学位論文要旨



No 216193
著者(漢字) 横山,潤
著者(英字)
著者(カナ) ヨコヤマ,ジュン
標題(和) 小笠原諸島のイチジク属 : イチジクコバチ類送粉共生系における共種分化過程の解析
標題(洋) Analyses of cospeciation process of fig/fig-wasp pollination mutualistic systems in the Ogasawara Islahds
報告番号 216193
報告番号 乙16193
学位授与日 2005.03.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第16193号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,雅啓
 東京大学 教授 田嶋,文生
 東京大学 教授 邑田,仁
 東京大学 助教授 野崎,久義
 東京大学 助教授 藤田,敏彦
内容要旨 要旨を表示する

 被子植物と昆虫の間には種特異性の高い生態的なつながりをもつものが多い。この事実は、生物同士が互いに適応しながら進化を遂げる共進化の過程が、この2つの生物群の高い種多様性の生成機構として働いてきた可能性を示唆する。実際、植物と昆虫の相互作用系として一般的な、植食性昆虫とその食草、および送粉昆虫と虫媒植物の相互作用系では、共進化によって前者では昆虫の、後者では植物の種分化が生じる可能性が指摘されており、その具体例もあげられている。しかし、高い種多様性を獲得した共進化系における種分化が、具体的にどのような過程をたどったかについてはよく解っていないのが現状である。

 イチジク属Ficusは全世界の熱帯を中心に約750種が知られ、50属約1300種が知られるクワ科の中でも最も種多様性が高い。イチジクコバチ類は現在350種以上(約750種の存在が予測される)が知られており、これも植物に寄生するコバチ類の種数としては突出している。イチジク属植物とイチジクコバチ類昆虫がこのような著しい種多様性を獲得した背景には、両者の間の送粉共生系の進化が大きく関係していると考えられる。

 イチジク属は、頂部の開口部を除いて完全に閉鎖した花序(花嚢)の内面に花を付ける特殊な形態的特徴をもつ。このような花序形態から、一般的な送粉昆虫や風などの媒体による受粉は行えない。それらに代わって、イチジク属植物は花に寄生するイチジクコバチ類による特殊な送粉共生系を発達させている。この送粉共生系は、1種のイチジク属植物に対して、ほとんどの場合1種のイチジクコバチ類のみが送粉を行う著しい種特異性を示し、植物と昆虫の共進化の最も顕著な例とされている。このような著しい多様性は、両者が協調的に種分化を遂げる共種分化によって獲得されてきたと考えられていが、その具体的な過程については全くわかっていなかった。そこで本研究では、小笠原諸島に産するイチジク属植物とイチジクコバチ類昆虫を対象に、具体的な共種分化過程の解析を行った。

 小笠原諸島は、本州から約1000km南に位置する典型的な海洋島である。この島々にはこれまで3種のイチジク属植物が知られ、いずれも小笠原諸島の固有種である。これまでの我々の行ってきた系統解析から、これら3種は単一の祖先種から諸島内で分化したものであることが明らかとなっており、種分化の解析を行う系として優れている。このうち、母島に固有のオオヤマイチジク(Ficus iidaiana)は4倍体種であることなどから、他の種(2倍体)とは明らかに生殖的に隔離されている。一方、2倍体種であるトキワイヌビワ(Ficus boninsimae)とオオトキワイヌビワ(Ficus nishimurae)は、典型的な個体は形態的にも生態的にも互いに異なっているが、撹乱された環境にはしばしば中間的な個体が出現することから、それぞれの種の独立性を疑問視する意見もある。これら2種のイチジクコバチ類も、大きさが異なる傾向があるが、変異は連続的で形態的には明瞭に区別できない。そこで本研究では、小笠原諸島固有の2倍体イチジク属植物と、それらに共生するイチジクコバチ類昆虫を材料に、それらの間に働いている生殖的隔離機構と種間・集団間の遺伝的分化の程度明らかにし、小笠原諸島におけるイチジク属-イチジクコバチ類送粉共生系の共種分化が具体的にどのような過程を経て進行しているのかを明らかにすることを目的とした。

 小笠原諸島に産する2倍体イチジク属植物のうち、オオトキワイヌビワに分類される個体には、形態的に異なるものが存在する。本研究では、まず2倍体イチジク属植物の外部形態を解析し、これまでの種分類を再検討した。その結果、これまでオオトキワイヌビワに分類されていた父島中央部の集団は、林冠に出るまではほとんど分枝しない特異な形態的特徴を持つことが明らかとなった。植物体の量的形質に基づく多変量解析の結果からも、この集団の個体はトキワイヌビワ、オオトキワイヌビワと異なる形態的特徴を示した。以降、この集団をオオトキワ(東平型)と仮称し、他の2種と区別して解析した。

 小笠原諸島固有のイチジク属植物は、これまでの解析ではその単系統性は示されたものの、相互の遺伝的分化の程度が小さく、種間の系統関係については全くわかっていなかった。そこで、近年近縁種間の系統解析にその有用性が示されつつある核遺伝子tpiの塩基配列に基づく系統解析を行った。RT-PCRによって増幅したcDNAの配列を元に独自のプライマーを作成し、イントロンを含むtpi遺伝子の部分配列を決定した。その情報に基づく系統解析の結果、小笠原諸島固有のイチジク属植物の単系統性、および2倍体種の単系統性が示された。しかし2倍体種間の関係については、この領域でも明らかとはならなかった。そこで、この3群がどの程度遺伝的な分化を遂げているのかを、RAPD解析を用いて調べた。その結果、トキワイヌビワ、オオトキワ(東平型)は、それぞれ異なるオオトキワイヌビワの集団から分化を遂げた可能性が示唆された。これは両者が派生的な外部形態的特徴を示すことと一致する。一方、トキワイヌビワ、オオトキワイヌビワともに島間での遺伝的分化は認められなかった。

 イチジクコバチ類は、花嚢内に侵入する際に翅や触覚など移動や探索に用いる重要な器官を失ってしまうことが多いので、花嚢内に侵入する前に自分の正しい相互作用の相手を認識する必要がある。このための機構として、先に述べた揮発性化学成分組成による認識が発達してきたと考えられる。したがってイチジク属-イチジクコバチ類送粉共生系における最も有効な生殖的隔離機構は、揮発性化学成分に基づく認識機構の変化によるものであると考えられる。そこでまず、それぞれの種から採取したイチジクコバチ類がどの程度正確に自分の相互作用の相手を認識しているのかを、野外での導入実験と、本研究で開発したバイオアッセイ法を用いて検討した。その結果、いずれの場合もオオトキワイヌビワ、オオトキワ(東平型)から採取したイチジクコバチ類は有意に本来の共生相手の植物を選好したが、トキワイヌビワから採取したイチジクコバチ類はいずれの種にも選好性を示さなかった。2倍体種の雌性期の花嚢から採取した揮発性化学成分をガスクロマトグラフィーで分析したところ、それぞれの種に含まれる揮発性化学成分の種類や量比に差があることが明らかになった。採取した化学成分にも同様の選好性を示すため、トキワイヌビワ以外の2種のイチジクコバチ類は、この揮発性化学成分の差異を認識して自分の相互作用の相手を選択していると考えられる。

 揮発性化学成分による生殖的隔離機構は、小笠原固有の2倍体イチジク属植物では限定的にしか作用していないことが明らかになったが、それでは野外である程度形態的に区別可能なイチジク属植物の集団が維持されている背景には、その他の隔離機構が存在するのであろうか。そこでさらに本研究では、野外集団での両種のイチジクコバチ類の移動を具体的に追跡することを試みた。イチジクコバチ類は雌のみが送粉に関与するため、母性遺伝をするマーカーであるミトコンドリアDNAに多型が見られれば、集団間でのイチジクコバチ類の移動を追跡できる。そこで、父島では1992年から1996年の5年間、母島では1994年を除く4年間に採取した各集団のイチジクコバチ類について、ミトコンドリアDNA上のcoxI-coxIIの遺伝子間領域の塩基配列を決定した。その結果、父島、母島ともにトキワイヌビワ、オオトキワイヌビワ、オオトキワ(東平型)のイチジクコバチ類には塩基配列上に固有の変異が認められた。さらに、1例を除き、異なる種に固有の配列が得られた例はなかった。このことは、揮発性化学成分による生殖的隔離は不十分だが、実際には両者の間でのイチジクコバチ類の移動は起こっていないことを示している。ただし母島では、1集団よりトキワイヌビワとオオトキワイヌビワの両方のイチジクコバチ類の配列が得られた。このことから、稀にイチジクコバチ類が種間で移動することで、中間的な形態のイチジク属植物が生じる可能性が示唆された。

 本研究で明らかになった小笠原産2倍体イチジク属植物とイチジクコバチ類昆虫の遺伝的分化の解析結果を比較すると、後者では島間の遺伝的分化も見られることから、より分化が進行していることが示唆された。したがって小笠原諸島のイチジク属-イチジクコバチ類送粉共生系の共種分化過程では、集団間の遺伝的分化の程度が植物と昆虫で異なっており、昆虫の遺伝的分化が先行している状態にあることが明らかとなった。

 トキワイヌビワとオオトキワイヌビワのイチジクコバチ類の成虫は、飛散距離が通常は非常に短いことがマーキング調査から示された。したがって、異なる環境に生育し個体群が離れている場合、イチジクコバチ類の移動能力が距離的な生殖的隔離の効果を生み出す可能性が高い。また小笠原諸島のイチジク属植物は、2月末から12月にかけて各個体が連続して新しい花嚢を生産し、それらが順次成熟するという開花パターンをもつので、個体群内に常にイチジクコバチ類が発生し、そのときには常にイチジクコバチ類が産卵できる花嚢が存在している状態にある。したがって、ある個体群内でイチジクコバチ類の利用できる花嚢は、常にその個体群内で発生したイチジクコバチ類に利用しつくされてしまい、外部から新しいイチジクコバチ類の個体が侵入できる余地はほとんどないものと考えられる。本研究のミトコンドリアDNA多型の解析結果は、実際には両者の間での遺伝的交流はほとんどないことを示しており、開花様式から予測されるイチジクコバチ類の移動パターンとよく一致する。

 これらのことを総合すると、小笠原諸島におけるイチジク属植物の種分化の第一のステップは、異なる環境に生育するイチジク属植物の個体群の成立であろうと考えられる。連続して花嚢を生産し続ける開花パターンとイチジクコバチ類の飛散能力から、集団間の遺伝子交流がほとんど起こらない中で、イチジクコバチ類の認識機構として働いている揮発性物質が集団間で異なる成分構成に固定し、同時に現在の生育環境に適応した外部形態的特徴を進化させた状態が現在の状況であると考えられる。この後、トキワイヌビワのイチジクコバチ類がトキワイヌビワを確実に選好するように進化すると、3群は完全に別種へと分化すると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は6章からなる。第1章の序論は、花の咲く被子植物と訪花する昆虫の間の送粉と食餌をめぐる関係が緊密であるために起こる共進化が生物進化の重要な一面であることを指摘し、それを研究するために適した生物として著しい多様性を示すイチジク属植物とイチジクコバチ類昆虫との共進化に焦点を当てるようになった研究の経緯を述べている。花嚢内に花をつけるイチジク属は送粉をイチジクコバチ類に依存し、一方食事と産卵・孵化を嚢果内でのみ行うイチジクコバチ類もイチジク属に頼り、イチジク属のある種にはイチジクコバチ類の特定の種のみが訪花する特異な送粉系ができている。両生物種には相互に作用しあって多様化する共進化が起こることがわかっているが、具体的な種分化過程は明らかでない。本論文が種分化の初期段階にあると考えられる小笠原諸島の固有種に着目して、共種分化の過程を明らかにすることを目的としたものであることが述べられている。第2章は小笠原諸島に分布するイチジク属の形態の多変量解析を行い、オオヤマイチジク(4倍体のため以下の研究から除外)、トキワイヌビワ、オオトキワイヌビワの他、これまで知られていなかったオオトキワ(東平型)が存在することを発見し、また、生態調査を行って、これら4種(型)は異なる環境に適応していることを見いだした結果をまとめている。第3章はイチジクコバチ類昆虫がイチジク属植物の花嚢が出す揮発性化学物質を認識して特定のイチジクの種を訪花でき、その結果種間で生殖的隔離が起こっているかどうかを明らかにするために、野外での導入実験、本研究で開発したY字管を用いるバイオアッセイ法による実験、揮発性化学成分のガスクロマトグラフィー分析を行った結果について述べている。オオトキワイヌビワとオオトキワ(東平型)を訪花するイチジクコバチは植物に対する好選性を示したが、トキワイヌビワから採取したイチジクコバチは好選性を示さなかった。また、イチジク属各種の花嚢の揮発性化学成分は種類と組成が異なり、後二者のコバチ類は各成分に対し反応を示すことを明らかにした。この結果は、トキワイヌビワを訪花するイチジクコバチは揮発性成分の違いを認識できないが、他の種は認識できて植物を選択していることを明らかにした。これは種あるいは種分化の程度によっては、揮発性化学成分による生殖的隔離が働いていない種があることを示すもので、誘引物質による隔離が強調されてきたこれまでの常識を覆す興味深い結果であるといえる。第4章は小笠原諸島のイチジク属の種間および集団間分化を核遺伝子tpiの塩基配列に基づく系統解析とRAPD法解析の結果を述べ、トキワイヌビワとオオトキワ(東平型)がそれぞれオオトキワイヌビワの異なる集団から分化を遂げる一方、トキワイヌビワ、オオトキワイヌビワともに父島、母島間では遺伝的分化は認められないことを示した。第5章はイチジクコバチ類昆虫がイチジク属植物訪花のための移動能力を明らかにする目的で、雌バチのみが移動することから母性遺伝するミトコンドリア遺伝子coxI-coxII遺伝子間領域の塩基配列を比較した結果、調査期間数年を通してイチジク属各種のイチジクコバチが種(型)内でのみ移動し集団間隔離が存在することを述べている。さらに、父島と母島の間の同種の異なる集団間でも移動がほとんど起こらないことも示された。イチジクコバチ類昆虫の飛散距離が短いことをマーキング調査によっても確かめ、移動能力が低いために、イチジク属植物よりも集団間分化が先行していることを明らかにした。第6章の総合考察では、小笠原諸島のイチジク属は共通祖先から分化した若い種(型)であり、一方イチジクコバチ類は花嚢からの揮発性化学物質に選好性を示さない種もあるが移動能力が低いことから、イチジク属植物の種分化の第一段階は、異なる環境に生育する集団が生じ、それぞれの集団内でのみイチジクコバチ類は訪花し集団間では遺伝子交流がほとんど起こらないが、後にイチジクコバチ類を誘引する揮発性化学物質の組成が変化し、最終段階ではそれに対する好選性が確立して、生殖的隔離を伴って種分化が完了すると推論した。本論文は種分化パターンの中でももっとも複雑で高度なパターンである共進化の典型例である、送粉と食餌・生殖を介して密接な関係を保つイチジク属植物とイチジクコバチ類昆虫の共進化が植物の集団分化と昆虫の低い飛散能力による隔離が種分化のはじめに起こったことを示しており、共進化初期過程を理解する上で重要な発見をした。

 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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