学位論文要旨



No 216213
著者(漢字) 羽田,康一
著者(英字)
著者(カナ) ハダ,コウイチ
標題(和) 古代地中海世界の大型ブロンズ彫刻 : 製作技術と意味内容
標題(洋)
報告番号 216213
報告番号 乙16213
学位授与日 2005.03.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第16213号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青柳,正規
 東京大学 教授 小佐野,重利
 東京大学 教授 逸身,喜一郎
 総合研究博物館 教授 西野,嘉章
 宝塚造形芸術大学 教授 関,隆志
内容要旨 要旨を表示する

 1972年8月,南イタリアのリアーチェ沖で二体の大型ブロンズ彫刻が発見された。この[リアーチェAB]に関する修復研究調査結果が刊行されたのは1984年のことである(Riace 1984)。これは個々のブロンズ作品について自然科学的研究と美術史学的研究が徹底的になされた研究史上最初の事例となった。一方1907年6月にチュニジアのマフディア沖で発見された沈没船の積荷の中に,二点の大型ブロンズ像[エロース]と[ヘルメ柱]が含まれていた。この二体を含む一括出土品すべてについて最新の研究技術を駆使して1987-1992年に行われた修復研究の成果は1994年に刊行された(Mahdia 1994)。[リアーチェ]も[マフディア]も陸揚げされたブロンズ像は二体だが,前者がそれ以外の発見物がなきに等しいのに対し,後者は一括出土品の量が膨大で種類も多岐に亙る。そのため同じく二巻からなるといっても報告書の規模は数倍に増大し,また内容的にも,互いにわずか十年しか隔っていないにも拘らず,その間の研究の目覚ましい進展を如実に反映している。

 この二つの例に代表されるように,1980年代以降,古代地中海世界の大型ブロンズ彫刻に関する研究は目覚ましく進展した。[リアーチェ][ファーノの少年][アウグストゥス騎馬像〕など新たに発見されるものばかりでなく,[マルクス・アウレーリウス騎馬像][アレッツォのキマイラ][テルメの拳闘士][マフディア]などずっと以前から博物館に収蔵されている作品についても,新たな修復の機会に改めて研究が深められたのである。

 こうした趨勢を受け,古代地中海世界の代表的な大型ブロンズ彫刻一つ一つについて,発見・収蔵・修復の経緯,一括出土品の検討,制作技術の推定,科学分析の成果,同タイプの比較例,様式上の比較例,碑文,意味内容,制作地・制作者・歴史的状況,に関する最新の情報・知見を一ヶ所にまとめることが急務となっている。本書はまずこのために書かれる。すなわち基礎データの徹底的な蒐集が本書の第一課題であり,その成果は「各論:考古遺品のカタログ」に収められる。

 「考古遺品のカタログ」に収める作品の配列は推定年代順ではなく,現所在地のアルファベット+所蔵番号順とする。それはまず何よりも一括出土品単位で考察する必要があるためである。[アンティキュテーラ][アルテミシオン][ピレウス][リアーチェ][マフディア]などでは,同一の一括出土品中に年代の異なる作品が含まれているが,それぞれを切り離して考察することはできない。

 ブロンズ彫刻をテーマとする以上,基礎データの中でもとりわけ制作技術,鋳造技術に関する最新の研究を摂取することが不可欠である。それぞれの作品に適用された制作技術の考察に基づいて,古代地中海世界の大型ブロンズ彫刻のほとんどすべての作品に適用できる共通の制作工程を設定することが可能である。その上で,翻ってそれぞれの作品の技術的特徴を明らかにすることができる。この作業が本稿の第二課題であり,その成果は「各論:考古遺品のカタログ」の「制作技術」,および「総論」に収められる。

 詳細は「総論」に譲るが,ここに共通の制作工程の雛型を示しておく。全体を直接失蝋法で鋳造する場合は牝型を作らないので(1)から(6)に跳ぶ。この書式をすべての遺品に適用した先行研究は存在しない。

(1)原型の制作

(2)牝型の制作

(3)鑄造原型の制作(3-6)。牝型の内面にロウを敷く

(4)鑄造原型の中に鉄の支持棒を入れる

(5)鑄造原型の中に鑄造土を入れる

(6)鑄造原型の表面をロウで仕上げ,湯道と上がりを配置する

(7)固定釘を配置する

(8)外型を着せ,乾燥させる

(9)鑄型を焼成してロウを排出する

(10)ブロンズを流し込む

(11)分鑄部品を熔接する

(12)失敗部分の補鑄,装飾的細部の付加,表面の仕上げ

(13)着色,鍍金

(14)乳首,唇,歯,目の装着

(15)基台への据え付け

 「各論」では個々の作品にあらゆる角度から検討を加え,可能な限り論理的な説得力のある仮説を提示するのであるが,特に意味内容の推定に関して,作品を歴史の凝縮点として捉えてその意味内容を考察する,著者独自の考え方を導入する。すなわち当該作品と先行作との間のモチーフの継承関係・系譜的関係を客観的に再構成するとともに,制作現場における制作者の主体的な一回限りの選択(そこに歴史が凝縮される)に光を当てること。これが本稿の第三課題である。

 著者が「形と意味の系譜」「形と意味の創造的継承」あるいは「カリュプソーの技法」(Καλνψω;καλνπτω:覆い隠す)と命名したこの考え方は,十年ほど前アンドロメダーについて考えている間に浮かび上がった方法ないし思想である(Hada 1993)。すなわち《文学・演劇にせよ美術にせよ,古代ギリシアでは先行作品から継承した諸要素との葛藤の中で創造が行われた。造形においては,先行作品からポーズと持物を受け継ぐと同時に,それらが先行作において有していた意味をも引用し,それによって自分の作品により豊かな意味を込めることが意図的に行われた可能性がある。常にとは言えないが,その系譜を辿ることが可能な場合がある。》というもので,個々の具体的な作品について,継承されたものとそこで創造されたものとを明らかにするのが筆者の仕事ということになる。図像学上の一方法として位置づけられ,本書では「各論」の「同タイプの比較例」「様式上の比較例」において適用される。

 以上要約すれば本書の目的は,ブロンズ彫刻に関する自分の考えを,著者独自の上記三つの工夫によって体系的・有機的に構築することにある。しかし或る程度の成果を得た手応えはあるとはいえ,着手から八年余を閲してまだやっと軌道に乗ったばかりである。具体的な数字を示すなら,著者の見通しでは約四十件五十点(一括出土四十件,大型ブロンズ彫刻計五十点)扱えば,主要な問題を内包しているという意味でも最もよく知られているという意味でも,古代地中海世界の大型ブロンズ彫刻の最重要の遺品をほぼ覆うことができる。

 本書の「総論」において,「各論」に収めることのできなかった多数のブロンズ彫刻に言及している矛盾については読者の寛容を乞う他はない。「各論」に十件十四点しか収めていない本書は今だ未完成である。基礎データにまだ空白が多い作品については本書への収録を断念せざるを得なかったが,それでもそれらの作品の制作技術に関する知見を,全体の見通しを描く「総論」に組み込まないわけには行かない。

 著者自身の研究史における本書の課題は,「古代地中海世界の大型ブロンズ彫刻」個々の作品について厳密な実証的研究によって獲得される知見に,「形と意味の系譜」という図像学上の方法を適用し,作品に対する理解を深めると同時に,この方法自体を確立することにある。この方法はすでにイーノーとメリケルテース,アンドロメダーとペルセウス,イーオーとアルゴスといった個別の神話についての考察を通じて,「古典古代美術におけるギリシア神話の語りと暗示」「変容神話の造形表現」というテーマにも有効である手応えを得ているが(Hada 1992[Ino];1993[Andromeda];1995[Io]),その証明は本書に続く今後の展開にかかっている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ギリシア・ローマ時代の大型ブロンズ彫刻に関する製作技術と彫刻作品の意味内容を解明しようとする研究であり、1972年に発見された「リアーチェのブロンズA,B」を中心に10件14点の作例を対象としている。

古代のブロンズ彫刻の製作技術に関する研究は、種々の科学分析法を駆使して近年めざましい発展を遂げている。著者は個々の作品の発掘経緯を詳細に調査するでだけでなく、最新の科学分析データを収集することによって、60年代までは分析困難だった製作技術、鋳造技術、製作過程、それに使用されているブロンズの組成を明らかにしている。とくに、科学分析によるデータをいかに解釈するかは、古代のブロンズ彫刻に関する考古学的、美術史的理解が必要であり、著者はバランスのとれた解釈を展開している。

製作技術に関する本論文の新知見としては、鋳造技法である失蝋法が直接失蝋法によるのかそれとも間接失蝋法によるのかを個々の作品ごとに考察している点であり、十分な説得性をもって解明されている。

対象作品である14点のブロンズ彫刻を相互に比較できるよう、原型の製作、牝型の製作、鋳造原型の製作など15項目の製作段階を明示し、それぞれのブロンズ彫刻に関してそれらの各段階を克明に記述している。技法に関する客観的な記述によって、大きさ、材質、図像が異なる個々のブロンズ作品の比較が可能となり、その結果、14点のなかに1点、現代のレプリカが含まれていることも明らかにしている。本論文以前にもレプリカの可能性を指摘する研究論考が存在していたが、厳密なクライテリアの設定によってより明確にレプリカであることを断定する結果となっている。

以上が製作技術を中心とする論考であり、それにもとづきながら彫刻作品の意味内容が考察されている。この考察の中心課題は「文学・演劇と同じく美術においても、先行作品から継承した諸要素との葛藤のなかで創作が行われるのであり、先行作品からどの部分、どの要素を継承したかを解明することが、ギリシア美術の展開を解明する際の基本である」とする著者の考えに典型的に表れている。この課題を解明するため、著者は徹底した先行作品と類似作品の収集に努め、個々の継承部分と創作部分の解明を行っている。

以上が、本論文の約8割をしめる各論の内容であり、それにもとづく総論が論文の冒頭を占めている。詳細克明な個別作品の研究にもとづく総論であるため、古代のブロンズ彫刻に関する製作技術の総括ともいえる内容である。しかし、著者が本論文の目的とした製作技術の解明による作品の意味内容の探求は、かならずしも十分な成果をもたらしているわけではなく、さらなる研究が必要である。そのような問題点があるとはいえ、古代の大型ブロンズ研究に関して新しい貢献を果たしたことは十分に認めることができる。よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に値するものであるとの判断に達した。

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