学位論文要旨



No 216198
著者(漢字) 平尾,哲二
著者(英字)
著者(カナ) ヒラオ,テツジ
標題(和) 角層を用いた非侵襲的かつ生化学的な皮膚性状の研究
標題(洋)
報告番号 216198
報告番号 乙16198
学位授与日 2005.03.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第16198号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 海老塚,豊
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 助教授 渋谷,雅明
 東京大学 助教授 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

 皮膚は生体の最外層に位置し、紫外線や生体異物など外界からの種々の刺激から生体を守り、体内の水分蒸散を制御するという重要なバリア機能を演じている。バリア機能には、表皮、特に角層が主要な役割を担っている。

 近年、オゾンホールの拡大に伴い、紫外線の地表到達量が増加しつつある。紫外線が皮膚に及ぼす影響については多くの研究が進められてきたが、慢性的な紫外線照射によって生じる露光部皮膚の特徴に関する理解はまだ十分ではない。

 皮膚の性状を理解する際に、生検試料は貴重な知見を与えるが、その採取は苦痛を伴い容易ではなく、皮膚を傷つけない非侵襲的な解析手法が強く要請されている。非侵襲的な皮膚測定方法としては物理化学的手法が広く用いられているが、生体としての皮膚性状を詳細に理解する目的では必ずしも十分ではない。そこで、やがて垢となって剥がれ落ちる最外層の角層をテープストリッピングにより採取し、生化学的解析によって皮膚性状を評価する手法を新たに開発した。本研究では、露光部皮膚の特徴について、炎症・免疫応答を制御するメディエータとしてinterleukin-1(IL-1)とその拮抗分子、バリア機能に大きな役割を演じる角層細胞cornified envelope(CE)に焦点を当てて解析を行った。

2.露光部角層におけるIL-1raの充進

 紫外線による皮膚炎症のメディエータとして、表皮ケラチノサイトからprostaglandin類やIL-1が遊離される。表皮ケラチノサイトは、IL-1のみならずその拮抗分子であるIL-1receptor antagonist(IL-1ra)も産生し、両者のバランスにより活性が制御されているが、それらの挙動については未解明の点が多い。そこで、非侵襲的に角層試料を採取し、微量試料から高感度にIL-1αおよびIL-1raを検出する実験系を新たに構築し、両者の挙動について調べた。その結果、顕著な部位差が観察され、1L-1αは非露光部である上腕内側で多く、逆にIL-1raは露光部である顔面で多く、活性を反映するIL-1ra/IL-1α比は、上腕内側角層では約8に過ぎないが、顔面角層では約300に達した。また、両者は活性本体として存在し、顔面角層ではIL-1阻害活性が優位に検出された。背部への実験的紫外線照射により、角層中IL-1raの著しい亢進が観察され、顔面におけるIL-1ra充進の要因として、日常的な紫外線照射の影響が強く示唆された。加齢変化について調べたところ、顔面では年齢に関わりなくIL-1ra/IL-1α比は高値を示したが、上腕内側では加齢とともに低下した。露光部におけるIL-1ra充進の意義として、紫外線などの起炎刺激に応答して遊離されるIL-1による過剰反応を調節する皮膚恒常性維持機構が示唆された。

 角層中IL-1ra/IL-1α比は、乾癬やアトピー性皮膚炎などの炎症性皮膚疾患や、いわゆる敏感肌においても高値を示し、紫外線の影響だけでなく、表皮ターンオーバーの亢進や分化の乱れを伴う潜在的な皮膚炎症をも鋭敏に反映する指標であると位置付けられた。

3.紫外線照射による表皮IL-1ra産生亢進

 露光部皮膚におけるIL-1ra亢進について、さらに確証を得ることを目的に、マウス表皮を用いた検討を行った。中波長紫外線UVBを照射したヘアレスマウス表皮シートの培養を行ったところ、非照射群の培養上清にはIL-1活性が検出されたのに対して、紫外線照射群の培養上清には、分子量約17kDaでIL-1raに一致するIL-1阻害因子が多量に含まれていた。したがって、紫外線照射された表皮からは、従来知られていた1L-1遊離のみならず、その拮抗分子であるIL-1raも遊離されることが明らかとなり、上述した露光部皮膚の角層IL-1ra亢進を支持することができた。

4.角層細胞CE成熟度評価法の確立と顔面における未熟CEの検出

 角層は、角層細胞と細胞間脂質から構成される。角層細胞は、表皮ケラチノサイトが分化した死細胞で、内部にはケラチン線維が充満して強靭な構造をとっている。一方、細胞間脂質は、セラミド、コレステロール、遊離脂肪酸などから構成されるラメラ構造を組織し、角層バリア機能に重要な役割を演じている。角層細胞と細胞間脂質の界面には、角層細胞を包むcornified envelope(CE)が存在する。CEを構成するinvolucrinやloricrinなどの前駆体タンパク質は、表皮ケラチノサイトの分化にしたがって有棘層上層から顆粒層にかけて発現する。角層に至る過程で、それらのタンパク質はtransglutaminase(TGase)により架橋・不溶化し、細胞膜直下にCEが形成される。さらにCEの外側のタンパク質には、ω-hydroxyceramideなどの脂質がエステル結合する。このように形成されたCEは、極めて堅牢な構造であるとともに疎水性を獲得し、これを足場として細胞間脂質のラメラ構造が整然と配向することによって角層のアッセンブリーが形成され、バリア機能が発揮されると考えられている。

 健全な皮膚さらには生体を維持するために必須な角層バリア機能には解剖学的な部位差があり、ヒト顔面は特にバリア機能が低い部位のひとつである。その原因として、CEの状態に何らかの変調があるのではないかという仮説を立てた。しかし、CEの状態評価には生検試料の電顕観察が一般的で、顔面に適用するには限界がある。そこで、CE成熟度を評価する非侵襲的方法を新規に確立した。具体的には、最外層角層をテープストリッピングにより採取し、可溶性物質をSDSとdithiothreitolを含む緩衝液により煮沸を繰り返し徹底的に除去し、不溶物として得たCEをスライドグラスに固定し、抗involucrin抗体を用いた蛍光免疫染色と、疎水性環境下において赤色蛍光を発するNile red染色を施した。この二重染色によって、CE成熟度の簡便な評価が初めて可能となった。本法は、CE成熟に伴う架橋や修飾によるinvolucrin抗原性の消失と、疎水性獲得によるNile red染色性向上に基づくものである。

 CE成熟度の部位差を調べたところ、顔面において未熟CEが高頻度に検出されることが明らかとなった。一方、体幹や四肢など、非露光部位では角層深部では未熟CEが検出されるが、最外層では成熟CEが大半を占めた。これらの結果から、顔面におけるバリア機能低下の要因の一つとして、CE成熟度の低下が強く示唆された。

5.炎症性皮膚疾患における未熟CEの検出と不全角化との関連

 次に、バリア機能低下を伴う炎症性皮膚疾患におけるCEの挙動について調べた。乾癬、アトピー性皮層炎の角層試料を採取して調べたところ、皮疹部において未熟CEの出現が判明し、バリア機能の低下とCE成熟度の低下との関連がさらに強く支持された。

 従来より、不全角化の指標として、角層における有核細胞(Parakeratosis)の検出が汎用されてきた。そこで、未熟CEと有核細胞の差異について検討を進めた。角層試料を界面活性剤溶液にて処理し、角層細胞を分散させた後、involucrin免疫染色により未熟CEを、propidium iodide染色により核を検出した。その結果、乾癬皮疹部では、未熟CEと有核細胞ともに検出されるものの、個々の角層細胞ごとに観察すると、両者は必ずしも一致しなかった。また、健常な顔面角層においては核を伴わない未熱CEが多く検出された。TGaseによって触媒されるCE成熟過程、消化酵素が関与する核消失過程という機序の相違が、未熟CEと有核細胞との乖離の要因と考察された。

6.顔面における未熟CEのex vivo成熟反応とTGaseの関与

 ヒト顔面角層におけるCE成熟度低下の原因を探る目的で、未熟CEの成熟能について検討した。顔面角層を、37℃,100%RHにて4日間インキュベートしてCE成熟度の変化を調べたところ、採取直後には未熟CEが多量に検出されたが、インキュベート後には未熟CEは検出されず成熟CEへの変換が観察された。この反応について生化学的な解析を加え、Ca2+依存性、SH基依存性、標識アミンのCEへの取り込みなどからTGaseの関与が明らかとなった。以上の解析結果は、未熟CEが観察される顔面にも、CEの前駆体タンパク質やTGase活性が十分に存在し、成熟する潜在能力があることを明確に示している。しかし、CE成熟反応は、高湿度環境では進行するが、低湿度環境では阻害されること、グリセリン塗布により回復することを見出した。したがって、保湿剤は単に角層水分量を高めるだけでなく、角層における酵素反応を促すことでバリア機能の維持向上を実現すると考察された。

7.総括

 本研究の成果を要約すると、非侵襲的に得られる角層試料を用いて、IL-1ra/IL-1α比の測定により、皮膚恒常性維持機構に基づく応答の鋭敏な検出に成功するとともに、CE成熟度の評価により、バリア機能におけるCEの本質的役割を明確にした。以上の評価結果から、絶えず刺激を受ける露光部皮膚は、微弱炎症状態であるとともにCE成熟不全によるバリア機能低下を伴うと結論することができた。

 皮膚は生体と外界との界面であり、外用医薬品や化粧品が接触する場である。本研究を基盤として、苦痛を伴わない方法で皮膚性状を明確にすることは、慢性的な紫外線障害の機序解明、皮膚を標的とする医薬品化粧品の研究開発、さらには、有効な経皮吸収製剤の研究開発に貢献すると確信する。

審査要旨 要旨を表示する

 皮膚は生体の最外層に位置し、紫外線や異物などの外界からの種々の刺激から生体を守り、体内の水分蒸散を制御するという重要なバリア機能を演じている。これまで、急性的な紫外線照射によって生じる皮膚の炎症などについては多くの研究が進められてきたが、通常の状態の皮膚についての理解は十分ではなく、生化学的解析が求められてきた。

 本論文は、皮膚の炎症・免疫応答を制御するメディエータとしてinterleukin-1(IL-1)とその拮抗分子(IL-1ra)、及び、バリア機能に大きな役割を演じる角層細胞cornified envelope(CE)に焦点を当て、テープストリッピング法を用いて非侵襲的に皮膚の最外層の角層を採取し、通常の状態の皮膚、特に露光部の皮膚の生化学的解析の結果を記載したものである。

1.露光部角層におけるIL-1raの亢進

 表皮ケラチノサイトは皮膚炎症のメディエータであるIL-1に加えて、その拮抗分子であるIL-1raも産生するが、それらの挙動については未解明の点が多い。そこで、角層試料中のIL-1αおよびIL-1raの高感度検出系を構築し、両者の挙動について調べた。その結果、顕著な部位差が観察され、IL-1αは非露光部である上腕内側で多く、逆にIL-1raは露光部である顔面で多く、活性を反映するIL-1ra/IL-1α比は、上腕内側角層では約8に過ぎないが、顔面角層では約300に達した。また、両者は活性本体として存在し、顔面角層ではIL-1阻害活性が優位に検出された。背部への実験的紫外線照射により、角層中IL-1raの著しい亢進が観察され、顔面におけるIL-1ra亢進の要因として、日常的な紫外線照射の影響が強く示唆された。加齢変化について調べたところ、顔面では年齢に関わりなくIL-1ra/1L-1α比は高値を示したが、上腕内側では加齢とともに低下した。角層中IL-1ra/1L-1α比は、乾癬やアトピー性皮膚炎などの炎症性皮膚疾患や、いわゆる敏感肌においても高値を示し、表皮ターンオーバーの亢進や分化の乱れを伴う潜在的な皮膚炎症をも鋭敏に反映する指標であると位置付けられた。

2.紫外線照射による表皮IL-1ra産生亢進

 露光部皮膚におけるIL-1ra亢進について、さらに確証を得ることを目的に、紫外線照射したマウス表皮シート培養系により検討を進めた。非照射群の培養上清にはIL-1活性が検出されたのに対して、紫外線照射群の培養上清には、IL-1raに一致するIL-1阻害因子が多量に含まれていた。したがって、紫外線照射された表皮からは、IL-1のみならずIL-1raも遊離されることが明らかとなった。

3.角層細胞CE成熟度評価法の確立と顔面における未熟CEの検出

 角層は、角層細胞と細胞間脂質から構成される。角層細胞は、表皮ケラチノサイトが分化した死細胞で、内部にはケラチン線維が充満している。細胞間脂質は、セラミド、コレステロール、遊離脂肪酸などから構成されるラメラ構造を組織し、角層バリア機能に重要な役割を演じている。角層細胞と細胞間脂質の界面には、角層細胞を包むCEが存在する。CEは、表皮ケラチノサイトの分化とともにinvolucrinやloricrinなどがtransglutaminase(TGase)により架橋・不溶化したもので、極めて堅牢な構造である。さらにCEの外側のタンパク質には、ω-hydroxyceramideなどの脂質がエステル結合し疎水性を獲得し、これを足場として細胞間脂質のラメラ構造が整然と配向することによって角層のアッセンブリーが形成されると考えられている。

 角層バリア機能には解剖学的な部位差があり、ヒト顔面は特にバリア機能が低い部位のひとつである。その原因として、CEの状態の変調という仮説を立てた。その実証を目的として、抗involucrin抗体による蛍光免疫染色とNile red染色による非侵襲的CE成熟度評価法を新規に確立した。本法によりCE成熟度の部位差を調べたところ、顔面において未熟CEが高頻度に検出されることが明らかとなった。一方、体幹や四肢など非露光部位では、角層深部では未熟CEが検出されるが、最外層では成熟CEが大半を占めた。これらの結果から、顔面におけるバリア機能低下の要因の一つとして、CE成熟度の低下が強く示唆された。

4.炎症性皮膚疾患における未熟CEの検出と不全角化との関連

 乾癬、アトピー性皮膚炎の角層試料を採取して調べたところ、皮疹部において未熟CEの出現が判明し、炎症性皮膚疾患においてもバリア機能低下とCE成熟度の低下との関連が強く支持された。次に、不全角化の指標として汎用される角層有核細胞(parakeratosis)と未熟CEとの差異について検討を進めた。その結果、乾癬皮疹部では、未熟CEと有核細胞ともに検出されるものの、個々の角層細胞ごとに観察すると、両者は必ずしも一致しなかった。また、健常人の顔面角層においては核を伴わない未熟CEが多く検出された。

5.顔面における未熟CEのex vivo成熟反応とTGaseの関与

 ヒト顔面角層におけるCE成熟度低下の原因を探る目的で、未熟CEの成熟能について検討した。採取直後の顔面角層には未熟CEが検出されたが、37℃,100%RHでのインキュベート後には未熟CEは検出されず、TGaseの触媒による成熟CEへの変換が観察された。この結果は、顔面の未熟CEの潜在的成熟能力を示している。このCE成熟反応が低湿度環境では阻害され、グリセリン塗布により回復したことから、保湿剤は単に角層水分量を高めるだけでなく、角層における酵素反応を促しバリア機能を維持向上させると考察された。

 以上、本研究は、非侵襲的に得られる角層試料を用いて、IL-1ra/IL-1α比の測定により絶えず刺激を受ける露光部皮膚は微弱炎症状態であること、及び、CE成熟度の評価により、CE成熟不全がバリア機能低下の大きな要因であることを明らかにしたものである。本研究の成果は、皮膚の紫外線障害の機序解明、及び、バリア機能の解明に大きく貢献しており、今後の皮膚を標的とする医薬品、及び、化粧品の研究開発、さらには、有効な経皮吸収製剤の研究開発に貢献するのみならず、生化学、医薬品化学の進展に寄与するところが大きく、博士(薬学)の学位に相応しいものと認めた。

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