 2005.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第16189号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 土井,邦雄
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 九郎丸,正道
 東京大学 助教授 中山,裕之
内容要旨 要旨を表示する

 悪性腫瘍に伴う高カルシウム血症(humoral hypercalcemia of malignancy:HHM)の原因物質として同定された副甲状腺ホルモン関連ペプチド(Parathyroid Hormone-related peptide:PTHrP)は,その受容体であるPTH/PTHrP受容体1(PTHR1)とともにげっ歯類胎児・新生児の歯牙構成細胞に発現する。このPTHrP/PTHR1軸の機能に関する検討は,同蛋白の遺伝子改変マウスの成長板軟骨細胞層を対象に進展したが,こうした遺伝子改変動物は出生直後に死亡もしくは成長障害を示すため,出生後に完成するげっ歯類の歯牙におけるPTHrP/PTHR1軸の機能については未だ不明な点が多い。本研究はこの点を解明する目的で実施した。得られた成果は下記の通りである。

 1.正常成熟ラット歯牙構成細胞の分化過程におけるPTHrPおよびPTHR1の発現

 正常成熟ラットの切歯構成細胞におけるPTHrPおよびPTHR1の発現について検討した。

 その結果,エナメルおよびセメント芽細胞でPTHrPおよびPTHR1の発現が見られ,象牙芽細胞では,未分化間葉系細胞から円柱状象牙芽細胞で両者の共発現が,また高円柱状象牙芽細胞でPTHR1の発現減弱によるPTHrPのみの単独発現が認められた後,後象牙芽細胞で両者ともに消失した。このように,象牙芽細胞の時間的・空間的な移動を伴う分化過程において両蛋白の一過性の発現が認められた。同様の現象は成長板軟骨層でも報告されており,PTHrP/PTHR1のこうした発現様式が軟骨細胞の分化調節に寄与することが知られている。以上の結果から,正常成熟ラットの切歯象牙芽細胞でも,両蛋白がその分化調節に関与する可能性が示唆された。

 2.高PTHrP血症に伴う癌性高カルシウム血症(HHM)モデルラットに見られる歯牙病変

 正常成熟ラット象牙芽細胞では,PTHrPおよびPTHR1が一過性に発現することから,これらの蛋白が象牙芽細胞の分化過程で何らかの機能を果たしている可能性が示唆された。この点を検討するため,切歯破切を特徴とするHHMモデルラット(PTHrP産生腫瘍移植ヌードラット:移植12週後)の切歯のHE染色標本を,対象動物およびPTHrP中和抗体投与動物のそれと比較・検討した。

 その結果,HHMモデルラットの切歯に肉眼的な破切が認められた。病理組織学的には,象牙芽細胞の変化を伴わない過石灰化象牙質ならびに象牙芽細胞の変化を伴う象牙質のひ薄化およびDentin nicheが認められた。このうち,過石灰化象牙質は,過去の報告にある高Ca血症に伴う切歯の変化と同様の組織像および分布を示すことから,本モデルの高Ca血症に起因するものと考えられた。これに対し,象牙芽細胞の変化を伴う象牙質の病変は限られた領域に局在することから,何らかの局所因子の関与が推察され,本病変がPTHrP中和抗体投与により阻止されたことから,この局所因子の候補としてPTHrPが考えられた。象牙質のひ薄化に関しては,高円柱状象牙芽細胞の丈の減少を伴っており,同細胞の蛋白分泌能の低下が象牙質のひ薄化を招いたものと考えられた。さらにこの変化が破切部に到達することから,本病変が切歯破切を惹起した可能性が高いものと考えられた。一方,Dentin nicheは,細胞障害物質投与時の象牙芽細胞の修復性変化と組織像および分布が酷似していた。しかし,これまでにPTHrPの細胞障害性を指摘した報告は無く,HHMモデルラットの切歯の病変部周辺にも細胞障害性変化は認められなかった。加えて,他臓器ではその修復過程にPTHrP/PTHR1が関与することを示す報告があることから,本モデルで観察されたDentin nicheは,高PTHrP血症が,細胞障害を伴うことなく,修復機構のみを稼動させた可能性が考えられた。

 3.HHMモデルラットに見られる象牙芽細胞病変の経時的推移

 HHMモデルにおける切歯病変を腫瘍移植2,5,8および10週後の時点で観察し,その経時的推移を検討した。

 その結果,血中CaおよびPTHrPの濃度上昇が腫瘍移植5週後で,切歯破切が腫瘍移植7週後で全例の全切歯の特定部に認められた。病理組織学的には,各剖検時点で腫瘍移植12週後に認められたのと同一の象牙質・象牙芽細胞病変が観察された。

 過石灰化象牙質は,腫瘍移植5週後以降に全例で認められ,上記の血中Ca濃度の上昇時期と対応していた。高円柱状象牙芽細胞丈の減少を伴う象牙質のひ薄化は腫瘍移植5週後以降に見られ,破切以前には破切好発部には存在せず,破切後には全例で病変が同部に到達していたことから,本病変が破切の原因であると結論された。さらに,象牙質のひ薄化を惹起した象牙芽細胞丈の減少は,円柱状から高円柱状象牙芽細胞への分化の開始領域から始まり,分化の方向へと拡大していくことが明らかになった。こうした分布が,他組織あるいは胎児象牙芽細胞で報告されているPTHrP/PTHR1軸への信号の入力に伴う分化の遅延と一致することから,成熟ラットの象牙芽細胞におけるこうした変化の本態は高円柱状象牙芽細胞への分化の遅延であると結論された。さらに,この病変部は,正常成熟ラットでPTHR1の発現が減弱している領域に一致していた。以上から,正常成熟ラットにおけるPTHR1の発現の減弱とHHMラットにおける円柱状から高円柱状象牙芽細胞への分化の遅延を関連づけて考察すると,HHMモデルラットの同部でのPTHrPあるいはPTHR1の発現に正常成熟ラットのそれと異なった変化が起こっている可能性が示唆された。

 Dentin nicheに関しては,移植10週後の時点で認められることから,その病変の形成に長期間にわたる高PTHrP血症が必要であり,この意味でPTHrPの組織修復機能が特異的に稼動したものと解釈された。以上の結果から,本モデルに見られるDentin niche構成細胞に加え,細胞障害性物質投与後に見られる同病変でもPTHrPおよびPTHR1が発現し,何らかの機能を果たしている可能性が考えられた。

 4.HHMモデルラットに見られる象牙芽細胞病変とPTHrPおよびPTHR1の発現との関係

 HHMモデルラットに見られる象牙芽細胞の分化の遅延部と正常成熟ラットにおけるPTHR1の発現減弱部が一致することから,HHMモデルラットの同領域ではPTHrPあるいはPTHR1の発現が変化している可能性が考えられた。そこで,対照群に加え,HHM群(移植8週後)および中和抗体投与群で,切歯構成細胞におけるPTHrPおよびPTHR1の発現を検索した。

 その結果,対照群ではPTHR1の発現の減弱が高円柱状象牙芽細胞で見られるが,HHM群では同細胞でPTHR1の発現の持続と細胞丈の減少が認められた。その他の領域には群間に差は見られず,抗体群での発現は対照群のそれと同一であった。

 上記の知見に過去の報告を加味すると,HHMモデルラットで生じた象牙芽細胞の分化の遅延は,高PTHrP血症によるPTHR1の発現の持続と,これに伴うPTHrP/PTHR1軸への持続的な信号の入力により,象牙芽細胞の高円柱化が抑制されたものと解釈された。逆に,正常成熟ラットにおけるPTHR1の発現の減弱は,PTHrP/PTHR1軸への信号入力を減衰させ,これが持続的な高円柱化を支持する仕組みとして働いているものと考えられた。さらに,HHMモデルラットでは分化の遅延が象牙質のひ薄化を招き,最終的に切歯が破切することから,正常成熟ラットにおけるPTHR1の発現の減弱と象牙芽細胞の高円柱化は,切歯の力学的強度の維持のための仕組みであると考えられた。

 なお,HHM群の1例に見られたDentin niche構成細胞は,PTHrPおよびPTHR1の両者を発現していたことから,少なくとも同病変の形成にPTHrP/PTHR1軸が関与する可能性が示唆された。

 5.細胞障害性物質投与後に見られる象牙芽細胞修復性変化とPTHrPおよびPTHR1の発現との関係

 細胞障害性物質によって誘発されたDentin nicheの形成過程におけるPTHrPおよびPTHR1の発現を検討するため,Actinomycin Dを単回投与し,1,3および7日後に病変構成細胞における両蛋白の発現を免疫組織化学的に検索した。

 その結果,投与1日後には,細胞残渣を処理するマクロファージに両蛋白の陽性反応が認められ,投与3日後以降のDentin nicheの形成過程では,その構成細胞に両蛋白の高発現が観察されたことから,象牙芽細胞の修復性過程にも,他組織と同様,PTHrP/PTHR1の関与が示唆された。

 以上の成績から,PTHrP/PTHR1軸は正常成熟ラットの象牙芽細胞の分化過程において,円柱状から高円柱状象牙芽細胞への分化を調節することが明らかとなった。この調節の特徴はPTHR1の発現の減弱であり,これによるPTHrP/PTHR1軸への信号入力の減衰が高円柱状化という局所的な変化を支持する仕組みであると考えられ,さらに,この仕組みは,正常成熟ラットで象牙質分泌の亢進とそれに伴う切歯の力学的強度の維持に寄与しているものと考えられた。一方,象牙芽細胞の修復過程でも,その過程に出現する細胞にPTHrPおよびPTHR1の発現が確認されたことから,他組織で言われているのと同様に,PTHrP/PTHR1は,象牙芽細胞の修復過程にも,何らかの役割を果たしているものと考えられた。

 以上,本研究で得られた知見から,PTHrP/PTHR1軸は,正常成熟ラットの象牙芽細胞の分化および修復過程を調節していることが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では,成熟ラット象牙芽細胞の正常分化および修復過程におけるParathyroid hormone-related peptide(PTHrP)とその受容体(PTH/PTHrP受容体1:PTHR1)の役割を検討した。

 まず,正常成熟ラットの切歯構成細胞におけるPTHrPとPTHR1の発現を検討した結果,象牙芽細胞の分化過程に一過性に発現することが示された。軟骨細胞における一過性発現は,分化調節に寄与することが知られることから,象牙芽細胞の両蛋白の一過性発現も分化調節に関与する可能性が示唆された。

 次に,PTHrP産生悪性腫瘍による高Ca血症(humoral hypercalcemia of malignancy:HHM)のモデルラットを用い,切歯病変の病態把握を行った。その結果,PTHrP産生腫瘍移植12週後に,過石灰化象牙質,象牙質のひ薄化およびDentin nicheが認められ,過石灰化象牙質は,高Ca血症に随伴する病変であることから,同モデルのCa上昇が原因と考えられた。一方,象牙質のひ薄化およびDentin nicheは,限定した分化段階の象牙芽細胞のみに生ずることから,局所因子として機能するPTHrP/PTHR1軸が関与する可能性が考えられた。この内,象牙質のひ薄化は,同部で細胞丈を減少した高円柱状象牙芽細胞の蛋白分泌低下が背景にあり,本モデルの切歯破折の原因であると考えられた。しかし本病変の本態に関しては,本モデルの高PTHrP血症が高円柱状象牙芽細胞の丈を萎縮させた可能性と,円柱状から高円柱状象牙芽細胞への分化が遅延した可能性が考えられた。Dentin nicheは,象牙芽細胞障害時の修復性変化として知られるが,PTHrPが細胞障害性を持つとの報告は無く,他組織では修復過程に関与するとされている。以上から本病変は,高PTHrP血症による,細胞障害を伴わない象牙芽細胞修復機構の特異的稼動と考えられたが,同病変形成に先立つ細胞障害の有無を確認する必要があるものと考えられた。

 上記を受け,HHMモデルの切歯病変を経時的に観察した。その結果,高円柱状象牙芽細胞丈の減少は腫瘍移植5週後に円柱状から高円柱状に象牙芽細胞が分化する部位で初発し,8週以降全高円柱状象牙芽細胞に及ぶこと,また8および10週で象牙質のひ薄化を伴うことが示された。この病変分布の推移と,他組織で既報告のPTHrP/PTHR1軸への過剰刺激が分化遅延を惹起するとの事実から,本病態は,円柱状から高円柱状象牙芽細胞への分化遅延であると結論した。さらに同病変部は,正常成熟ラットでのPTHR1発現減弱部に一致した事から,HHMモデルでは,これらの蛋白発現が変化している可能性が示唆された。これを免疫組織染色により検討した結果,HHMモデルの高円柱状象牙芽細胞は,通常では発現が減弱するPTHR1を持続発現していた。以上と過去の報告を加味すると,HHMモデルで生じた円柱状から高円柱状象牙芽細胞への分化遅延は,高PTHrP血症によりPTHR1が持続発現し,PTHrP/PTHR1軸へ信号入力が継続したことによるものと解釈された。翻って正常成熟ラットの高円柱状象牙芽細胞におけるPTHR1発現減弱は,PTHrP/PTHR1軸への信号入力を減少させ,これが特殊化(高円柱化)を支持する仕組みであると考えられた。さらに,HHMモデルでの分化遅延が,象牙質をひ薄化させ,切歯を破折させたことを考えると,正常象牙芽細胞が持つ上記の仕組みは,象牙質分泌の亢進とその肥厚により,切歯の力学的強度の維持に寄与しているものと考えられた。

 経時的なHHMモデルの観察により,Dentin nicheは病態推移の後期に,先立つ細胞障害を伴わず発生することが示されたことから,その本態は,長期間の高PTHrP血症による修復機構の特発的稼動と推察された。しかし,細胞障害性物質誘発性の本来の修復変化において,PTHrPとPTHR1の発現は未検討であることから,誘発物質としてActinomycin Dを用い,誘発過程でのPTHrPとPTHR1発現を検討した。その結果,誘発3日後以降に出現するDentin niche構成細胞に両蛋白の強発現がみられ,象牙芽細胞修復性過程にPTHrP/PTHR1軸の関与が示めされた。

 以上の成績から,PTHrP/PTHR1軸は正常成熟ラットの象牙芽細胞の分化過程において,円柱状から高円柱状象牙芽細胞への分化を調節し,切歯の力学的強度の維持に寄与するものと考えられた。また,象牙芽細胞の修復変化を構成する細胞に両蛋白の強発現が示され,他組織と同様にPTHrP/PTHR1軸は,象牙芽細胞の修復過程に関与すると考えられた。

 本研究の成果は,げっ歯類の切歯発育機序を解明する上で、またPTHrP血症における病態発現機序を考える上で極めて重要な知見である。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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