学位論文要旨



No 216202
著者(漢字) 山崎,裕史
著者(英字)
著者(カナ) ヤマザキ,ヒロシ
標題(和) 動力学的回折によるX線コヒーレンスの伝播と解析
標題(洋)
報告番号 216202
報告番号 乙16202
学位授与日 2005.03.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 第16202号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 教授 末元,徹
 東京大学 教授 高橋,敏男
 東京大学 助教授 百生,敦
 東京大学 助教授 野原,実
内容要旨 要旨を表示する

 干渉計測やイメージング技術は線源の技術革新によって全く新しい展望が拓かれる。X線領域においては、輝度が高く、鉛直方向の光源サイズが小さい第3世代放射光施設の出現によって、X線コヒーレンスを積極的に利用する研究が進められている。位相と振幅がよく定義されたX線を試料に照射することにより、試料に起因する情報を位相に乗せて観察することができる。近年、結晶構造解析の手法を周期性のない試料に拡張する方法、X線回折顕微鏡が開発されつつあり、次世代のよりコヒーレントな放射光を線源として用いればオングストロームの分解能をもつ構造解析が可能になると考えられる。

 X線コヒーレンスの本格的な利用に伴って、コヒーレンスを必要以上に劣化させずに試料まで運ぶという、ビームライン技術としての基盤的な光学系の開発が要求されるようになった。しかし、最も標準的な分光素子である結晶に対して、そのコヒーレンス特性は明らかにされていない。これは、次世代放射光のコヒーレンス特性を十分に発揮できる光学素子を設計する上で解決すべき問題である。

 X線の位相を利用するアプリケーションをデザインするには、実際に得られるX線のコヒーレンス特性を理解する必要がある。一般に放射光ビームラインでは、試料に届くビームは様々な光学素子によって加工されており、個々の光学素子の影響を積み重ねて解析的にコヒーレンス特性を求めることは容易ではない。X線コヒーレンスを実験的に解析する簡便な方法の確立が望まれる。

 本研究では、まず、現実に得られる任意の入射X線に対して、完全結晶による回折現象を定量的に扱うことのできる理論を構築した。それを基に、完全結晶の回折におけるX線コヒーレンスの伝播を理論的に明らかにした。次に、X線コヒーレンスを実験的に解析する方法として、波面分割2光束干渉計による方法と、完全結晶の回折強度曲線(ロッキングカーブ)からX線コヒーレンスを抽出する方法を開発した。

 完全結晶による回折は、多重散乱の影響を考慮した動力学的回折理論によって扱われる。従来の回折理論では入射波として完全にコヒーレントなX線を仮定してきた。しかし、現実に得られるX線は時間的にも空間的にも構造をもつ波束から構成される。このような一般的な入射波に対して満足すべき回折理論は構築されてこなかった。波束として取り扱うには、波動場の振幅に時間・空間依存性をもたせる方法と、波動場にバンド幅と角度発散をもたせる方法がある。両者とも同じ結果を与えるはずであるが、ここでは前者を採用する。この方法は、結晶が不完全である場合にも拡張できると考えている。

 Laue流の回折理論では、X線の伝播はMaxwell方程式を近似的に解くことにより求められる。結晶内波動場の振幅は、時間微分項を含むように拡張したTakagi-Taupin方程式(以下、時間依存Takagi-Taupin方程式)に従って時間発展する。この方程式の厳密解を随伴Green関数を用いて解析的に求めた。結晶内波動場と真空中の波動場を接続して、回折波を入射波の積分変換として表現した。入射側表面と出射側表面が平行なLaue板と、平坦な入射側表面をもち無限に厚いBragg板に対して積分変換の核を導いた。その結果、結晶内波動場は回折に関わる逆格子ベクトルと垂直な方向に速度成分c cosqBをもち、逆格子ベクトルの方向に変調されることが示された。結晶表面上の1点に入射した波動場の影響はその点を始点とするBorrmannファン内に広がっていき、従来いとも簡単に仮定されてきた幾何学的な光線としての伝播の描写は成立しないことが明らかになった。

 次に、一般的な入射X線に対する回折理論を基に、完全結晶によるX線コヒーレンスの伝播を解明した。結晶としては平坦な入射側表面をもち無限に厚いBragg板を扱った。このようなBragg板はX線の単色化や平行化に標準的に使用される。時間依存Takagi-Taupin方程式の解を用いて、回折後の相互コヒーレンス関数を入射X線の相互コヒーレンス関数の積分変換として表現した。波動場が逆格子ベクトル方向に変調されるのに応じて、Bragg反射に際してコヒーレンスの時間成分と空間成分が混ざり合うことが明らかになった。入射波の強度分布が一様で、コヒーレンス関数が逆格子ベクトル方向の空間的隔たりだけに依存する場合について、逆格子ベクトル方向のコヒーレンス長の変化を見積もった。一般に、反射波のコヒーレンス長は、入射波のコヒーレンス長の幾何学的な拡大(拡大率は非対称因子の逆数)に、波動場の結晶内への侵入に伴う補正因子を掛けたものになる。補正因子の計算は、入射波のコヒーレンス関数が空間的隔たりに関してGauss分布またはLorentz分布であるときについて行った。補正因子は高コヒーレントな入射波に対しては1に漸近し、コヒーレンス長は幾何学的な拡大に近づく。入射波がインコヒーレントになると補正因子は増大し、結晶内での波動場の広がりがコヒーレンスを増大させる。コヒーレンス長の変化の定量的な解析により、コヒーレンスを制御する光学素子としての完全結晶の機能が明らかになった。

 X線コヒーレンスを実験的に調べる方法のひとつとして、X線波面分割干渉計を用いる方法を開発した。X線波面分割干渉計とは、Bonse-Hart干渉計(可視光におけるMach-Zehnder干渉計に相当)を構成する3枚のLaue板を不等間隔に削り出したものである。不等間隔に並べることにより、空間的に隔たりのある2つの領域のビームを重ねることができる。コヒーレンス関数は2点の波動場の相関関数として定義されるので、2光束干渉によるコヒーレンスの解析は直接的な方法である。ただし、Laue板内でX線はBorrmannファン内に広がって進むため、コヒーレンスを正確に解析するには広がりの効果を補正する必要がある。まず、有限なコヒーレンスをもつX線が入射するときの波面分割干渉計の性質を、一般的な入射波動場に対する動力学的回折理論に基づいて解析した。その結果、干渉縞の可視度(visibility)に影響を与えるのは、Borrmannファンの他に、入射波の時間遅延のないコヒーレンス関数の逆格子ベクトル方向成分であることが明らかになった。得られた干渉縞から、数値計算によって逆格子ベクトル方向のコヒーレンス長を解析することが可能である。実験では異なるコヒーレンス長をもつX線を用意して干渉縞を記録し、波面分割干渉計がコヒーレンスの解析に使用できることを示した。

 X線コヒーレンスのより簡便な解析方法として、完全結晶を使って測定されるロッキングカーブから相互コヒーレンス関数を抽出する方法を開発した。実際に測定されるロッキングカーブのプロファイルは、入射波のバンド幅と角度発散の影響を受けて、結晶に由来するプロファイル(単色平面波入射に対するプロファイル)から変化する。相互コヒーレンスはバンド幅と角度発散の複合効果であるから、測定されるプロファイルは相互コヒーレンス関数を使って表現することもできるはずである。まず、時間依存Takagi-Taupin方程式の解から、測定されるプロファイルを定式化した。その結果、入射波の逆格子ベクトル方向のコヒーレンス長が同じ方向のビーム幅に比べて十分小さいとき、測定されるプロファイルは結晶に由来するプロファイルと、入射波の複素コヒーレンス度のFourier変換の畳み込みで表されることが明らかになった。結晶由来のプロファイルは理論計算により求めることができるので、ロッキングカーブ測定から逆格子ベクトル方向の複素コヒーレンス度を抽出することができる。完全結晶の複数の回折面を用いれば、複素コヒーレンス度を時間遅延と空間的隔たりの関数として解析することが可能である。この方法をシリコン2結晶分光器で単色化したアンジュレータ放射光に適用し、複素コヒーレンス度の時間・空間構造を明らかにした。

 本研究により、X線コヒーレンスを制御する光学素子としての完全結晶の機能が明らかにされた。現在より格段にコヒーレンス特性が向上すると期待されている次世代放射光の利用に向けて、コヒーレンスを意識した光学素子の設計が可能になった。また、光源の技術革新に伴って、特に微小試料の構造解析において、X線の位相を積極的に利用するアプリケーションが開発されつつある。ロッキングカーブ測定からX線コヒーレンスを容易に解析する方法は、これらのアプリケーションをデザインする上で非常に重要な意味をもつ。

 さらに、本研究では、X線コヒーレンスを厳密に扱うための準備として、時間的にも空間的にも構造をもつ一般的な入射波に対する完全結晶の回折理論を構築した。一方、従来の動力学的回折理論では、完全にコヒーレントな入射波という、理想ではあるが架空の状態を扱ってきた。したがって、本研究により動力学的回折理論はその適用範囲を大幅に拡大したことになる。次世代放射光のコヒーレンス以外の特徴として、パルス幅が100 fs程度と非常に短いことが挙げられる。このパルス長が分光によりどの程度維持されるかという問題は、パルス特性を利用する実験(例えば時分割実験)にとって極めて重要な意味をもつ。ここで構築した理論は完全結晶に対してはそのような問題を解く上で満足すべきものになっている。

審査要旨 要旨を表示する

 干渉計測やイメージング技術は線源の技術革新によって全く新しい展望が拓かれる。X線領域においては、第3世代放射光施設の出現によって、X線回折顕微鏡、ホログラフィなどX線コヒーレンスを積極的に利用する研究が進められている。位相と振幅がよく定義されたX線を試料に照射することにより、試料に起因する情報を位相に乗せて観察することができる。X線コヒーレンスの本格的な利用に伴って、コヒーレンスを必要以上に劣化させずに試料まで運ぶという、ビームライン技術としての基盤的な光学系の開発が要求されている。しかし、最も標準的な分光素子である結晶に対して、そのコヒーレンス特性は明らかにされていない。これは、次世代放射光のコヒーレンス特性を十分に発揮できる光学素子を設計する上で解決すべき問題である。また、具体的な応用に要求されるX線コヒーレンスを作り出すことも今後のX線光学の課題のひとつである。

 本論文では、「動力学的回折によるX線コヒーレンスの伝播と解析」と題して、完全結晶の回折におけるX線コヒーレンスの伝播を理論的に明らかにし、また、X線コヒーレンスを実験的に解析する手法を確立している。

 第1章「序論」では、重要なX線光学素子である分光結晶に関して、コヒーレンスに対する機能の理解には波動光学的な扱いが必要であることを述べている。X線コヒーレンスの特徴を可視光や粒子線と比較して議論した後、本論文の目的と構成を述べている。

 第2章「コヒーレンス」では、波束の概念を用いて相互コヒーレンスを定式化し、ビームの相互コヒーレンスが観測点で測定可能な波数ベクトルの分布によって記述できることを示している。一方、可視光領域における標準的なコヒーレンスの取り扱いでは、X線の相互コヒーレンスを記述するのに不十分であることも述べている。

 第3章「完全結晶によるX線波束の回折」では、X線コヒーレンスを厳密に扱うための準備として、時間的にも空間的にも構造をもつ一般的な入射波に対する完全結晶の回折理論が構築されている。回折の基礎方程式として時間微分項を含むように拡張したTakagi-Taupin方程式を採用し、この方程式の厳密解を解析的に求めている。

 第4章「完全結晶の回折におけるコヒーレンスの伝播」では、Braggケースの回折におけるX線相互コヒーレンス関数の変化が定式化されている。回折によって波動場が回折ベクトル方向に変化するのに応じて、コヒーレンスの時間成分と空間成分が混ざり合うことが示されている。回折ベクトル方向のコヒーレンス長の変化についてのシミュレーションでは、結晶内への波動場の浸入がコヒーレンスに与える影響を無視できないことが示されている。

 第5章「X線波面分割干渉計による相互コヒーレンスの解析」では、X線コヒーレンスを実験的に調べる方法のひとつとして、不等間隔ギャップをもつ変形Bonse-Hart干渉計を用いる方法が開発されている。まず、有限なコヒーレンスをもつX線が入射するときの干渉計の性質が、第3章の動力学的回折理論を用いて記述されている。その結果、干渉計の回折ベクトル方向のコヒーレンス長を干渉縞の可視度から数値的に解析できることが示された。実験では異なるコヒーレンス長をもつX線を用意して干渉縞を記録し、波面分割干渉計の機能を確認している。

 第6章「ロッキングカーブ測定によるX線相互コヒーレンス関数の解析」では、X線コヒーレンスのより簡便な解析方法として、完全結晶を使って測定されるロッキングカーブから相互コヒーレンス関数を抽出する方法が開発されている。第3章の結果を用いて、測定されるロッキングカーブのプロファイルが入射波の相互コヒーレンス関数を用いて定式化された。逆問題として、測定されたロッキングカーブから回折ベクトル方向の相互コヒーレンス関数を抽出できることが示されている。完全結晶の複数の回折面を用いることにより、相互コヒーレンス関数を時間遅延と空間的隔たりの関数として解析することが可能になった。この方法をシリコン2結晶分光器で単色化したアンジュレータ放射光に適用し、相互コヒーレンス関数の時間・空間構造を明らかにしている。

 第7章「将来展望」では、本研究の延長上にある課題として、結晶を使用したX線コヒーレンスの制御、光源評価へのX線回折の応用、動力学的回折理論の拡張について議論されている。

 第8章「総括」として以上の研究の要約がまとめられている。

 本研究は、X線の相互コヒーレンスをはじめて定量的に扱ったものである。X線コヒーレンスに対する結晶光学素子の機能が理論的に明らかにされ、かつ、相互コヒーレンスを実験的に解析する手法が確立された。これにより、X線コヒーレンスを制御、加工する目的で光学素子を設計することが可能になった。本論文の成果は、次世代放射光の基盤的光学系の開発を通して、あらゆるX線位相利用計測の進展に寄与するものである。

 さらに、X線コヒーレンスを厳密に扱うための準備として、時間的にも空間的にも構造をもつ一般的な入射波束に対する完全結晶の回折理論を構築した。従来の動力学的回折理論では完全にコヒーレントな入射波動場のみを対象としていたが、本研究により動力学的回折理論はその適用範囲を大幅に拡大したことになる。

 よって、本論文は博士(科学)の学位請求論文として合格と認められる。

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