学位論文要旨



No 216208
著者(漢字) 大渕,哲也
著者(英字)
著者(カナ) オオブチ,テツヤ
標題(和) 特許審決取消訴訟基本構造論
標題(洋)
報告番号 216208
報告番号 乙16208
学位授与日 2005.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第16208号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,眞
 東京大学 教授 小早川,光郎
 東京大学 教授 田端,博邦
 東京大学 教授 太田,勝造
 東京大学 教授 森田,宏樹
内容要旨 要旨を表示する

1. 本論文は、行政訴訟の一つである特許審決取消訴訟の基本構造を解明し、これによって、理論的にも実務的にも大きな論争点となっている特許審決取消訴訟の審理範囲の点について、徹底的かつ総合的な分析を行うものである。具体的には、知的財産法の分野における唯一の最高裁判所大法廷判決である最大判昭和51年3月10日民集30巻2号79頁による無効理由・拒絶理由ごとの一律の審理範囲制限の法理についての批判的検討を主眼としている。特許審決取消訴訟は、特許法の手続法的側面において極めて重要なものでありながら、その基本構造については、従前本格的な分析検討が行われていなかったといっても過言ではなく(むしろ、昭和51年最大判は裁判官全員一致の大法廷判決であるためか、絶対的なものとしていわば神聖視されてきたのが実情である)、これが、昭和51年最大判による硬直的な審理範囲制限に起因する、著しい手続遅延等の弊害を生む主な要因となっているように見受けられる。この意味で、特許審決取消訴訟の基本構造の解明は、緊急の課題である。

 本論文の特徴としては、次の2点を挙げることができよう。まず、本論文のテーマの解明に当たり、知的財産法のみならず、行政法・行政訴訟法を含めた関連分野すべてにわたる徹底的かつ総合的な分析検討を行っていることである。次に、このような分析検討の前提として、比較法研究を非常に重視しており、本論文のテーマの解明に不可欠なドイツ法、オーストリア法、米国法、英国法等のすべてを網羅した「多角的比較法研究手法」ともいうべき研究手法によっていることである。その上、これら各国法等においても、知的財産法のみならず、一般法たる民事訴訟法一般ないし行政訴訟法一般にまで遡った分析検討を加えている。

2. 本論文は、3編からなるものであり、序論の第1編に引き続き、第2編においては、検討の前提となる比較法研究等を行い、そして、これを踏まえた上で、本論たる第3編において、特許審決取消訴訟の基本構造についての検討を行うという構成となっている。

3. 第2編では、比較法研究等として、ドイツ法、オーストリア法、米国法、英国法、欧州特許条約等の研究を行っている。これらの各国法制の研究に当たっては、既に述べたとおり、一般法たる民事訴訟法一般ないし行政訴訟法一般にまで遡った徹底的かつ総合的な分析検討が加えられている。その結果、各国の特許争訟(我が国の特許審決取消訴訟に対応するもの。以下、同じ)に関して、次のような極めて重要な知見ないし視点が得られた。

 すなわち、米国法、英国法の特許争訟の場合には、英米法型のappeal(ないしreview)の概念を前提として、事後審性の強いものとなっているし、オーストリア法の特許争訟の場合には、同国の民事訴訟法等の大きな特色である更新禁止(Neuerungsverbot)の原則のために、事後審性の強いものとなっている。このように、これらの法制においては、特許争訟についての議論の出発点たる一般則(民事訴訟法一般ないし行政訴訟法一般)のルール自体が既に事後審性の強いものとなっており、そのために、新たな提出(審理範囲)につき高度に制限的なものとなっているのであって、これらの国における特許争訟関係において審理範囲が制限的であることは、上記の意味においては、いわば必然的ともいうべきものである。この意味では、これら3国の法制については、本論文のテーマに関する比較法研究の対象素材として元々大きな限界のあるものといえよう。

 これに対して、ドイツ法の特許争訟の場合には、議論の出発点たる民事訴訟法のルールとしては、まさしくドイツ・日本型、すなわち、続審型の控訴審(ないし抗告審)のルールとなっているものであり、本論文のテーマに関する比較法研究の対象素材として、ふさわしいものである。

 以上のように、米国法、英国法、オーストリア法の場合には、事後審性の強いものとして、一般ルールと特許争訟のルールとが一貫しており、これに対して、ドイツ法の場合には、続審性(非事後審性)の強いものとして、一般ルールと特許争訟のルールとが一貫しているのである。

 これに対して、日本法の場合には、後に述べるとおり、議論の出発点たる行政訴訟法の一般理論としては、原則として、審理範囲の制限のないルールでありながら、特許争訟に至るや、理由らしい理由もなくして、突如として、非常に厳格な審理範囲制限を課す判例のルールとなってしまっているのである。このような法体系全体での一貫性の欠けるルールは、比較法的にみても特異なものである。

4. 第3編では、以上のような基礎法研究を踏まえた上で、本論である特許審決取消訴訟の基本構造について検討を展開している。第3編では、第1章の序論を経て、第2章において、取消訴訟の審理範囲の点を中心とする行政訴訟の一般理論についての整理検討がなされる。この第2章は、本論文の中心である第3章の大前提をなす非常に重要な部分であるが、序論である第1節のほか、訴訟物(第2節)と提出制限(第3節)の検討から構成される。行政訴訟(取消訴訟)の審理範囲については、訴訟物(の客観的範囲)により外枠が画され、その外枠の範囲内でも、特別の提出制限ないし審理範囲制限が肯定される場合であれば、その限度で、審理範囲も制限されるという基本的な構造となっている。本論文においては、これらの行政訴訟一般の理論の検討は中心的論点ではないが、断片的に語られることの多かった、訴訟物や提出制限(審理範囲制限)に関する判例通説の見解を集大成し、その立場が、解釈論として理論的にも一貫性があって無理がなく、実際上の帰結としても難のないものであることを示したことの意義は小さくはないものと解される。

5. 第3編の第3章では、第2章で整理検討された行政訴訟(取消訴訟)の一般理論を、行政訴訟(取消訴訟)である特許審決取消訴訟にも適用した上で、これとは異なる特則が特許審決取消訴訟につき、成り立つ余地があるか否かを検討するという形で議論を展開している。

 第1節の序論から始まり、昭和51年最大判法理(第2節)、訴訟類型〔補論〕(第3節)の各点を論じた上で、第4節では、特許審決取消訴訟の訴訟物につき、取消訴訟の前記一般理論を踏まえつつ、本格的に論じており、その結果、特許審決取消訴訟の訴訟物も、取消訴訟の一般理論と同様に当該処分たる当該審決の違法性一般であって、よって、訴訟物を理由としては、昭和51年最大判法理のような審理範囲の制限を導くことはできないとの帰結が導かれる。(なお、第5節では、この訴訟物と密接な関連を有する判決効等の点についても触れている。)

 以上のように、訴訟物を理由としては審理範囲制限というものが導けないこととなると、審理範囲制限の可能性として残るのは、提出制限の点である。これについては、無効審判、拒絶査定不服審判に共通のものと、それぞれに固有のものとがあり得るので、それぞれ、第6節、第7節において検討している。

6. 第6節では、上記各審判に共通の提出制限の可能性につき、(1)「審決」理論、実質的証拠法則、(2)裁決主義・審級省略、(3)理由付記、(4)特許法167条の効力の客観的範囲との関係における整合性の議論等は、いずれも、提出制限ないし審理範囲制限の根拠となり得るものではないことが導かれている。そして、これら以外の理論的可能性としては、(5)審判前置主義等の趣旨の没却等の点が挙げられるが、これについても、昭和51年最大判のような無効理由・拒絶理由ごとの一律の提出制限(審理範囲制限)を導き得るものではないことが示されている。

 ただし、第7節では、拒絶審決取消訴訟に固有な提出制限として、現行法上の特殊性(審決取消訴訟段階ではクレーム等の補正の機会が一律に封じられているために、審決取消訴訟段階で初めて新たな拒絶理由が提出されると、これに対してクレーム等の補正で対抗するという出願人の手続的な機会を奪うこととなり得る)に起因する提出制限の可能性はあり得ることが示されている。しかしながら、このような提出制限の可能性は、昭和51年最大判における提出制限とは、趣旨のみならず、範囲等についても同じものではなく、昭和51年最大判自体を基礎付けるものではない。

 なお、第8節では、代表的な異説に対する批判的検討を展開している。

7. 第9節では、以上を踏まえて、審理範囲等の点についての総括及び今後の展望につき論じている。ここでは、各論点の総括的な整理のほかに、昭和51年最大判による一律の審理範囲制限のルールによって生ずる実際上の弊害(特許庁審判部と東京高等裁判所(審決取消訴訟)との間のいわゆるキャッチボール現象による著しい手続遅延等)についての分析評価がなされている。また、昭和51年最大判は関連重要最高裁判例(キルビー事件最判(平成12年4月11日民集54巻4号1368頁)等)と関係では実質的に不整合である旨の指摘も厳しくなされている。

 そして、以上をすべて総合した上で、昭和51年最大判による一律の審理範囲制限のルールは、(1)法的根拠を欠くものであり、(2)比較法的にも(法体系全体として把握する限り)特異なものであり、(3)実際上においても深刻な弊害を生ずるものであり、また、(4)関連重要最高裁判例との間の実質的不整合も顕著であることからして、可及的速やかに、判例変更によるかその旨の立法によるかは別として、否定されるべきものであると結論付けられている。

8. 以上においては、現行法の解釈論が中心であるが、第10節では、特許審決取消訴訟制度の将来像についての立法論的検討がなされている。

審査要旨 要旨を表示する

 特許審判に係る審決取消訴訟、すなわち、特許出願拒絶査定不服審判に係る請求不成立審決(拒絶審決)、特許無効審判に係る請求成立・不成立審決(無効審決・無効不成立審決)等の各種審決の取消訴訟に関しては、そこでの審理範囲の制限の問題があり、これについては、昭和51年3月10日の最高裁大法廷判決が、今日に至るまでリーディングケースとしての地位を占めている。本論文は、この問題を中心として、比較法研究をもふまえつつ、審決取消訴訟の基本構造を解明しようとするものである。

 第1編「序論」は、研究の対象・方法等を手短に示す。すなわち、著者は、現行日本法における特許訴訟の手続としては、特許侵害訴訟と、特許審判に係る審決取消訴訟とが、いわば車の両輪をなす形で存在しているが、このうち特に後者に関しては理論的検討が不十分であること、これについては、審決取消訴訟が行政訴訟に属することから行政訴訟一般に関する十分な検討をふまえ、かつ、行政処分ではあるが私権たる特許権の発生消滅等に直接関わるという審決の特殊性をも考慮しつつ、個別の論点よりもまずは基礎的な研究を深める必要があることを指摘する。そして、そのような趣旨で、審決取消訴訟の基本構造の解明を図るとしている。

 第2編「基礎法研究」では、最初の第1章「序論」で、昭和51年最判で示されている審決取消訴訟の審理範囲制限に関する判例通説的法理に言及した後、第2章以下で、諸外国についての比較法研究と、あわせて、日本法における制度の変遷についての歴史的考察を行う。ここで比較法研究の対象とされるのは、ドイツ法・オーストリア法・米国法・英国法および欧州特許条約である。フランス法については、特許要件無審査主義の色彩がいまだ濃厚であって日本法との比較の対象素材としては不適当であるため、対象外とされる。なお、本論文では、意味ある比較を可能にするため、各国共通の「第一審」・「第二審」の概念が用いられる。すなわち、特許無効および特許出願拒絶のそれぞれについての、日本法における特許審判(特許庁)と審決取消訴訟(東京高裁)の各「審級」に、各国の制度ではいずれの「審級」が対応するのかを検討し、それを「第一審」・「第二審」と捉えたうえで、「第二審」の審理範囲に関する制限の有無ないし態様についての比較研究が進められることになる。

 最初に、ドイツ法について、そのような「第二審」の審理範囲の問題が検討される(第2章)。まず、日本の無効審判およびその審決の取消訴訟に対応するのは、現行法上は、連邦特許裁判所(無効部)における無効手続(「第一審」)と、事実審である連邦通常最高裁判所(BGH)の無効控訴手続(「第二審」)であり、このうち前者は、かつては特許庁無効部における手続であったのが、1961年に特許庁無効部が連邦特許裁判所(無効部)に改組された結果、現在の形となったものである。そして、この制度改正の前後を通じ、無効控訴手続において請求原因である無効事由を追加したり攻撃防御方法としての新たな事実・証拠等を提出したりすることに関して、「第二審」であるがゆえの制限はなく、また、「第一審」で提出されたが判断の対象とされなかった無効事由や事実・証拠等を顧慮することについても何ら障碍はない。以上については、著者によれば、民事訴訟法の一般ルールとして、控訴審における訴えの変更や新たな攻撃防御方法の提出について控訴審であるがゆえの特別の制限がないということが、その前提ないし出発点となっているのである。

 他方、日本法における拒絶審決の取消訴訟に対比されるのは、特許庁(審査課審査官)の特許出願拒絶決定(「第一審」)についての連邦特許裁判所(抗告部)への抗告(「第二審」)の手続である。これは、かつては特許庁抗告部への抗告であったが、1961年以降、現在の形となっている。そして、この抗告手続に関しては、ここでも民事訴訟法の一般ルールにより、新たな事実・証拠の提出が認められる。また、原決定における拒絶事由とは異なる拒絶事由での抗告棄却も認められる。

 次に、オーストリア法についての検討が行われる(第3章)。日本の無効審判およびその審決の取消訴訟に対応するのは、ここでは、特許庁無効部における無効手続(「第一審」)と、その決定に対する最高特許商標審判所への控訴手続(「第二審」)であり、また、日本の拒絶審決とその取消訴訟に対応するのは、特許出願についての特許庁技術部による拒絶決定(「第一審」)と、それに対する特許庁抗告部への抗告の手続(「第二審」)である。著者は、上記無効控訴手続においては新事実・新証拠等の提出が原則的に禁止されていること、これは、そもそも上訴一般(控訴・抗告)につき、民事訴訟法が、上訴審での新事実・新証拠等の提出を排除するいわゆる更新禁止の原則を規定しており、いわば出発点である民事訴訟法の立場がドイツ法や日本法の場合とは逆であることを前提として理解すべきものであることを指摘し、この原則の内容について具体的な検討を行っている。拒絶決定に対する抗告手続に関しても、特許法が、民事訴訟法に類似する更新禁止原則を定めていることが指摘される。

 米国法に関しては、特許無効審判およびその審決についての取消訴訟に相当するものは存在しないので、もっぱら、拒絶決定に対する法的救済手続のみが取り扱われる(第4章)。

 審査官による拒絶の決定を受けた出願人は、特許商標庁の特許審判インターフェアレンス部に上訴(appeal)することができ(「第一審」)、同部の不利益な決定に対しては、さらに、連邦巡回区上訴裁判所(Fed.Cir.)への上訴(appeal)と、特許商標庁長官を被告としてコロンビア特別区連邦地方裁判所に提起される、特許を得るためのcivil actionとの、いずれかを行うことができる(「第二審」)。

 これらの「第二審」の審理範囲の問題については、まず、一般の民事事件の判決に対する上訴、および行政事件における行政機関の決定についての上訴(または、再審査(review)の申立て)に関する基本的な法理として、上訴審における新たな証拠・争点の提出ないし顧慮が原則的に制限され、また、原審のした事実認定についての再審査が、"clearly erroneous基準"、"実質的証拠法則"、"arbitrary or capricious基準"などの、かなり制限的な、いわゆる高度の承服性(deference)のある基準によってしか行われないことが示される。そのうえで、特許事件に関しても、連邦巡回区上訴裁判所への上訴および特許商標庁長官を被告とするcivil actionの双方を通じ、新証拠・新争点等の提出ないし顧慮が制限され、かつ、特許商標庁の事実認定について高度の承服性ある再審査基準が用いられていることが、詳細に分析される。そして、それらは、米国法的な意味での上訴審概念を中核とする上述の一般法理に沿った、一つの完結した米国法特有の体系として構築されているものであることを、著者は指摘する。

 このほか、英国法については、特許庁長官が行った特許取消しに関する決定または特許出願拒絶に対する特許裁判所(高等法院)への上訴手続が、また、欧州特許条約については、欧州特許庁審査部の行った出願拒絶決定に対する同抗告部への抗告手続が、それぞれ分析される(第5章・第6章)。

 以上の第2〜6章の比較法研究に加えて、第2編第7章では、日本法における特許審判とそれに関する訴訟の制度につき、明治21年特許条例から現行法に至るまでの変遷が明らかにされる。

 第2編の基礎的研究をふまえて、「特許審決取消訴訟の基本構造についての検討」を行うのが、第3編である。

 「序論」と題する簡単な第1章の後、第2章は、審決取消訴訟の審理範囲について考察するための前提として、「取消訴訟の審理範囲の点を中心とする行政訴訟の一般理論についての整理検討」を行う。これには、訴訟物の範囲画定から当然に生ずる審理範囲の問題と、それ以外の、主張・証拠の提出制限の問題とが含まれる。

 前者に関しては、まず、取消訴訟の訴訟物(その客観的範囲)は当該行政処分の違法性一般だとするのが通説的見解であり、そこにいう処分の同一性の範囲は、処分の主体、処分の名宛人、処分の日時および処分の内容によって画されるのであって、処分理由ないし処分要件ごとに別の処分となるものではないとする。そして、これと出発点を同じくしながらも、そこにいう処分の同一性の範囲の画定について通説的見解とは大きく異なる基準を提示する、近時のいわゆる第一次判断権説等に触れ、また、この問題に関連する最高裁の諸判決について検討する。著者は、上述の第一次判断権説が、法令における処分要件の定め方に注目し、選択的に規定された複数の処分要件のうち処分の際に行政庁が処分の理由としなかったものについては、行政庁の第一次判断権がいまだ行使されていないということから、当該処分の取消訴訟の訴訟物に含まれないとすること、言いかえれば個々の処分理由ごとに処分ないし訴訟物を分断することに対して、さまざまな角度から批判を加える。結論としては、基本的に前記通説的見解を支持し、最高裁諸判決にてらしても上記第一次判断権説は採用しえないとするのが、著者の立場である。

 このように行政処分取消訴訟一般の訴訟物論を考察したうえで、著者は、ある種の行政処分に関しては通説的見解がそのまま当てはまるかどうかが問題たりうるとしてそれについても検討し、特許審判の審決は基本的にはそのような種類の処分には当たらないとする。また、特許審判の審決は、審判請求という単一の申立行為に対する応答としての行政処分であって、この点からしても処分要件ないし処分理由ごとに処分を別個のものとして分断することが性質上そもそも困難であるということも、指摘している。

 そこで、次に、訴訟物の範囲の限定から必然的に生ずべきもの以外に、主張・証拠の提出を制限するものとして想定されうる種々の論拠につき、ここでもさしあたっては行政処分取消訴訟一般のルールの問題として、検討が行われる。著者の検討の結果によれば、そのような、たとえば処分理由付記制度に関連する処分理由の差替えの制限やその他種々の論拠による提出制限は、いずれも、行政処分取消訴訟の全体の問題としてはともかく、特許審判の審決の取消訴訟に関して当然に肯定されるものとは言えない。

 そこで、一般的な行政処分取消訴訟の平面での検討から、特許審判に係る審決取消訴訟に焦点を当てた検討へと進んでいくことになる。

 第3編第3章「特許審決取消訴訟についての検討」では、まず、前述昭和51年最判が、無効審判に係る無効または無効不成立の審決と拒絶査定不服審判に係る拒絶審決との双方を通じ、審決取消訴訟における審決の違法事由としては、審判で審理判断された、法条ごと・公知事実ごとの特定の無効理由(無効原因)ないし拒絶理由に関するもののみが審理の対象となるとの、審理範囲制限の法理を定立したことに関し、それに至るまでの判例の展開の経緯と、昭和51年最判それ自体の構造や特徴が検討される。

 それに続いて、著者は、特許審判(特に無効審判)に係る審決の取消訴訟を行政事件訴訟法上いかなる訴訟類型に位置付けるべきかの議論に触れたうえで、昭和51年最判の審理範囲制限法理が訴訟物論の観点またはその他の観点から十分に根拠付けられるものであるかどうかにつき、批判的な考察を展開する。いわば本論文の中心をなす部分である。

 訴訟物論の観点からは、著者のいう「処分分断説」、すなわち、特許審判に係る審決取消訴訟の対象たる審決(処分)は、無効審判の審決にあっては無効理由ごとに、拒絶審決にあっては拒絶理由ごとに、別個の審決(処分)となるのであり、それゆえ審決取消訴訟の訴訟物は無効理由ないし拒絶理由ごとに別個であるとして、行政訴訟一般論とは別に審決取消訴訟特有の審理範囲制限を根拠付けようとする見解が、問題となる。しかし、著者によれば、この説は、単一の申立行為(審判請求)に対して複数の応答行為(審決)が単純併合的または予備的・選択的に併存するという不自然な事態をもたらすものであり、また、職権により無効理由が認定される場合については、無効審決が申立て(審判請求)にもとづかないでなされるのを認める結果ともなり、いずれにせよ失当である。それは、また、審決において別個の無効理由につきそれぞれ判断がされている場合に関しては、かえって昭和51年最判法理と符合しなくなってしまうと、著者は指摘する。

 処分分断説に関する以上の検討とあわせて、処分自体が分断されるかどうかを明示することなく訴訟物の分断を主張するものとしての、公知事実ごとに訴訟物が別になるとする見解およびその他いくつかの見解について検討し、いずれも訴訟物の分断の根拠を提示しえていないとする。

 以上の検討の結果、審決取消訴訟の訴訟物は、一般の行政処分取消訴訟についての通説的見解と同じく、当該審決の違法性一般であり、それと異なる考えによって昭和51年最判の審理範囲制限法理を根拠付けることはできないことになる。著者は、ここで、訴訟物論と関連する審決取消訴訟の判決の判決効、すなわち、判決がその後の審判の過程に対していかなる効果を及ぼすかの問題に関しても、上述のような訴訟物論の立場から種々の見解に対して批判的な検討を加えている。

 そこで著者は、さらに進んで、審決取消訴訟における審理範囲制限について、訴訟物論から当然に生ずるのではないそれ以外の根拠があるかどうかを、従来の諸説を吟味しつつ検討する。

 ここでは、まず、「独立の権限を有する行政機関が、法定の審問手続を経て下す、確認的な行政処分」である「審決」に関しては、裁判所が審査を行うにつき、新たな資料(事実および証拠)の提出が制限され、また、審決の事実認定がその基礎資料から見て一応合理的と認められる限り裁判所はこれを適法としてよいとの実質的証拠法則が適用されるべきであるとする、いわゆる「審決理論」の考え方、および、「特に技術的専門事項に関して、行政審判機関が特にそのための機関として構成され、またその手続が当事者及び利害関係人の利益の手続保障の要請を満足するものである場合」につき、上記の「審決理論」と類似の帰結を主張する見解が、問題とされる。しかし、著者は、米国法において、民事事件・行政事件を通じて「第二審」での再審査につき「高度に承服的(deferential)な再審査基準」が用いられ、かつ、新証拠・新争点の提出についても「強度の提出制限」が働いているのとは異なり、一般的にそのような承服性や提出制限の原則と無縁な日本法のもとでは、明文の規定なしに上記所説のように解することは無理であるとする。

 さらに、著者は、審決が準裁判的行政処分であること、審判手続が手続保障の程度の高い準司法的なものであること、対象事項が専門技術的であること、そこでの判断が裁量性のないものであることなどの、特許審判ないし審決の種々の性格・特徴に触れ、そのいずれも審決取消訴訟における審理範囲制限ないし提出制限を根拠付けるものでないことを論ずる。また、特許審判が訴訟(審決取消訴訟)の「前審」であることが後者における提出制限の理由とされる傾向もみられるが、「前審」の語の多義性をふまえて考えても日本法においてはそれはいずれにせよ提出制限を肯定する理由とはなりえないとされる。なお、関連して、外国法に関しても、各国における特許無効または特許出願拒絶に係る「第二審」と「第一審」(「前審」)の関係、およびそのような「審級」関係ゆえの提出制限の有無について、あらためて横断的な整理が行われ、かつ、「独占禁止法80条等の明文がある……場合を除くと、典型的な米国法起源の労働委員会、人事院等の独立行政委員会についてさえ、実質的証拠法則等はもちろんのこと、審理範囲制限も認められていない状況の下において、典型的な大陸法(ドイツ法系)起源の特許等審判についてのみ、昭和51年最大判法理のような……ものを認めるというのであれば、均衡を失し、かつ、整合性を欠くのではなかろうか」との認識が述べられている。

 続いて、提出制限を根拠付けようとする際に登場しうるさまざまな個別の論点、すなわち、(1)特許法上、裁決主義・審級省略が採用されていること、(2)審決に理由の記載が要求されていること、(3)審決確定後の一事不再理に関し、「同一の事実及び同一の証拠に基づ」く審判請求にその効果が及ぶとされていること(特許法167条)、(4)いわゆる「特許審判前置の利益」の問題、その他若干の論点についても、それぞれ検討が加えられるが、特に昭和51年最判の提出制限法理の根拠たりうるものは見出されない。

 ただし、以上のうち「特許審判前置の利益」の問題に関しては、他と比べて詳しい検討が加えられている。これは、特許庁における特許審判が訴訟手続に準ずる価値を有する手続であり、あるいは専門行政庁による慎重な審理判断の手続であることから、当事者はそのような手続を経由することについて利益を有し、審判手続で審理判断されなかった事項を裁判所が判断することはこの当事者の利益を奪うことになるのではないかという問題である。これについて著者は、審判手続で審理判断されなかった無効理由・拒絶理由を審決取消訴訟で主張する可能性をそのような考え方によって全て一律に封ずる場合には、一律に再度の審判を経由させるという「先送り」的効果を生ずる結果となること、それは事件処理の適正という点ではプラスに働きうる面もあろうが、事件処理の迅速性の要請を大きく犠牲にするものであり、裁判所における工業所有権関係調査官の存在も考慮すればあえて一律に特許庁の審判を再度経由させる必要性は見出しがたいこと、また、昭和51年最判によると提出制限法理の適用は法条ごと・公知事実ごとの単位で行われることとなるが、それは専門技術的事項について専門行政庁による慎重な審理判断を受けさせるという趣旨にてらしても画一的に過ぎるということを、各国の制度とその運用をも参照しつつ、力説する。そして、著者自身としては、「専門的行政庁による慎重な審理判断を受ける利益」について昭和51年最判のように硬直的・画一的にではなく個別的・実質的に判断し、「新たな専門技術的事項に関する(訴訟資料の)提出に関して、迅速処理の要請をある程度犠牲にしてでも、これについて審判を再度前置(経由)すべきとするほどの上記利益ないし必要性が存在すると判断される場合には、このような利益ないし必要性のために、提出制限を加えるという法律構成」を、現行法解釈論として示唆する。

 著者によるここまでの考察は、無効審判に係る審決取消訴訟と拒絶審決取消訴訟の両者に共通するものであるが、それに対し拒絶審決取消訴訟に固有の問題としては、クレーム(特許請求の範囲)等の補正に関し、訴訟段階では補正が一律に封じられるという日本の現行法制(特許法17条参照)のもとで、新たな拒絶理由等の提出を認めると、出願人(原告)としては補正によってこれに対抗することができず、その意味で手続的利益を害されるという問題がある。著者は、ここでも各国法を参照しつつ、この点については一定の審理範囲制限が必要であるが、昭和51年最判の法理は機械的・画一的に過ぎること、立法政策論としては訴訟段階におけるクレーム等の補正を一律に封ずることの当否が問題であることを、指摘する。

 他方、無効審判のみに関わる問題としては、無効審判の審判請求書についてはその要旨を変更する補正はできないとする平成10年の特許法改正が、本論文の主題にとっていかなる意味をもつかという問題にも触れられている。

 以上、審決取消訴訟の審理範囲制限の問題に、訴訟物論の側面および訴訟物論とは異なるそれ以外の提出制限の側面の、それぞれの側面から検討が加えられたのであるが、最後に、著者は、以上の検討枠組みに収まりきらないような独自の体系を打ち出している若干の論者の見解についても批判的な分析を加えたうえで、本論文の主題についての総括と今後の展望を述べる。そこでは、とりわけ、戦後法制のもとでの審決取消訴訟の審理範囲の問題に関する立論は米国法的色彩が濃厚であったが、その前提となる米国法研究は一面的で不十分なものであったこと、他方で、特許審判制度の母法であるドイツ法の研究は怠られていたこと、昭和51年最判は米国法法理の一部のみを取り出して日本法に導入したもので、同最判のような一律の審理範囲制限は法的に根拠付けられないものであり、また、特許法において強く要請される事件処理の迅速性を著しく損ない、しかも裁判所の負担を軽減するどころか逆に無用な負荷を与えるものであること、近年の、特許侵害訴訟のルートによる紛争処理に関して裁判所による一挙的紛争解決の方向を進める最高裁平成12年4月11日判決(キルビー事件)等との関係において、実質的整合性が疑問とされうることが指摘され、判例変更または法改正が必要であると主張される。

 以上が、本論文の内容の要旨である。以下、これについての評価を述べる。

 本論文の長所としては、まず、知的財産法の視点のみならず行政訴訟一般法理まで含めた広い視角のもとに、審決取消訴訟における審理範囲制限の問題に関わる実務上および学説上の諸見解を網羅し、それら諸見解についての批判的な検討を徹底して行っている点が挙げられる。一般に特許訴訟に関し、適正でしかも迅速な事件処理が重要な課題とされ、そのための訴訟制度のあり方が問われている。審決取消訴訟の審理範囲制限の問題は、そのなかでも中心的な論点をなすものであるが、これについては、問題の重要性にもかかわらず、従来は、昭和51年最判を所与の前提として局所的な議論がされるにとどまっていた。本論文は、同最判の枠組みそのものを全体的に問い直すという、今日まで知的財産法および行政法のいずれの側からも本格的に取り組まれたことのない検討課題を十二分に達成したものであり、その点において、他に比肩するもののない画期的な研究業績であると言うことができる。

 また本論文は、比較のための明確な枠組みを設定したうえで、主要な外国法に関し、日本の特許訴訟における上述の審理範囲制限に相当する問題がいかに扱われているかを詳細に調査検討しており、そこではとりわけ、この問題についての各国法の特徴と差異が、民事訴訟および行政訴訟の全般を通じての各国法の特徴・差異との関連において位置付けられている。このような外国法研究の結果は、それ自体、今後の研究にとって有益であるのみならず、本論文における日本法についての考察にも活かされ、本論文の全体としての考察の厚みを増していると言うことができる。

 さらに、以上それぞれの論点についての著者の主張は明確であり、その論証はきわめて周到であるとともに明解でもある。

 もっとも、本論文にも、短所と評されうる点がないわけではない。すなわち、本論文は審決取消訴訟の審理範囲という現行法の重要問題とそれに関する議論を詳細に分析し検討しているのであるが、その検討から、特許権に関する手続法の仕組みが全体として今後いかにあるべきかを構想するための視座を積極的に提示するには至っていない。これは、本論文において立法政策論が意図的に差し控えられていることの結果であるにせよ、比較法研究の成果の活用可能性という観点からしても、惜しまれるところである。

 なお、論証や批判が周到である反面、行文においてときに繰り返しが見られ、やや煩雑な印象を与える場合がある。論文の構成および個々の論述につき、なお整理を試みる余地があったと思われる。

 しかし、以上の点は、本論文の学術的価値を大きく損なうものではない。本論文は、特許審決取消訴訟の基本構造についての研究の水準を著しく高め、今後、知的財産法および行政法のいずれの側面からであれこの問題領域を研究するにあたって必ず参照されるべきものとなるであろう。以上から、本論文は、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文の著者は博士(法学)の学位を授与されるに相応しいと判定する。

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